――私は、その花が再び咲くことを願う――。
――わたしは、この花を二度と開かない――。
* * *
雪が溶けかけ、日差しが暖かくなってきた今日この頃。あたし、グレイシアのレイはぶらぶらと散歩をしていた。
この時期、冬から春に移り変わる頃。あたしとしては冬の方が過ごしやすかったな、とか考えてしまう。
しばらくぼーっと歩いていくと、いつの間にか普段歩かない道に来てしまった。
キョロキョロと辺りを見回すと、大きな木が目に入る。それは、大きな桜の木だった。
あたしはその桜の木の方へ行ってみることにした。
大きな大きな桜の木。その木には桃色のつぼみがいくつかあって、もうすぐ開きそうなものもあった。
「ねえ」
誰かの声が聞こえる。見上げていた視線を下ろすと、そこには一匹のエーフィがいた。
「あ、はいっ」
「あなた、見かけない顔だけど」
エーフィに声をかけられる。
「あ、あたしレイっていいます! 散歩してたらここまで来ちゃって……」
アハハ、と苦笑いしながら自己紹介をした。それを聞いたエーフィは表情を変えることなく「そうなのね」と言う。
「私はの名前はサーシャ」
「サーシャしゃん、あっ、サーシャさんっ」
「サーシャでいいわ、レイ」
「あっはは……わかった、よろしく、サーシャ」
エーフィはサーシャというらしい。最初っから名前を噛んでしまう。失礼だが言いにくい名前だと思ってしまった。それより、サーシャがあたしのことを呼び捨ててくれたのが嬉しかった。
「サーシャはここで何をしてるの?」
桜の木の下で一匹佇んでいるサーシャは絵になるなと思ったが、どうしてそこに居るのかが気になった。だから、訊いてみたのだ。
「それは……花が再び咲くことを願っているの」
「ふぇ?」
花が再び咲くことを願う? 気になったので訊こうとしたが、彼女はどこか遠くを見据えていたので訊けなかった。
しばらくして、あたしに向き直すとサーシャは話し出した。
「……ここ、街の外れにあるからあんまりポケモンが来ないの。だからあなたみたいな来客は珍しいわ」
「そうなんだ……」
「私はこの近くに住んでいるのだけれどね」
なるほど。色々考え事をしながら歩いていたら、あたしはそんなに遠くまで来てしまっていたのか。相変わらずおっちょこちょいだなぁとちょっと反省する。
それにしても、ポケモンが来ないような街の外れにサーシャは一匹で住んでいるとしたら、寂しくないのだろうか。
「ねえサーシャ」
「なに?」
「サーシャは寂しくないの?」
私がそう訊くと、彼女は一瞬顔を強ばらせた。が、すぐに柔らかなものに戻すとこう言った。
「寂しくない訳では無いわね。でも、一匹でいる方が気が楽なの」
「へぇー。あたしは友達がいないと寂しくて死んじゃうよっ! マイペースだから一匹で歩くのも好きだけど、ずっとはムリ!」
「あはは。あなた、そういう性格してそうだものね」
そういう性格ってどういう性格よ、と思ったが、あたしが気になったのは。
サーシャが笑った。さっきから少ししか表情を変えなかったから、ポーカーフェイスかと思ったけれどそうでは無いらしい。彼女が笑ってくれて、何だかほっとした。
「でも、あなたみたいに話せるポケモンがいるのも……いいわね」
「ほんと!?」
「ずっとは疲れちゃうけれど。こうやって話すの、久しぶりだから」
ほんとに、サーシャはあたしとは全然違うと思った。あたしだったら他のポケモンと全然話さないとか寂しすぎる。けれど、サーシャは一匹でいるのが好きなポケモンなのだろう。
「そういえば」
「ん?」
「レイ、あなた散歩してたらここまで来たって言うけど、帰り道はわかるの?」
「あ」
あたしの顔が固まる。どうしよう、わからない。
そんなあたしの様子を見て勘づいたのか、やれやれという表情でサーシャが私の方を見る。
「わからない……のね」
「……はい」
「仕方ない、空を飛んで帰りなさい。空からならわかるでしょう?」
