サナ

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 サオリが重々しい鋼鉄の扉を開く。落下の衝撃で崩れ落ちた瓦礫が辺りに散らばっており、古い砂塵の匂いが鼻をつく。
 玉座の間だ。
 眼前にはガラル王の座する深緑の玉座があり、そこには一人の少女が座っている。アローラのマスターだった。そして、その背後には、巨大な試験管のような容器があり、そこに培養液のようなものが浸されており、中には、ガラルのマスターが居た。

「……ガラス玉ひとつ落とされた。追いかけてもうひとつ落っこちた。ひとつ分の陽だまりにひとだけ残ってる」

 少女の声がする。
 サオリの視線と私の視線が同時に声の主へと移る。少女はこちらを見ながら何かの歌を口ずさんでいた。コウタローの好きなバンド、ワンオクロックの歌だろうか。
 しかし、少女の鋭い視線は私を捉えて離さない。私も真っ向からそれを受け止める。目の前のこれは、ただの少女などではない。神に等しい存在。

「存在が続く限り仕方無いから場所を取る……ひとつ分の陽だまりにふたつはちょっと入れない」

『マスター、私は貴方を止めます。きっとそれが運命だから』
「サナ。“運命”なんて決して信じては駄目だ。人生は自分で決めるもの。いいな?」
『人生は自分で決めるもの?』
「人生は自分で決めるものだ」

 私とサオリのやりとりに、少女は口角をあげる。一挙一動に目が離せない。油断してはならない。

「ガラス玉ひとつ落とされた。落ちた時何か弾き出した。奪い取った場所で光を浴びた……ねえ、私たち、もう会わない方が良いって言ったよね」

 そして、少女は立ち上がり、私に向けて、サイコキネシスを放つ。エスパーに向けて、あえてエスパータイプの技をぶつけてくる。

「ミライドン、コライドン、相手してあげて」

 システム権限を駆使して、何も無い空間に穴を開け、そこから2体のポケモンを呼び出す。

『そんな事どうやって……』
「目に映るものだけに惑わされるなサナ。そうだな、自分が起きてるのかまだ寝てるのか、よく分からなくなる感じってあるか?」
『どういう意味ですか?』
「夢から起きられなくなったとしたら、どうやって夢と現実の世界の区別をつける?」

 飛び出してきたのは、未来と古来を冠するポケモンたちだった。紫色のメタリックなボディのミライドンが私に向けて飛び掛って来る。それを迎え打ったのは、ロトの剣を携えたザシアンだった。
 間髪を入れず、赤色の原始的な外見のコライドンが飛びかかってくる。この攻撃を紡いだのは、千年アイテムと呼ばれる千年の盾を展開したザマゼンタ。
 ロトの剣、千年の盾。データに無い伝説の武具を身につけたデタラメな2体は、瞬く間にコライドンとミライドンを葬り去る。あまりに強すぎる2体を見て、アローラのマスターは眉間に皺を寄せる。

「そのザシアンとザマゼンタ。相当実ってるね。外でストリンダー達とやった時とは比べ物にならない。お遊びはここまでにしとかないといけないか……」

 システム権限を駆使しようと右手を上げたところを、凶弾が掠める。銃を撃ったのはサオリだった。
「モブ風情がなぜ、私に傷を……?」
「私はサオリ。この虚無世界マトリックスにおいて、不可能を可能にする女。忘れるな、私が見せるのは真実だ。純粋な真実だ」
 弾は掠めただけで大怪我にはなっていないが、アローラのマスターはひどく焦っていた。
「だが所詮はただのモブ、貴様の時間も止まっておけ!」
 サオリに向けて何かを放つように右手をかざす。指先に出現したのは拳銃だった。いくつもの銃弾がサオリの身体に向かったと感じた瞬間。
 世界がスローモーションになる。
 サオリは上半身を仰け反らせ、地面と平行になる。その上を銃弾が空気を切り裂きながらスローで跳んで行く。
「どうやって避けた?」
この世界マトリックスで、私の強さや速さが筋肉と関係があると思うか? その空気は、おまえが呼吸しているものか?」
 そして、私の方に視線をやる。これは、私に向けて言っているのだ。
「君にその時が来たら、かわす必要などないと言いたいんだ」
 そして、確実に私の方に向き合い、言う。
「なあ、サナ。死にたくなければ疑うことだ。何事も、そして何人も信用するな。時には己の存在さえ疑え。重要なのは、仮説と検証だ。自分の凝り固まった主観で仮説を立て、それが正しいか検証することで事実へ繋げていく。真実なんて、どうでもいい。事実を見ろ。真実は一つ? 馬鹿を言え、一つなのは客観的に観測できる事実のみだ」
 サオリはこのセリフを以前にも私に向けて言っている。一字一句違わずにセリフにしたという事は余程重要なことなのだろうと理解できる。
「サナ。残念だが、この世界マトリックスが何かということを誰も説明できない。自分で見るしかない。だから行くんだ、現実の世界へ」

