第14話 正義

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 ロッソを振り切り、ひとまず追手をまいたと安心する余裕はしかしなかった。自分たちが初めて敵の目で直接認識されたという事実は重大だ。これまでどこにいるかも分からない、ともすれば町内にいるかどうかすら疑わしい、という疑惑の中で捜索を続けていた敵が、これからははっきりとこの周辺に的を絞ってくるからだ。夜がまだ長いことを考えるとこのままではいずれ見つかってしまうだろう。だがその一方で、彼らの行動を見ている限り、町を荒らしたり町民に見つかったり、という事態を避けることを最優先に捜索をしているように思える。なりふり構わなければバイクに小細工をして使用不能にしたり、施設内に集団で入って制圧することもできたのにそうしなかったことを考えると、よほど『自分たちがこの町にいる』という事実を伏せておきたいようだった。となれば、どこか厳重なセキュリティのある施設内に入ることができれば、ひとまずこの夜は明かせるということになる。そう、例えば市長の家、など。彼は昼に自分たちのことを快く迎え入れているし事情もある程度察している。自分達の訪問を無下に断るということはないはずだ。



 と、思っていたのだが…。
「すみませーーん!あけてくださーい!」
 どうやら市長宅は夜中完全に外界をシャットアウトするらしく、ミレイのドアを叩く音にも中から応える者はおらず、インターホンに至っては電源から切っているらしかった。レオは落胆のあまり半泣きになるミレイを見ながら、一方でどこか納得もしていた。それだけ防犯意識が行き届いているということなのだろう。治安がいいとはいえ、悪名高いと聞くパイラタウンとも多少行き来のある町だ。あれだけ高級な調度品を揃えたこの豪邸が防犯にいささか過敏になるのは致し方ないのかもしれない。
「仕方ない。どこか他のあてを探そう。」
 レオは市長の家からきびすを返し、コロシアムの方へと向かう。ここで時間を遣うのは得策ではない。状況は一刻を争うからだ。ロッソが人員を引きつれてくるのが先か、レオたちがどこかに隠れるのが先か。無線のジャミングはあくまで一時的なものであり、P・DAが離れると妨害電波は届かないため、恐らく今の状況はすでに追手全体の知るところになっているだろう。先ほどの奇襲はうまくいったとはいえ、二匹がほぼ瀕死状態の今、再びそう何度も難を逃れられるとは到底思えなかった。
「えー…でもここ以外に行くあてなんてないじゃない…。」
 ミレイは涙目になりながら情けない声でレオにすがりつく。
「あてはこれから探す。」
「そんなの…見つかるかわかんないじゃん。」
「ならお前は市長の家の前に一人で突っ立ってろ。」
 少し語気を荒げたレオの口調でミレイはびくっと肩を震わせた。しかし驚いているのはレオも同じだった。『なぜ俺はこんなにイラついている…?』
 少し前のレオならこんな足手まといでしかないような少女一人、思い通りにならないと見るや簡単に見捨てていただろう。自分がなぜここまでしてミレイを守ろうとしているのか、レオには分かっていなかった。
「…ばかばかしい。」
 静かに口元でそう呟きながらレオはミレイから顔を背け、一人駆け出そうとする。が、コートの裾を掴む手がそれを引き留めた。
「…お姫様だっこ。」
「…は?」
「お姫様だっこ!」
 むすっと頬を膨らませながらミレイが言う。先ほどの涙目と相まって、もう完全に拗ねた駄々っ子だった。
「…なんでそうなる。」
「…。」
 ミレイはむすっとしたまま答えない。しばらくの沈黙が二人の間に流れた。レオは額に付けていた防塵グラスをポケットに詰め込む。グラスで束ねられていた銀色の髪が揺れた。
「…ペナルティよ。」
「…は?」
「ペナルティ!お仕えしてるお姫様を怒鳴りつけるなんてどういうことよ!びっくりしたんだから!怖かったんだから!だからお姫様だっこ!それでちゃらよ、ちゃら!」
 堰を切ったようにしてこちらに突っかかってくるミレイ。もう何を言っているのだか分からない。レオは大きなため息をついた。
「お仕え?いつ王子様から執事にシフトチェンジした?」
「えっ?あ、その、うっ、うるさいわね!とにかく!お姫様はもう走れないの!だからお姫様だっこ!」
 ふと目線を落として見ると、先ほどまでの逃走で擦り切れたブーツをはいたミレイは踵をかばうようにして立っていた。レオは静かに目を閉じて、髪を一度くしゃくしゃとかきむしったが、やがて天を一度仰いだ後、ミレイに背中を向けたまま前屈みになった。
「ほら乗れ。」
「それ、だっこじゃなくておんぶ…」
「贅沢言うな。」
「…うん。」
 ミレイは足をかばいながら静かにレオの背中に体を預ける。レオはミレイを背負い直し、静かに走り出した。




