第5話 “水面下”

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 セキタイタウンでの政府・ロケット団合同艦隊が敗退を喫してから、今日でちょうど1週間が経つ。
 朝5時、遠くの空がうっすらと白みを帯びてき始めた頃、エドウィンは目覚ましが鳴るよりも早くベッドの上で目を覚ました。ぱちりと目を開いて、壁の電子パネルに浮かぶデジタル時計を見やると、「またか」とうんざりした様子で布団を跳ね除けた。

 カロス地方での防衛戦に関わって以来、睡眠時間は4時間未満で定着してしまった。毎晩遅くまで戦略を練り続け、それを合同艦隊の司令部に報告し、協議し、他の戦艦の成果を見守る。しかし結局は失敗に終わり、落胆と共に眠りにつく。
 リベンジャー号が受けた被害修復のため、カントー地方セキエイ高原にある軍事基地のドックに停泊している間、それがエドウィンの主な任務であった。とはいえ、この任務から外してくれればどれだけ安らかに眠れるだろう。セキタイタウンへの攻撃計画はほぼ失敗に終わっている、それと同時に多くの兵の命まで失われ続けている。
 役に立たない指揮官を置いて、一体司令部は何を考えているのやら……。
 そんなことを考えながら、エドウィンは身なりを整え、通路に続くドアをくぐった。

「現状のままでは打つ手がありません」

 艦長室にて、エドウィンは自分のソファに腰を落ち着けながらため息交じりに吐き出した。
 相手のお偉方、もといホログラムによって姿を投影する形で会議に参加している面々は黙っている。

「アドベンチャー号の撃沈を含めて、我々は一度たりとも敵にまともな被害を与えられていません。このままイタズラに兵を送り込んでも、無駄に死者を増やすだけです」
『では何か妙案があるのかね』

 ホログラムの1人、大儀そうな男の返事に、エドウィンは黙り込んだ。
 言いたいことは山ほどあった。勝つまでただ送り込むつもりか。いくら長く平時が続いたとはいえ、国軍の指揮官ともあろう人間がここまでの無能者だったとは。
 と、最初はそう思っていた。しかし一言放った男を含め、地位ある面々の反応は一様に同じく、腕を組んで大儀そうな仕草を示しているものの、その目は様子を観察しているようであった。

 何かある。自分の知らない極秘作戦か何かが。
 おそらく簡単には教えてもらえないだろう。ならばと、今朝からずっと内に秘めていた考えをぶつけよう。エドウィンは勢いよく立ち上がった。

「同盟の輪を広げる時です」

 場が、しんと静まり返った。
 とはいえ驚いて言葉も出ない、という訳ではなさそうだ。いずれも微動だにせず、あるいは小さく頷いて納得しているかのようだった。
 そこへ最初に返したのは、ロケット団のウィング提督、そのホログラムである。

『我々も同じ結論に達した』
『別に我らはイタズラに兵を死地に追いやった訳ではない。そのほとんどが失敗したのは事実だが、成果もあった。そのひとつが、ダークポケモンだ。先日の攻撃で、唯一こちらの部隊を離れなかったのが、政府軍が協定を結んでいるシャドーから支給されているダークポケモンだった』

 別の政府軍らしい軍服の男性提督から、やや聞き慣れた言葉が飛び出した。
 エドウィンも「そういう事か」と納得した上で、それに続ける。

「敵の手口は実に巧妙でした。始めに我々のポケモンを催眠念波で操り、部隊から引き離し、連れ帰る。そこで催眠を解き、今度は言葉か何かで説き伏せ、自ら人間と対峙する道を選ばせる。これなら先週リベンジャー号が催眠念波を上書きできなかった理由の説明がつく。我々の放った念波は、意思の無い洗脳状態には効いても、強い意思の力で打ち破られる程度だった」
『だがダークポケモンなら、そもそも操られる心配は無い』

 ウィング提督が続ける。

『心を持たないダークポケモンは洗脳攻撃を無力化できる。彼らには洗脳される意思も無い、シャドー団員からの命令に機械的に従うだけだ。よって無理やり連れ去られたとしても、敵に寝返る恐れはまず無い』
「皮肉ですね。反旗を翻してきたポケモン達と戦う唯一の手段が、心を奪われたポケモンとは」

