はらはらと散る

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作者:びぶりお
読了時間目安:13分
あの子が残してくれたのは、きっと悲しみだけじゃない。
あたしはそう信じて疑わぬ、純粋な卵。

追伸:誤字脱字の報告、ありがとうございます。
目が覚めた。
泣き腫らした後の、気怠い疲れが身を襲う。
霞む視界に目を凝らし、酷い頭痛に見舞われる頭を抱え、あたしはゆっくりと体を起こした。
今日。
つい、さっき。
マッスグマが、倒れた。

もともと、彼は病弱な体をしていた。
華奢で小柄な、保護されるために産まれてきたような子だった。
だからこそ、新人だった私には捕まえやすかったのだ。

見つめる円な黒い瞳。するする自在に動く、華奢な体。優しく光る、滑らかな毛皮。
食べ残しを拾ってきて、自慢げに私に見せつけてきた時の、あの表情。いたずらをして怒られた時の、いじけた態度。大好物の木の実を貰った時の、きらきらした笑顔。
全てが愛おしくてたまらなかった、あの子。

無機質なしらじらとした光が照らす、ポケモンセンターの待合室。結果なんて、もう最初から分かっていた。
あの子が、枕元に倒れていた時から。
あの子は微笑んでいた。地面には、這った跡。きっと、最期の力を振り絞って、やってきたのだろう。何もしてやれなかった。本当に、何も。
自力でボールから出て、遠く離れた私の元へと這ってくる最期の姿。想像すると、やるせなさと哀しさで、また泣いた。

どのくらい経ったのだろう。
「ハルカさん」
柔らかな、気遣うような声で、再び目覚める。
顔を上げると、ジョーイさんの姿。浮かぶ表情は、暗い。
ああ。
私は、全てを悟った。
「......非常に残念な結果です。」
絞り出すような声だった。
「彼は、最後まで意識を保っていました。そして、うわ言のように、1つ鳴いて.....ッ、立派な、最期、でした」
ジョーイさんは、泣いていた。
その涙を見ながら、あたしは案の定また泣いてしまった。
きっと、命を助けるものとして、医者として、死に涙するのはあまり良いことではない。それでも泣いてしまうほど、彼の最期は儚かったのだろう。
不思議と、心は冷めていた。まだ彼の死を受け入れていないだけかも知れない。死という非日常に、放心しているのかも。
ゆっくり瞬きながら、過ぎ去って行った彼の命が、まだ目の前に灯っているような気がした。
それでも、空になったモンスターボールを目にすれば、その光が消えたような気がして、私はとうとう声を上げて泣いた。

彼の死因は病弱なポケモンよくある先天性のものだったらしい。その死が生まれてきた頃から定められていたものだと思うと、虚無な悲しみに襲われた。

朝から小雨が降っている。
ポツポツと雫が落ちて、山の麓の地面を濡らしていった。
今日で、マッスグマが死んで49日になる。
私はあの日から、ずっと深い悲しみに囚われていた。旅を始めて1年間も離れず旅をしていた彼との別れは、底無しの喪失感だけを遺していく。
小雨を、傘が受け止める音だけが、絶えず響く。傘の絵を支える逆手の腕には、オレンの花束。彼が好きだった実の花。この花を見ると、彼がすぐそばにいてくれるような気さえした。
分かっていた。現実逃避を繰り返しているだけなどということは。彼の死を実感しては逃げ、また実感しては逃げた。だけど、彼のいない世界でまともに生きるなど、考えられない。あれ以来、手持ちのポケモンは全てボックスに預けて、バッチ集めも中断した。
いわば、もう無職も同然な状態なのである。情けなさに、涙さえ出た。
目の前には、送り火山。死んだポケモンの霊が集まると言われている、墓地。あたしは、ずっとそこに通いつめて、もう帰らぬ彼に祈り続けている。祈ったからと言って、一度失われた命が帰ってくるわけでもないのに。
私は、微笑んでその入口に足をかけた。

