第7話 “海底神殿アクーシャ” (7)

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 光すら差し込まぬ深海に、今なお沈み続ける古代の遺跡。巻貝を思わせるような螺旋状の構造は、ほぼ完全に水没し、あとは海の底に辿り着くのを待つばかりだった。
 アクーシャに残された最後の空間、秘宝《海の王冠》が眠る中枢部。かつて海と心通わすために作られたその場所も、海から隔離するために氷に覆われた今となっては、海に呑まれるのを幾ばくか延ばしただけの墓場でしかない。
 まさかその墓場が、蘇生の鍵になるとは誰も思いもしていなかった。

「こ、これで外に出られるんだよな?」

 水兵の1人が、作業を終えた後で部屋全体を改めて見返してみて、腕を組みながら不安げに訪ねる。
 石灰のような素材で構築された古代の装置に、現代の技術が多少強引にも装着されて、《海の王冠》と呼ばれていたそれはおどろおどろしい異様な風体を露わにしていた。それはまるで古代のファンタジーに現代科学が寄生し、バイオハザードを起こしたように、土台のあちこちから黒い管を生やしていた。
 古代装置に刺さる無数の水晶が、未だに青く澄んだ色をしているのが奇跡に見える。

「あぁ出られる。隔離フィールドに包まれて、装置から酸素供給されるから窒息もしない」

 未だ作業を続けるチーフは、先端から細長いプラズマの緑色の炎を吐く小さな工具を手に、手術をする医師のように繊細な動作で装置に穴を開けながら、背中からの不安げな声にそう返した。
 もっとも、声の主は未だに落ち着きなく周りをキョロキョロしていたが。

「外に出たらテレポートして海の上まで出れるんじゃないか」
「海の王冠が起動したら、俺達は金色のオーラみたいな隔離フィールドに覆われるってさっき説明しただろ、外で水圧に潰されたきゃ勝手にそうしろよ」

 緊張が続いたために苛立ち気味になりながらも、つとめて落ち着いた口調を演出する。向こうもそれを察してか、一度は大人しく口を閉じてくれた。
 少なくとも、10秒の間は。

「や、やっぱり俺……」
「水兵だろ、覚悟を決めろ」
「本当はなりたくなかったんだ、水が苦手で」

 言ってる本人にも苦笑いが交じる意外なカミングアウトに、思わず作業の手が止まる。

「……どうして水兵に?」
「恐怖に立ち向かう姿って、かっこよくてモテるだろ?」

 振り返って水兵の苦笑いを見やって、チーフはため息を吐きながら作業に戻った。
 これが最後に通すケーブルだ。慎重に、血管にカテーテルを通す手術医のように丁寧に。ここが病院なら、今頃心拍を示す電子音が心地いいリズムで聞こえてくるだろうが、いかんせん此処じゃ聞こえてくるのは弱音ぐらいか。
 そんなことを考えながら、ケーブルを差し込んだ矢先の事である。別の箇所で作業をしていた水兵の1人が、チーフの傍にやってきて、囁くように耳打ちする。

「空気中の酸素濃度、更に低下。もう時間切れです」

 余計な不安を広めないための措置であったが、もうそれは避けられないのだと、チーフも報告した水兵も察していた。
 最小限の呼吸もそろそろ苦しくなってきた。もうあと何分もしないうちに目眩がして、意識を失くす者も出てくるだろう。人数が鍵のこの作戦で、動ける人数が減るのは致命的である。
 差し込んだケーブルが奥で止まると、チーフは手を離して作業をやめる。そして立ち上がり、全員に聞こえるように大声を張り上げた。

「テストは無理だ、ぶっつけ本番でやるしかない!」
「全員覚悟はできています」

 幸いにも返事はすぐに来た。年配クラスの水兵達は、ほぼ全員覚悟を秘めた視線をこちらに投げている。若年層の水兵達も今更弱音は吐けないと、苦し紛れに冷や汗を握る。
 各自すべての作業を中断して、古代装置の周りに集まってきた。それはポケモン達も同じで、すべてのポケモンがモンスターボールから繰り出されて、他の人間たちと共に円を描いて囲んだ。
 壁際でその様子を眺めているユキメノコとリッキーを除けば、人間とポケモンの総数は115。圧巻である。