 他の提督達が聞く耳を持ったかは定かでないものの、それを言ったエドウィンにはこれが人間への痛烈な皮肉に思えた。
 何故ポケモン達が自ら人間と対峙するようになったのか、その動機は分からないし、分かろうにも向こうは話し合いを要求する気配も無い。やはり、まずは勝って敵を鎮め、それからゆっくりと話を聞くしかないのだ。
 そんな事をエドウィンが考えている最中、他の女性提督が口を開く。

『しかし困った事に、シャドーは絶対にロケット団の居る同盟には加わろうとしないでしょう。今回の騒動で自分たちの優位にいち早く気付いたシャドーは、他の組織と交渉し、静観する構えを取っています』
「全てが片付いた後には、我ら同盟にしろ敵軍にしろ疲弊している。シャドーにとっては都合が良い訳ですか」

 厄介な事だ、とシャドーとの紛争の当事者ながらもエドウィンは他人事のように呟き、腕を組んだ。

「しかしダークポケモンがいなければ勝機も無い。それに、同盟に加わるよう交渉するにしても、敵が今のままセキタイタウンで黙っていてくれるとは思えませんが」
『それについては解決済みだ』

 と、ウィング提督。

『ロケット団の諜報部が、長距離レーダーで敵の動きを察知した。奴らは古代兵器を巨大艦に装備させている最中で、現在の進捗度から見て、その作業にはまだあと2週間かかると思われる』
「装備?」
『吸収と言っても良いかもしれん。とにかく連中の巨大艦が古代兵器を装備する前に、シャドーはもちろん、他の組織とも話をつけなければならない』
「戦艦の数で対抗を?」
『今や奴らは大勢のポケモンを引き込んでいる。もう手段を選んでいる場合ではないのだ』

 頭の痛い話だ。
 エドウィンは目を擦り、ソファに腰を下ろす。

「政府が話をまとめるまで、我々はまた待機ですか」
『いや』

 また別の男性提督が返し、続ける。

『そうしたいところだが、会合の話を持ちかけた途端、シャドーが対話の相手を指名してきた。誰だと思うかね?』

 もったいぶった言い方ですぐに分かった。
 分かったが、唖然としてしまった。

「……私が?」

 何も返事は返って来なかった。
 おかげで頭痛はまだ続きそうである。エドウィンは深いため息を吐いた。





 それから数日後、カロス地方の紛争も遠い地にて。
 ここは流れる水と文化が混じり合う水の都、アルトマーレ。

 太陽の輝きが町中を駆け巡る水路の水面に反射して、まるで町中に宝石を散りばめたように美しい景色が広がる午後の昼下がり。水夫らしく、やや質素なシャツの袖を捲り、小さなゴンドラを一生懸命に漕ぐ若い男がいた。
 ゴトンと音を立てて桟橋に停めると、乗せていた観光客に「足元気をつけて」と声をかけながら手を差し伸べた。

「ありがとう、とっても楽しかった!」
「どーも」

 旅立ったばかりのポケモントレーナーだろうか、重そうなリュックを背負った少年の笑顔というチップを受け取り、水夫の男はにこりと笑って返した。
 最後の客を下ろすと、ようやく肩を休められると言わんばかりに、桟橋の上で精一杯の深呼吸をした。肩をぐるぐると回し、腰を捻ってストレッチ。
 ふと見えた二対の柱。その上に立つラティオス、ラティアスの像に目を留めて、小さな声が溢れる。

「ご先祖様、今日もアルトマーレは平和ですよー……っと」

 言った傍から平和は崩れ去っていく。
 不意にバサリと何かが風になびくような音が聞こえたと思えば、水夫の視界は真っ黒に染まった。体のバランスを崩してゴンドラの中に転げ落ち、気付けば黒い何者かがゴンドラの中に倒れる自分の上にのしかかって、こちらを恐ろしい鬼のような形相で覗き込んでいた。

「ひ、ひぃぃお助け! 金ならポケットに!」
「俺が物盗りに見えるか?」

 命乞いに対して返ってきた言葉は、涙目の水夫にとって聞き覚えがあった。
 ひたすら暗そうな感じのいけ好かない声。黒いフードをかぶっているその内は見えないものの、それは彼にとって見知った間柄の相手だった。