 耳を傾けているのがいい加減馬鹿らしくなったのか、アローラのマスターがサオリに歩み寄って来る。

「……現実はここだよ? 数多ある平行世界のひとつ」
「現実とは何だ? “現実”をどう定義する?」
「あはは、理解できないモブは可哀想だね。自分の目線でしか見えてないんだから」

 反論したサオリに対してアローラのマスターはそう言うと、空間から次々と見たことの無い形状のポケモンを呼び出した。すべてメタリックなボディをしている。

「テツノワダチ、テツノツツミ、テツノカイナ、テツノコウベ、テツノドクガ、テツノイバラ……みんな、未来の世界の不思議な不思議な生き物さ」

 どうやらこれらもポケモンであるらしい。しかし感情を一切浮かべない機械のようなポケモンたち。果たしてこれは生き物と言えるのだろうか。
 鉄の、とその名に冠する未来のポケモンたちは、一斉にサオリに飛び掛り、サオリの身体をぐしゃりと叩き潰した。最強の傭兵の、呆気ない最期だった。

「まあ、こうなるよね。ポケモンは恐ろしい生き物だから。この時間この場所には、未来ある若者の経験のため、その恐怖を教えてやろうという酔狂な初心者狩りのタクシードライバーも居ないからね。残念なことに」

 アローラのマスターはそう述べる。私の知る由もないが、それは何処か繋がっていないはずの、別の世界の物語の何かなのだろう。もしかしたら、度々出てくるパルデア地方とやらと何か関係があるのかもしれない。

「さあ、終わりを始めようか。始まりがあるものには全て終わりがある」

 アローラのマスターは少し悲しそうに私を見つめる。私の周囲には、鉄のポケモン達がズラリと取り囲み、私を標的にしていた。一斉に攻撃を仕掛けられると、間違いなく私は落ちる。
 覚悟を決めた瞬間だった。

「全ての雑念、感情を捨てろ。恐怖心、疑心、不信……全てだ。とにかく心を解き放つんだ。全て心が現実化する 、心と肉体は1つなのだ」

 死んだはずのサオリの声が響き、周囲の鉄のポケモンの身体がぐにゃりと歪んだかと思うと、それが銀色に溶けていき、人間の形に変わっていき、やがて、サオリへと変化した。

「ここに奴らは存在しない。その鳴き声を聴くと、マトリックスが信号を送り、奴らが実際にここに居ると錯覚させる」

 次々と鉄のポケモンを素手で叩き潰し、サオリはガラルのマスターの収容された試験管へと迫る。ガラス面に拳を突き立て、サオリは叫ぶ。

「頭で考えるな、ただ知れ! 無心になって、心を解き放つんだ、サナ! 脳が作り出した虚像の世界、それがマトリックスだ! 」

 サオリはマトリックスと叫び、間髪を入れずにそれに向けて、慌てて右手をかざすアローラのマスター。

「私ができるのはドアを見せることまでだ。君自身が中に入って行かなければならない。真実を知るために! 考えずに、知るんだ……君にその時が来たら、エスパーである必要さえない。ポケモンという殻に閉じこもる必要などないんだ――」

「うるさいよ。管理者権限によってDELETE。そのまま上書き保存」

 ニヤリと口角をあげたままサオリはこの世界から消滅した。サオリが消えた後には、ちぎれたムゲンバンダナが転がっており、今度こそ、その姿を二度と表すことはないだろうという確信があった。

「私の持つ管理者権限の方が、より厳格にシステムアルセウスに関与できる……この勝負、初めから決まっていたのよ」

 アローラのマスターが言った瞬間、何かに気づき後ろを振り返る。それは、先ほど、サオリが無防備な背中を晒してでも攻撃した試験管があった。
 強化ガラスにヒビが入っていき、培養液の中のガラルのマスターが目を開く。試験管が弾け飛び、飛び出したマスターは叫ぶ。