「たぶん……でもサーシャ空飛べるの?」
「いいえ。だけど、空を飛べる知り合いならいるわ」
「ほんと!?」
サーシャはエスパータイプ特有のテレパシーを使って、その知り合いと連絡をとってくれているようだ。
「来るの、しばらく後だって」
「そっかぁ……じゃあ待つしかないね」
「そうね……」
しばしの沈黙。先に口を開いたのはサーシャだった。
「ねえ、レイ」
「どうしたの、サーシャ?」
「その……あなたになら話してもいいと思ったの」
「話って……あ、さっき言ってた?」
「ええ。あなた、話しやすいから……」
「えへへ、それがあたしのイイとこだからね!」
あたしは、えっへん! というようなポーズをする。サーシャはそれを見て微笑む。
しかし、急に表情を変え、話すムードに入った。
「私には、チェリムのリムという友達がいるの」
「リム、さん……?」
「ええ。私とリムは、チェリンボとイーブイの頃から仲が良かったの――」
* * *
時は戻り、数年前。私、サーシャとリムは、この桜の木の下でいつも遊んでいたの。その頃は、まだ進化する前だった。
『わたし、チェリムになったらサーシャの"にほんばれ"でポジフォルムになるんだ!』
『えへへ、私も楽しみだよ!』
リムは、そうやって進化するのを楽しみにしていたの。
チェリムは、日差しが強いときに"ポジフォルム"という姿に変わるの。普段は"ネガフォルム"という姿なんだけれどね。
それで、私は本来は覚えることが難しい"にほんばれ"を覚えていたの。だから、私も彼女のために使えるのが嬉しくって。
でも、初めてリムがポジフォルムになったとき、事件は起こった。私がエーフィ、リムがチェリムになったとき。私たちはリムがポジフォルムになるのを楽しみにしていた。
『リム、"にほんばれ"いくよ!』
『うんっ!!』
私は、リムの返事を聞いて、"にほんばれ"を出した。出したの。出せたけれどね。
私は、張り切りすぎてしまったの。
念願の日が来たからって、いつもよりも力を出しすぎてしまって――。
リムには、私の力の影響で大量の日光が注がれた。まるでそれはスポットライトのようだった。それで、リムはそれを見て――。
あまりにも強い光を直でみたせいで、彼女は失明した。
* * *
「それから、リムは二度と花を開かないと言って、私の元から消えてしまったの」
話を聞き終わった時、あたしは何も言えなかった。そんな、悲しいことがあったなんて……。
リムさんは今、どうしているのだろう……。
「……私が悪いの」
俯きながら、サーシャはそう言う。確かに、サーシャはいつもよりも力を入れすぎてしまったのだろう。だけれど、失明の原因は光源を見てしまったからだろう。でも、それはリムさんが悪い訳でもない。この事件は、誰も悪くないだろう。
けど、そんなこと言ってもサーシャは自分を追いつめ続ける……。それがわかっていたから、あたしは何も言えずじまいだった。
沈黙が起こる。数分間、お互い何も喋らなかった。
「ねえ」
口を開いたのはあたしだった。
「リムさんは今どこにいるの?」
「わからない。わからないからこうやって待っているの」
「…………」
そうか。サーシャがなぜ一匹で居続けるのかがわかった。一匹でいるのが好きだから、というよりもリムさんのことを待っていたからなんだ……。
それに気づくと、あたしの胸が締め付けられた。何か、できることは無いだろうか……。
「ねぇっ!」
さっきよりも強く、サーシャに話しかける。
意を決して、あたしは言った。
「リムさん、探してみよ……!」
「え……」
「待ってるだけじゃ、駄目なんだよ。だから、探しに――」
「あなたに何がわかるの」
「え」
そう言うサーシャの頬には涙が伝っていた。
「……ごめん……」
「……ごめんなさい。私も良くなかったわ……」
何度目かの沈黙。すう、と息を吸って落ち着いたサーシャが口を開いた。
