05.冷たい夜

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:13分
月明かりに照らされて、木々はぼんやりと燃えているようだ。紅葉の季節には少し早いはずだけれど、そんなことがどうでもよくなるほど美しい景色にあたしはほっと息を吐く。夜風が冷たい、本格的に秋めいてきてしまった。
エンジュシティは、日本で言うなら恐らく京都にあたる。町並みはキキョウと似ているようでまた違った古めかしさがあった。キキョウの時は懐かしい感じがしたのに対して、エンジュはそういう日常的なものとは違う、特別で何か神聖な空気が感じられる。しかも綺麗な着物にかんざし、そしておしろい姿のあの舞妓さんの格好をした女の人もよく見かけた。京都で歩いている舞妓さんのほとんどは舞妓体験をしている観光客だという話だけれど、それはここでもそうなんだろうか。期待を込めて、真相がわかるまでは本物の舞妓さんを見たということにしておこう。
そしてここはそんな町中から離れた、鈴音の小道。向こうに見えるエンジュシティのシンボルとも言える、スズの塔へと続く短い参道だ。
街灯のないこの道を月明かりだけを頼りに歩くのもなかなか風流だけれど、本当は夕方にでも来ればもっと良かったのかもしれない。夕日に照らされる紅葉はきっと文句なしに綺麗だ。ああ、早朝でもいいな。スズの塔は今あたしが歩いている場所から見て東側、赤く染まった木々に囲まれながら朝日を背負うスズの塔……うん、きっと最高に綺麗だ。……明日の予定を明後日に伸ばして、1日中ここにいるのもいいかな。
足首の温かな感触に、意識を夜の鈴音の小道に戻す。視線を下ろすと、いつの間にか立ち止まっていたあたしの足の周りをぐるぐると回っているデルビルがいた。そう、あたしのデルビルだ。
最初こそ大人しくしていたのがすぐに懐いてしまって、ボールから外に出せば終始あたしにべったりだ。お前悪タイプなんだろ、その要素はどこに行った、浄化でもされたのか。しゃがんでその闇に紛れるのにちょうど良さそうな黒い体を抱き上げる。前足後ろ足をばたばたさせながらはしゃぐその姿は完全に犬だ。頭や背中にある骨のような部分は硬く厳ついけれど、その体つきは犬そのものだし、肉球だってある。そしてなによりこの愛くるしさ! 体格は以前のあの茶色い獣と似ているのに……やっぱり立ち振る舞いって大事!
短い尻尾をブンブン振るデルビルにさらにキュンときて、落ち葉でふかふかの地面にデルビルを寝ころばせてそのお腹をわしゃわしゃと撫でまわす。可愛い、可愛いぞ……!
そうやってデルビルと全力で遊んでいると、ふいにあたしのポニーテールが後ろに引っ張られる。
「うおっ!?」
デルビルから手を離し後ろに手をついて、そのままバランスを崩して地面に背面ダイブしそうになるのを何とか堪える。そこからさらに体を反らせて背後を確認すると、あたしの髪の毛に噛み付いたズバットが逆さまに目に映った。
「……ごめんズバット、わかったから」
その姿勢のまま片腕だけ伸ばすと、あたしの髪の毛は解放され地面にパサリと落ちる。代わりにズバットはあたしの腕にまとわりついて、すごく嬉しそうだ。いい加減この体勢はきつい、ゆっくり上体を起こすと今度はお座りをして待っていたデルビルと目が合う。……自由なもう片方の手でその頭を撫でた。
デルビルが仲間になってから、ズバットのこういう行動が増えた。デルビルに構っていると、無理やりにでも自分に視線を向けさせるような。これはたぶん、やきもちだよな…………そう考えて自然とにやけてしまう。ズバットは元々あたしへの好意を隠さない奴だけれど、同じくあたしへの好意を隠さないデルビルの登場によってあたしを巡る対抗心でも芽生えたのかもしれない。そんなこと心配しなくても、あたしがお前らを好きな気持ちに順位なんかつけるわけないんだけどなあ……。