「我が名はユウナ! 東の果てよりこの地へ来た! そなたはアローラの地に君臨すると聞く、初代アローラチャンピオンか?」

 少女はそう言って、“役割”を名乗る。この前向上は人気ジブリアニメのパロディだ。呆気に取られた顔で言葉も出せない様子のアローラのマスターを無視し、
「君の名は?」
 少女は私に視線を送る。それはきっと、私の口から言わせるためだろうと理解できた。

「言ったんだ。あなたが世界のどこにいても、必ずもう一度会いに行くって。大事な人、忘れたくない人、忘れちゃダメな人……だけど、いつの間にかあたしはガラルチャンピオンの役割に押し込められて。だから、教えて。君の名は……君の名前は!?」

 記憶はしっかりと戻りきらない。しかし、私は感覚で理解していた。目の前のガラルチャンピオンは私の主人などではなく、アローラチャンピオンも違う。私は、私の名前は――!
 深呼吸ひとつ。
 胸元のペンダントを外し左手に握りしめ、天高く掲げる。

「我が名は……サナ!」
 そして叫ぶ。
「サカキ・サナ! サカキ・ユウナの姉! この世界の外よりここにやって来た!」
 瞬間、世界が揺らぐ。
 私とアローラのチャンピオン――否、サーナイトのサナの身体も揺らぐ。
「サーナイトのサナ、これはあなたの役割、あなたの物語!」
 視界が瞬間、ホワイトアウトする。眩い光が徐々に薄れていき、先程とは異なる場所に私は居た。ナックル城の玉座だ。
 ――サイドチェンジ。そう。これは、ダブルバトルにおいて有用な技だった。それを精神面に適用したのだ。
 自身の右手を見てみるが、青いサーナイトの手ではなく人間のものである。成功だ。
 
「佐奈おねえちゃん……おかえり」
 駆け寄り抱き締めるのは、妹の佑奈だった。鮮明に記憶が流れ込んでくる。佐奈として生きていた頃の私の記憶が。
 佑奈は私の実の妹ではなく従妹だ。芳江おばあちゃんには、二人の娘が居て、それが私のお母さんと佑奈のお母さんだった。
 ふたつの家族は仲が良く、まるで姉妹のように育った私たちは、皆で旅行に行ったときに、両親を全員亡くした。その後、引き取ってくれたのは、芳江おばあちゃんだった。私たちは姉妹として新たなスタートを切り、おばあちゃんは、一人で私たち姉妹を育ててくれた。
 佑奈、私の愛しい人。目の前のガラルチャンピオンの仮面を被った少女が私にとってかけがえのない、大切な肉親であることをひしひしと感じる。こんな大切な存在を私は忘れていたのだ。
「佑奈……ごめん、今までごめんね」
「ううん、いいの。いいの……佐奈おねえちゃんが帰ってきてくれたならそれで」
 そうやって笑う顔を見て、次々と失われていた記憶のピースが埋まっていく。
 何故この少女にひどく愛しい感情を抱いたのか。それは抱擁ポケモンのサーナイトだからという理由ではなかった。ポプラにしてもうそうだった。似て異なるが、あの気配、雰囲気は芳江おばあちゃんだ。
 私がこの世界に居ながら、持っていた知識。それは知能の高いサーナイトとしてのそれだけが理由では無かった。佐奈として生きてきた今までの全ての経験が、忘れていても、どこかに宿っていたのだ。
『こんな、せっかく、その役割をもらったのに、私はまたこの姿に……』
 そうテレパシーを発するのは先程まで私だったはずの色違いのサーナイトだった。
 色違いのサーナイトは感情が追いついていない様子で、瞳からは光が消えていた。その全身を暗いオーラが立ち込めている。
 青いサーナイトはおもむろにテレポートを使う。瞬間それを理解した私はザシアンとザマゼンタに咄嗟に視線を送る。それはひとつの指示だった。指示どおり、ガラルの生ける伝説たち――ザマゼンタは私を、ザシアンは佑奈の服の裾をくわえ、玉座の前から地面を蹴った。

 ちょうど、玉座にあたる位置に、青いサーナイトが立ち塞がる形になる。
 それと対峙するのは、ザマゼンタを従えた私と、ザシアンを従える佑奈だ。

『佐奈……いつまでもこの世界に居れば良いのに……定められたプロットの中で、与えられた役割をロールだけしてれば良かったのに……キャラが突然動き出したなんて、実力のない作家が言うようなことをするな……』

