11/29 書き直し
目が覚めると、ベッドの上だった。
時刻は午前7時。
締め切ったカーテンの隙間から、外の光が流れ込んでいた。
もう、朝か。
昨晩は相当疲れていたことは覚えているが、家にたどり着いてからのそれ以外の記憶が全くない。
どうやら風呂には入っていたようだが、酷く空腹なことから恐らく夜は何も食べていないのだろう。
まあ、独り身からすればこんなことは日常茶飯事だ。
ベッドから体を起こしカーテンを開け、ぼんやりと朝日を眺める。
最近は目が覚めてもしばらく時間が経たないと、頭も体も動いてくれない。
周囲からはまだまだ若いだろと言われるが、今年でもう28だ。
ぼちぼちと老いを感じてくる。
常々、いつまでも若く在りたいと願ってはいるが、やがては老いに敵わなくなっていくと思うと虚しくなる。
目覚めからブルーな気分になってしまったが、ついでにもう一つ嫌なことを思い出した。
「そうだ、俺の釣竿……」
昨日、森の中で出会った少女に釣竿を奪われたのだった。
不思議な黄色い髪色の少女。
彼女は恐らく二回り以上も歳の離れた俺に対して、遠慮するどころか明らかにこちらを見下すような態度だった。
あの歳で年上に対し、堂々とコミュニケーションを取ることには非常に感心するが、いかんせん態度が悪すぎる。
普段からああなら、友達はおろかまともに学校に通っていないんじゃないかと邪推してしまう。
_____とまあ、くだらない詮索はほどほどにしてそろそろ会社に向かわなくては。
面倒だがあいつを海まで連れて行く約束をしてしまった。
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車から降りて、重い足取りで事務所に向かった。
出勤ギリギリだったので、既に他の社員は各々の机で仕事を始めていた。
パソコンに電源を入れる。
毎朝のことだが、起動するまでの時間がどうしようも無く退屈だ。
ぼんやりと画面を眺めていると、隣の席から何やら遠慮気味に視線を感じる。
面倒だったので俺はあえて気づかないふりをして仕事に取り掛かろうとするが、観念したのか視線の主が俺に話しかけてきた。
「あ…あの……シノミヤ…さん」
「……なんだ?」
恐る恐る俺の名を呼んだこいつは、事務員のミナミだ。
事務員は俺のような営業のパートナーのような存在なのだが、こいつの場合はミスで俺の仕事を増やしまくる、俺にとっては疫病神のような存在だ。
とはいえ、ミナミは半年前に入社したばかりの新入社員なので、多少のミスなら目を瞑ってやっているが、今回ばかりは流石の俺もまだ腹の虫が治まっていなかった。
ミナミはそんな俺の気持ちを察してか、ただただ小さく体を震わせていた。
というか、ミナミの方から俺に話しかけて来た癖に、こいつはもう何も話すつもりはないのだろうか?
「なんだよ、俺に用があって話しかけてきたんだろ?」
「え、えっと…その……」
ごもごもと何か小さな声で喋り出すが、何を話しているのか全く分からない。
苛立ちから、このまま無視して仕事に取り掛かってやろうかとも考えたが、ここは上司として、歳上として、この頼りない部下とコミュニケーションを取ってやることに決めた。
「ミナミ」
「は、はいっ!」
ミナミはびくっと小さく飛び跳ねる。
「そんなに俺が怖いか?」
「…い、いえっ、そんな訳じゃ」
ミナミは、俺の次の言葉を震えて待っていた。
俺だって新人の頃は、ミスをする度に上司に怒鳴られるじゃないかとビクビクしていた。
怒られるのは、誰だっていい気分にならないだろう。
だから、俺が次に言う言葉は______
「ありがとな」
「す、すみませんでし……えっ?」
ミナミは目を丸くさせていた。
「昨日の夜、俺は事務所に戻らずそのまま家に帰ったんだけど、仕事が全然溜まってないから、ミナミが代わりにやったくれたんだよな」
「は、はいっ!私がやりました」
「助かったよ。ありがとう」
ミナミは唖然としていた。
多分俺に本気で怒られると思い、覚悟していたのだろう。
「なんだ、怒られると思ったか?」
「い、いえ……いや、正直、少し…思ってました」
「俺の話は以上だ。まあお客さんも許してくれたし、反省してくれたんならそれでいいさ」
「本当にすいませんでした……ありがとうございます」
ミナミは深々と頭を下げた。
一体何に対しての『ありがとうございます』なのかは少し気になったが、もうこれ以上この話を続けるつもりはなかった。
俺としては本人が過ちを理解してくれたんならそれで十分だ。
別にミナミが女性だから怒りずらかった訳ではない、俺の仕事では怒らないというスタンスは男だろうが女だろうが、これまでも、そしてこれからもずっと続けていくつもりだ。
などと俺が自分の美学にほんのりふけっている最中も、ミナミはまだ頭を下げていた。
深く謝罪したい気持ちは分かるが、いつまでも下げていたら俺が強制しているみたいじゃないか。
もう下げなくていいぞと口を開こうとするが、その時初めて、ミナミが髪を切っていたことに気がついた。
昨日まで、腰まで垂れていた長い髪はバッサリと肩まで切られ、黄色いヘアゴムで一つに束められ、まるで別人のようだった。
「ミナミ」
「はいっ!」
「お前、髪切ったんだな」
本来ならお世辞で何かもう一言付けてやるべきなのだが、途中でこんなに見た目が違うのに今まで気づかなかった自身の落ち度に気づいてしまい、次の言葉が出なかった。
「そ…そうなんです。どうでしょうか?」
