『星になった人々』 P.94 著者:ドダイトス・ガーンデーヴァ・イルクス

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

グラエナ君のお話です。(彼は主人公ではありません。メインはマニューラです)

●あらすじ
 マニューラがマナフィエィ・ドゥシャを追ってリチノイを離れた直後、ニチスチヴィの若き盗賊・グラエナは三日の間、ガオガエンの身辺調査をしていた。
 彼は、その報告書をマニューラ宛に作る傍らで、彼自身が経験した、奇妙で、不気味で、生き甲斐のあった三日間のことを思い出していた……
 クイーンがリチノイを出て三日が経った。その三日で、僕は初めて遺書というものを書き、一日を終える度に自分の命の価値を見極めることになった――僕は今、レシラム・アベニュー七十七番地、自宅の地下室で、図書館から借りてきた伝奇小説『星になった人々』を机に置いて、四足用タイプライターの前に一時間ほど座っている。だが、まだ一文字も書けていない。別に僕は遅筆というわけではないが、この三日間の出来事は怒涛で、奇妙で、意味不明で、相応しい書き出しが思いつかなかったのだ。だが、とりあえず、今までの出来事を一通り思い出しつつ、手紙用に編集しながら次の一文で始めることにした。



「ガオガエン・フェリアス・モリスは、現在、行方不明である。ルカリオ・アウラス・ルウェネンの襲撃によって――」


 * * *


 一日目、僕はいつものように朝四時半に起きた。妻と八匹の子供達はまだ夢の中だった。僕は地下室の土から掘り出したオレンの実を二個食べた後、二十分で毛繕いを済ませて家を出た――もちろん、愛する家族全員に鼻キスを済ませた後で。

 本部一階のラウンジで待っていると、彼は朝六時にやってきた。ガオガエン・フェリアス・モリスは、同じ取り巻き二十匹を引き連れてやってくる。彼も含めて、一年前にキングが引き入れた反政府レジスタンスのメンバーだ。取り立てて名を挙げるほどの者達じゃない。

 彼の仕事ぶりは、その粗野で気まぐれな性格の割には規則正しく、彼自身の哲学にも一貫性があると言っていい。それはつまり、「誰かを傷つけて心の底から楽しむこと」だ。

 朝七時から三十分、彼は「朝礼」と称して、末端構成員に子供じみた余興をさせて生き恥をかかせる。例えば、一年前の僕の場合、人間が健在だった時代に「メイド」という階級が着ていたとされるフリルのついた白いエプロンとカチューシャを召し込まれ、女声で奉仕することを強要された(はっきり言うが、これ以上思い出したくもない)。この日は、新入りのヤンチャムとズルッグがヘタをつかまされた。「お笑いコンビ」というネタで、即興で聴衆から笑いを取れなければ鉄拳制裁が待っていた。彼らはクイーンの仮面を揶揄した小話をしたが、聴衆は誰も笑わなかった。ガオガエンだけは声を上げて笑ったが、それでも彼は平手打ちを振るった――俺はゲラだからと言って。

 朝礼が終わると、彼はリンゴをかじりながら、ゴローニャの抜け殻を使ってウェイトトレーニングを始めた。彼の肉体は興行格闘家だった時代から全く衰えていない。十六年前のリチノイ中央体育館、第二ラウンド、二分十九秒、カイリキー・ペドロフの爆裂的なロングフックを喰らって、左目が網膜剝離になりさえしなければ、後一年はリングの上で憎めない悪役でいられただろう。当時の彼は、リング上の不遜な態度とは裏腹に、舞台裏では礼儀正しく、優しかったという。黒い血の烙印は、僕達の性格までをも歪めてしまった。人間ならともかく、我々の技術では、傷を塞ぐことは出来ても、視力を取り戻すことまでは出来ない。心の傷は尚更だ。その一点のみにおいては、彼に同情出来る。

 一時間のトレーニングを終えた彼は自分の部屋に戻り、僕達を呼んで「切り取り」を命じた。切り取りとは、平たく言えば借金を取り立てることだ。キングの意向で、特別区の住民には無利子、無担保、無期限で契約を交わせることになっているが、それ以外はただのカモでしかない。今日、僕のチームが取り立てたドゴームの老夫婦はあばら家に住んでいたが、まだ三百万以上の負債が残っていた。だが、僕達は同情しなかった。何故なら、彼らは「黒い血運動」で先陣を切り、いち早く僕達に石を投げて、あの汚らしい一角に追いやり、盗賊にさせたからだ。ガオガエンは仕事前の僕達に必ずこう声を掛ける――「今までのお返しをしてやれ」と。クイーンなら、仕事に私情を挟むのはプロじゃないと言うだろうけれど、そうも割り切れられないのが普通だと思う。