「旦那……ミュウツーの旦那!?」
「黙れ」
「いやぁよくご無事で、へえ、あたしゃてっきりニューアイランドで死んじまったのかと! よくあっしの居場所が分かりやしたねぇ、それに水夫に化けてるのに見破られちまった。そんなに分かりやすいですかね?」
「黙れ、殺すぞ」

 フレンドリーな対応も、彼には聞く耳を持ってもらえなかった。その証拠に、ローブの袖からチラリと見える彼の右手には、濃密度に凝縮された《サイコショック》の白いオーラが宿っている。水夫、もとい情報屋ラティオスにはエスパータイプは効果は今ひとつであるものの、その拳で殴られれば骨が砕けるだけで済む筈がない事は重々承知していた。
 おかげでラティオスは子猫のように純朴な笑みを浮かべながら、すっかり黙り込んでしまった。

「貴様を探すのに何日もかかった。おかげで機嫌が悪くてな、俺の質問に正直に答えなければこの場で八つ裂きにしてやるから、心して答えろよ」

 何度も激しく縦に頷く水夫を見て、ミュウツーはフードの奥でニヤリと笑った。

「お前、モチヅキ博士の死について何を知っている」
「何って……殺されたって事ですかぃ?」

 言った瞬間、ラティオスの頬を衝撃が掠めた。ミュウツーの拳は船底に当たらず寸止めだったが、衝撃の余波で木造のそれにヒビが入り、ミシミシと軋む音を立てる。
 やべえ。旦那、本気だ。冷や汗を流しながら、ラティオスは引きつった笑みで返す。

「だ、旦那ぁ、勘弁してください……何を知りたいのか、あたしにゃさっぱりで」

 ミュウツーは決してテレパシーが得意ではない。そのような繊細な能力には長けていないのだ。しかしなんとなく相手の感情を受信する事はできた。
 ラティオスは本気で怯えているらしい、それに困惑している。どうやら一から説明しなければならないようだ。ため息交じりに、ミュウツーは拳を引っ込めた。

「1週間前、セキタイタウンでの戦闘中に俺は念波を通じ、敵とリンクした。その時俺は……いや、俺と敵は、互いの記憶が混同したのだ」
「へえ……その記憶の混同ってのは、よくある事なんですかい?」
「今まで一度だけあった。完成ミュウツーに俺の過去の記憶を捩じ込んだ時だ。同一遺伝子のような繋がりのある相手としか起こった事が無い、あるいは同じ種族だからか……何にしろ、俺は敵の記憶の中で見た。お前と話しているシーンや……モチヅキ博士が血まみれになって床に倒れているシーンをな」

 刹那、ミュウツーは見逃さなかった。
 ラティオスの目が、その目蓋が、ピクリと動いた。

「やはりな。お前は敵と繋がっているばかりか、モチヅキ博士を殺した仇にも近しい存在という訳か」

 振り上がる拳。今度は外さない、一撃で楽にしてやる、と言わんばかりの冷たい表情。
 叫ぶなという方が無理であった。

「ぎゃあああ死ぬー!! 助けてー!!」

 その叫び声でミュウツーは我に返った。
 しまった、やり過ぎた。少し脅して情報を引き出すつもりが、こうも騒がれては人目についてしまう。
 周りを通り過ぎようとしていた通行人達の視線が刺さる中、幸いにもフードのおかげで正体がバレた訳ではないものの、もはやお話にならない。慌ててミュウツーは振り上げた拳を開いて、賑やかなラティオスの口を塞ぐと。

「少し言い過ぎた、確かにビクティニの言う通り社交術を身につける必要があるかもな……どこか落ち着いた場所で話ができないか?」

 未だ刺さる人の視線に、やや控えめな声で言うも、ラティオスはうんともすんとも言わずにジト目を投げてくる。
 憎たらしいが、しょうがない。

「頼む」

 出したくない言葉を捻り出すように言うと、ようやく納得を得られたらしい。
 手をどけて、と指でさされたので、その通りに口から手をどけた途端。

「いやー参った参った、危うく死んじまうかと思いやした。ゴンドラの上は滑っちまう、皆さんも気をつけてくださいねぇ」

 起き上がって周りにそう言うと、人だかりはすぐに散っていった。

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