 スタジアム付近に浮かぶ水球が背負うレオと背負われるミレイの姿を青く映し出す。追手はまだここからは遠いようで、周囲からは水の流れとレオの小走りの足音しか聞こえなかった。
「前も言ったかもしれないけどさ。レオっていい名前だね。」
「…。」
「なんだかライオンみたいな響き。あたし、ライオンって嫌いじゃないなあ。」
 背負われながらぼんやりとミレイが呟く。レオに向けての問いかけなのか、それとも独り言なのか。それくらいに小さな囁きだった。
「百獣の王だなんて呼ばれてさ。立派なたてがみだって持ってるけどさ。でもいつも集団で生活してるんだって。きっとライオンも一人は寂しいんだろうね。」
 聞こえているのかいないのか、レオは無表情のまま走り続ける。普段は傍らにいるエーフィとブラッキーは受けたダメージのことも考えて、今はボールに戻していた。
「…おんぶもいいな。レオの背中、あったかい。」
 ミレイはそう言いながらレオの背中に更に体重を預ける。
「おじいちゃんにもよくこんな風におんぶしてもらったなあ。」
 寝言のようにそんなことを呟きながら、ミレイはスース―と深い眠りに落ちていったのだった。






「うー…ん。何ここ。ベッド…?」
 その後数時間後、ミレイは寝ぼけ眼で目をこすりながら体を起こした。
「ん?目が覚めたかい?」
 そうミレイに声をかけたのは、彼女の知らない男性だった。ミレイはとっさに距離をとろうとする。
「その反応は実に正しいよ。君には危機感が足りてないと嘆いていた君のお連れが喜ぶ。でも安心してくれていい。僕は君の味方だからね。」
 灰みがかった色の髪を持った清潔そうな男性はそう言って穏やかに笑いながらミレイにマグカップを手渡した。
「あいにくこれしかないが…この町の水はそこらのジュースなんかよりも断然美味しいよ。まずはこれを飲んで少し落ち着くといい。」
「あ、ありがとうございます。」
 最初はおずおずと出された水を受け取ったが、飲み始めて自分ののどの渇きに気付いたらしい。嬉しそうにごくごくと一気に飲み干した。
「ップハー!ごちそうさまでした!」
「いい飲みっぷりだ。」
 男性はおかしそうに言いながらマグカップをしまう。
「さて、それじゃあそろそろ君と君のお連れの名前から、まずは聞かせてもらおうかな。彼は肝心なことは何も教えてくれなかったからね。」
 そう言って男性はベッドの傍らの椅子に座る。堀の深い顔立ちに優しそうな、それでいて力強さのある瞳が印象的だった。
「えっと、あたしはミレイっていいます。もう一人はあたしの王子様のレオです。」
「王子様?」
 男性は少し驚いた後楽しそうに笑い出した。
「むぅ。何がおかしいんですか?」
「いやいや、何でもないよ。そうか。ミレイちゃんにレオ君、だね。僕の名はセイギ。ここ、トレーナーズトレーニングセンター、通称トレトレの責任者をしている。」
 自らをセイギと名乗った男性はそう言いながらあごで部屋の片隅にあったホワイトボードを示した。ポケモンの技や状態についてのあれこれがたくさん書かれている。
「普段はああやって新人のトレーナーに色々とレクチャーしたりしているんだよ。」
「へーなるほど。先生なんですね。」
「まあそんなところだね。」
 セイギはミレイの感心したような声に照れくさそうに肩をすくめた。
「あの、それじゃあ…黒いオーラのポケモンについて何か知りませんか?」
「黒いオーラ?そういうものを持ったポケモンがいたのかい?」
「はい。あたし、それが見えるせいで変な人たちに追われていて…。」
「ほう、なんだかキナ臭い話になってきたね。よければ詳しく聞かせてもらえないか?」
 セイギに促され、ミレイが話し始めようとした時、
「その子の言うことには耳を貸さないでやってくれ。色々あって多少混乱しているようだから。」
 いつからそこにいたのか、ドアの近くにレオが立っていた。
「あ、レオ!よかった、無事だったんだ!あのね、セイギさんにもあのポケモンの話を――」
 そう言って意気揚々と続きを話そうとしたミレイをレオの目線が制する。その一連のやりとりを見ていたセイギは軽くため息をついた。
「なんだか色々と込み入った事情があるみたいだね。無理に聞き出そうとは思っていないから安心しなよ。」
「助かる。」
 静かに一礼するレオ。それでこの話は終わりらしいことにミレイは少し不服そうではあったが、ふとレオの方に視線をなげかけた。
「あたしが寝ちゃった後、結局どうなったの?」
 説明を求められて露骨に嫌な顔をしたレオは少し考えてから
「しばらくしてやって来た追手から隠れて逃げ回ってる間にこの建物の近くまで来たんだ。それから…」
「そこからは僕が話そうか。」
 レオの説明嫌いを悟ったらしいセイギが言葉に詰まったレオの後を引き取った。
「僕の方も、今夜はどうも外が騒がしいと思っていてね。グライオンを外に偵察に向かわせたんだ。するとミレイちゃんとそれを背負ったレオ君がこの建物の影に隠れているのを見つけたらしくてね。おまけに怪しいやつらがそこらじゅうをきょろきょろしながらうろついているらしいじゃないか。これは二人が追われているんだろうとすぐに思ってね。とっさに中に招き入れたわけだよ。」
 セイギは言い終えてから『これでどうだい?』とでも言うようにレオを見る。レオは静かに頷いてそれに応え、更に口を開いた。
「助けてもらった身でこんなことを聞くのは野暮かもしれないが、俺たちが悪党、という可能性は考えなかったのか?」
「君たちを追っているらしきやつらの中に見知った顔があってね。ゴロツキのマサという男なんだが。やつはパイラタウンを中心に色んなところで厄介ごとを起こしている札付きの悪党なんだよ。この町でも何度か強盗やら暴行やらをやらかしていてね。まあなかなかに困った男なのさ。悪党かどうかどちらとも判断しがたい追われ者と明らかに悪党の追手。僕がどちらの味方をすべきかは明白だったよ。」
 セイギはそう言って一通りの説明を終えると、やにわに持っていたボールを投げる。中から飛び出してきたのはマリルリだった。
「とりあえず今日はここで休みなさい。いくつか空いている部屋があるからそこで過ごすといい。僕はもう少し明日の作業があるから場所はマリルリに案内してもらってくれ。マリルリ、いいね?」
『はいですー!』
 マリルリはいかにも可愛らしい『声』で元気よくそう言うとびしっと敬礼する。ミレイが目をハートにしている。まったく分かりやすい反応だ。
『それじゃ、お二人付いて来るですー!』
 ぴょこぴょこと跳ねながらマリルリは建物の奥へと進んでいく。ミレイはもうマリルリに夢中の様で、先ほどまでの緊張はどこへやら、嬉しそうにマリルリに付いて行った。



