「あ~ぁ、全く。なんでオレがこんなド素人みたいことをしなきゃいけねーんだよ」
ピカっちが初めてのキャッチボールを緊張しながら行ってる同じ頃、ラプ先輩とペアになったマーポは、不満げにブツブツと文句を言っていた。
「あら?そんなこと言ってて良いのかしら?私が見る限り、あのコたちは相当センスが秘められてると思うわ。もしかしたマーポくんのこと、あっという間に越してしまうかもしれないわよ?」
「何?まるっきり初心者なアイツらの方がオレよりも役に立つって言いてーのか?」
ラプ先輩の言葉にかなりムッとした表情を見せるマーポ。そんな彼に対して彼女はこう続けた。
「フフ。相当自分に自信があるようね、マーポくん。どれほどの実力なのか早く見てみたいわ」
「うるせー!ごちゃごちゃ言ってるヒマがあるんなら、さっさとそのボールを投げやがれ!」
マーポがその場で待ちきれない様子でギャーギャー騒ぎ、そのあとすぐにラプ先輩を指差しながら、彼女のことを急かす。彼女はその騒ぎように呆れてるのか、溜め息をつきながらこう言った。
「ハァ………全く。しょうがないわね。それじゃお望み通り、こっちから投げるわよ!」
「ケッ、最初からそうすりゃ良いんだよ!」
左腕にはめた青いキャッチャーミット(キャッチャー専用のグローブで、全体的に丸みを帯びた形をしてる)を、右腕で作った握りこぶしでバシバシと何度も叩くマーポ。待ちきれない様子でボールが投じてくれるのを今か今かと彼女にアピールする。
そんな彼に対し、ラプ先輩はエンジンを入れたかのように、キリッと厳しい表情をした。そして、その大きな体から注目の1球目を投げた!
シュッッッッッ!
「来たな!?」
その瞬間1歩、2歩とボールが落ちる場所を予想しながら、小さい体を動かした。そして次の瞬間、ミットをはめた小さな左腕を目一杯伸ばす。
パシッッッ!シュッッ!
「どうだ!ナメんなよ、オレの実力!」
彼はそうやって言うと、すかさずそのボールをラプ先輩へと投げ返した。
パシッッッ!!
「フフ、そうね。さすがに経験者ってことはあるわ。でも………」
「ん?」
何やら不敵な笑みを浮かべるラプ先輩。無論彼にはその不気味な様子の理由など分かるはずもない。………と、次の瞬間!!
「あなたにキャッチャーとして大事なこと、どんなボールでも受け止めるって役目が果たせてるかしら?」
「うわっ!!」
ラプ先輩からの2球目。………それは、彼の頭上から更に数mも高い所を通過する程、とんでもない“失投”だった。さすがに経験者とはいえ、この想定外のハプニングには彼も対応出来ず、ボールは頭上を通過後、グラウンドに落下して弾んでそのままコロコロと転がっていった。
「………てめー!何しやがんだ!!ふざけてんのか!?」
一度は背後に振り返って捕れなかったボールの行方を追っていたマーポ。ところが段々とラプ先輩のこの理解不能な行動に怒りを覚えた。やがて彼女から全く相手にされてないような気分になり、まともに練習をこなすのが馬鹿らしくなったのである。
一方のラプ先輩はと言うと、そんな怒りを露(あらわ)にしてる彼のことなど全く気にする様子はなかった。むしろ、ますます不敵な笑みが強くなってる印象さえもある。そして彼にこう言った。
「フフフ、ふざけてなんかないわよ。むしろこれが本気………とでも言っておこうかしら?そしてよく知っておくことね。この先私は一切まともなボールを投げる気が無いってこと。キャッチボールやる気なしってことをね」
「…………んだと……てめー!!」
キャッチボールやる気なし………野球選手として、その信じられない発言にマーポの怒りがますます増長された。
確かに自分もつい先ほど入部希望者という理由だけで、まるっきり経験の無いメンバーと同じように、キャッチボールを丁寧にこなす…………そういう基本的な部分を蔑ろにしていた部分があった為、強く怒ることは出来ないのだが、
(それでもオレよりずっと野球部の中心として活躍してる選手なのに、あんな投げやりな発言するなんて許せねぇ!それでも今年の結果で潰れちまうかもしれねー部活に所属してるヤツなのかよ!)