「そうね、逃げていたの。会うのが怖かったから」
「サーシャ……」
「探しましょう、リムを」
「……うんっ!!」
こうして、リムさんを探しに行こう! と一歩踏み出した時――。
「……あの」
奥の方の茂みから、声が聞こえた。そこから姿を現したのは、チェリム――リムさんだった。
「リム……!」
「あ、あの方がリムさん!?」
「そうよ……!」
サーシャがリムさんの元へ駆け寄る。
「リム、あの時は本当にごめんなさいっ!!」
そして、頭を下げて謝った。
「……謝るのはわたしの方だよ、サーシャ」
リムさんがそう言うと、サーシャは顔を上げた。
「あの時、そのまま消えてごめんなさい。貴女がずっとここに居るのを知って、逃げてました」
「リム……」
お互い、気まずくなって会いづらかったという訳だ。でも、こうやってあたしに話しているのを聞いて、サーシャの前に現れようと思ったのだろうか。
なら。
「あのっ!」
「この声は……誰?」
「レイよ。散歩してたらここまで来てしまったそうよ」
「へ、へぇ……」
リムさんが少し呆れた顔をしている。が、その視線はこちらに向いていなかった。それもそうだ。彼女は目が見えないのだから。
「あの、もう一回フォルムチェンジ、挑戦してみませんかっ……!」
あたしは、賭けに出た。
「「え」」
重なる二つの声。それもそうだ。フォルムチェンジで事件が起きたことがきっかけでお互い気まずくなっているのだから。
気まずいなんて言葉で表せたものじゃない。だって、リムさんは失明までしてしまったのだから。
それでも、あたしは賭けに出た。
どうしてかって、ここで成功すれば、二匹がまたこれまで通りになれると考えたからだ。……リムさんの目が見えなくても、二匹の絆の修復は出来ると思ったのだ。
でもこれは、相当リスキーだ。もしまた失敗したら、今までよりももっと深い傷を二匹が負うことになる。それでも、あたしはどうしてもフォルムチェンジをさせたかった。
サーシャとリムさんの二匹の方が、その思いは強いだろう。その思いが壊されたままじゃ、あたしは納得がいかなかった。
第三者なのはわかっている。わかっているが、あたしの性格上、このまま放っておく訳にはいかないと思った。
「……わかったわ」
驚くことに、サーシャがすんなりと了承してくれた。
「あなたの心の中、少し覗いちゃって」
「えっ」
勝手に心の中を覗かれていたらしい。なんとも言えない気持ちだが、それのおかげで決心が着いたのなら良かった。
「わたしは、嫌です」
そう声を上げるのはリムさんだった。それもそうだ。どんな姿かもわからない、今日ぽっと出で現れたあたしの言ってることなんか、ましてやトラウマになってることをやれって言われてもやりたくないだろう。
けど。
「ねえ、リム。あなたは諦めてしまった?」
そう言ったのはサーシャだった。
「怖いよね、私もそう。でも、私はあなたの花が咲くのをまた見てみたい」
リムさんは黙っている。
「怖さよりも、ずっと思っていた願いの方が強いの。ねぇ、あなたはもう諦めてしまった?」
サーシャが尋ねる。
しばらく黙ったあと、ようやっとリムさんが声を出した。
「……いいえ」
その声は小さかったが、じゅうぶん聞き取ることができた。
「リム……!」
「諦めてない。諦めてないよ。とてもとても怖いけれど、ポジフォルムになるのは諦めてない」
深呼吸をし、そしてリムさんは言った。
「もう一度、挑戦してみたい」
* * *
やるとなったからには、絶対に成功させなければならない。
あたしにも何かできることは、と考える。でも、これは二匹の問題か、と一歩引くことにした。
あたしは、成功を願うのみ。やるせないが、仕方ない。
「リム、準備は大丈夫……?」
「……うん」
「……行くね」
サーシャが力を込めると、太陽の光がリムさんに集中する。
……だが。
「やっぱり怖い!!」