 こんな阿漕な商売をしていると、やはり身の危険も付きまとう。「黒い血」の話を真に受けた若きエンブオー信奉者は徒党を組み、さも社会の声や正義の味方になったつもりで特別区に乗り込んでくる。ニチスチヴィは黒い血の代表として、この無礼者を週に一度は叩き出さなければならない。酷い場合、そして大抵は誰かの血が流れる。

 狂信者どものスローガンは十五年前、「俺達の金を返せ!」だったのが、今では「俺達の自由を返せ!」に変わっていた。エンブオーがリチノイの北に巨大な檻を作って、黒い血も白い血も放り込んでいるすぐ傍で彼らは叫んでいた。だが、僕達の半分は、血の色によらず、ある事実に気付いている――真の元凶はエンブオーだ。でも、彼に逆らえば、朝の霧が軒先に迎えに来る。その内、身内を告発する者も現れたので、罰を逃れるためか、彼らは僕達を狩るための免罪レースを始めた。あらゆる意味で、あの善良な市民の目には、僕達は恰好の獲物として映るのだ。僕達がそれをどう思うかは別として、あの乱暴者だけは、週に一度の狩りを心待ちにしていたことは言うまでもない。

 昼ご飯も食べず、今日のノルマを死に物狂いで達成して本部に帰って来ると、いつも月が高く昇っていた。その日は幹部会があり、有力な幹部三名が招集されていた。次の会話は、僕が窓の外から聞き耳を立て、命懸けで作った議事録の引用だ――

ワルビアル:「ジャックが持っていた商工会の仕事だが、あれは止めるべきだ。外の偽善者ども、あんな連中と手を組むなど、どうかしている」

レパルダス:「今はクイーンの仕事だ。デカい金が動く時はいつもそうだ」

ワルビアル:「金の亡者め。今すぐにでもあの女を追放するべきだ。そうでしょう、キング」

ヘルガー:「あいつはどこだ?誰か知らないのか?」

ガオガエン:「クイーンなら、スペルダに行きましたよ。マナフィエィ・ドゥシャの件でね」

ワルビアル:「何で黙ってた?」

ガオガエン:「聞かれなかったもんで」

(壁に何かがぶつかる大きな音)

ワルビアル:「いいか、俺はその口の利き方がクイーンだから許していたんだ。お前はもうジャックのつもりか?」

ガオガエン:「クイーンの方がお好みだったとはな。まあ、お前は一見ついていないように見えるからな」

レパルダス:「やめろ」

ヘルガー:「それで?本当はどうなんだ?」

ガオガエン:「グラエナですよ。クイーンの命令で例の脱出係を尋問していた。あいつから聞きました」

ヘルガー:「奴はどこだ?」

ガオガエン:「まだ切り取りから戻って来てませんねえ。どうします?」

ヘルガー:「連れてこい」

 それを聞いて、僕は一目散に家に帰った。そして、子供達と妻と十分にお喋りをした後、地下で遺書を作った。ガオガエンを家まで尾行する任務があったが、そんなことをしている場合じゃなかった。家族と床に就いた時、僕は明日の身の振り方を必死に考えていたはずだが、家族の寝顔を見ていると、思考は麻痺して、愛する者を抱きしめることしか頭に残らなくなってしまった。クイーンに乗せられて始めた仕事だったけれど、僕には家族がいる(ここは省略しておこう)。


 * * *


 二日目、僕はキングに呼び出された。今日の朝、僕は眠っている妻を何とはなしに起こしてしまった。言ってくると声を掛けた時、妻は何も言わず、僕の身体を毛繕ってくれた。

 何と言っても、キングの部屋に入って、いの一番に目に付くのはエンブオーの肖像画だろう。今日、彼の隣に僕の首が飾られるかもしれないと考えると、夜なべして考えた言い訳が頭の中から吹っ飛んでしまった。キングは何も言わず、僕にクイーンの席に着くよう命じて、キングは向かいにあるジャックの席に座った。

「何故呼ばれたか分かるか?」

「心当たりはあります」

「話せ」

「クイーンのことでお話があると」

「分かってるじゃねえか」

 恐怖のサインはどう頑張っても隠し切れない。耳と尻尾が丸くなるのを感じた。

「何か頼まれたろ?」

「いえ」

「だったら、家に帰ったのは何故だ?切り取りの報告も入れずに」

 今、ここで大声を耳元で出されたら、僕はすぐにでも泣き出す自信があった。飢えた乳飲み子か、オオスバメに襲われたゴニョニョ以上の大声で。だが、僕は目を決して離さなかったし、沈黙も守った。僕は勇者だと自分に言い聞かせ、彼の両目に映る死神の鎌に掛けられた犬顔を見つめていた。