「リッキー、ユキメノコ、後は任せたぜ」

 密集した人々の合間を縫って、2匹に投げられたチーフの視線と言葉。ユキメノコは「あぁ……」と返して頷き、視線を交わしてひとつの約束をした。絶対に生還するのだと。

「始めるぞ……海の王冠、起動だ」

 チーフの命令が下った。
 同時に、先にリッキーが引き抜いた水晶を抱えた水兵が一歩前に出る。それをゆっくりと古代装置の台座に差し込んでいく。カチリ、と耳障りの良い音が聞こえて、遅れて「ズゥゥン……」と何かが奥底で蠢きだすような音が響いてきた。
 次第に繋いだケーブルや装置から異音が聞こえてきた。おそらく大量のエネルギーを処理しているのだろう、計算通りならばこの次に問題なく《海の王冠》が動きだす。チーフは祈るように、唾を呑んだ。

 刹那、中枢部の部屋に暖かい光が溢れた。思わず目を瞑った者もいるが、平然と目を開いている者もいる。そしてすぐに、身体を違和感が襲った。先ほどまでの息苦しさが立ち消え、まるで空の下にいるように存分に呼吸ができるのだ。それだけではない、氷の部屋に覆われた寒さも感じなくなっていた。少し涼しい感じの、適温だ。
 それは全員が《海の王冠》に包まれた瞬間だった。人もポケモンも関係なく、金色のオーラに包まれて、そして弾けた。

 氷の壁をぶち破って、深海の中に無数の光が躍り出た。アクーシャから伸びる無数の光、ひとつひとつに人間もしくはポケモンが居る。
 突然の視界の変化にまるでついて行けず、外から間近で見上げるアクーシャの威厳ある巨躯を見上げて、ただ深海に佇む者が続出した。音もなく、自らが発する以外に光もなく、まるで宇宙空間に浮かぶような気分は、年配の水兵や水ポケモンでさえ魅了していた。

 彼らの夢気分も、異常事態に慣れているチーフによってすぐに覚まされた。「おい」という一声に我に返った水兵が、また別の水兵に声をかけ、連鎖していく。やはり彼らも軍隊らしく、統率はすぐに取れた。
 最初は暗闇の深海で点在する星々のように散在していた彼らだが、大きく4組に別れて、水面に向かうべく真上を目指す。その途中でアクーシャの真横を過ぎるが、うっすらと暗闇の中から金色の光に照らされる古代遺跡はやはり魅了してくる。しかし今度は心を奪われることなく、各チームはそれぞれアクーシャの東西南北の地点から、その上へと更に昇っていった。

 その間、ユキメノコとリッキーは穏やかな輝きを放つ古代装置の傍で待っていた。
 ユキメノコはチーフの持ってきた高性能ハンドスキャナーを眺め、現在の水深を確かめる。ゆるやかに増えていく数値に焦りを抱き、ひとつ深呼吸を挟む。リッキーはというと、古代装置の上に乗り、落ち着き払って目を閉じ、その大きな耳を時折ピクピクと動かしていた。僅かな異常も聞き漏らさないためであろう。
 暫く経って、通信機も兼ねているハンドスキャナーから待ち望んでいたものが聞こえてきた。

『アルファチーム、位置に着いた』
『ベータチーム、スタンバイ』
『ガンマチーム、定位置に着きました』
『デルタチーム、オーケー』

 続々と入ってくる水兵達の声に、ユキメノコは得意げな笑みを浮かべてスキャナー兼通信機を口元に近づけた。

「各チーム、指定の角度で引っ張り上げろ。精一杯な!」

 指示と同時に、サルベージが始まった。
 窓の無い中枢部にいるユキメノコ達から直接確認する術は無いが、外では壮絶な引っ張り合いが幕を開ける。アクーシャの下部から伸びる無数の金色の紐は、まっすぐピンと張って真上を目指した。一度張った途端に動きは無くなったが、そこにかかる力は凄まじい負荷を負っている。