彼は先ほどの“ヒート”先輩とのバトルで、彼の野球に懸ける想いをきっかけに、このチームの力になろうと決めていた。だからこそ、どんな目的があっての発言か分からないが、ラプ先輩の態度を許せなかったのだった。
…………だが、ここで注意したいのはラプ先輩の発言が果たして本音なのかと言うこと。あえて結論から示すとその答えは「NO」である。
当然ながら彼女は本気でキャッチボールに対してやる気なしになった訳ではない。ではなぜマーポの怒りを買うほどの発言をしたのか。それは彼女が試合の中で相手打者の考えを読み取ることを必要とする“キャッチャー”というポジションだということに関係してる。
どうやらラプ先輩はこの時点でどうもマーポが自信過剰かつ負けず嫌いで、小さな体と可愛い顔立ちからは想像できないほど、“なまいき”で好戦的なのを“みやぶって”いたのである。
それ故に彼を本気で練習に取り組ませる為にはこうした“ちょうはつ”が必要だと感じたのだ。と、同時にあえて彼のミットから大きく外した“失投”を投げることで、どんなボールだろうと後ろに逸らすことが出来ず、体を張ってでも前にボールを落とすことがカギとなる“キャッチャー”としての技術も確認しようと思ったのだ。
「どうする?それでもこんなやる気なしの私とのキャッチボール、続けるかしら?」
「あたりめーだ!続けんに決まってんだろ!!ぜってーにてめーからのクソボール捕ってやるからな!」
そんなことも知るよしも無く、まんまと彼女の“作戦”の術中にはまったマーポ。彼はこのように宣言すると、拾ってきた白いボールを思い切りラプ先輩へと投げ返した!
シュッッッッ!パシッッッッ!
「嬉しいわ。そうこなくっちゃ♪」
こうしてラプ先輩とマーポによるキャッチボールバトル(?)が幕を開けた。
「フフ、それじゃ続けるわよ」
「ケッ!どうせやる気なんてねーんだろ?ゴチャゴチャ言わず、とっとと投げやがれ!」
シュッッッッ!
(来やがったな………、またとんでもねーボール投げやがって………!)
次のラプ先輩からの3球目。そのボールも小さなマーポが精一杯腕を伸ばしても届かないくらい、とんでもない“失投”だった。
しかし仮にもマーポだって野球経験者である。このままラプ先輩の思うがままにされるわけにはいかないと、彼は意地を見せる。
「ナメんじゃねーぞ!仮にもオレだってアンタと同じ“キャッチャー”だぜ!?何が目的か知らねーけど、そう何度もポロポロ後ろに逸らせるかってんだ!」
彼は自分の遥か頭上を通過しそうなボールをキャッチするため、目一杯ミットをはめた左腕を伸ばし、…………そして懸命にジャンプをした……………が!
シュッッッッッ!!!
「ちっ!!」
懸命なプレーも叶わず、ボールはそのままマーポの背後に消えて落下、グラウンドを転々をしてくばかりだった。
「フフ、ダメだったようね………あなたの努力。まさかそれで私たち野球部のレギュラーを脅かせるとでも?」
そんな彼の様子を冷たく笑うラプ先輩。
「ち………ちくしょう………」
対してマーポはその場に力なく座った。練習開始前のあの威勢の良さがまるで、どこか遠くへ吹き飛んでしまったかのように。
それでなくてもつい先ほど、まだみんなの前に姿を現さない“ヒート”先輩とのバトルにも敗れてるマーポ。誰よりも負けず嫌いな彼にとっては耐え難い“屈辱”だった。だが、それ以上に彼にとってこのまま練習を諦めること………それはそのまま一日に2度目の“敗北”を喫する事を意味してた。もちろんそんなことを彼のプライドが許すはずもない。
そんな彼にラプ先輩は言った。
「よ~く胸に刻んでおくことね、マーポくん。自分自身に満足、妥協って言うのが出てきたらその時点から劣化が始まっているって事を。何でもそうだけど、物事にボーダーラインを自分自身で決めてしまったら、その先のものは何も見えてこないし、手にも出来ないの。そうしてるうちに気がついたらあっという間に周りに追い越されて、負け続けて、置いてきぼり。勝負の世界じゃ、2番目は意味が無いのよ。勝っていく事、結果を残すことで初めて注目を浴びてく。この世界で生きるってそういう事よ」
