踊る夢見草

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作者:草猫
読了時間目安:23分
 あの日。 空は澄み、ちらほらと桜が舞っていたあの日。
 普段は穏やかな公園の面影は、ポケモン達からの大きな歓声によって消し去られていた。
 彼らの目線の先にあったのは、その公園にある小高い丘にある桜の木の下で舞い踊る1匹のポケモンだ。
 祭囃子に合わせ、時に優雅に、時に激しく、そして時に艶やかに。 心ゆくまで踊りという海を泳いでいるかのようだった。 それは周りからの歓声のせいか、はたまた彼女自身がただただ楽しんでいるのか。 答えは分からないが、心から楽しんでいるような眼だったのは確かだった。
 そんな健気で美しき踊り子に、心を奪われぬ者などいるのだろうか? 答えは否である。
 そして、私もその1匹であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「今年も春がやってくるのね、あなた」
 「そうだな、チェリム。 段々と暖かくなってきているよ。 そろそろ冬眠していたツンベアー達も目覚める頃だ」
 「あら、また賑やかになるわね。 彼の口は疲れ知らずだもの」
 
 のんびりと会話を交わす私達。 私ーーフクスローの隣にいるのは紛れも無いあの日の踊り子である。 といっても、今の彼女はネガフォルムという状態らしく、あの日のようなエネルギッシュな姿ではない。 言葉で言うとしたら「淑やか」と言うのが最適解である。
 ーーそして、今の彼女は昔ともう1つ違うところがあった。

 
 「......また、あの桜を見られたらいいのに」

 チェリムは俯く。 表情の判別は出来ないが......その言葉はどれだけ切ないものであろうかは、鈍い私でも容易に理解出来た。 私は彼女の花弁に少し触れ、祈るように言葉を絞り出す。

 「きっと見られるさ。 きっと......」

 その時、鐘が部屋の中に響き渡る。 お陰で負の方向へと引っ張られかけていた私の心は現世へと舞い戻ってくれた。
 
 
 ......それは、病院の面会時間の終わりを告げるものであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 流石に夜はまだ冷えているようだ。 草、飛行タイプのこの体には、寒さはとても堪える。 震えながら、私は昔を回想していた。
 彼女と出会ったのは、もう10年も前になるだろうか。 あの町をあげて行われた花見の日。 私は暇だからという理由でそこに出向き、花達が咲き誇る自然をのんびりと眺めていた。
 そうやっている中、どこからか歓声が飛び交っているのに私は気づいた。 思わずそちらへと向かうと、予想通りと言うべきかそこにはポケ集りが出来ていた。

 「嬢ちゃんいいぞー!!」
 「凄い綺麗......!」

 歓声を飛ばす者。 逆に言葉を失う者。 それらは全てこのポケモン達の先にあるものに対してだった。 私は湧き上がる好奇心には抗えず、飛行タイプの特権を生かし邪魔にならない程度に空に浮かんでみる。
 そこでは、桜の形をしたポケモンが、風に身を任せるように踊っていた。
 
 ーーその刹那。 私の中に電撃が走る。 私の中の血潮が、強く、強く波打った。
 
 
 
 「......!」
 
 堪らず私は舞い降りてしまった。 なんだあれは。 あの美しいポケモンは。 荒れる鼓動を落ち着かせ、私はもう一度羽ばたいた。 今度は降りずに、その踊り子を目に深く、刺青のように焼き付けた。 そうしなければならなかったのだ。 あんなにも熱く恋焦がれるものは、もう2度と出会う事は無いのだ。 そうだろう? そうに違いない!
 そう勝手に納得した私は、家に帰ってからも彼女の事ばかり脳内に浮かんでいた。 会いたいという思いが最高潮に達してからは、案外あっという間だったかもしれない。
 私にもちゃんと行動力というものはあったようで、広場にいる彼女に直接アプローチもした。 ネガフォルム状態の彼女ははにかみながら「でも......えっと......」とだけ言う。 それに痺れを切らした私は、気づいたら叫んでいた。
 