 生身の人間やポケモンでは、たかが100人強の程度では巨大な建造物である古代遺跡を持ち上げるなど、土台無理な話である。しかしアクーシャの《海の王冠》は、ただの人間が使っても海中を物凄い速さで移動することができるのだ。その最高速度は電車に匹敵するものだが、《海の王冠》の限界ギリギリまでエネルギーを送っているため、パワーは飛躍的に上がった。
 すなわち、今アクーシャを100本の新幹線が引っ張りあげようとしていることに等しい。

 理論上、これで足りる筈だった。しかしユキメノコが握っているスキャナーが示す数値は、それを裏付けるものとはならなかった。

「どういうことだ、まだ落ちてる……!」
『落ち着けよ、リアクターの反応はどうだ?』

 通信機越しに届くチーフの声。
 ユキメノコがリッキーに振り返ると、彼女は芳しくない顔を浮かべながら尚も耳を澄ましていた。

「……変な音がしてるってよ」
『大丈夫、発火してなきゃ問題無い』
「それじゃあ出力を上げるぜ」
『慎重にな』

 ゴーサインが下りた。ユキメノコがリッキーに頷くと、リッキーは古代装置の脇腹に開けた大きな穴に潜り込んでいった。

「プラ……!」

 穴からの曇った鳴き声が「上げたよ」と告げる。
 古代装置の真下、足場をも支える大きな石柱から伸びる無数の金色の光の紐が、更に輝きを増していく。古代装置から聞こえてくる異音も、ユキメノコでさえ聞こえるほどに大きくなってきた。

『こちらデルタチーム、何だか息苦しくなってきた』

 通信先からの霞みがかった声に、ユキメノコは急ぎスキャナーを古代装置にかざす。
 得られた数値に「どうって事ねえ」と返しながら。

「装置の空気供給システムにパワーの揺らぎ、酸素供給が足りてねーんだ。リッキーよ、パワーをそっちに迂回して補強できるか?」
「プララ!」

 それは肯定を意味した鳴き声だった。
 すぐに通信機越しに聞こえてくる苦しげな呼吸音は、落ち着いたものに変わっていった。「ありがとう」と聞こえてきたが、ユキメノコはそれどころではなかった。

「上がれ……!」

 未だにスキャナーが示す水深数値が改善しない。先ほどよりは遥かにゆるやかになったのに、まだ落ちているのだ。
 何か、何か見逃しているんだ。重力も考慮済み、パワーも強化した、理論上でなくとも上がる筈なんだ。それなのに、何故。

『デルタチーム、何してる! 方角が傾いてるぞ!』
『そんな筈は……修正します!』

 チーム間でのやり取りが中継で流れてくる。それを聞いた途端、ユキメノコはハッと気付いたらしく、普段こそ半分閉じたような目を丸々と大きく見開いた。

「ダウンカレントだ! 下ってきた海流がアクーシャを抑えてるとしたら、この出力じゃ足りねえ!」

 叫び、ユキメノコは悔しげにギリリと歯を食い縛った。
 神殿自体が傾いていないからと油断していたが、思えばこの神殿は長く深海を航行する乗り物である、多少の海流でも傾かないよう設計されているのだろう。
 だとすれば、海流など考慮しなくても良いほど弱いと判断した時点で計算間違いを起こしたのだ。
 ユキメノコは今までのやり取りから瞬時に海流の流れの向き、強さを推測し、答えを得た。

「全チーム、角度修正、ガンマを軸に全員そっちに偏れ!」
『どうする気だ!?』

 と、チーフ。
 返ってきたユキメノコの返事は、彼の不安を吹き飛ばすほど自信に満ちていたが。

「ダウンカレントを抜け出すんだよ。ちまちま出力を上げてたんじゃパワーが足りねえ。確か、このケーブルやら回路やらで無理やりエネルギー効率を引き下げてたんだよな」
『まさか抜く気じゃないよな、もう《海の王冠》はこれ以上の負荷に耐えられないんだぞ!』