「どうでしょうかって____」
まさかミナミの方から聞いてくるとは思わなかった。
「まあ前は前髪も長くて、顔も少し隠れたたからな。随分スッキリしたと思うぜ」
「ありがとうございます!」
ミナミはやけに嬉しそうに笑っていた。
普段からこのぐらい元気を出してくれるのなら、俺も苦労しないのだが。
その時、彼女のヘアゴムにビー玉よりも少し大きいサイズの何かのキャラクターの飾り付いていることに気がついた。
その飾り物の体は白く、頭は黄色い星形の被り物のようなものをしており、ミナミの髪の上からこちらをじっと見つめていた。
「それ、何のキャラクターなんだ?」
「こ、これですか?」
ミナミはヘアゴムに付いたキャラクターを撫でて見せる。
全く知らないキャラクターなのだが、なんとなくこの頭部の黄色を見て、何故だか昨日出会った少女の黄色い髪を思い出した。
「これ、ジラーチって言うんです」
何のキャラクターと聞いたのに、キャラの名前しか教えてくれない辺りが、とてもミナミらしい返答だ。
「で、何のキャラクターなんだ?」
「あっ、えっと……すいません…」
「……」
「こ、これはっ、ジラーチっていうポケモンなんです。私、ジラーチ大好きなんです」
「そうか、ポケモンか」
「シノミヤさんは、ポケモン…ご存じないですか?」
「いや、知ってるよ。なんなら子供の頃ゲームやってたぞ」
ミナミの顔が、分かりやすいくらい明るくなった。
なるほど、こういうタイプの人間なのか。
もう半年くらいの付き合いになるが、こんなに嬉しそうに笑っているのは初めて見た。
「シノミヤさんの歳だったら、…多分やってたのルビーかサファイヤですよね」
「そうそう。それもやったし、エメラルドも持ってたぞ。よく分かったな」
「年齢でどの世代のポケモンか大体分かるんですよ」
ミナミは得意げに、初代から最新作までのポケモン作品について教えてくれた。
その後も色々とポケモンの話を聞かせてくれたが、正直やった事のない世代の話は全く頭に入ってこない。
昨日の大ミスといい、どうやらこいつは俺にまとも仕事をさせる気がないようだ。
「で、ジラーチはどういうポケモンなんだ」
はっ、と我に帰ったミナミは恥ずかしそうに俯いた。
「ジラーチは…実はルビーサファイアに出てきたポケモンなんですけど…シノミヤさん覚えたないですかね?」
「それ本当か?俺は全く見覚えないんだが」
「確か当時は映画配布しか貰えなかったですし、ゲームにも登場しなかったので、シノミヤさんみたいに案外知らない人もいるのかもしれないですね」
「なるほどな」
「当時の映画には出てたので、映画のポスターとかテレビのCMとかで見たことあって、知ってる人とかもいますよ」
「すまんが、俺は全くだ」
「……そうでしたか」
ミナミはとても残念そうに、しょんぼりとしてしまった。
「……で、ジラーチはどういうポケモンなんだ」
「ジラーチは、1000年に一度だけ目覚めて、7日間だけなんでも願い事でも叶えてくれるポケモンなんです」
「1000年に7日しか起きられないのか……」
「でもその間、人々のどんな願い事も叶えてくれるんです。きっとそれでエネルギーを使い切って、また眠っちゃうんでしょうね」
「なかなか難儀なポケモンなんだな…」
「ジラーチは、優しくて良い子なんですよ。とっても可愛いですし」
「確かに可愛いかもしれないな」
「そうなんですっ!めちゃくちゃ可愛いんです!!」
ミナミは見せつける様に頭についたジラーチを俺に向け振ってみせた。
「ちなみに、ジラーチの頭に3つほどついてるこれは短冊なんですけど、ジラーチはこの短冊に書かれた願い事を叶えてくれるんですけど、最新作の剣盾では更に_____」
ミナミの頭の上で揺れるジラーチのつぶらな瞳と、俺の冷めた目が合わさった。
「……なるほどな」
1000年に7日しか起きないのなら、目覚める度に世界の様相はまるで変わってしまっているだろう。
それにせっかく目覚めても、コイツは人間なんぞの願いごとをわざわざ叶えやらなくてはならない。
所詮ゲームの設定だが、俺にはジラーチが気の毒に思えて仕方がなかった。
「あの…シノミヤさん……」
「なんだ?」
気がつくとミナミは、さっきまでの楽しそうな表情が嘘のように、気まずそうに縮こまっていた。
何が言いたいのか、何となくだが察することが出来た。
そして俺は本日三度目のため息を吐く。
「なあミナミ」
「は、はいっ。…何でしょうか?」
「お前、ポケモンのことめちゃくちゃ詳しいな」
「そ、そうなんです…大好きなんです……」
「正直な話、人と話すの結構苦手だろ」
「……はい…」
「そういえば、お前とこんなに話すのは初めてだな」
「……」
正直、自分でも何でこんな話を始めたのか分からない。
言いたいことは色々あったが、何から話そうかと考えているうちに全て面倒になった。
「まあ、なんだ…、これからもよろしく頼む」
「は、はいっ!ありがとうございます!」
少々の強引な終わらせ方だったが、今日は朝の内に仕事を終わらせたかったのですぐにパソコンへと向かった。
時計を見ると、ずいぶんミナミと話し込んでいたようで、出勤してから30分が経過しており、周囲から不安な空気が流れ込んでいることにようやく気がついた。
ミナミの方は珍しく意気揚々と作業を始めていたので、どうやら気がついていなようだ。
さて、今日は朝の内に事務仕事を終わらせて、昼前には会社を出よう。
午後からまたあの森へ向かはなくてはならない_____