薄暗い、松明が照らす洞窟の中。ゴーストポケモンの蔓延る、不気味な山。
ゴーストポケモンたちはポケモンを持たないあたしに、興味などさらさらないようで、近寄りさえしてこない。
何度も、階段を上って。何度も、祈る人を目にして。
あたしは、彼の墓の前にたどり着いた。
「マッスグマ ××××年5月25日永眠」
飾り文字で流麗に描かれたその文字。見たくもない。すぐさまあたしは、目を閉じて、合掌した。
瞼の裏に、彼の姿が浮かぶ。嬉しそうに、あたしに向かって走ってくる。
ーーーああ、帰ってきてくれたのね…!
抑えきれぬ歓喜に、腕を広げた。その刹那、彼はするりと解けるように消える。あたしはまたそれは幻想であったのだと気付いて、落胆した。
必死で、我を忘れて、祈る。彼がまた脳裏に現れるよう。またそばに来てくれるよう。また笑ってくれるよう。
しかし、どれだけ祈ろうと、彼は帰ってこない。
そう。
彼は、死んだのだった。この事実だけは、世界がひっくり返ろうと、決して変わらない。悔しかった。

ーーーずっと、こうして願っていればいい。
そうすればここから消えて、彼の元に行ける。ちょうどいいや、生きている意味が見いだせなくなったんだもの。彼が死んだ直後から、コンテストには失敗するし、バトルにも負け続きだったんだもの。ああ。もういいや。
妙に虚ろな喜びが、身を襲う。そうだ、このままここであたしも死んでしまえばいい。もう1度、彼に会うために。永遠を共にするために。
さようなら、このセカイ。私はもうここに居たくない。私がここから消え去っても、きっと誰も気にかけないのだから。もう嫌だ。さようならだ。
冷めきって、氷のような心。死を望む心。それはさらに肥大して、胸の大半を占める。もうこの世に用はない。彼の元に行けさえすれば、報われる。そう信じて疑わないのだ。平常心なんてどこにもない。あたしはもう、あたしじゃないのかも知れない。
それでも、いいから。あたしは、もう1度手を組んで、岩の塊を前に祈った。

