先輩ちゃんと後輩さん

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作者:スヤピーヌ
読了時間目安:30分
 ヒウン大学ソウリュウキャンパス5号館の建築学科棟で、私は今日もまたいつものようにひた走る。

「ぬわぁぁぁぁぁぁぁんっ! ドラぢゃぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
「ぱるるぅ?」
「まだ負げだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「ぱるぅ、どーらどーら」

 バン、と部屋の扉を開け放って相棒のドラちゃん――ドラパルトのお腹へ迷いなく飛び込む。
 すると慰めるように、彼女は小さなお手手で私の頭を撫でてくれた。好き、結婚したい。私も女だしそもそも人間だけど。
 ひんやりすべすべとしたドラちゃんのお腹を頬いっぱいに堪能していると、不意に私の頭上から草臥れた声がかけられた。

「先輩ちゃん、毎回コンペティションで負ける度に僕の部屋で泣きにくるのはどういう了見だい?」

 落ち着き払った様子でそう尋ねてくるのは、古書に溢れたこの研究室たった1人の准教授。
 垂れ気味の眉は色気があると同級生の間ではもっぱらだが、私にとっては実家の古書堂にツケでよく買い物をしているダメな大人の認識だ。

「泣いてない! これはその……目から汗が出てるだけなんです!」
「いや、ドラパルトくんですら困惑した表情で君の目尻を拭っているんだが……まぁいい、煙草を吸っても構わないかな?」
「え、イヤです」

 イヤと言ったのに構わず煙草へ火をつけるダメな大人を目の当たりにし、今日1日の感情のキャパを超え思わずはぁと深いため息が漏れてしまう。
 それもそのはず、この大学の特色でもある学生でも参加可能ならポケモンジムの建築コンペで、またあの忌々しい後輩の方が好評だったのだ。
 なんでも風の噂で聞くところにはチビ先輩と後輩さんのコンペ芸で、私が負けるところまでが形式化されているという話だがとんでもない。
 そもそも私はチビではないし、朝に身長を測れば本当に150センチはあるのだ。嘘じゃない。
 とにかく、今度こそあの後輩にぎゃふんと言わせるため、次のコンペまでにあっと言わせるようなジムの内装を考えなければならない。

「よし、いつまでも負けたこと悔やんでても仕方ない。ドラちゃん今度こそ勝つために新しいデザイン考えるよ!」
「ぱるっ!」

 頭にドラちゃんが乗って準備万端。意気揚々と部屋を出てさぁ気持ちを切り替えようというタイミングで、顔を覗かせてきたのはあの後輩。
 私のツルペタすってんとんな体と違って様々に恵まれた彼女は、見覚えのあるドラメシヤチャームのついたリュックを抱えている。

「げっ!? 出たな後輩! 私を笑いにくるとは勝者の余裕見せてくれちゃって……!」
「そんなわけないじゃないですか先輩。また荷物忘れていたのでとどけにきましただけですって。それに走ると危ないですよ? 小さいと見えにくいですし」
「うるさいわい! 小さくないもん朝イチに身長測れば150センチあるんだから!」
「それじゃあ今は150センチ無いんですね?」

 彼女のああ言えばこう言う口の回りが今ばかりは恨めしい。
 ふぐぐぐと唇を噛みどうやり返そうかと考えている間にも、彼奴はドラちゃんと仲良さげにハイタッチしていた。いやちょっと待っていつの間に主人のいないところで仲良くなってるのドラちゃん。でも母性溢れるタイプのドラパルトで誰とでも仲良くなれるからね、後輩まで籠絡するとは恐ろしい子。

「でもドラちゃんだけは死んでも譲るつもりは無いからね! この子は私の家族だから!」
「そんな人買いを見るような目で見ないでくださいって。あっ先輩お団子少しほつれてますよ。後ろ向いてください」
「えっ本当? ありがとう…………はっ!」

 気付いたら背後を取られヘアゴムでお団子をくるりんばされていた。あまりのスムーズさに違和感を覚える暇もなく、私でなかったら今頃もう彼女に懐柔されていたかもしれない。