「な…………何してやがるんだ!?」
突然、話の途中でマーポは怒鳴った。無理もなかった。なぜならラプ先輩は彼に話しながら、自らのミットやボール、その他道具を片付け始めたのだから。
「何って、もうこれ以上私と個別に練習する意味が無いんじゃないの?どうせ私のボールをキャッチ出来ないわけだし………。それとも、まだ懲りずに練習にならない練習続けたいの?」
「てめえ!!」
彼女の言葉にマーポはこれ以上無いほど、怒りと屈辱を覚えた。その発言から感ずるに、ラプ先輩は完全に自分の事を馬鹿にしてるとしか言いようがない。ここまで好き勝手に言われては、彼としてもこのまま黙って引き下がる訳にはいかない。
「あったりめーだろ!まだ3球投げただけだろ!たったそれだけで何がわかるってんだ!?こうなりゃオレがキャッチ出来るまで、てめえの事をグラウンドから帰らせねーからな!ボロボロになろうが、泥まみれになろうが、何十球!いや、何百球!!いや、何千球!!!いや、それ以上かかろうと意地でもキャッチしてやるよ、てめえからのクソボール!!覚悟しやがれ!!」
「耐久戦って事ね?フフ………まぁ、良いわ。かかって来なさい」
こうして異質なキャッチボールは再開された。次がラプ先輩からの4球目となる。
「フフ、いくわよ?」
ラプ先輩がボールをマーポに向けて投げた!
シュッッッ!!
(来たな!次こそは……!)
そのボールも頭上を遥かに越えそうなものだった為、彼はボールを視線なら逃さぬように下がりながら走り、そして必死にミットを伸ばした!………が!
ビュッ!ストン、コロコロ………
「ハァハァ………ちっきしょう………追い付かなかった………」
またも彼はそのボールをキャッチ出来なかった。ホームはグラウンドを転々と弾む。
「まだまだぁ!!さっさと次のボール来い!」
彼は拾ったボールをラプ先輩に投げ返しながら気合いを入れ直す。
「しょうがないわね~。いくわよ?」
ラプ先輩がため息混じりで次のボールをマーポに投げる。これが5球目である。
シュッッッ!!
「うわっ!今度は“バウンド”かよ!ちくしょう!」
今までとは違ったパターンのボールに驚いてしまい、慌てて何とかジャンプしてボールを捕ろうとするも、またしても頭上を越えてしまい、背後へと転がってしまった。
ちなみに“バウンド”とは高く弾むボールの事を言うらしい。1回バウンドすることを“ワンバウンド”とか、略して“ワンバン”と言うらしい。同じように2回バウンドすることを“ツーバウンド”とか、略して“ツーバン”と言うらしい。
「………ちくしょう!まだまだぁ!!」
ボールを拾ってきて、再びラプ先輩へと投げ返したマーポ。その表情に諦めというものは全く感じられない。
「元気があって良いわね。でも、何度やっても結果は同じよ?」
ラプ先輩はそんな彼にも動じる様子が全く無い。今までと同じように6球目となるボールをマーポへと投げた。
シュッッッ!!
「くっ、今度こそ!!………ん?」
今度はバウンドではなく、今までのような彼の頭上を越えてしまいそうなボールだった。しかし、よくよく落ち着いて見ると、今回のはそれまでと異なり若干低いような印象が彼にはあった。
「(もしかしたら……届くかもしれねー!チャンスだ!)えーーい!!」
マーポはすかさずミットをはめた左腕を伸ばし、目一杯ジャンプした!するとどうだろう。
パシッ!
「ヨッシャ、何とかかすった!」
「へぇ~………まぐれってあるのね」
微かに………ほんの微かではあったが、彼のミットはボールをかすめたのである。このキャッチボール開始以降、初めて彼の表情が明るくなった。
「へへ、やってやれねーってことはないはずだ!それにオレ、たった今良い作戦が閃いたぜ?」
ボールを拾ってきて、ラプ先輩にそれを投げながら彼はそう言った。
「良い作戦?へぇ~、楽しみね」
果たして、彼の作戦とはいかなるものなのだろうか?