 専門家の意見その1。
 ユキメノコは専門家その2の意見を仰ぐべく、穴から顔を出すリッキーに視線を向けるも、彼女もやはり同じようだった。
 ならば無視してしまえ、どうせ本当のところは誰にも分からない。最終的にたどり着いたのは、破れかぶれの論理であった。

「私が言っただろ、リアクターに直結してる装置なら耐えられるって」
『耐えられそうって言ってた、あくまで推測の話だろ』
「そうだっけ? どのみち失敗すれば圧死か窒息死なんだ、それならこれに賭けるしかねーだろ!」

 この力説に返すことは、チーフはおろか、水兵の誰も意見を言うことはできなかった。もう引き返せない道だと、皆が理解していた。
 ならばフルスロットルで突っ込むしかないのだ。その決断に全員が一致するまで、あと一押しだった。

「信じろ、これが最も論理的な選択だ!」

 多少暴論ではあったが、説得力があった。
 数秒間。まるで永遠にも似た長い沈黙が流れて、誰の異論も無いと悟ると、代表してチーフが言った。

『リッキー、やれ!』
「プラ!」

 了解、颯爽とそう鳴いて、リッキーは小型ポケモンサイズの工具を両手に構え、手当たり次第にケーブルを切っていった。
 とはいえその選択には、彼女の専門的判断も含まれていた。最も与える負荷が軽い線はどれかを選び、最小のものから順に切っていく。そしてこれが限界だと思える最後の線を切って、彼女は止まった。

 どうなったんだ。
 それを内部から知る術は無いが、外部では最大の恐怖が全員に襲いかかろうとしていた。

『俺たちを包むオーラが消えかかってる、不安定だ! まだ上がらないか!?』

 唯一の命綱である《海の王冠》は、もう限界だといわんばかりに悲鳴をあげていた。装置の異音も高い音や低い音を交互に繰り返し、聞いているだけで不安を掻き立てる。
 それでもユキメノコは頑として意見を曲げなかった。

「あとちょっと、もう少しなんだ!」
『もういい、作戦中止だ! 全員直ちに……』

 引き返せ。
 スキャナーを見つめるユキメノコには、その部分は聞こえなかった。それよりも遥かに重大な事が起こっていた。

「上がっ、た……?」

 実際、チーフはまだその部分を口にしていなかった。彼自身、その感覚を体感していた。僅かではあるが、身体が浮かび上がるような感覚。ユキメノコの握るスキャナーが示す数値同様に、アクーシャが上がり始めた何よりの証拠だった。

「毎秒0.5メートルで上昇中、まだ上がってる」
『本当か!?』
「あぁ、あぁ!」

 チーフもユキメノコも、興奮を隠しきれずに何度も確かめ合い、そして歓喜した。それはすぐに全体に広がり、アクーシャを歓喜の渦が包み込んでいった。
 暗闇の中に光が差したのだ。

「浮上速度、毎秒およそ2メートルで安定。ダウンカレントを抜ければもっと上がるだろ!」
『やったな、成功だ!』

 チーフに続いて、水兵たちの激励の声が次々と入ってきた。おめでとう、よくやった、凄い奴だ。それらをシャワーのように浴びて、ユキメノコは至福のひと時に浸る。自分の正しさが証明された。それだけでなく、自分を含めた100の命を救った。
 雪山に篭っていれば、決して味わえなかった感覚。同時にそれは、ユキメノコから緊張の力を解きほぐしていった。

「今度私が遺跡に行きたいなんて言い出したら、止めてくれよなー」
「プーラッ!」

 未だ《海の王冠》の出力安定化という技術的問題に追われるリッキーに、「言っても聞かないでしょー」と咎められても、すっかり脱力して床に寝転がったユキメノコには毛ほども刺さらなかった。

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