どれ位たったか、分からない。もう辺りに、墓参りの人の気配もなかった。寒い。寒い。あたしはこのまま死ぬのだろうか。それでもいいと、思ってしまう。彼に会えれば。
ああ、もう限界だ。頭が痛い。目眩がする。眠い。もうこのまま倒れてしまおう。きっと死ねる。
そう思った、刹那。
「あれ?もしかして、ハルカ?」
明るい声。懐かしい声......思わず振り返ってしまうと。
「ユウキ......君」
その黒い瞳に怪訝そうな色を浮かべた、あのライバルが立っていた。
「ああ、やっぱハルカじゃん。」
私の顔を見て、溌剌と笑った彼は、突然表情を真面目なものにして。
「あ......ごめん。邪魔した?」
「......うん」
正直いらいらしていた。折角、死ねるかもしれなかったのに。分かっている。ユウキ君に怒りをぶつけたって、なんの意味もない。だけど、だけどーーー
「いいよね、ユウキ君は。悩みなんて、一つもなさそうで。」
毒を吐く。意味もなく、ただの八つ当たり。
途端、彼は表情をさらに複雑な物へと変えた。怒とも哀ともつかない、静かな表情。そして、彼はまるで別人のように、厳かに告げる。
「......俺も、死んだパートナーの参りに来たんだ」
松明が、揺れる。まさか。彼も、そうだったなんて。
しばらく、あたしは目を伏せてしまった。やがて、長い時ーーーいや、ほんとは短いのかも知れないーーーがすぎて、やっと口を開くことが出来た。
「ごめん。......言いすぎた。」
本当に、情けなくなるほど小さな声だった。それを聞いた瞬間、またユウキ君の表情が変化する。柔らかな微笑み。本当に、彼は喜怒哀楽豊かだ。
しばらく、間が開く。やがて、思い直したように、彼が口を開いた。
「......俺さ、昔ポチエナ飼ってたんだ」
唐突な、告白。私は黙って頷く。
彼は、遠い所を見つめるような瞳で、語り続けた。
「本当によく噛むやつでさ。しょっちゅう怪我させられては、喧嘩してたっけ」
また、表情が変わる。今度は、哀のような苦笑。
「でもさ、結局そいつは俺に懐いてて。俺もそいつが大好きだったから、普段の生活でも、フィールドワークの時でも、ずっと一緒だった」
ずきん、と胸が痛んだ。どこか、そのポチエナがマッスグマと似ていると感じたからかも知れない。彼は、複雑な表情の中に、どんな思いを秘めているのだろう。
「ずっと?」
「うん、ずうっと」
私の小さな問に、彼は柔らかい声で答える。
「本当に、ずっと一緒だった。もしかしたら、片時も離れなかったもってぐらい。だからさ、この時がずっと続くんだって、勝手に思い込んでた。だけど…」
ユウキ君が、俯く。垂れ下がった前髪で、目はよく見えないけれど、あたしには彼が泣いているように見えてしまった。
「去年の4月の終わりに、死んじゃったんだ」
血の気が引いた。4月の終わりといえば、あたしが来る直前。あたしがマッスグマと出会う、ほんの数日前。
それなのに、彼は出会った時からはつらつとしていた。あたしとマッスグマより、長い年月を共にしていたはずの、ポチエナを亡くしたのに。あたしは、何も彼に言ってやれない。一瞬、沈黙があった。
しかし、すぐに彼は腕で目を拭い、顔をあげる。その表情は、晴れやかでさっぱりしていた。
「最初は、親に当たったりした。自暴自棄になって、外に出なくなった。あいつの墓の前で、ずっと泣いてた」
その言葉の一つ一つが、心に刺さった。自分に境遇が似すぎていたからだ。
「うん。.......悲しいよね、ずっと大切にしてた子が、死んじゃったら。」
瞬いた目から、大粒の涙。
「あたしも、今すっごく悲しい」
もう1度瞬きすれば、また涙がこぼれる。
「もう、心の支えがなくなっちゃったみたいで」
そういった瞬間、感情が抑えられなくなって、後から後から涙が零れてくる。とうとう、あたしは声を上げて泣きじゃくった。
暖かい温もりがあたしを包む。それが何なのか、気にする暇もなくって。ただその大きな温もりに身を預けて、子供のように泣いた。あの子が愛しい。もう耐えられない。
心地よい温もりの中で、あたしは気が済むまで泣いて、泣いて、泣いた。やがて、火炎のような悲しみは勢いを弱めていき、すすり泣きとなる。
「だけどさぁ」
ふふ、と笑って、彼が言った。
涙で霞んだ視界には、彼の顔は映らず。代わりに上から声が降ってきた。やっと、私は彼に抱きしめられているのだと気がついた。だけど、そのことに慄くことなどなく。むしろ、とてつもない安心感が広がる。
「このまんま泣いてばっかいたらさ、あいつがしゃんとしろって噛んでくる気がして。こうしちゃいられないって、必死で立ち直った。」
ユウキ君の骨ばった手が、あたしの頭を滑るのが分かる。
「だから、今の俺がいる。あいつが、変えてくれた俺が。」
なおも、あたしの頭を撫でながら。彼は、しんみりと言った。
そうだ。あたしも、こうしちゃいられない。もう去ってしまったマッスグマにすがり付いて、彼を困らせてはいけない。彼を言い訳にしては、いけない。
パズルのピースが、ぴったりはまったような感覚。ああ、どうして気づかなかったのだろう。あたしは、あたしは、馬鹿だ。この罪を、彼は、どうやったら許してくれるだろう。答えはすぐに出た。
「生きること」
私はうわ言のようにそう呟いて、これで最後にしようと、彼の胸に顔を押し付け、号泣した。
はらはらと舞う、松明の光。それは、あたしの心を、きらきらと照らして。

夜の帳も降りる、ミナモシティ。その名の通り、豊かな水を持つ街。その湖の辺を、あたしは弾む足取りで歩いていた。腕には、ユウキ君が博士に渡すように頼まれたという、淡いクリーム色の卵。ーーー彼の毛皮と同じ色の、卵。
あたしは、彼を縛る枷に成り果てていたのかも知れない。だからこそ、またこの街に来た。
彼が死んだ場所。ポケモンセンターがあるここに。
ーーーあたしは、ここでもう1度トレーナーとして再出発することにする。
そう、彼に宣言するために。
生きることであたしが起こした罪を償って見せる。
そうすれば彼はいつか許してくれるだろうか。 くだらない自己満足だけどきっと彼は、しょうがないなと笑ってくれるだろうか。
あたしの腕には小さな命。ゆっくりと揺れる、命のゆりかご。確かな鼓動を奏でるこの子の瞳には、どんな世界が映るんだろうか。

ーーーいつか、私と彼が描いた夢が、このこと私とで描けるだろうか。それとも、また違った形で、別の幸せが叶うだろうか。

どちらだっていい。

あたしは、ますます暑くなりそうな空気を吸い込んで、名も知らぬ花が、はらはらと散る街道を、堂々と歩いていった。
Ririzaです。
暗めの短編。自分の「死」についての考え方を、知って欲しかったんです。この物語を通じて、改めて「いのち」について考えてくださったら幸いです。長々とした駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました!

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