『星になった人々』 P.101

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

グラエナ君のお話その②です。

●あらすじ
 ヘルガーからの脅迫を退けたグラエナは、その夜に彼の執務室でガオガエンとの会話を盗聴する。そこで彼らはマニューラに刺客を送ったことを口にしていた。
 会話が終わると、グラエナはガオガエンの尾行を始めた。しかし、その道中、ガオガエンの行動は異常極まっており……
 その夜、ガオガエンがヘルガーの部屋に入っていくのが見えた。僕は昨日と同じように、部屋のすぐ下で聞き耳を立てた。壁を見上げると、満月が雲の高枕で眠っていた。張り詰めた冷気はよく音を響かせていた――

ガオガエン:「それで、グラエナのガキは何か吐きましたか?」

ヘルガー:「お前に消えて欲しいそうだ」

(ガオガエンの笑い)

ヘルガー:「脱出係の口をふさがなかったのは始末が悪いな」

ガオガエン:「大したことありませんよ。もう手は打ってあります。キノガッサ・ケディラなら間違いありません。善良で、何よりもひ弱そうに見える」

(ヘルガーの足音、窓の下を覗きに来た。声があからさまに小さくなった)

ヘルガー:「今は冗談を聞く気分じゃない。次にしくじれば、あの女より先に消えてもらう」

ガオガエン:「俺が消えて困るのはあんたの方さ。今のあんたには、金も兵隊も頭脳も足りない。俺達は共通の敵を持ったビジネスパートナーだ。あんたこそ、それを忘れてもらっちゃ困る。俺の部下は俺のやり方しか気に入らないんだぜ」

ヘルガー:「ガルニエ号を忘れるな。お前達は既に一度無能を晒し、この俺に返しきれない借りを作った。いずれ必ず清算させてやるぞ」

ガオガエン:「ガルニエ号を忘れるな……いい男ほど悪い女に惚れるのはどうしてでしょうねえ」

(沈黙)

ヘルガー:「部屋は片付けたか?」

ガオガエン:「明日の朝一に回収屋を来させます」

ヘルガー:「中に入れるな。奴らの身体でカーペットを汚したくない」

ガオガエン:「本当に良かったんですか?」

(沈黙)

ヘルガー:「後悔はしていない」

(大きなため息、その後、短い沈黙)

ヘルガー:「馬鹿な弟だった」

ガオガエン:「これで失礼します、キング」

(ガオガエンの足音が遠ざかる。扉の開閉音)

ヘルガー:「馬鹿野郎が」

 そして、窓の上から、不気味で、もの悲しいむせび泣きが聞こえてきた。僕は今日こそガオガエンを追わなくてはならない。彼の家は本部のすぐ近くだ。僕は足早に裏庭から正門に回り込んだ。あの男は首を鳴らしながら、レシラム・アベニューとヘルガー・ストリートの交差点に差し掛かっていた。

 ガオガエンの家路は、ニチスチヴィの本部を出て、酒場・バッドムーンのところで右折し、僕の家がある七十七番地を直進する。その突き当たりの立派な家(スラムの中では一、二を争う豪邸だが、クイーンの庭付き屋敷とは無論比べ物にならない)がガオガエンの寝床だ。スラムでは、家を建てるのはその住民なので、建築の知識もなければ、少し暴れるだけで瓦礫の山に元通りになってしまう。その程度の耐久性なので、長屋は横から見ると平行四辺形に傾き、通りに向かって潰れたアーチを掛け、空を覆い隠してしまう――まるでこの街の惨状を隠してしまいたいかのように。それが尾行には好都合だったが、足元をよく見ないと、酒瓶だの、誰かがめくりあげた岩盤だの、枯れた蔓だのに、うっかり引っ掛かるわけにはいかない。ここには公共事業も行き届きはしなければ、葬儀屋も寄り付かないのだから。

 ガオガエンの足取りはこの寒さにもかかわらず軽かった。もっとも、身体が暖房機のようなものだから、当然と言えば当然であるのだが、それでも彼は、北モノーマで最も治安の悪い地区の闇を肩で切って進んでいった。そして、彼はその道中で、一体、意外な行動を取り続けた――ごろつきの刃傷沙汰を見つければ、すぐに割って入り、彼なりに「仲裁」し、月を見ればルガルガンよろしく吠え叫び、かと思えば、不用心にも外を歩いている女性を丁重に注意したり、彼女が角を曲がり切る前にゴミ箱で用を足したり――これらの奇行に一貫して言えることだが、彼は本能で生きていた。こんな男を野放しにしないためにニチスチヴィがあると考えれば、キングの「必要」という言い分は筋が通るかもしれない。かつて、リング上の魔王とまで呼ばれた男がここまで落ちぶれるとは、レスラー仲間も予想だにしなかったに違いない。このような調子だったので、嫌な気分にさせられたことに目をつぶれば、仕事はそこまで大変ではなかった。

 だが、それでも尾行は失敗してしまった。

 彼の家の五十メートル前、燃えるドラム缶が置いてある空き地で、彼はその隅の暗闇に入り込み、僕の目の前で溶けるように姿を消してしまった(足音や匂いさえも途切れてしまった)のだ。あまりにも突然の出来事だったので、思わず空き地に近づきそうになったが、僕は得体の知れない気味の悪さで全身の毛がよだち、その場を素早く後にした。そこには、ドラム缶の明かりさえ届かない、道路工事に使う、高さ二十センチのポールほどの暗闇しか残されていなかった。