そのまましばらく、両手でズバットとデルビルを可愛がっていた。きっとあたしの表情はすっかりにやけきっているだろうし、こんなところを通りすがりの人なんかに見られたらとんだ不審者だ。けれどこの暗い中では通りすがっただけであたしの表情まで見られるなんてことはないだろうし、そもそもこんな時間にこんなところにいるような物好きはあたしくらいだろうし……。
「おや、君は……」
ひやりとした冷気と共に、低く柔らかな声が頭上から下りてきた。ぎょっとして振り向き様に見上げると、あたしを見下ろしている男がいた。くせのある金髪は月明りに照らされて仄かに煌めいていて、一緒に見えるのは紫色のバンダナ、そして同じく紫色をしたタレ目。
「……マツバさん!?」
「確か、今日のジムの挑戦者さんだよね。名前は……リンさん、だったかな」
さらに驚くあたしに、マツバさんはただ優しい笑みを浮かべていた。

―――――…………

「それにしても、よくあたしのこと覚えてましたね?」
「まあね、今日ジムバッジを手に入れた挑戦者は君だけだったから」
突然の遭遇に動揺しつつも、夜の鈴音の小道であたしとマツバさんは立ち話をすることにした。時間も時間だからオバケでも出たのかと思ったけれど、出たのはオバケ……というか、ゴーストタイプの使い手。この人と最初に出会ったのは今から数時間ほど前、あたしがエンジュジムに挑戦したときだ。
「君のデルビルとズバットには苦労させられたよ」
そう言いながら、マツバさんの目はあたしたちの前で追いかけっこをしている2匹に向けられた。あたしの取り合いのようなことをしていた2匹だけれど、マツバさんと話すあたしの邪魔はせずに自分たちだけで遊んでいる。人間相手には嫉妬しないらしい。
キキョウで見たシルバーのゴースのバトルを思い出しながら作戦を立てた、エンジュジム戦。タイプ相性を考えてメンバーに選んだのは、デルビルとズバットだった。
バトルの時でもあたしに指示されるたびに嬉しそうに従うデルビルは、ゴースの進化形のゴーストが相手だった。悪タイプとゴーストタイプで相性がいいからスムーズに勝てるかと思いきや、主な攻撃手段として考えていた噛み付くがゴーストに全く効かなかった。……冷静に考えてみれば当たり前だ、どうして体当たりやひっかくといった技が効かない相手に噛み付くが効くと思っていたのか。完全にタイプ相性に騙されていた、何度も思い知らされているけれどここではゲームの中での当たり前が必ずしも当たり前とは限らないのだ。
その後も催眠術で眠らされたり夢喰いで体力を吸い取られたりと散々だったけれど、悪タイプらしく挑発をすることにより状況は一転した。どういう原理かは知らないこの技、とにかく相手の補助技を封じてしまう。相手を煽りに煽ってその気にさせる、ということだろうか。そうやってゴーストの厄介な戦い方を突破して、最終的にはデルビル自慢の火の粉で攻めて何とか勝ちをもぎ取った。
続くズバットの相手は、ゴーストのさらなる進化形、ゲンガーだった。シャワーズやヘラクロスに比べるとバトルへの意欲は薄いようだけれど、あいつらに後れを取るなんてことはなかった。ヒワダでも大活躍だったエアカッターに加え、新たに影分身も習得していた。動きの素早いうちのズバットにピッタリの技を最大限に駆使して、大勢のズバットでゲンガーに向かって大量のエアカッターを放った。最終進化形ということもあってゲンガーのシャドーボールは強力だったし途中不意打ちという謎の技が突如襲ってきたりと楽な戦いではなかったとはいえ、数の暴力という一見卑怯にも思える戦法でこちらも何とか勝つことができた。……いや、卑怯なんて言わせない。勝ったのは間違いなくあたしたちだ。
そうして薄暗いバトルフィールドでのジムリーダーとのバトルに勝ち、ファントムバッジを手に入れたのだった。
「ところで、君も散歩かい?」
隣のマツバさんにまた話しかけられて、思考を現在まで戻す。ジムバトルを終えたあたしたちは、ポケモンセンターで夕食がてら一旦休んだ後、夜の鈴音の小道に訪れた。
「はい、せっかくここに来れるようになったんで……」