 「ええい何もかも関係無い! この私の想いは何処へ行けと言うのだ! 例え君が拒もうと、私は君を離さない!!」
 
 ーー嗚呼、今思えばなんと陳腐な告白だっただろうか。 彼女の気持ちなど気に留めないあの一言、許せない。 あの時の私よ、今すぐ爆破しろ!!
 ......まあ、幸いにも彼女はその紫の花弁を赤らめて、こちらに惚れてくれたわけなのだが。 これは結果オーライというやつか?
 何はともあれ、ここから私達の交際が始まった。 他には無い程順調に事は進み、1年程で結婚というところまで行き着いた。
 誰もが私達を祝福した。 ちょうど結婚式の季節が春であったため、彼女はポジフォルムへと変貌し幸せを謳歌した。 私はただそれに見惚れていた。 時が経っても、それは変わらなかった。
 
 
 
 
 
 ーーこんな日々が続くと、思っていたのに。
 
 
 
 
 
 
 
 「......どうにもならないのですか?」
 「......残念ながら、完治は難しいでしょう。 勿論薬を使えば容体は良くなりますが......」
 
 衝撃。 一言で言えばそうであろう。......私の妻は、チェリムは。 若くして不治の病に侵された。 元々彼女自身はそこまで体が強くなかったため、混乱する私とは裏腹に彼女はこうなることを予知していたかの様に静かだった。 そして、こうとだけ言っていた。

「......覚悟はしていたけれど。 もう、踊れないのね」

そう言って彼女は藁布団を力無く掴み泣いていた。 何の力も持たぬ私には、ただただ彼女の背中を撫でてやることしか出来なかったのだ。











 何か出来る事はないのか。 今もずっと悩み続けている。 やけくそとでも言わんばかりに、私は少し高い値の酒を買ってきた。 簡単なつまみを手作りしながらも、私の頭にはあの紫の花弁があった。
 ......幸いな事に彼女は医者の想定より元気になっているとのことである。 先生達とも気楽に話し、病院内に友も作っているとのことだった。 彼女は強く強く、病院生活を切り抜けているのだ。 だが、やはり外に出られないということで苦しみを感じているのは事実だった。 そうでなければあんな顔をするとは思えない。 ......いや待てよ。 身体の調子が良いのであれば、もしかしたら外出も夢では......。

 「......あ」

 つまみを皿に盛り付けるのを止め、私は閃いた。 そうだ、簡単なことではないか。 彼女は踊れないと言った。 それは何故か? 機会を病によって全て奪われたからだ。 ならば取り返せばいい。 不可能ではないはずだ。 チャンスはある! 私は諦めない、彼女のあの桜の如し笑顔をもう一度!
 私は傍に置いてあった酒を、一杯分一気に胃へと流し込む。 勿体無い? しっかり味わえ? そんな文句は今の私には通用しない。 この酒に求めるのは1つだけだ。 ほんのりと体が温まる。 どうか明日、私のガソリンとなってくれよ?
 
 
 
 
 
 
 
 「あらあなた、いつもありがとう。 毎日毎日、凄い大変でしょう?」
 
 数日後。 私はいつものように妻の病室へ訪問する。 妻はいつものように穏やかな挨拶をしてくれた。 ......どうやら私は緊張すると笑みが溢れるタイプのようだ。 必死に込み上げるそれを抑えながら、私は何事も無いように言う。
 
 「ああ、確かに大変だよ。 ここまで飛んでくるのは少々骨が折れる。 ......まあ、泣き言なんて言ってられないさ。 今からもっと大変なんだからな、チェリム?」
 「えっ......?」
 「チェリムさーん、そろそろ外出の準備を......」
 「ふえっ、外出!?」
 「あれ、聞いてなかったんですか? 大分調子良いですし、ずっと病室にいるのも気が滅入るだろうとフクスローさんが申し出てきたのですが.......」
 