「なんで卑劣な手を使うんだこの後輩……!」
「思いっきり素で後ろ向いた上に僕の後ろに隠れるのはもうボロ負けだと思うんだけど」
「うっさいタバコ准教授! さっさと教授になって実家にツケ返せ!」

 言葉のナイフ一突きで先生を仕留めると、敗残兵を追い討ちしに来た後輩へすぐ向き直る。
 すると彼女はどこから出したのか、横長の髪をヒラヒラと振りながら笑顔を浮かべていた。

「先輩そんな警戒しないでくださいよう。ここに来た最初の目的だってご飯に誘いに来たんですから。お食事券当たっちゃって」
「ご飯で私を良いようにできると思ったら大違いだからね!」
「ちなみにこれポケモンも一体までなら可なんですけど、共生ポケモンでもオッケーなんですよ」

 その言葉にハッとして私の頭上で浮かんでるドラちゃんに視線を投げれば、彼女の羽に似た角の穴からにゅっ、と二匹のドラメシヤが顔を出す。

「めっし!」「めしめっし!」
「ぱるるぅ……どーら!」

 キラキラと屈託のない笑みでこちらを見つめてくるチビドラゴンズを、困ったように嗜めるドラちゃん。
 まさか小さい子供まで利用するとはなんたる卑劣。まさに鬼、悪魔、後輩である。だがおチビ達の笑顔のためならば……!

「ぐぬぬぬぬぬ……行くのはドラちゃん達の為だからね……!」
「はーい、それじゃあ当日はよろしくお願いしますねぇ」

 微妙に手の届かない所で握られたチケットを跳ねて掴み取って、後輩がいい高さに持ってくれていたリュックに腕を通してドラちゃんを頭にセット。

「それはそれとして絶対に次は勝ってみせるからね! 首を洗って待ってるんだよ! それはそれとして食事券はありがとう! いやでもやっぱり絶対勝つもんね!」
「はーい、それじゃあ先輩またこんどー」

 ヒラヒラと私に向かって手を振る後輩に今度こそ勝つと宣言して、早歩きで自分の家へと歩みを向ける。
 なお、10分遅れで大学を出た後輩に駅で追いつかれた。





 ヒウン大学建築学科生においてジムコンペティション、つまりはジムの内装設計の発表会のことである。
 しかしただのコンペティションと侮ることなかれ。うちの学校は昔からジム設計に携わる者を多く輩出し、時にはジムリーダーがオンラインだったり実際に来たりして青田買いのようにデザインが採用される事もあるのだ。
 まさしくその一例があの忌々しい後輩であり、カロス地方にあるハクダンシティジムの蜘蛛の巣ギミックを作り上げた。
 悔しいけど確かに、降りた先でトランポリンのように蜘蛛の巣がトランポリンのように沈み、露を弾けさせるのは見事なアイデアとしか言いようがない。悔しいけど。

「次のお題は『常識を吹き飛ばすひこうタイプ』のジム……出せる分は出したけど、やっぱり抽象的すぎて困るなぁ」

 自分達のアパートに詰めることはや1週間、私は意気揚々と次回のテーマを確認するためパソコンを開いた私は、そのまま机に崩れ落ち悶々と後輩への対抗心のみを燃やしていた。
 部屋いっぱいの本棚に詰められた建築の古本だって、あくまで最初の案が浮かんでこないと参考にしようがない。
 つまり現状は深夜も3時になろうかというのに後輩に勝てるヴィジョンが見えない一般学生。いや、一つ案があるにはあるが、荒唐無稽すぎてボツである。
 そんな私のうーうー唸る姿を見かねてか、透明になって寝ているはずのドラちゃんが毛布を掛けにやって来た。

