No.1 ノーノット地方

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 他の地方よりも比較的北に位置する地方、ノーノット地方。地方全体がシンオウ地方のキッサキシティやガラル地方のキルクスタウンよりも非常に寒く豪雪地帯で有名なところだ。この地方のほとんどは針葉樹に覆われ、カラフルな花の『は』の字も無い、一面銀世界の過酷な地域。神の気まぐれか厚い雲に覆われることの多いこの地方だが、時折ではあるものの、世界一に匹敵すると言われるほどの美しいオーロラが見られることでも有名だが、しかしこれもまた神の気まぐれ、日の光が差すことが稀にしかない、薄暗い地方としての側面が強かった。

 そんなノーノット地方に、仕事上の都合でこの地へ来ざるを得なかった母と共に越してきたのは、イッシュ地方出身の少女、クロエ。そしてクロエの相棒のフタバ、オスのモンメンだ。名前の由来は葉が2つあるからという極めて安直なもの。クロエにネーミングセンスはなかった。

 ノーノット地方は岩や雪、そして厚い雲に覆われた地方であり、はがねタイプやあくタイプ、そしてこおりタイプがほとんどを占める。そのため太陽や風を味方として戦う草タイプのモンメンとは相性が悪いだろうなと、クロエはわかっていた。だからこんもりと雪で覆われた新しい家からそれほど離れないようにと、すぐ目先の草むらでバニプッチたちと手合わせをしたのだ。何かあってもすぐ自宅に戻れるように、と。


 すっ、と目を閉じ胸の前で十字架を切るクロエ。クロエは今では珍しいクリスチャンだった。古びた何代も前から使われている古びた聖書を持ち、洗礼も済ませてある彼女だが、詳しいことはここでは割愛だ。クロエの目に浮かぶのは諦観。死を覚悟した目だった。ふう、と息を吐く彼女に「もッ、もんんんんん!!」と慌てた様子でモンメンのフタバが鳴く。バカな真似は止めろ、と言わんばかりの鳴き声だった。パートナーが死ぬ気なのだ、必死にもなる。じたじたと葉で薄く雪の積もった地を叩く。

「いやいや、フタバさん。これもう無理でしょ……」
「もんッ!! もんもーッ!!」

 暗く浅い洞窟に、少女とモンメン。ついでに先程手合わせをしていたバニプッチたちが数匹。外は猛吹雪で視界は最悪。体重の軽い彼女たちなら簡単に吹き飛ぶほどの暴風だった。あなぬけのひもを使うまでもない、洞窟の最深部と言えるほどでもないが、最奥に居ても容赦なく体温を奪っていくほどのもので、入口付近には風で吹き込んできた雪がもうずいぶんと積もってきている。目先が新居であったはずだが、越してきたばかりの土地勘のないクロエたちには、もうどこにいるのかも分からない。家のすぐそばだからと油断し、なにも持ってきていないのが裏目に出る。防寒対策は必要最低限、連絡手段もないまま、クロエたちが洞窟内に籠城して1時間が経過しようとしていた。


「……はあ」
「もん……」

 当然、モンメンでもバニプッチたちでも火は起こせないし、何より火種になるものがない。衣服を燃やす訳にもいかないよなあ、と物騒なことを考えるクロエ。隣で呑気にぷちぷちと鳴きながら戯れるバニプッチたち。完全に手詰まり状態だった。モンメンのフタバの綿毛で遊ぶのも何分続けているのかクロエにはわからなかったが、そろそろ飽きてきたことだけは確かだ。

 できる限り温めた息を手に吐く。バニプッチたちはもちろんのことだが、ポケモンであるフタバには寒さへの耐性あるようだが、クロエはそうではない。彼女の思考は寒さのこと以外を考える余裕がなくなっていた。しかしパートナーを心配させるわけにはいかない。家に帰るまでの辛抱だと気を張り、彼女は努めてのんびりと「雪、止まないねえ」と呟いた。



 きらり、と雪風の奥で何かが瞬く。



「……ん、え」
「も? もんんー?」

 もそもそとクロエが丸まった体勢に変え、しばらく経った頃だろうか。ぼんやりと宙を、雪の流れる外を眺めていたせいか、確認出来たのはクロエだけだった。外は変わらず猛吹雪で視界はおよそ数センチだろう。にも関わらずはっきりと光って見えたそれはなんだったのか。モンメンのフタバの前では気丈に振舞っていたが、すでに低体温症になりかけた身体では、意識が朦朧としていたクロエにはなんだったのかと思考できるほどのものはなかった。

 光る筋のような、鱗のような角ような、それでいて丸みを帯びているようで、鋭さも確かにあるような曖昧なそれは、誰の目にも映ることのないはずのもの。それがクロエに認識できたということは、何の意味があるのか。もたらすのは幸か不幸か、その枠組みに当てはまらないほどの大きな禍か。



 それは誰にも分からない。
 何せ、見たのはクロエ唯一人なので。



 ごお、と音を立ててさらに強まる風。洞窟内にも吹き込む大量の雪。その雪によって居場所がなくなったバニプッチたちが寄るせいで加速するクロエの低体温症。

 彼女がぎゅっと目を閉じ、洞窟内の壁にぐったりと背を預けているとモンメンのフタバが気付いた頃には、クロエの身体は震えひとつ無くなっていた。瞼を開くことすらままならない、無きに等しい体力。フタバの叫ぶ声がクロエに聞こえないのは暴風のせいか、それとも低体温症のせいか。彼女がまずいと気づいた頃には、自身の身体は言うことを聞かなくなっていた。

「……、ごめ、ん……フタ……」

 掠れたクロエの声が彼女の口内に僅かに響く。それが聞こえたのか、聞こえずともそうしたのか、フタバが慌てて擦り寄り、少しでも暖めようと必死になる。クロエの身体が傾き、ついに地に接した。フタバの表情が強ばり視界は歪む。

「ももッ!! もんもッ!!」

 フタバは自らに鞭打って声を張った。諦めなかったのではない。フタバは認めたくなかったのだ。到底認められることではなかった。

 パートナーであるクロエの存在は、もうずっと知っている。生まれたばかりの小柄なフタバが群れからはぐれ、木に引っかかっていたところを、今よりも小柄だったクロエが助けて以来、ずっと一緒だった。

「ぷ?」
「ぷ! ぷーち!」
「ももんッ!! もーもッ!!」

 一緒にごはんを食べた。一緒のベッドで眠った。お風呂も一緒だった。フタバにシャワーを掛けたらで綿毛がぺしゃりと萎んで酷い姿になった時も。翌朝起きたらフタバがベッドを占領しクロエは床に落ちていて彼女が風邪をひいた時も。こっそりクロエの嫌いなにんじんをフタバに与えてママに怒られ、フタバは震え上がり、クロエは渋々もそもそと食べた時も。全部全部全部、一緒だったのだ。

「もッ!! もーもんもッ!!」

 フタバの涙が凍る。涙は地を濡らすことはなく、吹き込む風で簡単に吹き飛んだ。風が弱まる気配はない。むしろさらに強まる一方。雪ですら止まなかった。


 強まる。強まる。強まる。


「……ッも、……も、ん……」


 強まって、強まって、強まって。










 ――す、と一瞬で雪風が止んだ。

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