鈴音の小道、そしてその先のスズの塔に行くためには、その前の関所でファントムバッジを提示しなくてはならない。つまり、エンジュジムで認められたトレーナーしか足を踏み入れられない。さらにスズの塔の中を隅々まで探索するにはまだ条件があるらしいけれど、そこまで教えられることはなかった。……スズの塔は重要な歴史的建造物ってやつなんだろうし、あたしみたいなのがホイホイ入れるようじゃおかしいからいいんだけどさ。ちょっと残念だ。
「そうだね、ここは一度は来ておかないと勿体ない」
そう言って、マツバさんは夜空を見上げた。人工的な明かりがないこの場所は、紅葉だけでなく夜空ももちろん綺麗だ。マツバさんに倣ってあたしも顔を上げる。
そこで、マツバさんは思い出したようにぽつりと呟いた。
「……ここの紅葉は、エンジュのほかの場所とは違って1年中色付いているんだ」
「へえ…………えっ、そうなんですか!?」
「はは、驚くね」
「そりゃそうですよ!」
何となく聞き流しかけて、その事実に思わずマツバさんの顔を見る。……わ、笑われてる…………! いやいや、ここは普通驚くよ!? 確かに紅葉にはちょっと早いとは思ってたけどさ……1年中って……! だってここ、普通に四季とかはっきりしてるよな……!?
「この場所には何か不思議な力が宿っているんだろうね、だからこそ人の出入りを制限しているんだ」
改めてほんのり青白く照らされた紅葉を眺める。ただ綺麗だと感じたこの風景に、ほんの少しだけ畏怖の念を抱く。そして、その先のスズの塔も見上げる。エンジュシティに向かう途中の37番道路、そこからでも見えたこの高い塔は一体何のためにここにあって、何のためにこんな高さなんだろう。……あたしが考えたってそんなことわかるはずないのに、そんなことを考えながらしばらく黙ってこのとにかく美しい景色を脳裏に焼き付けることにした。
――――――視線を、感じる。
「…………マツバさん?」
ちらりとこちらも視線だけ向けると、目が合った。どこか眠たげな紫の瞳はじっとあたしを見つめたままで……すごく、居心地が悪い。
瞬きせずにあたしを、あたしを通して別の何かを見ている……そう感じる。
「君は、千里眼について何か知っているかい?」
千里眼。つい最近まで馴染みのなかった言葉だ。
「えっと……すごく遠くまで見通せる、みたいな?」
「そう、大体そんな感じだ」
エンジュのジムリーダーのマツバは、千里眼を持っている。ジムでマツバさんと出会う前に、そんな話をポケモンセンターで聞いていた。ゴーストタイプの使い手にふさわしく、ほかの人には見えないものが見える……それを聞いてどんな恐ろしい人かと身構えていたのに、いざ会ってみればこんなに柔らかな雰囲気を持っている優しそうな青年だった。……今はあたしをじっと見つめて、その眼力が少し怖いけれど。
「見えないものも全て見通す力、それが千里眼。そして千里眼は、距離や障害物だけでなく時間をも越える……つまり、過去や未来も見えるということだ」
いよいよ話がオカルトになってきた。……この世界で起こることには不思議なことが多いけれど、まだ慣れることはできない。そういえばゲームの中には超能力が使えるトレーナーがいたはず、この世界でもやはりそういう人はいるようだ。
「…………けれど、まだまだ修行が足りないらしい」
……ようやく、視線が外された。
「はあ……」
ホッとして、気の抜けたような返事をしてしまう。それに構わず、マツバさんは遠くでまだ遊んでいるズバットとデルビルを眺めながら続けた。
「見えるものが増えても、それら全てがはっきり見えるわけじゃない。それに見えないものもまだたくさんあるからね、例えば……」
――――君の未来とか。
「…………なんてね」
一瞬だけかち合った視線、優しい微笑み。再び視線が外れるまでの僅かな間、息を止めたあたしは何故か寒さが足元から上ってくるのを感じていた。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想