【四】子どもっぽい

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「よし、下山完了!」
 両手を広げ、メグリは歓迎を示した。ようこそ! とヒノテの前を後ろ向きで歩きながら、一切疲れを見せずに涼しい顔だ。
 その歓迎に、ヒノテは苦笑いで返すしかなかった。とてもではないが、今下山に喜んで燥ぐ気分にはなれない。
「……案内、どう、も」
 メグリの案内は、とてもではないが観光客に向けたものではなかった。恐らく自分がいつも通り下山するスピードで、ひょいひょいと駆け下り、近道はこっち! と後ろを振り向いて叫ぶ余裕まで見せた。地元の子とはいえ、少女相手についていけませんとは言えない。くだらない小さなプライドを守ろうとしたヒノテは、死に物狂いで後を追い、そして後悔した。
 足はガクガク息も絶え絶え。すぐにでも仰向けになって、赤く夕暮れに染まろうとする空を見上げたいところだった。
「ご、ごめんね。やっぱり大変だった? いつもよりはスピードを緩めたつもりだったんだけど、ヒノテならついて来られそうだったしさ」
 あれでまだいつも通りではないと言う。一周回って笑いが込み上げて来たヒノテは、肩で息をしているのか笑っているのか分からない様子で、メグリの肩をポンと叩く。
「いいや……大丈夫。ちゃんと、着いて来ただろう? これだけ疲れれば、温泉が、一層楽しみってもんだ。もう少しだけ案内、頼むよ」
「おっけー!」
 仰向けになるのは部屋に行ってからにしよう。
 そう決心し、快調に歩みを進めたメグリの後をヒノテは追いかけた。

 デコボコ山道からフエンタウンまで、とてもではないが今のヒノテが歩ける距離ではない。メグリの案内でバスに乗り込んだヒノテは、棒になった足を休めるべく、空いた横の席に大きなリュックを置いて、メグリと一緒に最後尾のシートへ腰掛けた。乗客は少なく、快適な車内。
「フエンタウンは初めて?」
「いや、初めてという訳ではないんだが、久しぶりに訪れたくなってね」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
 足をぶらぶらさせながら、メグリはまた笑顔を浮かべる。感情表現が豊かな子どもだ。子どもらしいという言葉が、随分とピッタリ当てはまる。
「宿はどこへ?」
「街の西側。温泉街の旅館だよ」
 お! と声を上げたメグリは、
「私の家の近くかもね!」
 と、再びにこり顔。
「君の家は、宿屋をやっているのかい?」
「ううん。そうじゃないの。たまたま、その辺ってだけ」
「そっか」
 国道沿いを走るバスの外には、人の気配のする雰囲気が広がり始めていた。夕暮れに彩られた田舎景色を眺めつつ、いくつかの山村を超えていくと、だんだんと区画整理された町に入っていく。
 フエンタウンへようこそ、の看板がヒノテの目に入った。
 過去訪れたのは一度だけ。今回と同じように、えんとつ山に用があったので、フエンに宿泊した事があった。あの時とは立場も状況もかなり違っている。今回は、心行くまでフエンという町を楽しむつもりだった。
「乗り換えなくても大丈夫?」
「うん。このバスに乗って行けば、温泉街の方まで行けるよ」
 ただ会話をしているだけなのに、やたらご機嫌な様子は、先程デコボコ山道で出会った時から変わらない。山で出会った、活発な町娘というメグリの印象はきっと間違ってはいないはずなのだが、妙な違和感をヒノテは覚えた。
「メグリは、いつもデコボコ山道で遊んでいるの?」
「うーん、そうだね。毎日という訳ではないけど、結構多いかも」
 学校は? 友達は? と口をつきそうになったが、ヒノテはそれを飲み込んだ。子どもだろうと、あんまりずかずか踏み込むものではないだろう。
 彼女なりの事情があるのだろうし、ただ今は、案内に感謝するだけで良い。
「お転婆な山の下り方をもうちょっと控えれば、良いガイドさんになるかもね」
「あー! 根に持ってる!」
 メグリも悪いと思っている部分はあるらしい。「ちょっと早かったかもしれないけどさあ……」と呟き、頬を膨らませる。
「でも、速く山を下りられた。メグリのおかげさ」
 ぽんと頭に手を置き、先程からのメグリのにこり顔に返答するように、ヒノテは一つ笑みを返した。
 頬が萎み、メグリもまた微笑む。
 話しているうちに、目的の停留所が近づいて来た。次で降りられるよう、ヒノテは降車ボタンを押す。
「次で良いの?」
「ああ。停留所の名前は、先に調べていたからね。次で合ってるはず」
「じゃあ、私と一緒だね」
 二人を乗せたバスが停留所へ停まり、ヒノテはやっとフエンタウンの地を踏みしめた。
「いやあ、疲れた疲れた。早く温泉に浸かりたい」
「そういえば、どこの旅館なの?」
「山雫ってとこ。知ってる?」
「知ってる知ってる。有名な旅館だね。ヒノテ、奮発したな?」
「バレたか」
 山雫は、街中にも出やすく、しっかりとした温泉にも浸かれる旅館に泊まりたい、というヒノテの願いを叶えるには、うってつけの場所だった。
 事前情報では、このバス停から徒歩十分以内。何も心配せず一直線に来られた事に、ヒノテはメグリに対し素直に感謝し、礼を言った。
「いいよ。私の勝手な趣味だから」
「いつもこうやって観光客を案内しているの?」
「気が向いた時だけ、ね」
「そりゃあ皆大変だ」
「あー! まだ根に持ってる!」
「うそうそ。ちゃんと感謝してる。ありがとう、メグリ」
 手を出せば、その小さな手がヒノテの手を握った。握手をして、二人は別れる。
 観光地でのこういった出会いを、ヒノテはとても大切にしていた。
 ホウエンという土地がどういう場所で、どういう人間達が暮らしているのか。ポケモン達を鍛えつつ、自分が生まれ育ったホウエンを少しでも深く理解したいと思って旅をするヒノテには、もう会う事もない人間との関わりも、心に刻んでおきたいものの一つだった。
「さ、温泉温泉」
 フエンタウンを楽しむには、まず体力を回復させなければならない。そのために、身体を疲れさせたと言っても過言ではなかった。
 フエンを赤く染め上げていた夕陽も、山の稜線に沈んでいきそうだ。今日という一日に感謝をしつつ、ヒノテは歩き始めた。

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