森の中心部へと戻る頃には既に、ポケモンたちは起床を始めていた。
帰り道の途中で木の実が実っている木を見つけて食べてきたから大分体力は回復していた。
周辺を闊歩しながら、木の株へと腰を落ち着けたルカリオに話しかけた。
「そういや、任務は終わったんだよな?」
「あぁ、そうだが」
「もう此処には来ないのか?」
ルカリオは本来トレーナーに悪事を働くポケモンを説得するために此処に来た。それなら目的を終えた今、来ることはないのだろうかという不安が押し寄せる。
だが、ルカリオの返答は予想外のものだった。
「任務は終えたが、俺はまた此処に来るよ」
「でも、お前のマスター忙しいんだろ。手伝わなくて大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。俺の他にも仲間はいるから、多少さぼっても何ら支障はないさ」
ルカリオでもさぼる事があるのが意外で、案外ルカリオって無責任な奴なんだなと新たな一面を発見した。
その事が嬉しくて、ついによによと笑ってしまう。
「俺にまた会えるのが嬉しいのか?」
「ちげーよ、ばか!そんな女々しい事考えるかっての」
さっきは良い奴かと思ったけど前言撤回、こいつはやっぱりムカつく奴だ。
「俺はまた、こうしてニンフィアと会えるのを楽しみにしているんだが……残念だ」
表情はいつものポーカーフェイスで、声の調子を落としぼそりと告げるルカリオ。そんな姿に言葉が詰まってしまった。
「あ、ニンフィアだ!」
「ニンフィア~」
遠くから子供たちが駆けてくる。捕まると遊びに付き合わされたり、武勇伝を語れとせがまれるのが面倒でルカリオの腕に触手を巻き付ける。
「逃げるぞ」
「あぁ」
そうして全力で駆けて子供たちを突き放した。子供たちが後を追わなくなるとゆっくり歩いて、連なった木々を抜け開けた場所へとやって来た。
そこには川が流れていて、せせらぎが心地よく鼓膜に伝わる。川の淵へと近づくと水面は太陽の光を反射して、ちりばめられた小さな光の粒子がきらきらと輝いていた。
腰を落ち着けて、ルカリオも同じように座り込んだ。
「ここ、実は俺が気に入ってる場所なんだ」
「そんな場所へ連れてきてくれるなんて光栄だな」
隣へと座るルカリオへ視線を向けると柔らかく微笑まれて慌てて視線を川へと戻した。
「まあな、お前には色々と世話になったし」
助けてくれたお礼もかねてというのと、自分の気に入ったこの場所をルカリオも気に入ってくれたらという密かな思い。
様子を見る限り気に入ってくれていそうだから安心した。
「なあ、ニンフィア」
「ん、どうした?」
「君はどうして人間を嫌うんだ?」
ずきり、と胸か痛む。瞼を伏せるとあの時の姿が鮮明に浮かんだ。自分を置き去りにして、背を向けて歩いていく姿が。
「……裏切られたんだよ、トレーナーに」
「つまり捨てられた、ということか?」
「俺が弱かったから」
水面へと視線を落としたままポツポツと告げるとルカリオは真剣に耳を傾けていた。
「だから、強くなって見返したいと思ってたんだ、俺を捨てた事を後悔させて、強くなったって知ればまた昔みたいに……」
昔みたいな関係が築けると思った。ただ、純粋に楽しかったあの日々を取り戻したかった。
「やはり嫌ってなかったんだな」
「でも会えないことを分かってて待つのは辛いだろ。だから嫌いになって憎むことであいつに関する事を忘れようとした」
本当は知っているんだ、あいつが此処に来ない事なんて。そもそも強くなったとしても知る由もない。それならいっそのこと忘れてしまえば良いと思った。
「辛いからと言って、現実から目を背けて良い訳ではないだろう。無理に忘れようとしても忘れることはできない」
「じゃあ、どうすれば良いんだよ」
「逃げるんじゃなくて、その現実を受け止めるべきじゃないか」
ルカリオの言う通りだ。忘れようとすればするほど、より色濃く記憶が蘇り侘しさばかりが募っていく。意固地に成るほど虚しくも楽しかった記憶が残っていることに憤りを感じ、今の境遇と照らし合わせては憤慨した。そして不条理な怒りを人間に向けることでどうにか辛さをまぎらわそうとしていたんだ。
気付かずに無意味な思考を繰り返して、忘れることこそがこの蟠りを無くす近道だと思っていたけどそれは違った。
「受け止める、か。今まで思い付かなかった発想だ」
率直に言えばそうか、と返されてそれきり無言が続いた。
きっとどんなに貶されようと苛められようと、結局は嫌うことなど出来ない。それは昔のあいつの優しさを知っているから。
だから信じたいとは思っていたけど、やっぱり捨てられたあの時の衝撃はそれを許してはくれなかった。
仮にまた会う機会があるとすれば今の俺を見てなんて言うだろう。以前より成長した自分を認めてくれるのか、それとも昔と変わらず弱いままだと罵倒されるのか。
そう思うと恐れを感じて体が竦み上がる。それでも良いから、一目でも良いからあいつに会いたい。
矛盾する思考に歯がゆさを覚え、複雑に混ざりあった様々な想いが込み上げる。
一度気付いてしまえば、押さえることなんてもう出来なかった。視界がぼやけて温かい液体が頬を伝って流れていく。
「君でも、泣くことはあるんだな」
静けさをやぶって囁かれた言葉は何処か嬉しげな音を含んでいて、小馬鹿にされたようでムカついた。
「悪いかよ、俺が泣いて」
「いや、そんなことはないよ」
輪郭を伝って重力に従い流れ落ちる雫を、不意に近づいてきたルカリオが丁寧な所作で拭う。
うつ向いていた視線をあげると間近で紅く輝く聡明な瞳とかち合う。その眼差しは暖かみがあって出会った当初では感じられなかったものがそこにあった。
「俺、やっぱり人間が好きだ」
若干涙声が混じりながらも口角を上げておちゃらけたように笑って見せる。すると、優しげに目を細めてルカリオは言った。
「人間に対する好意を取り戻してくれて良かった」
隣に座るルカリオにぽすっと寄りかかり軽く身を預ける。触れあった箇所からは温もりが伝わって、寒色系の毛に覆われた体からは想像もつかないような穏やかな僅かな温かさを感じた。
自分自身を騙し続け、氷像に囚われた本心を溶かしてくれたルカリオ。
そんな奴だからこんなにも心を許すことが出来たんだと、悠々と眩い輝きを放つ太陽に向かって誰に言うわけでもなく言い訳をした。