 サーナイトのサナが感情の宿らない声音で言う。その言葉の意味することを今の私は強く理解できる。
 この世界はシステムアルセウスによって作られた世界。与えられたプロットの付与されたナンバリングの物語のひとつ、第八世代の物語を私はなぞって生きていた。与えられたまま、指示されるままに生きていた。

「サナ。私はそういうわけにはいかないの。私は私を取り戻した。これからは、榊佐奈として生きていく」

『貴様はまた私を、私を捨てるのか!?』

 サナは激昂し、手に握りしめていたものを天に掲げる。それは、先程まで私がサーナイトの身体に宿っていたときに手にしていた、リングのとおされたネックレスだった。リングにはメガストーンが装飾として埋め込まれていた。それは第6世代や第7世代ではサーナイトナイトと呼ばれる、この第8世代のガラル地方においては廃止されたシステム。
 しかし、サナはその恩恵を受け、姿を変えていく。それは同時に、第8世代のルールであるキョダイマックスと混じり合い、歪な形、ひとつのバグとしてこの世界に具現化する。
 巨大化したサーナイトのサナは、ナックル城の玉座の間の天井を突き破り、崩れ落ちる瓦礫は私の意志をそのまま反映させ、千年の盾を展開したザマゼンタによってシールドされる。
 崩れた天井からは空が見えた。空には暗雲が立ち込めており、それは、まるでマックスレイドバトルの様相をしている。
 メガシンカし、キョダイマックスしたサーナイトは、私と佑奈を見下ろしていた。その姿はまるで白い花嫁衣装のような外観をしていた。以前、私も経験したことのある形状である。
 巨大な敵に対して、こちらは通常行われるレイドバトルのように四人も居ない。この世界では、もう動ける人間は私と佑奈の二人きりしか居ないのだ。

▼サポートの トレーナーは さんか しません。

『私を……私を捨てるなァァァァ!』
 巨大な花嫁は、私たちを見下ろし、両手を広げ、猛々しく叫び声をあげた。それはマックスレイドバトル開始の合図だった。

▼サーナイトが あらわれた!
 
 私と佑奈は二人であっても、立ち向かえる。隣に立つ佑奈見ると、彼女も力強く頷く。そうだ。どんな相手だって、私たちは立ち向かっていける。

▼ゆけっ! ザシアン!
▼ゆけっ! ザマゼンタ!

 私はザマゼンタを繰り出し、佑奈はザシアンを繰り出した。

▼サーナイトに ふしぎなバリアが できて あらゆる こうげきから みを まもる!

▼ザシアンの ロトのつるぎが ひかりをはなち すべてをきりさく!

 ザシアンの特性は“ふとうのつるぎ”のはずが、このフォルム特有の特性が発動していた。最強の剣と言われる所以である、伝説の勇者ロトの力がザシアンの全身に宿る。
 初手から発せられるバリアに対し、佑奈はザシアンに攻撃を命じる。口に構えたロトの剣が聖なる輝きを発し、巨大な剣撃を巨大サーナイトに与える。

▼きょうれつな いちげき! ふしぎなバリアに おおきな そんしょうを あたえた!

 初手バリアという困難な場面にも関わらず、通常は何度も攻撃を与えなければ砕けないはずのバリアに、先手を打ち一撃で破壊するザシアン。
 この世界からは遥か遠く、作品の異なる別のゲームでは、伝説の勇者の称号であり、古の昔から邪悪なる魔王を滅ぼしてきた勇者の血脈ロト。そのロトの剣を身につけたザシアンは、さながらロトの勇者の如く、その力を存分に発揮していた。

『お前は私を捨てた……』

 キョダイマックスしたサーナイトのサナは、私に向けて呪詛を吐く。記憶の戻った今だからこそ、私は理解していた。オーレからホウエン、カントー、ジョウト、シンオウ、イッシュ、アローラ……数々の地方を超えても、マスターたる私は姿形は異なっても一緒だった。その事をサナは理解していない。

「違う、サナ!」
『何も違わない!!』

 サナは何やら念じ始める。すると、サナの頭上に宝石で作られたような妙なハートの形をしたオブジェが出現する。それは、この世界が次にアップデートされ、搭載されるはずだった機能のテラスタルだと、記憶の戻った今の私は理解していた。
 そして、天高く両手を掲げる。発動したムーンフォースが専用技となる。空はみるみる夜の顔へと変わっていき、夜空に浮かぶのは巨大な満月だ。
 この場面を私は深く記憶していた。以前、未来の世界からやってきたという、メルメタルの姿をしたターミネーターとの一戦でこの技を私はこの身をもって体験していた。サーナイトとしてのサナとして歩んできた私と、そのマスターとして共に闘ったガラルチャンピオンだった佑奈は次の展開を予知できている。
 ――“キョダイマンゲツ”、ムーンフォースの変化した、キョダイマックスしたサーナイトの専用技は、不思議な追加効果があり、得たい結果を導き出すよう、強引にそこに至る過程を捻じ曲げる。エスパーの未来予知と、月の力が合わさった奇跡だ。

