10/23 書き直し
白く細かな粒の砂浜に、透き通った水の池。
ここが森の中なのにも関わらず、ここに訪れた者たちは皆この景色を眺めてまるで海のようだと呟いた。
“海”とやらを、私はまだ生まれて一度も見たことが無かった。
海の水は、この池とは比べ物にならないくらい大量にあるらしいのだが、しょっぱくてそのままでは飲めないらしい。
信じられないことに海はどこまでも続いており、その様子を水平線と呼ぶ。
水平線に沈んでいく太陽の景色は、それはそれは美しい眺めなのだと聞く。
海を”私”に見せてやりたい。
それが密やかな願いであった。
「あー!お前何してんだ!!」
背後から、耳覚えのある男の声が聞こえてきた。
無神経な声は、私のセンチな気持ちを一瞬にして打ち砕く。
「……二度とくるなと言っただろう」
どうやら急いで来た様で、男はかなり汗をかいていた。
黒いズボンに白の襟の付いた上着を纏っていたが、上着は汗でべったり張り付いている。
両手を膝につけて息も切れ切れで、とてもみっともない格好だ。
男は乱れて息遣いながらも、精一杯声を出す。
「お前、その手に持ってるやつ!」
私の右手には、赤色の細長い棒が握られていた。
この棒は、この男が一度目に訪れた時に持ち込んだ黒い鞄の中に入っていたものだ。
「おいおい糸が絡まりまくってるじゃないか。これもう直せないぞ、どうしてくれるんだよ」
男は顔を真っ赤にしていた。
たかが棒切れの事で、何をそこまで怒る必要があるのか。
「くだらん」
思いっきり力を入れると、見事に棒はしなってみせた。
折れそうで折れない。
中々に頑丈な棒だ。
「た、頼むからやめてくれっ」
か細い声を上げる男の顔は、真っ青だった。
棒を曲げる私を止めようと、こちらに駆け寄って来たが、これ以上近づくなと男を睨みつける。
「なあ、この丈夫な棒は一体なにに使うんだ?」
「……これで魚を釣るんだよ。糸ついてるんだから見たら何となく分かるだろ」
言われてみれば、この棒が入っていた鞄に針や餌のような物が入っていた気がする。
「そうか、これで魚を釣るのか」
海には沢山の生き物が住んでいると聞いたことがある。
特に、様々な生き物がいる険しい環境で育った魚は川の魚よりも脂が乗って非常に美味なのだと言う。
「この棒は、お前のものか?」
「そうに決まってるだろ」
「もしかして、お前は魚を釣ることが出来るのか」
「こんな山奥に釣り竿持ち込んで、他に何をするんだよ」
「…いちいち口うるさい男だな」
男は早く返せと言わんばかりに片手を伸ばすが、気づかないフリをして池を眺めた。
この男のことは無礼で嫌いだが、この棒切れで本当に魚を釣るところを見てみたい気持ちもあった。
しばらく池を眺めてみたが、残念ながらここに魚は一匹も住んでいない様だった。
______いいことを思いついた。
「なあ、男よ」
「なんだ?」
男は早く返せと言わんばかりに竿を見つめていたが、私はそれを背に隠した。
「男よ、私を海に連れて行け」
「はあ?」
「どうせ海に魚を釣りに行くだろ。その時、一緒に私も連れて行ってくれ」
「嫌に決まってるだろ」
私だって嫌に決まっている。
しかし、それでもどうしても海を私に見せてやりたかった。
いよいよ私の願いが叶うのだ。
本来なら、この無神経な男と同じ空気を吸っていることすら癪なのだが、それで海が見られるのなら我慢できる。
「絶対に嫌だね」
「当然、見返りはくれてやるつもりだ」
「そんなもんいらないから、さっさと俺の竿を返してくれ」
男の態度に腹が立ったが、目を瞑り大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
瞼の裏で、まだ見たこともない広大な海を思い浮かべた。
「もし、私の願いを叶えてくれたら」
『一つだけ、お前の願いを何でも叶えてやろう』