 チェリムは反射的にこちらを見やる。 私は見せつけるかのように外出許可証を彼女に見せてやった。 ......こんな輝くような彼女の姿を見るのはいつぶりだろうか。
 
 「あ、あなた......これは......」
 「見ての通りさ。 君の体調も良いし、たまにはこういうサプライズもいいだろう?
 ......それに、今は桜が見頃だ」
 
 私は彼女に微笑んでみせる。 するとチェリムは勢いよくこちらに抱きついてきた。 予想外の事に私はよろけるが、なんとか立て直す。 落ち着いた時、彼女の涙混じりの声が響いた。
 
 「ありがとう、あなた......いつまでも大好きだわ!!」
 
 涙は流れていたが、それとは裏腹に彼女の心が晴れ渡るのを私は感じずにはいられなかった。 私の心は歓喜に震える。

 
 
 


 
 
 
 
 流石に徒歩では身が保たないため、最近「速い・快適・安い」の三拍子で人気を博し、1日でいくつもの大洋を横断出来るというラプラス大陸便に並ぶとも言われる、アーマーガアの空飛ぶタクシーに乗って広場へ向かう事となった。
 確かにそれは真であり、アーマーガアは紳士然とした態度でこちらを迎えてくれた。 更に全然揺れないのだ。 どれだけの修練を積んだのかと思うと、彼らの強いプロ意識を感じる。 また、彼はよくこちらに話しかけてくれた。 他愛の無い世間話から始まり、そこから話題は大きく膨らんでいった。 話していると、ここまで彼が熟練した理由が私には手に取るように分かる。 とても真摯な態度であったのだ。 タクシーの中からだと、太陽の光で艶めいている鋼の翼しか見えないのだが、きっと彼の目は穢れの無い美しい緋色をしているのだろう。
 まあそれはさておきとして、気づいた時には彼はふわりと草原の上に私達を下ろしていた。
 
 「......お客様、公園の方に到着しました。 料金は1000ポケです。 お花見、存分にお楽しみください」
 「ああ、ありがとう」
 
 お金を手際よく手渡し、礼をする。 私は一足先に降り立った。 温かい、春の息吹を感じる。 足元の草の感覚はこそばゆさもあるものの、遂に来たのだという実感を与えてくれた。 私は深く息を吸い、そして吐いた。 .......そういえば1個だけ、こういう時にやってみたかった事があったのだ。 ぎこちなく羽をチェリムへと伸ばす。
 
 「......さあ、エスコートするよ、私のお姫様」
 
 ......頑張ってはみたものの、言ってみるとやはり恥ずかしい。 王子様気取りは私には向いていないようだ。
 少しきょとんとしていた妻は、顔を赤らめる私の感情を汲み取ったのか、くすりと笑って花弁をそっと私の羽に添えた。
 
 「......ええ、喜んで。 ......私の王子様!」
 
 
 
 
 
 丁度桜は満開だった。 多くの桜の木の下にポケモン達が集い、飲み食いを楽しんでいる。 中には酒を飲み過ぎたのか、周りに乗せられるまま腹踊りをしている者もいた。 きっと帰った時には、家内や子供にはしたないと怒鳴られ、黒歴史だと頭を抱える地獄の時間がやってくるであろう。 私達夫婦は、遠巻きでそれを少し哀れむように笑っていた。 まあいいだろう、何故なら花見なのだ。 普段の日々を忘れ、笑い転げるのもまた一興。
 
 「面白いものだな。 こんな風景も」
 「ええ。 例え季節が巡ろうと、変わらないものだってあるわ。 私はそれが大好きなの」
 「......そうか」
 「あ、あなた。 あの木......」
 
 チェリムは花弁を指した先は、あの日私達が出会った場所。 少し小高い丘の上の桜の木だった。 ......行きたいのだろうな。 当然だ。 私は彼女を引いて、そちらに方向転換した。
 少し坂を登ったため、お互いの息は少し上がったが......やはり変わらず、その桜は疲れを忘れる程見事なものだった。 当然花見客がそこを埋め尽くしている。 相も変わらず美しいものだと思っていると、妻はすっと私の羽を離した。
 