「ぱるるる?」
「ううん、流石にそろそろ寝るよ。寝るけど……やっぱりあの後輩のセンスは認めるしかないなぁって」

 初めて彼女に挑戦状を叩きつけたのは、彼女が入学したての頃。
 万賦の天才、とまで謳われているらしい人間がやってきたと聞いたのでどんな実力だろうかとコンペに誘ったのが運の尽き。
 彼女は見事にジムリーダー直々の指名を得るという鮮烈なデビューを飾り、ついでに私のプライドをけちょんけちょんにしていったのだ。

「しかも最近は言葉は丁寧だけどなんだか私を舐めてくれちゃってる気がするんだよなぁ」
「るー……どらぱる」
「私を群れの庇護対象……あっ、子供に見てるって? いやまさか、ドラちゃんだって一緒にお酒飲んでる飲みたでしょ?」
「るるー……」

 ドラちゃんはどこか呆れた者を見る目に変わるが、つい最近もお腹丸出しで寝ていた時だってこの顔になっていた。つまりはよくある事である。
 それでもすぐにしょうがない子ね、みたいな表情に変わって本を本棚へ返してくれる所好き。うちのドラちゃんのお母さん力が高すぎて怖い。
 ちなみに実家からの本の仕送りによって小図書館と化した我が家では、本棚の上の方に手が届かないためドラちゃんがいないとまともに資料探しもできなくなっている。

「……ねえ、ドラちゃん?」
「どる?」
「私、今度こそコンペで一番になれるかなぁ」
「ぱるるぅ」

 普段の私じゃあ絶対に言わないであろう弱音を聞いたドラちゃんは、尻尾で器用に頭を撫でてくれた。

「ぱるぱる。どーらどら」
「そうだね……明日が本番だし、早く寝ないとだよね」

 心配するような表情で私の襟首をクイクイと引っ張る彼女の誘いに争わず、ドラちゃんを抱きしめるとお布団をかぶった。



 ――翌日、同ヒウン大学第二会議室。
 普段お目にかかる事のないようなカーペットの床に柔らかい椅子の設えられた部屋で、少し強めの空調に肌を粟出たせながら自分の発表の番を待つ。

「先輩、私の上着羽織りますか?」
「くっ……施しは受けぬわい……!」
「はいはいそうですね、風邪ひいちゃうといけませんね」

 5月にしては暑い日だったので薄着をしたのが裏目に出たのか冷房直当たりの席で鳥肌を立てていると、私の隣でヌッと上から覗き込んできた後輩が有無を言わせず薄手のカーディガンを着せてきた。
 とは言え袖を通したところで腕が出てこない姿に気づき、唇が歪んでいる所を私は決して見逃していない。他の人がプレゼンしていなかったら戦争だ。

「それより先輩、いっつも頭にくっついてるドラパルトちゃんはどうしたんですか?」
「ドラちゃんは透明になってこの部屋のどこかに浮いてると思うよ。ひゃっ、ほら話してたら尻尾で触ってきた」

 頭を嗜めるようにペチペチと叩いてくるのは『静かにしててね』の意だろうか。慌ててむんと口を手で覆えば、後輩もわかってくれたのか口を閉じてくれる。
 それからというもの、手を組んだり唇を丸めたり緊張をどうにかほぐそうとしながら自分の発表の番を今か今かと待ち侘びた。
 せめて自分よりも緊張している人を見て落ち着いてやろうと思って隣に座っている後輩を見れば、にんまりと笑って手を振ってきた。その余裕も今日までだからな、くそぅ。

「以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」

 ぐぬぬっていたらいつの間にかもう私の番になっており、急いでパソコン片手に立ち上がる。でもやっぱり後輩の上着から手が見えず、周囲からくすりと笑う声がした。おのれ後輩。
 だが年上でもある私がたとえ後輩がやったことであろうと、ここで我慢するのが妥当だろう。そう思うことにした。