「ザマゼンタ!」
 叫ぶだけで、ザマゼンタは私の意志を理解し、自身のタテガミと一体化している真紅の盾を大きく展開させる。額に刻まれた黄金の眼が怪しげに輝く。遥か別の世界、異なる作品の“遊戯王”では千年アイテムと呼ばれる古代エジプトの神秘の力の宿ったそれとは、実は異なるという謎めいた設定を持つ“千年の盾”は、しかし、その説明として、『古代エジプト王家より伝わるといわれている伝説の盾。どんなに強い攻撃でも防げるという』と、フレーバーテキストに記載されていることを私は知っている。

▼ザマゼンタの せんねんのたてが あらゆる こうげきを ふせぐ!

 先程のザシアンと同様に、この世界の理から外れた特性“千年の盾”が発動する。
 ザマゼンタに標準を合わせ、その弱点であるフェアリータイプの選択されたキョダイマンゲツは、フェアリーテラスタルの恩恵を受け、タイプ一致となり襲いかかってくるが、最強の盾と呼ばれる千年の盾はそれさえも防ぎ切る。

『馬鹿な……私のキョダイマンゲツが何故……』
「サナ、聞いて。あなたには、俺ルールの特性は発動しないの。なぜなら、私はさっきまでのあなただったから。あなたとして旅を続けてきたから理解した。あなたも、私として過ごした時間のなかで何か気づいたことは無かった?」

 サナは一瞬迷う素振りを見せたが、上空に再び手を掲げる。また同じ技か、と身構えた瞬間、サナは叫び声をあげた。

『ムゲン、ダイナァァァァァァ!』

 この世界のウイルスと化し、システムを侵食していたバグは、暗雲の中から姿を表す。それは、まるで巨大な手のひらの様であった。それがそのままサナを掴むように天から降りてきて、サナの身体に乗り移る。サナはみるみるうちに、その姿を漆黒の姿に変えていく。それは以前、私がガラル収容所潜入時に黒塗りにされた時とは異なる、本当の意味での“ 漆黒の夜ブラックナイト”の様相をしていた。
 ――ムゲンダイマックスのすがた。
 きっと、それはこの世界に存在しないフォルムだろうと理解した。

『今さら、今さら……私はどうすれば良いか分からない、戻れない! あの頃には帰れない!!』

 禍々しい暗闇を纏ったサナは、胸の黒く澱んだ輝石にエネルギーを集中させる。これは、キョダイマンゲツを組み合わせ、フェアリータイプに変化したムゲンダイビームだと理解した。
 今のサナのタイプはまずドラゴンではない。頭上にまだ、ハートの形のテラスタルが輝いている。
 無限の力を得た巨大サーナイトの一撃は、それでも私たちに届くことはない。

「ザマゼンタ! 千年の盾ですべてを防いで!」
「ザシアン! ロトの剣ですべてをなぎ払え!」

 ポケモントレーナー特有のオーバーな手の動きを添えて、私と佑奈はそれぞれ指示を出す。
 千年の盾はムゲンダイビームの力を跳ね返し、それはそのまま、サナの身体の輝石を貫き、間髪を入れず、ロトの剣がその胸を斜めに切り裂いた。
 ムゲンダイナはサナの身体から黒い蒸気となって空に上がり始め、同時に空を覆っていた暗雲は完全に消し飛んでいた。ロトの剣を掲げ、雄叫びをあげるザシアン。それはさながら、竜王の手からアレフガルドの地に光を取り戻したロトの勇者のようであった。
 ムゲンダイナだった破片は輝きながら風に乗ってどこかへ流れていく。その先を視線で追うと、闘いの最中にいつの間にか移動してしまっていたらしく、あの廃墟のマクロコスモスの研究所があった。マッシュたちアバランチが爆破した、魔晄炉のある施設だ。その魔晄炉が完全に姿を覗かせていた。そこへ吸い込まれるように分解されていく。

『ど、ういうこと……』
 息も絶え絶えに、元の大きさに戻ったサナは、先程の黒い色でもなければ、色違い特有の青い色でも無かった。緑のサーナイトとなったサナは地面の上に崩れ落ちる。

