波の囁く町

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作者:揚げなす
読了時間目安:7分
映画『水の都の守り神』の舞台、アルトマーレでの、とある画家と守り神の話。
水の都アルトマーレ。画家の青年カーターがその街に訪れたのは、海が描きたくなったからだ。
その街は地盤沈下で海の中へ水没した建物の上に家が立ち並び、かつて通路だった空間は今は水路となっている。見た目に美しいそこは芸術家たちに愛され、古くから芸術の都として栄えていた。
ゴンドラのオーナーに支払いを終えた青年が船内に乗り込むと、船はすぐに通路を蹴って水流に乗った。
南に位置するこの町は乾燥気味で気温が年間通して高い。通路を吹き抜けてくる風と時々オールが跳ね上げる水が心地いい。水に弱いキャンパスを仕舞い込み、代わりに防水カメラをナップサックから引っ張り出した。

「ここはいつも綺麗ですね。」

カメラを構えながらゴンドラのオーナーに話しかければ、誇らしそうにオーナーは笑う。

「それが自慢さ。」

澄んだ海中を覗き込めば、そこは水ポケモンの世界だった。
朽ちかけた建物の外壁には藻が張り付き、住処にしているであろうポケモンたちが行き来している。活気あふれる地上とは、打って変わった静寂の世界。人の住めないそこはまるで神様の街だ。

「たしかこの街には守り神がいるんでしたっけ」
「そうだよ。夢幻ポケモンのラティオスとラティアスさ。おとぎ話にも出てくる」
「オーナーは会ったことが?」
「残念ながら無いよ。死ぬまでに一度は会いたいものだけどね」

オーナーと談笑を交わしながらカーターは思った。この水面を挟んだ反対側はきっと彼らの場所だ。何十年も、何百年も前から手付かずのあの街の中で暮らしているに違いない。
そういった想像を掻き立ててくれるここはまさに芸術の街だった。


水路沿いに浮かぶ屋台でタコスとピザで迷っていたカーターは、ふと視線を感じて振り向いた。
しかしあったのは石壁と水路のみで、水面に顔を出す水ポケモンもいない。

「今…」
「なんだ?小銭でも落としたのか」
「ああいえ、何か視線を感じたような…」
「俺はずっとあんたの背後が見える位置にいるけど何も居やしないよ。さ、早く決めてくれ」
「あっすみませんマルゲリータひとつ」
「あいよ」

熱々のピザをゴンドラに乗りながら食べる。スナックフードとは言い難い大きさのそれは船内では少し食べにくかったが、オーナー一押しの店の味は絶品だった。
ピザから垂れそうになるチーズに悪戦苦闘していると、オーナーから声がかかる。

「さっき視線を感じたって言ったよな」
「あ、ああはい。多分気のせいだとは思うんですけどね。」
「いや、こういう仕事をしてるとたまにいるんだよ。特にあんたみたいな旅人がさ、水路で視線を感じるって言うのさ。」
「え…」

意外な返事にカーターは一度言葉を失った。オーナーは器用にオールを動かしながらしみじみと続けた。

「こりゃ案外見られてるのかもな。」
「見られてるって…はは、誰にですか?」
「神様にさ。」

見上げた筋肉質の男はニヤリと笑っていた。
思わず振り向いた水路に、水流とは違った波紋が僅かに立った気がした。


ゴンドラのオーナーに別れを告げて暫くは陸路を行く。丸い模様の連なる石畳を歩けば目的地が見えてきた。
有名な美術館の近くには海の見える高台がある。今日の目的地はそこだ。化石と古代の利器が有名なその美術館は、数年前に化石が動き出したなどというオカルトめいたうわさ話が立ったものだが、その化石といえばそんな噂は知らないとばかりに以前と同じように鎮座している。
そもそも筋肉もない骨が動けるわけないじゃないかとカーターは思った。動くというならあの高くそびえ立つ一対の石像の方がよっぽど動きそうなものだ。芸術家としてもあの石像の躍動感のある滑らかなフォルムは、過去に思いを馳せるに十分な魅力がある。
しばしラティオスとラティアスのお伽話を回想していたカーターは、本来の目的を思い出して慌てて高台までの階段を駆け上がった。青の海は待ってはくれない。

キャンバスをイーゼルに立て掛けて、筆と絵の具とパレットナイフをセットしていく。荷物はほとんど先に郵送していたので、手早く荷解きを済ませて椅子に腰掛ける。
見渡す限りの2色の青に、やはりここに来て正解だったとカーターは気分が上がっていくのを感じながら思った。
下地を塗って、原色に近い青をパレットナイフで塗りたくっていく。寄せては返すその一瞬だけを目に焼き付けて、流れる時間もまとめて一枚の絵にしていく。
しばしあたりには作業音と潮騒だけが聞こえていた。


ふと、その一瞬に異物が混じりこんだ。空と海しか見えないはずのそこに、ほんの少し歪みが生じたような気がして、カーターは手を止め、そこをしきりに見つめた。
そして見つけた。ぱっぱっとほんの僅かな瞬間、空間にフィルターがかかったかのような歪みを確かに見た。それは素早い速度で移動している。職業柄全体を把握するのに長けたカーターがやっと見つけた程だ。そしてその最中にみた一瞬の赤と白の原色。

「っ………………!!!」

息が詰まった感覚があった。
心臓の鼓動が痛いほどに跳ね上がり、止まった肺へ振動を伝えた。

夢幻ポケモン、ラティアス。
アルトマーレを守る神様。画家としての目が脳に焼き付けた一瞬がリフレインした。
なんてことだろう、彼らは確かにこの街を見守っていた。水面で隔たれた静寂の世界だけではなく、自分たちと同じ側すら。

どれだけの間停止していたのだろうか。真っ青だった空には少し西日が傾き始めている。目の前のキャンバスは中央から外側にかけて、次第に完成に向かっていた。呆けたような顔でそれを見ていたカーターは、何を思ったのか、その青の絵に無情にも白を置いた。縁から埋めるように平筆で塗りつぶしたかと思えば、中央に空いた空間から細筆で何かを削りだすかのように線を引いていく。覚えているあの輪郭を忘れないよう、緻密に、緻密に白で青を切り取った。

夕暮れの中、筆を置いた画家は、キャンパスを満足気に掲げてみせた。木枠で留められた一枚の布の中、青い空と海をその身に映す伸びやかな守護神の姿があった。
ヴェネツィア好きにアルトマーレはたまりませんな!

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