そう叫び、リムさんは逃げ去ってしまう。
取り残されるあたしとサーシャ。
仕方ないだろう。そりゃ、トラウマになっているのだから。あたしが諦めかけたその時。
「リム、もう一回やってみない?」
芯の強い声で、サーシャが言った。
サーシャは諦めていない。
そうだ。提案したあたしが諦めてどうする。
「嫌……嫌だっ!!」
それでも、リムさんは反抗した。もちろん、その気持ちは痛いほどわかる。
なにかいい方法はないだろうか、私は考える。
「ねえ、レイ」
「サーシャ?」
サーシャに声をかけられる。その目は真剣なものだった。
「力を貸して」
* * *
サーシャに言われたのは、以下のことだ。
サーシャの力だと、太陽の光を集めすぎてしまう。そこで、あたしの"こごえるかぜ"で太陽の光を遮り、和らげるのだという。
なるほど、と思った。早速やってみようと思ったのだが。
「怖い……」
リムさんはやはり怖いようだ。
無理してやらなくても、という思いと、成功させて念願を果たすんだ、という思いが葛藤する。
「リム」
「サーシャ。怖いよ。もう止めよう?」
「私も怖い。けど、叶えたくない?」
「叶えたい……けど……」
「なら……頑張ってみない?」
悩むリムさん。
沈黙の後、意を決したのかこちらを向く。
目が見えないのに方向がわかったのは、気配などからだろうか。
「……ラスト一回、やってみる」
* * *
サーシャが力を込める。すると、先程と同じように光がリムさんに集中する。そこへ、あたしの技、"こごえるかぜ"を……!
ヒュオオオオッ!
リムさんに被さるように、しかしあたらないよう、あたしは"こごえるかぜ"を出した。
すると、ガクガクとしていたリムさんの動きが止まる。そして。
リムさんの花が、徐々に開花し始めた……!
それと共に、桜の木のつぼみも開く……!
パァッ!
リムさんは、かわいらしい桜の花のような姿――ポジフォルムになっていた。
「リム……なってるわ、ポジフォルムに……!」
そして、驚くのはこれだけでは無かった。
「見える……目が見える……!」
「えっ!?」
開花のパワーだろうか。なんと、リムさんの目が回復したのだ……!
「よかった、リム……本当によかったわ……!」
「うんっ……!」
奇跡を喜び合う二匹。仲直りだけでなく、目も回復して本当によかった……!
「貴女がレイさんね。力を貸してくれて、ありがとう……!」
「こちらこそ。力になれて良かった……!」
三匹で笑い合う。本当に、本当によかった……!
* * *
「リム、目回復したんだな! しかもポジフォルムに……!」
「うん! サーシャとレイさんのおかげで」
リムさんと話しているのは、サーシャが呼んでくれた知り合い、アーマーガアのマーガさんだった。
彼は二匹と知り合いで、事情も知っているようだ。
「んで、そこのグレイシアが迷子ってことか」
「うっ……はい」
「よし。じゃあ連れて行ってやるから乗ってくれ」
「ありがとうございます……!」
あたしはマーガさんが足で掴んでいるカゴの中に乗る。そして、サーシャとリムさんの方を向いた。
「ねえ、またここに来てもいいかな?」
「ええ、もちろん!」
「そのときはちゃんと道覚えてね……」
「うっ、うん……」
リムさんに釘を打たれる。けど、そうやって言える仲になれて良かったな、と思う。
「んじゃ、そろそろ行くぞ」
「はいっ!」
バサッ、バサッ!
あたしの乗っているカゴが地面を離れる。あたしはサーシャとリムさんに手を振った。
「またねーっ!!」
地面からどんどん離れていく。あたしは、二匹が見えなくなるまで手を振った。
* * *
マーガさんのおかげで、知っている道まで戻ることができた。マーガさんは、役割を終えると、「またな」と言って飛び去ってしまった。
あたしは一匹、家へと帰る。
最後に見た桜の花と、満面の笑みのサーシャとリムさんはとても綺麗だった――。
――完――