「クイーンは……」

「ああ」

「……五大家の珠玉を、ご自分で集めるおつもりです」

「口止めされていたのか?」

「いえ、クイーンはまだ追放されておりませんから、報告の必要はなかったかと」

 キングの目がわずかに逸れた。僕は頭の中で遺書の続きを綴っていたが、それを耳の外へ捨てた。

「ガオガエンには話したのか?」

「いえ。ですが、彼は穴倉でムクホークを仕留め損なっていました。ですから、その時に知ったのかと」

 彼は聞こえないほど小さなため息をついた。

「切り取りが終わったら報告に来い。だらしないぞ」

「はい。これで失礼させていただきます」

「待て」

 僕は席から立ち上がったところだった。

「一杯付き合えよ。今日はもういい」

 僕達は下っ端達に皿にペイル・ラムを注がせ、ジャックへの献杯を挙げた。彼は当時の思い出を嬉々として語り出した――バルジーナの略奪団にいた頃、国境警備隊の現金輸送車隊を襲ったのが、キングとジャックの初仕事で、二百五十万ボア稼いだこと。その分け前が兄弟合わせて、たったの五千ボアだったこと。キングは出世を考えたが、ジャックは独立を考えたこと。ジャックの考えが全てクイーンの入れ知恵だったこと――だが、この思い出話は、引き続く駆け引きの呼び水でしかなかった。

「あの女こそ悪党だ。言葉巧みに俺達を騙し、欺く。誰かに似ているとは思わないか」

 彼はちらりと額縁のエンブオーを見た。

「同感です」

「ここだけの話だが――」、彼は銀の皿を舌で拭き終わった。 「奴はスパイなんだよ、エンブオーのな」

 突然のことで、僕はオウム返ししか出来なかった。

「それは本当に?エンブオーの?証拠は……」

「まだだ。だが、確信はある。お前がつかんで来い」

 順番がおかしいことは分かっている。だが、この世界では、上司が黒だと言えば、白でも黒になる。

「どうせ、もう入れ知恵されたんだろう。それは別にいい。だが、奴はお前のことなど、アブリーの毛ほども気に留めちゃいない。それにだ――考えてみろ、何かあれば、全部お前のせいに出来るんだぞ」

 彼は僕のすぐ右に立って耳にささやいた。

「俺につけ。いい思いをさせてやる」

 僕は皿に映った自分の顔を見た。笑っていたような、泣いていたような、不思議な表情に見えた。子供達が大きくなったら、きっと僕か妻に似た顔になるのだろう。僕はそれだけが見てみたかった。高い壁の上からリチノイの街を望むことは、僕には似合わない。目を閉じれば、果てしない言い訳の夜の海を越え、覚悟という一隻の船がこころの水平線に現れた。

「それでしたら、一つだけお願いがあります」

 ヘルガーは怪訝そうに僕の顔を覗き込んだ。耳と尻尾はもう何ともなかった。

「ガオガエン様は……あの穴倉で、僕の名誉をみだりに傷つけました。家族の男として、黒い血の同胞として、忍び難い苦痛を受けました」

 僕は死神と呼ばれた男の顔を直視した。 「彼の追放を望みます」

 それを聞いた彼の目はごろごろと揺れ動き、選ぶべき言葉が舌の上で転がっていた。二秒ほどの沈黙を破って、彼が言った。 「奴は必要だ」

「でしたら、ここで私の喉笛を噛み切って下さい」

「生意気なガキが」

 彼はこの首に素早く牙を剥いた。僕は思わず目を閉じた。だが、いつまで経っても、僕の首と胴体はおさらばしなかった。

 目をゆっくりと開けると、彼は窓の前にいて、座って外を眺めていた。

「勘違いするな。お前を生かすのは、まだ完全に役立たずではなさそうだからだ。俺を甘く見れば、それがお前の犯す最後の過ちになるだろう。もう行け」

 僕は何も言わず、部屋を後にした。気づけば、後ろ足が震え、トイレが近くなっていた。あれは単なる酒のせいだっただろうか。

ところで。グラエナ君の本名は、グラエナ・ベルガーン・リルクハーデと言います。呼び方はグラエナ君でいいです。

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