「それでは、今回私が考えた案はこちらです」

 そう言ってパソコンのスライドを一枚送る。あとは昨日考えた通りにするすると口が滑り始めた。
 今回の私が考えたジムのコンセプトに名前をつけるのなら、風の迷路。建物の中を迷路にして、風をジムリーダーの元まで届けるというギミック。
 風は風車を使うことで可視化し、人が通れない網の目からも風を通らせることで風の通り道を作るというのが今回のコンセプトの肝だ。
 今回必要な設備の装置や予算の推定も含めて実際に施工するならどうなるか、だいたい10分くらいで発表する。
 私が最後まで言い終わると、一旦さっきまでの席に戻れば、あと残すは後輩の発表だけだ。
 私がどうにか発表を終えて息を吐きながら席に戻っていくと、途中でさっきまで私が居た場所へ向かっていく後輩とすれ違う。すれ違いざま頭を撫でてくるのはあまりにも屈辱だった。
 そうして私の頭を押さえてただでさえ少ない身長をさらに縮めようとしてきた彼奴は、上機嫌そうにパソコンとプロジェクターを繋いでいく。
 やにわに準備を終えた後輩はすぅと一息空気を吸うと、次に飛び出してきた言葉は普段の穏やかな彼女らしからぬ単語だった。

「今回の私のコンセプトは……サイクロンジェット玉運びジムです」
「「「「「サイクロンジェット玉運びジム!?」」」」」

 みんながみんな、私も含めてその場にいた人間が全員異口同音に同じ言葉を口にした。そうだ、またコレだ。
 この私に連戦連勝している後輩サマは、ともすれば突拍子もないような絵空事を、どうにか現実に落とし込んでくる。

「今回のジムのお題は『常識を吹き飛ばすひこうタイプ』ということでしたので最初は送風機なども考えましたが、実際にジムチャレンジャーに風の力を体感してもらいたい、との思いからこのような形になりました」

 いや、ならんじゃろがい。多分この場にいる誰もがそう思っている。どう考えても風の力からサイクロンジェット玉運びには繋がらない。そもそもサイクロンジェットってなんだ。

「具体的なジムギミック案としましては、ある程度の重さを持たせた玉を空力で浮かせて次に進むというものです。それぞれの足場を独立した島にすることで、玉を飛ばせて別の島のスイッチを押すことで橋をかけてジムリーダーを目指します」

 そう言いながらスライドに表示された建物の内装設計図に目を通す。バウタウンやノモセシティなどの独立島型、要はそれぞれのエリアが何某かのギミックで物理的に通れないジムの特徴を取り入れ、島ごとの距離を離し間の谷を深くすることで孤島感が出ていた。
 その後も諸所の事項を説明していたが、明らかにさっきの私までの発表とは周囲の空気感が違う。明らかに後輩を中心にコンペの流れが変わっている。

「以上です。お付き合いいただきありがとうございました」
「それでは次に質疑応答の時間です。全員の発表の資料を配りますので少々お待ちください」

 うちの学校は質疑応答まで事前資料が配られず初見のインパクトを全員にねじ込むロックなコンペティションだが、そんな物がなくとも場はもはや後輩のものだった。
 事実、周囲から向けられる質問の多くは後輩に向けられたもの。

「サイクロンということですが、遠心力によってトレーナーに運ぶ物体が衝突するということが憂慮されますがどう対策なされていますか?」
「それに関しましてはサイクロンの発生装置とは別に投擲方向へ突風を加える装置を使い真っ直ぐに飛ばします。ベクトルの補正に関しましてはこちらのジムの例を参考にさせていただきます」
「実際に球を飛ばすなら着地の際に衝撃から跳躍して周囲に羽ぶつかる可能性は考慮されてますでしょうか?」
「それに関してはボタン部分のカバー材をクッション性のあるものに変更するとともに、スイッチ基部のサスペンションを加えて二重の対策を行います。素材についてはこちらのものを使用し、生体模倣の詳細についてはこちらの先輩に聞いていただけると幸いです」
「おい脇に手を入れて持ち上げるな!」

 自分への質問がチラホラくるのでぼちぼち答えていたら、突然ひょいと持ち上げられる。いやまあ確かにガマゲロゲのクッション性をもちに作った皮革やモトトカゲの骨格を元にした衝撃吸収性の高いサスペンションとかは私の敗北の産物だけれども。特許は私が持ってるけども。