 * * *


 三日目、僕は熱を出し、一睡も出来ないまま朝を迎えた。家族には心配されたが、隙間風と雨漏りだらけの小屋から脱出するためには、誰かが外で血と汗を流さなければならない。僕には危険手当が必要だった。森の中の別荘と、新鮮な水、肉と果物も。全てを一からやり直すチャンスも。僕が家から持ち出せたのは、乾き切らない生傷と、妻と子供達の匂いだけだ。

 朝七時になってもガオガエンは来なかったので、僕が代わりにチームの朝礼を一分で済ませた。その時の彼らが解放奴隷の顔をしたことは忘れられない。

 男は昼過ぎになっても現れなかった。下っ端に彼の家に向かわせたが、不在だったらしい。ジャックの部屋の荷物をダストダス達に引き渡す作業も僕がする羽目になり、慣れないリーダー役に苦戦し、部下を混乱させてしまった。昼の幹部会も僕が代理で出ることになった。

「見慣れないツラだ」

「ご心配には及びません。ガオガエン様が来るまでの間、代理で担当させていただきます」

「目が眠そうだぞ。仕事は退屈か、坊や?」

「いえ……」

「あまりいじめてやるな、ワルビー。こいつは働き者だ。しかも馬鹿じゃない。構いませんね、キング」

 ヘルガーは僕をにらんでいたが、僕も負けじと目を合わせた。

「駄目だ。奴を探しに行け」

「お言葉ですが、私は彼の行く当てをあまり存じ上げません」

「だから、お前がいる」

「彼は我々に何も教えず、気ままに姿を消すことがあります。見当もなくリチノイをうろつけば、バジリスクに目を付けられるかと」

「キング、こいつを連れて席を外しても?俺から言って聞かせますので」

 レパルダスは僕に目配せして、キングの執務室から退出した。

「いい度胸だな、坊や。だが、程々にしろ。彼にああまで口答え出来るのはクイーンだけだ」

 僕は心の中で、ガオガエンの名前も付け加えた。

「ですが、これからどうすれば?今の僕はガオガエン様の代理です。ここを離れられない」

「今日は俺に任せていい。ガオガエンなら、例の情報屋が詳しいかもしれない。臭い尻の……」

 僕は相当なしかめっ面をしたに違いない。僕の鼻は、あの男から見て常に地球の裏側に置きたいのだ。

「女に鼻栓でもしてもらって会いに行け。ガオガエンの家は見たか?」

「不在だったようですが、一応見に行きます」

 レパルダスは足早にキングの執務室に戻っていった。僕は眠くならないうちに身体を動かすことにした。

 空はどこまでも白く、一枚の厚紙に見えた。顔を水平に戻すと、スラムが黒い油汚れに思えた。まず、僕はガオガエンを見失った空き地へ向かった。何の変哲もない空き地だった。ガオガエンが隠れられるほどの地面の穴もなければ、床下も見当たらない。一応は匂いも嗅いだが、体臭が空気中に残るのはせいぜい四時間程度だ。この空き地にばかり時間を掛けるわけにはいかない。ガオガエンの家はすぐそこにある。

 家の門をくぐり抜けて、玄関から家を一周したが、何の気配もなかった。あるいは家の中で心臓発作でも起こしていれば気付くべくもないが、その場合はそこで話が終わる。僕は思い切って邸宅の中に侵入することにした。クイーンから借りた小型爆弾を裏口の錠前にセットして、爆弾の紐を口で引っ張ると、白色光と快音を発してドアがこじ開けられた。僕は、これまたクイーンから借りた内履きを足につけて中に入った。

 その家は、人類が脳に機械を埋め込み、空飛ぶ車を作る前の時代の建築方法を復刻させた「ロディリック・ローブシン風」に建てられており、ヒバの床と白い壁紙が暖かな内装を成していた。二階建ての家は、全体的に狭い廊下と、吹き抜けの玄関に螺旋階段が一つ、一階に居間、キッチン、バスルーム、物置があり、二階には彼の寝室があった。家に地下室の類はなかった。

 彼は家のどこにもいなかった。そもそも、彼はこの家に帰って来ていないように見えた――水回りは全て乾き切っていたし、玄関には土埃もなく、綺麗過ぎた――だが、僕が奇妙に感じたのは、第一に、家の中に彼の性格や歴史を想像させる物(例えば、トロフィーや写真、記念硬貨、トレーニング器材など)が一切見当たらなかったことだ。第二に、彼の寝室の壁と天井には、壁紙が覆い隠すほどの覚え書きが、異常なまでに敷き詰められていたことだ。それらは全て、探偵や警察が作成するような、誰かの身辺調査書に見えた(後で名前を調べたが、ほとんどが行方不明者か死者だった。その中にはジャックや、あのルカリオ・アウラスの名前もあった)。

 結局、僕はガオガエンの行方についてほとんど手掛かりもないままに家を後にした。気は進まないが、あの情報屋に会うしかなさそうだった。


バトル回の伸びがいいんですよね……頑張って緻密に書いてみようかな。

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