 「チェリム?」
 「......あなた。 私、行くわ」
 「なっ......今か!?」
 「ええ......踊りたいの」
 
 彼女は走って行ってしまうが、呼んでも何も言わない。 私は思わず追いかけて花弁を取ろうとした......のだが、私は止まった。 止まらざるをえなかった。 体の奥底が熱い。 それは日差しが強いせいだろうか、また別の理由があるのだろうか。
 いや、理由などわかり切っているだろう? ......彼女は、彼女は、もう一度ーー。
 
 妻は花見客の間を器用に通り抜け、丁度少し空いているスペースにふわりと立った。
 どうしたんだ。 何か始まるのか。 花見客達は困惑に包まれる。 当たり前だろう。 花見に来られなくなって数年が経ったのだから。
 だが私は知っている、あの鼓動の高まりを。 私は知っている、もう一度見たいと焦がれていた、あの美しい桜吹雪を。......そして。
 
 そこに立つ彼女の、儚くも強い、今を盛りと咲き誇る桜のような心。
 
 それは、私「のみ」が知っている。
 
 
 
 
 
 
 ちょうど真上に昇った太陽に照らされ、彼女の花は桃色に色付く。 そして一気に花開いた。 そこからは、昔のパワフルさがその身に蘇っていた。
 
 「皆様、こんにちは! 私はチェリムと言う踊り子です。 日の光が燦々と降り注ぐ今日! 余興として、私の踊りを披露いたします!」
 
 そう言うと、辺りに拍手が湧き上がった。 疑問は興味へと姿を変え、チェリムに降り注いでいく。 緊張が重い雪のように彼女に積もっているのが、私でもわかった。
 でも、彼女はそれすらも心地よいと言うように花弁を伸ばした。 太陽へと向かって。 それはまさに光を渇望しているようだった。 彼女はただひたすらに、あの日の快感を求めていた。
 表情が変わった。 彼女はくるりと回り躍り始める。 勿論腕は落ちている。 前は気持ちを昂らせた時にアクロバティックな動きもしていたものだが、それも出来なくなっていた。 昔より少し小さくなった体には疲れが滲む。 息は早くも荒くなった。
 ......それでも。 彼女は躍り続ける。 恐らく、今は誰のためでもないのだろう。 盛り上がる観衆の為でも、ましてや私の為でもない。 彼女の為だった。 自らの、ここ数年間の渇きをその汗で潤す為に。 もう一度己を咲かせる為に。
 そして、花は麗しく咲き誇った。
 美しい舞はやがて竜巻となり、我らの心を巻き上げる。 その風は優しく、力強く、全身を覆う。
 私はようやくここで悟った。 何故あの時、ただ暇だった私の眼は彼女に釘付けになったのか? そう。 私の軽い身体は呆気なく風に飛ばされ、無意識のままにそれの虜になっていたのだ。 偶然でもあり、必然でもあった。
 そして、彼女は最後の舞へと行き着く。 もう彼女はこの広場を支配する女王であった。 最後を惜しむかのように彼女は跳ね上がり、そして。 ......地面に降り立つ音が生んだ静寂と共に、彼女はぴたりと止まった。
 
 
 溢れんばかりの歓声が飛ぶ。 チェリムは観客の方をじっと見ていた。 息を弾ませ、頬を赤く染め。 恍惚した表情で、彼女は少しの間立っていた。 しかし、限界がきたのか、ふらりと崩れ落ちる。
 
 「チェリム!」
 
 私は空中から群衆を飛び越え、すぐに彼女を抱きとめた。  群衆は恋ポケかとか、春だなぁとかこちらへ声を飛ばしてくるが、正直今はそんなものはどうでもよく、耳をすり抜けて行ってしまった。 見下ろして、妻の顔色を見てみる。体調を崩したのか一瞬不安になったが、それは杞憂だった。 恍惚の表情は変えぬまま、彼女は息も絶え絶えな声で私を呼ぶ。
 
 「あなた......」
 「......全く、急に行くなんて......びっくりするだろう」
 「ふふふ、ごめんなさい......やっぱり、楽しいわ......」
 
