1.フォークボール・リライフ

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よろしくお願いします。
気が付いたら青い空を見上げていた。
乾いた風が吹き抜けて、そこかしこに泉が湧く青々とした草原が体を揺らす。その中にひとつ横たわっていた体が、ゆっくりと起き上がった。
突然の青空との対面に止まっていた頭が徐々に思考を生み出していく。そして思った。

腕が短い。

まず目に入ったものがそれだった。目一杯伸びているはずの己の腕は知っている感覚とはずいぶん異なり、地面への接地面と胴体の距離が嫌に短い。そしてその細さと言ったらない。
゛彼゛はうっかり叫びそうになった。

「目が覚めたら体が縮んでいた!とかそんな著作権ギリギリアウトなっ…!?」

勢いのまま自分の体を見た彼は、今度こそ悲鳴を上げた。
ふわふわの毛、あるはずのないふわりと膨らむ尻尾、アンバランスなほど小さい手足。
その”前足”で頭上にピコピコ揺れている物を触ってみれば、なんとも見事な耳が2つ。
一通り自分の体を確認し終えてから彼は混乱した。

(おい…この姿知ってるぞ。『フォッコ』だろ!?ポケモンじゃねえか!前に見たことが…)

そこまで考えてフォッコの姿をした彼は自身の違和感にようやく気付いた。
なにも思い出せないのだ。頭の中から生まれてから今に至るまでの記憶だけがすっかり消えている。

(前…前って、なんだっけ?思い出せねえ…ってか俺、誰だっけ、人間…だったはずだよ、な?)

混乱する意識とは裏腹にその情報源はすっぽりと抜け落ちている。まるで思い出すという行為を忘れてしまったかのように。
ただ、残った記憶の断片は感覚に沁みついているらしい。自然と言葉として浮かぶ口調、二足歩行から四足歩行へと切り替わった体への違和感は人だったという自意識からだ。
なのになぜ自分はポケモンになっているのだろう。何とか何かを思い出そうとして頭の中から新たに拾い上げられたものは自分の名前だけだった。

(俺は…俺はウィズ。そう、たしか俺の名前…それで男で、人間だった。それは分かってる。でもそれだけだ…)

他のことはどんなに頭を振りかぶろうと何も思い出せなかった。普通ならいの一番に思い出せることすらまるで自分のことでないように感じる。
自分の年も出身地も、自分の性格や、家族や友達のことも…

(あれっ?最後のは居た気がしないような・・・まあいいや) 

そもそも自分がなぜこんなところで転がっていたのかもわからない。眠っていた時間はほんの僅かなようにも、ずいぶん永く眠っていたようにも思える。
意識のない間の時間間隔などあてになるわけではなく、ウィズはとぼとぼと渇いた喉を潤すために近くの泉に近づいた。水面に映る自分はやはり完全にフォッコになっていた。
いきなり四つ足ですんなり歩けたことにも驚いたが、何よりの違和感はやはり背後でふわふわと揺れる尻尾だった。確かに感覚の通った尾を見やってため息を吐く。

(訳わかんねえけど、とりあえず五体満足…んっ?尻尾を含めると六体?…まあ無事でよかった。)

訳の分からない場所に一人きり。その上怪我でも負おうものならろくに動けもせず死んでいたかもしれない。
とりあえずなにかをしなければ、と背を伸ばした。体力は有限で、立ち止まっていては消耗するばかりだ。当面はこうなってしまった原因を探るべきだろう。もしかしたら記憶を失った理由もそこにあるかもしれない、そう踏んで泉を立ち去ろうという時だった。
水面に映る自分の後ろに自分以外の影を見た。

「っ―――!!ホラーかよ!?」

振り返った先、さらさらと風が雑草の葉先をさらう音が聞こえる中、音も立てずに佇んでいたポケモンには見覚えがあった。相変わらず情報の出典元はわからないものの、ひとまず目の前のポケモンとタイプがわかるだけで十分だ。

(オーベム…エスパータイプのポケモンだっけな。)

微風が視界の全てを動かす中、宙に浮いたオーベムは不気味なほど微動だにしない。しかし、その眼は確実にウィズを捉えていた。

(まさか攻撃してこないよな…?)

警戒から身構えると、それまで全く動く気配のなかったオーベムの手が3色の光を放った。途端にどこからともなくもう二体のオーベムが、ウィズを取り囲むように現れる。
記憶がなくともそれが敵意であることは言うまでもなかった。

「やべ、囲まれた…!」

じりじりと狭まる包囲網に捕まればどうなるかはわからない。だが確実によくはならないだろう。とっさに後ろに飛び跳ねると、予想外の動きに不意を突かれたオーベムの一体が、体当たりをまともに受けて空中でたたらを踏んだ。陣形が崩れた隙間を縫って逃げ出すが、すぐに体勢を整えた三体が後ろをぴったりとくっついてくる。軍隊のように統率のとれた動きに焦りは見えない。
こちらを観察するように張り付く背後の壁にウィズは舌打ちをした。

「追いかけてるっつーか、追いつめられてんな…これは。ここは奴らの縄張りってことかクソッ」

草原を一歩外れると足場が急に固くなった。道だ。どうやらこの辺りは誰かが使っているらしい。踏み固められ、障害物が避けられた道なりは走りやすいが、それは相手も同じだろう。道は林に続いている。そこで撒くことにしたウィズは迷うことなく飛び込んだ。どうせ迷ったとしても迷子なのは最初から変わらない。
しかし飛び込んだ林は思った以上に閑散として開けていた。内心舌打ちしながらも木の影を頼りに背後を伺っていたウィズに、前方から影が近づいて来ていた。ウィズは気づかず後ろに気を取られている。