レオもため息をつきながらそれに続こうとして、ふと一度セイギの方に振り向いた。
「正直、俺はお前を『いい人』だとは思えないな。『不用心な男』だと思う。朝になったら俺は金目のものと一緒に消えているかもしれないんだぞ?」
「その時はその時さ。」
書類のようなものに向かいながらセイギは答える。
「さっきの黒いオーラの話だって明らかに怪しげな秘密なのに。なぜ隠し事のあるような見ず知らずの人間をこうも簡単に家に招き入れる?」
 レオは切り込むように問いかける。
「信頼しているからさ。」
「今まで会ったことのない人間をか?」
「人間誰しも最初は初対面さ。それに、信頼なんて最初は一方通行で身勝手なものだよ。」
セイギは椅子をくるりと回し、座ったままレオに向き直った。そして穏やかにほほ笑む。
「信頼だけじゃない。好き嫌いもそうだし善悪もそうだ。僕の名前の中にある正義だってそういうものだよ。始まりはいつだって自分のわがままからだ。」
 ペンをくるくる回しながら静かにレオに語る。
「そのわがままに基づいて僕が行動した結果、君が色んなことを思う。君の感情によってその行為の評価がなされ、君によって行為に適当な名前が付けられる。ただそれだけのことなんだよ。今回、僕から発した信頼を君は不用心と捉えた。僕はそこに何の疑問もない。」
「…。」
「また同じようなことが起こったとしても、僕はやっぱり同じように誰かを助けると思うね。誰かの思うことなんて操作できない。だったら自分の思う信念?正義?好き嫌い?みたいなものに従って行動していたいと僕は思っているから。」
 セイギはそう言うと少しいたずらっぽく笑った。
「君はなんとなくこれから色々と大変なことに巡り合いそうな気がするからね。迷ったら自分の思う方へ。旅の前の、先生からのちょっとしたアドバイス、といったところかな。」
 そう言うとセイギは大きく伸びをした。
「まあなんにせよ今日はもう寝た方がいい。なんせ君は王子様なんだから、明日もお姫様の面倒を見る体力を回復させておかないと。」
「あいつはまた余計なことを…。」
 レオは恨みがましそうにミレイの消えて行った方を睨んだ。そしてセイギに視線を戻し、無言で一礼した後、きびすを返して部屋の方へと戻って行った。セイギはぼんやりとその後ろ姿を眺めながら


『まさかアワブキ博士のご子息とこんな形で会うとはねえ。』


 そんなことを考えていた。

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