 そう言いながら、彼女の目から雫がひらり、ひらり。 暫くぶりにまじまじと見た彼女の笑顔は、美しかった。 どう言えば良いか分からない。 何か凝った事でも思いつくぐらいの語彙力があればいいのに。 でも......やはり、私の本能はその6文字を叫ぶのだ。
 ーー意地悪な神よ。 どうして、こんな感情を私に?
 私はただ、彼女が楽しめればそれでよかったのだ。 私はそれを安らぎの感情と共に眺めるはずだったのに。
 どうして、こんなにも目が熱い。
 
 格好つけてそっぽを向こうとするが、その刹那。 彼女から私に小さなキスをしてきた。......「大好きです」とだけ言って、柔らかに微笑んで。
こんなもの、我慢など出来ようか。 私は涙を零す。 そう言えば、妻が病気になってから私は泣いた事があっただろうか......?
 
 嗚呼、桜よ。 どうか、どうか散らないでおくれ。 頼むから、頼むから......。
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 見渡すばかりの黒、黒、黒。 淡い線香の香りが部屋中に充満していた。 その香りだけが鼻を潜り抜けていく。 誰かの嗚咽すらも遠くに聞こえる中、誰かが私の肩を叩いてきた。
 
 「......ああ、ツンベアーか」
 「よう、フクスロー。 その、あの今回は......」
 「気にすることは無い。 大丈夫だよ、私は。 もう」
 「......そうか」
 
 私達が見つめた先には......写真があった。 妻が、踊り子であった時の生き生きとした写真。 今にもそこから出てきてくれそうな眩い笑顔。 いつもならば、私はそれに見惚れていただろう。
 だけど、今はそれを見るたびに私の胸は締め付けられた。 もう見られない、桜の姿である彼女が写真として鎮座する光景は、容赦なく私に現実を見ろと殴りかかってくるのだ。
 覚悟はしていた。 別れの言葉も送る事も出来た。 それだけでも幸せだと言えるだろう。 世の中には、それすらも出来ずに泣き喚くポケモンがごまんといるのだ。
 ......外では、そろそろ桜が咲いているだろうか。 1年前のあの光景が過ぎる度に、私は頭を振っていた。 今だけは、昔を回想したくなかった。

 「......フクスロー。 今だから言うぞ」
 「なんだ?」
 「俺......惚れてたよ。 チェリムに」
 「......そんなことか」
 「なんだよ、ポケモンが折角秘めた想いを明かしたっつーのに」
 「どちらにせよ、お前には妻はいるだろう? 別に今蒸し返す事はないのでは?」
 「そうだが......あーもう! お前みたいに回り道で物事を伝えるのは俺は無理だ! はっきり言ってやる!
 要するに羨ましいんだよ、お前。 あんなストレートにあの子と結婚とかしやがってさ。 あんないいポケモンが隣にいてめちゃくちゃ幸せだったろ? だからさ、その......なんでそんな自分の妻が居なくなって平常心なんだよ? 今日ぐらい泣いてやったっていいじゃねぇか」

 ......嗚呼、そういうことか。 私は少し心の中の鼻で笑ってやった。 平常心なわけがない。 だが、涙を流す気もない。 「その時」も、私は泣く事はなかった。 まだ寒い夜の冷気に釣られて彼女が冷たくなっていく光景を、ただただ私は眺めていた。
 彼女の親族は、「奴は薄情だ」と隠れて私を嘲笑っていた。
 でも。涙は全て、1年前に流してきたのだ。 消えゆく事の悲しみも、短いながらも共にいられた喜びも、全てが雫となって具現化したのだ。 桜と共に風に流れたのだ。 だからだろうか。 今の私に涙は無い。 ......そう。 逆に、恐ろしい程の「緊張」があるのだ。 失敗しないかどうか。 彼女をちゃんと送り出せるのか。 ......だから。