「私の現在保有する権限で、ウイルスを駆除したの。一緒に施された改造も解除されて元の緑色に戻ったようね。管理者権限にはこういう使い道もあるって咄嗟に理解したの」

 私はここではない、外の世界で、おばあちゃんの仕事をすぐ傍で見てきた。だからこそ、ある程度思うままにシステムアルセウスを行使することが出来ている。

『管理者権限は私に……』
「ううん、今は私にある。だって、あなたが私で、私があなただったから」

 目の前の死につつある色違いのサーナイトは、先程まで私と入れ替わっていたサナ自身だ。そして、アローラの主人公の姿をしているこの身体は今は私の依代である。簡単な話で、入れ替わった当初から、この世界の――システムアルセウスの管理者権限は私に移行していた。

『だからキョダイマンゲツは、中途半端だったわけ……ゴホッ、ゲホッ』
 瀕死の状態の緑のサナに私は駆け寄り、抱きしめる。
「サナ!」
『抱きしめるのは、サーナイトの仕事……なのに……』

 私は管理者権限を用いて、サナの体力を回復させようとした。しかし、サナはそれを留める。

『今、瀕死になって、それでもなおあなたが愛おしい。本当は分かっていた。だけど、あなたの現実世界の身体を借りて、システムに不正アクセスした時から引き際が見つからなくなった』

『お願い、もう一度、これを……あなたの、あなたたちの冒険にもう一度、私を……』

 そう言って、白い身体の隙間からマスターボールを取り出す。私が宿っていた頃にコウタローから預かったマスターボールだった。

『たくさんのリボンの数が、たくさんの思い出の証。その数だけの物語があって、次の旅に出かけて……佐奈から佑奈に託された時、私は捨てられたと思ってた……でも、佑奈も私を大切にしてくれたし、佐奈も一緒に見守ってくれてた……それは、この世界に生きる目線だけでは気づけなかったこと……世界を俯瞰するプレイヤーの目線で初めて理解した……』

 ひらりとめくれたサナの純白のワンピースのようなその隙間からたくさんのリボンが見えた。そして、ナショナルリボンに目が止まる。ナショナルリボン、すべての困難を乗り越えた証。たくさんの冒険をして、たくさんの経験を経て、全ての困難をサナは私たちと共に歩んできた。

『回復はさせないで……通常の、普通のルールで……どうかこの世界の理に従って、私をゲットして……』

 そう言うと、色違いではなくなったサナはマスターボールを私の手に握らせた。

▼サーナイトが よわっている! いまなら ボールを なげる チャンス!

 しつこいくらいに、何かのテキストが表示されていたが、それもいよいよ終わりだった。
 私は佑奈と視線を交わす。佑奈は微笑み、マスターボールを握る私の手にそっと優しく手を添える。
 そして、瀕死のサーナイトに、私はマスターボールをそっと投げた。

▼やったー! サーナイトを つかまえたぞ!

「サーナイト、ゲットだぜ!」
 佑奈はそう言って、私に意味ありげな視線を送る。ちょっと恥ずかしいけど、私も、その言葉を繰り返す。
「……サーナイト、ゲットだぜ」
 しばしの沈黙。私は手にしたマスターボールを見つめた。ボールの中にいる限り、瀕死の状態でもポケモンは死なない。そういう風にこの世界ではプログラムされている。
「佐奈おねえちゃん」
 佑奈が口を開く。
「佑奈……」
「探しつづけてきたよ。ただひとつの想いをあなたに手渡したくて」
 佑奈は私の顔を見つめる。そして、佑奈は嬉しそうに声を張り上げ、言う。
「おかえりなさい」
 だから、私も答えた。
「ただいま」
 そして、私たちは互いを抱きしめる。
 ガラル地方の旅よりも、もっと前から続く、お互いを見つけるための長い長い旅路を歩んで来たのだ。私たちはまた巡り合えた。
 脳裏にひとつの歌詞が浮かぶ。そうだ。あの歌の名前はアカシア。BUMP OF CHICKENがポケットモンスターのMVのために書き記した歌詞。
 私は帰ってきたのだと思う。

 ――ゴールはきっとまだだけど、もう死ぬまでいたい場所にいる。
 ――隣で、君の側で、魂がここだよって叫ぶ。
 ――誰より近くで特等席で、僕も同じように息をしていたい。
special thanks,
マトリックス、
BGM カルマ、アカシア

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