11/14書き直し
______もし、海まで連れて行ってくれたら、
「一つだけ、お前の願いを何でも叶えてやろう」
少女は黄色い髪を靡かせながら、少しだけ微笑んだ。
なんだかその様子がとても大人びていて、目の前にいる相手が子供だという事を忘れそうになる。
仕事柄色々な人の顔を見て来たが、一体どんな生活をすればその年でこんな表情ができるのだろうか。
「馬鹿馬鹿しい」
少女の”お願い”に対する俺の返答は決まっていた。
「さっきも言ったが、答えは”却下”だ」
少女は一瞬だけ目を丸くさせ、怪訝そうに俺を少し睨みつけた。
「何故断る?」
指を二本立て、その手を少女に突きつける。
「理由は二つある」
「言ってみろ」
少女は腕を組み、顎をくいと持ち上げて俺に説明を促した。
こいつの偉そうな態度はいちいち勘に触ったが、そこは子供相手だからと目を瞑ることにした。
これは俺の勝手な考えだが、そもそも見ず知らずの他人に海に連れてってくれた頼まれても、今時それを素直に引き受けてくれる奴なんてよっぽど暇人か、もしくは誘拐犯くらいじゃないだろうか。
まあ、相手が綺麗なお姉さんなら話は変わってくるのだが。
俺がこいつの親なら、例え友達にもこんな態度は絶対に取らせないよう躾けていたと思う。
自分の子供なんて、俺には縁の無い話なのだが。
「早く理由を言え」
つま先でたんたんと地面を叩ながら、少女は俺を軽く睨みつけた。
内心叱ってやろうかとも思ったが、所詮他人の子供だし、あくまで大人の対応に努めて乗り切ることにした。
あえて理由を説明してやるのも、その一環である。
「じゃあ、一つ目から教えてやる」
「うむ」
一つ目というか、普通に考えてこれが全てだ。
「俺が、お前を海に連れて行きたいと思わないからだ」
「は?」
少女は酷く驚いたようで、目をまんまるに見開いた。
子供相手に”お前”呼ばわりする俺もどうかと思うが、なぜ断られたのか本気で理解出来ていないこいつも大概だ。
だが、俺の冷め切った目を見て少女はようやく何か察したようで、何やら真剣に考え始めた。
「そんな深く考える事じゃないだろ。単純に俺が連れて行きたくないんだよ」
「……なぜだ?」
「なぜって、俺がおわざわざお前を海に連れて行ってやる理由がない」
「私は海に行きたいんだ。それが理由だ」
「そうじゃなくて、俺の方がお前を連れて行く理由がないってことだよ」
だめだ、こいつは何もわかっていない。
思わず大きなため息が漏れる。
しかし、呆れる俺を見た少女もまた同様にため息を吐いた。
「おい、なぜお前がため息を吐いてんだ」
「男よ、お前は何もわかっておらぬな」
それはこっちのセリフだ。
「私を海に連れて行けば、お前はどんな願いでも一つだけ叶える事ができるんだぞ」
そもそも、どんな願いでも叶えられるなんてきっと魔法使いがいたとしても出来っこない。
もし俺が空を自由に飛べるようになりたいと願ったら、こいつは一体俺に何をしてくれるんだろうか。
「そもそもな_____」
しかし、子供の妄言を頭ごなしに否定するのは少々大人げないかと悩み、言葉を詰まらせた。
口ごもる俺を見てすかさず少女は口を開く。
「男よ、お前の理由ならそれで十分だろう?」
やれやれと少女は小さく息を吐く。
こちらを煽っているのかやけに大袈裟な素振りだったが、俺は自分でも感心するくらい冷静だった。
これが大人になるという事かと、じんわりと胸にくるものがあった。
「それじゃあ、二つ目を教えてやる」
「うむ?…そういえばそんな話だったか」
指を二本立てながら、少女の握った釣竿へと視線を送った。
「俺は海で釣りをしないんだよ」
「適当な嘘を吐くな。じゃあこの釣竿は何に使うのだ」
「そりゃあ魚を釣る為に決まってるだろ」
「言っている事が矛盾しているぞ」
「俺は池とか川でなら釣りをするが、海釣りは専門外だ」
「池でだと?」
少女は怪訝そうに池を眺める。
池は上空の太陽を映し出すほど、静寂していた。
「こんなところに魚がいるのか?」
「それを確かめる為に来たんだよ」
「池の魚は美味いのか?」
「あくまで”釣る”ことを目的にしてるんだよ。釣ったら、食べずにリリースする。池での釣りはスポーツとして楽しむんだよ」
「りりーす?すぽーつ?とは、どういう意味だ」
「……」
リリースはともかく、スポーツも知らないのか?
ただでさえ面倒臭い性格をしているのに、その上使う言葉も気を使わなくてはいけないのか。
子を育てる親の苦労が少しだけ理解できたと思うと、俺はこいつに感謝した方がいいのかもしれない。
「釣りのスポーツってのは要するにだな…釣った魚は食べないんだ。釣ることだけを楽しむんだ」
「最初からそう言え」
「はいはい、悪かったな」
「食べもしないのに、釣るだけの何が楽しいのだ」
「まあ別に理解して貰わなくて結構だな。世の中には池や川専門のプロもいるし、釣りとは中々奥が深いんだよ」
「ぷろ?せんもん?」
「………それでお金を稼いで生活してる奴がいるってことだ」
「なるほどな。お前、もっと分かりやすく話すよう努力しろ」
「……」
その時、池でぽちゃりと水が跳ねる音がした。
俺も少女も即座に水面へ視線を送るが、そこには小さな波紋が綺麗に輪を広げているだけだった。
周辺に魚影がないか池を覗き込むが、それらしきものは見当たらない。
「今のは魚か?」
「んー分からんが、魚にしては音が小さかったな」
波紋はじわじわと広がっていき、やがて消えてしまった。
その様子を眺めながら、少女はまたしても何か考え事をしているようだ。
少女の手にはしっかりと釣竿が握られていた。
「……もういいだろ。とにかく無理だ。さっさと俺の竿を返してくれ」
はっと何かに気がついた少女は振り上げた両手を慌てて下ろし、しっかりと俺の釣竿を握りしめた。
さっきまで怒りで顔を歪めていた少女が、今度は満面の笑みでこちらを見つめている。
……嫌な予感がする。
「これは、人質だ」
「は?」
「お前が海に連れて行ってくれるまで、これは私が預かっておく」
いくらなんでも、それは無茶だ。
「もういい加減にしてくれ。早く釣竿を返してくれ。もう仕事に戻らないといけないだよ」
「そうか、なら今日のところはもう帰れ」
「まず竿を返せ」
「明日、太陽が天辺に昇る頃にまたここに来い。その時に海まで連れて行ってもらう。釣竿はその後に返すということでいいな?」
「おい勝手に話を進めるな」
「あと、時間には余裕を持たせておけよ」
誰のせいで時間を無駄にしたと思ってると言いたかったが、とりあえず釣竿の回収が優先だ。
これ以上面倒なことになるのは勘弁。この子には悪いが無理矢理竿を奪い取るしかない。
「いい加減に_____」
しかし、そこにはもう少女の姿は無かった。
俺が強硬手段に走るかどうか悩んでいる内に、何処かへ消えてしまったようだ。
少女が座っていた白い岩は、まだほんのりと暖かった。
「………やられた」
総額6万の釣竿を取り戻す為には、また明日仕事をサボってここに来るしかなかった。