同じ頃、ランラン先輩とピカっちのペアは順調にキャッチボールを続けていた。
「え~い!」
「ナイスボール!それっ!」
「キャッ!」
シュッ!パシッ!シュッ!パシッ!
グローブにボールが収まるときの心地よい音が辺りに響く。練習開始直後から比べると、ピカっちの動きも少しずつスムーズになってきてるようにも見える。
「一番最初から比べたら少しずつ上手になって来てるね、ピカっちちゃん。もしかしたら野球のセンスがあるんじゃない?」
「え、私が?そんな………ぜ、全然上手になんかなってませんよ!」
ランラン先輩の言葉に恥ずかしくなってしまったのか、顔を赤くしながら頭を左右に小さく振るピカっち。
「そう?ちゃんとボクのアドバイスしたポイント通りにキャッチボールを出来てると思うんだ」
ランラン先輩がピカっちにしたアドバイス。それは次のようなものだった。
①ボールを投げるときも捕るときも“相手の方をよく見る”。
②投げるときは“体全体を思いきって回転させるようなイメージで動かして、勢いをつける”。
③捕るときは“なるべく後ろには逸らさないように、グローブだけでなくボールを体の正面で受け止めるイメージで”。
「この3つのポイントさえしっかりと守っていって練習をしていけば、どんどん上手になるし、キャッチボールを上手に出来るようになれば、例え初心者だったとしても、他の練習だってそんなに苦労することは無いと思うよ♪」
「そうなんですね………、それじゃあもっと頑張って練習しなきゃいけませんね!」
「ハハハ。その気持ち、スゴく大切なことだよ♪」
ピカっちの真剣な表情を見て、ランラン先輩が嬉しそうにする。一方のピカっちは改めてランラン先輩のアドバイスを一つ一つ丁寧に確かめながら、キャッチボールに取り組む。
(えっと………、まず投げるときは手だけじゃなくて体全体を回転させるように動かして、勢いをつける………)
頭の中でイメージを膨らませながら、ボールを握る。そうしてから小さな体をランラン先輩に向けながら、力を込めてボールを投げた。
「えい!」
ボールを投げた次の瞬間、彼女の右足の方が前の方に出た。
ランラン先輩のアドバイスだと、投げ終えて前に足が出るこの動きが体全体を使ってボールを投げてる証拠になるらしく、とても良い動作だという。
シュッッッ!!パシッ!!
「ナイスボール♪ちゃんとボールが届くようになってるし、勢いもちゃんとあるね。ちゃんと相手が受け取りやすい方向にもなってるし。こういうボールをちゃんと投げていこうね♪それっ!」
「はっ………はい!」
ランラン先輩はピカっちにアドバイスを送りながら、ボールを返した。ピカっちは一瞬戸惑ったものの、それほど慌てることもなくボールをキャッチした。
「そうそう!そんな感じだよ!いいね、相手の方をちゃんと見てボールから目を離さないこと!そして体の正面でキャッチするイメージ!そんな調子でキャッチボール、どんどん続けようね!」
「はい、ありがとうございます♪」
ランラン先輩の言葉が嬉しかったのか、ピカっちは笑顔を見せた。彼女の技術は確実に向上してるようである。
その後もランランとピカっちは時間の許す限り、キャッチボールを続けた。そしてだんだんとお互いの距離を一歩ずつ縮め、最終的には“トス”(ボールを下からポンと軽く投げること。お互いに至近距離の場合に行う)で何度がやり取りをして、キャッチボールを終えたのである。
「お疲れ♪これでキャッチボールの練習体験は終わりだよ」
「はい、ありがとうございます♪最初は緊張したけど、段々楽しく感じました♪」
「ホント?それならボクも良かったよ!ボクも可愛い新入生とキャッチボールをできて楽しかったよ♪」
キャッチボール終了後、お互いに笑顔がこぼれた。それなりに練習時間はあったものの、楽しい時間ということも関係してるのか、彼女たちは本当にあっという間のように感じていた。
「さて、みんなのところに戻ろうか!まだまだボクら野球部の練習は始まったばかりだし、ピカっちちゃんたち新入生にも体験させたい事があるから♪」
「本当ですか?どんな練習か楽しみです」
ピカっちはそうやって笑顔を見せると、ランラン先輩の後をついていくのだった。