 「笑って見送った方が、彼女にとっても嬉しいだろう?」

 半身の喪失の後とは思えないぐらいに、私は大袈裟に口角を上げてみせた。 勿論、この理由は半分が真で半分が偽。 ......やれやれ。 理由を友にも隠すなど、私は、つくづく汚い大人になってしまったものだ。
 そんな事を思っているうちに、奴は当然と言うべきか驚いた顔を見せ、その後すぐに納得する素振りを見せた。 多分私の考えとは相違があるには間違いないが......。 にしてもツンベアーよ。 お前は少し直球過ぎるのではないか......? 気遣い自体はとても有難いし、少し心は軽くなったけれど。
 そして葬式を終え。 出棺を終え。 妻は私の元から完全に去った。 家はずっと前から静かだが、もう彼女が戻ってこないという現実が付与されてしまったというのは私にはあまりに重く辛過ぎた。 まだ、親も看取っていないというのに。

 砂を噛んでいるような日々の中で、親は勿論だがツンベアーやその家族達は1匹身となった私に随分世話を焼いてくれた。 妻がいない世界に絶望せずに済んだのは、これが大きかったのかもしれない。 そして私は本当に理解したのだ。 世界は回る。 1つの命が散っても、回り続ける。 悠久の時をかけて、この宇宙の中で。
 









 そして、妻の命日から1年が経った。
 私はその日仕事があり、桜のあるあの公園の近くに出張に出かけていた。 丁度良い機会だと考え、私は公園でのんびり昼の弁当でも食べることにした。
 やはり変わらない。 彼らの目線は曲芸をしているポケモンや桜にひたすらに向かっていた。 去年突然現れ、ほんの少しだけの復活の舞を踊った踊り子の姿を気に留めている者などどこにもいない。
 ......いや、卑屈な気持ちになるのはよそう。 時間の流れとはそういうものだ。 楽しい経験がかつてあった。 それでいいではないか。 私の妻は、今なお皆の心に生きているのだ。......それでいい。
 私がゆっくり立った時、丘から強風が吹いた。 周りのポケモン達のご飯、お菓子、酒。 それらが皆吹き飛ばされていく。 そして、理性をも、その風は飛ばそうとしてきた。 目を思わず閉じる。 頭が真っ白になる。
 ......まるで、私達が出会ったあの日のように。

 「......っ!」

 振り向いてみたが、果たして何もなかった。 丘の方向ではポケモン達が色々吹き飛ばされたものを拾いながらも盛り上がりを見せている。 見せ物を行うポケモンも、文句をギャグに変えて風を気にしていない様子で皆を楽しませている。 なんだ、と思ってしまった。 私自身がこんな事でがっかりする様になるとは......女々しいものだ。
 でも、信じたいのかもしれない。 私と妻を繋ぎ止める、唯一の空想を。 現実には起こり得ない想像を。
 
 「......もしかしてチェリム。 そこに、いるのか?」

 私はこんなにもロマンチストだっただろうか? 虚空に向けて放たれた声は誰にも届かない。 当然、何も返事は無い。

 「......踊りたいのかい? そこで」

 さあ、と優しい風が吹く。 桜の花弁が一枚、ひらりと舞い降りる。 私はそれを肯定の意と取った。 根拠なんてどこにも無く、ただの自然の悪戯だけれど。 分かっているけれど。

 「......分かったよ、チェリム。 また来るよ。 春に。
その時は......また。」

 ......信じてみるのも、面白いのではなかろうか。 ただの幻想でも良いではないか。 私が心を奪われたのは、今までもこれからも彼女だけなのだから。
 桜は散っていく。 いくら願っても永遠は無い。 でもいつかまた咲く。 全ては巡りゆく。 世界に祝福を運び、平和を謳歌する踊り子は、今も私の中でその花弁を開いているのだ。
 ......そうだ。久々にアーマーガアのタクシーに乗るのも良いかもしれない。 もしあの紳士的な運転手に会えたなら、この空想を分かち合うのもまた一興だろう。
 私は桜に背を向けた。 ひゅう、とまた吹いてくるあの風は、どことなく私を見送っているかのような......そんな思いが、胸の中にこびり付いていた。

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