「うっわ!?」
「いでっ!?」

物陰同士でお互い気付かず、ウィズはその相手と衝突した。ぶつかった相手は派手に後ろに倒れ、大の字になって伸びている。ずんぐりむっくりの子供にも見えるその姿を、ぶつけた鼻をさすりながら見る。
その影もまた、ポケモンだ。

(こいつも知ってる。コノハナだ。くっそ腹立つ顔しやがって)

「誰だど!」
「うっせえ!今急いでる!っつーかしゃべんのお前っ!?」

怒声にそれ以上の声で応えれば当然追尾相手にはいい指標だ。すぐに低木を割って現れたオーベムをみたコノハナが、穏やかでない空気を感じ取ってこちらを見た。

「な、なんだど!?」
「知らん。俺もさっき会ったばっかなのに襲われてんだよ。お前が引き付けて数が減りゃありがてえや!」
「ちょっ、ふざけるんでねえどこのクソガキ!!」

そのまま立ち去ろうとするウィズの尻尾をつかまんとするばかりの怒鳴り声でコノハナ叫ぶ。なぜかその言い分にカチンときた。

「は、ガキぃ?俺今ガキな訳?ん?いや待てってことはもとは大人だったのか?ああ何もわかんねえ!まあいい今は逃げんぞ!」
「待て!そっちはダンジョンだど!子供一人じゃあぶねえ!」

焦るコノハナの声にウィズは自分の進行方向を見た。前方の木々が絡んで自然の門を作っている以外、見渡す限りさっきと変わり映えのない林が広がっている。
ダンジョン、つまり迷宮。迷いようもなさそうなこの林にいったい何があるというのか。訝しんだウィズが睨みつけるような顔でコノハナを見た。

「こんな開けた林のどこにそんな…」
「説明してるヒマはねえど。オラも行くから着いてこい!」
「あっちょ…」

焦る割には一足先に飛び込んだコノハナに続いてウィズもダンジョンと呼ばれた門の先へと足を踏み入れる。
ただ場所を移動した。ウィズがしたことと言えばそれだけで、なんの隔たりも存在しない。それなのに「そこ」に一歩足を踏み入れたと途端に空気が変わった。
空間が、くにゃりと曲がるような感覚を初めて味わったウィズはぞわりと毛を奮い立たせる。

「なんだ、これ?」
「ここがダンジョンだ。入る度に地形が変わる。」
「はあ!?」

当たり前のように言われたその言葉にウィズは面食らう。つまりは地図もなければ正しい道もないのだから自殺行為に近い。
なんてところに入ってしまったのかと嘆く間に、後ろからあのピコピコという音が近づいて来ていた。反射のように跳んでコノハナに駆け寄ると、ウィズは泣き言のように言った。

「じゃあどうやって出るんだよこんなとこ!」
「大丈夫だ。ダンジョンには出口が必ずある。ここはそんなに広くないし歩いてれば見つかる。道順もないから撒くにはうってつけだど。」
「じゃあその出口押さえられたらアウトじゃねえか!急ぐぞ!」
「お、おう!」
「あとここのことよくわかんねえから歩きながら色々説明よろしく!」
「なんか都合良いなおめえ!」


挿絵画像




道中言い合いをしながらもウィズとコノハナは峠を抜けた。
その間の収穫と言えばいくつかの木の実と、途中でウィズがポケモンの技を使えることが判明したくらいで、依然背後のオーベムは振り払うことはできていなかった。

「くっそ、しつこいな!」
「なあ何なのあいつら!あのファミコン以下のビット数で何言ってんの!?『ヒャッハー今日は狐と天狗の化かし鍋だぜぇ~』とか言ってんの?怖すぎ!っつーか固形物食えんのあいつら!」
「おめえはさっきから口が減らなさすぎだど!あとファミコンって何!」
「なんだっけ!?俺もよくわかんない!!」
「なんだそれ!?」

コノハナに鋭い突っ込みを受けるが、ウィズ自身そもそも自分のことがよくわかっていないのだ。
知らなければいけないことが多すぎて、ひとまずそれらを頭から追いやっているだけに過ぎない。

「どっかで落ち着いて頭ん中整理してえ…」
「じゃあもう少し頑張れ。」

慣れない四つ足で走りながらぽつりと呟いた言葉だったが、並走していたコノハナには聞こえたらしい。
一瞬、何故か笑っていたような気もするが、その横顔をまっすぐ視界に入れた時にはその顔は真剣でしかなかった。

「この峠を抜ければオラの家がある村につく。流石に人気の多いそこまでは追ってこねえと思うど。」
「あいつらが人目をはばかればの話だけどな。乗った!」
「よっし、じゃあいくど!」

ラストスパートと言わんばかりに二匹はスピードを上げる。
その甲斐あってか里に近づいたが故か、走り切ってダンジョンを背にした頃にはあれだけしつこかったオーベムの言葉は聞こえなくなっていた。
もう安心だと息を荒げてしゃがみこんだウィズは、「そこ」を見上げた。
木造りの門。木と土の建物。川にかかる桟橋。拙くも文化を感じさせるそこは村だった。ただ不自然なほど人間は一人もいない。代わりのように買い物を、お喋りを楽しんでいるのは全てポケモンだった。

「はは…そういや、コノハナも喋ってたっけ。急ぎ過ぎてて忘れてた…そっか、俺今、ポケモンだから、…そうだ、ここは…」

ポケモンの世界。おそらく自分が迷い込んだ世界を、ウィズはようやく認識した。酸欠と混乱でうまく言葉が紡げない。
呆然としたままコノハナに連れられてその門をくぐる。ダンジョンに入った時よりもそれは異界の門に思えた。
それが、ウィズが初めておだやか村に来た日の話だ。

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