「ところで先輩ちゃん、君の案だと多量のファンを回転させることになるから相当うるさくなると思うんだけどそこはどうなっているのかな?」

 大声で暴れるわけにもいかないのでずっと手のひらをペチペチ叩いて降ろしてもらおうと奮闘していたら、デザイン科の先生から質問が飛んできた。
 流石に後輩も先生からの呼び出しには抗えず地面に降ろしてくれたので、また捕まる前に急いでさっさとその人の元へ向かう。

「先ほどの疑問なら、ヨルノズクの羽の静音性が使えると思い形状を設定しました。一応ミニスケールでは本学のCAD/CAM……コンピュータープリントで実証済みです!」
「そういうまた特許取れそうなものはちゃんと報告するようにって毎回言っていないかね?」
「ひう」

 顔は笑っているのに目が全然笑っていない。確かに発明したものの著作権は私にあるがその利権を実質管理するのは大学も一枚噛んでくるのだ。
 やんわりとお叱りを受けたあと『後輩さんに話をとしておいた方が確実かなぁ』なんて言葉を聞こえないフリして元いた場所へ戻る。
 いつだってそんな時だった。いつもの言葉をたまたま聞いてしまうのは。

「先輩ちゃんも悪くはないんだけど、どうしても後輩ちゃんと比べちゃうとねぇ」
「悪くはないんですけど、どうにも精彩を欠くというか」
「そもそも一度だって彼女がここで一番になったこともないじゃないか。自分でどう思ってるかは知らないけど、ライバルを気取る割には釣り合ってないよねぇ」
「事実、青田買いだって後輩さんばっかりだろう? 先輩ちゃんもデザイン科行った方がいいんじゃないかなぁ」
「…………」

 私の身長が小さいからだろうか。周囲の人が立って各々の発表者の元へ質問に向かっていたりと混雑した人並みの中では、容易に私など見えなくなってしまう。
 だからこそ、私がいないと思って発せられた陰口を拾ってしまうことも、ままある事だ。
 だから、この程度どうってことない。
 いつも通りに終わってからドラちゃんを吸って一晩寝れば大丈夫だ。
 けれども、そうじゃなかった人もどうやらここに居たらしい。

「先輩、その、私……」
「後輩はそんな顔しなくていいんだって。別にコレは私の実力不足なんだからさ」

 席に戻ったら、今まで見たことのないような顔の歪め方をしていた後輩。自分が落ち込んでいてもそれ以上のものを見ると感情が引っ込んでしまうのか、咄嗟に出てきた言葉は後輩を慰めるものだった。

「……先輩、私、今回、辞退します。先輩の案の方が、私は好きなので」
「後輩っ!?」

 だが後輩が言い出したのは、予想の斜め上の発言。
 違う、違うんだ。私は情けや憐憫なんかで後輩に勝っても意味は無いんだ。
 自分の将来や人の評価だって勿論大切だ。職なんかその後一生を左右するのだから大切だろう。
 けれどもやはり世界は無常。後輩がマイクをとって辞退しようと進むその手を握ろうとも、私の短い手ではわずかに届かない。

「大丈夫です、先輩。私の見通しに致命的な欠陥があったとなれば責められるのは私だけです」

 全然一から十まで全くもって見当はずれだ。私は自分の将来なんかやエントリーシートに何かを書き込むためにコンペで対抗心を燃やしているわけじゃあない。
 だから、だからこそ。私は頭が真っ白になりながら叫んだ。

「ドラちゃん、マイク!」

 私の人生最大声量とも言える叫びの意図を起用に汲み取り、虚空から姿を現すと、ドラメシヤがマイクを咥えて私の方に射出される。
 そのまま真っ直ぐに私の元までマイクが運ばれた瞬間には、周囲の喧騒も陰口も、何もかもが静まり返っていた。

「……えー、先ほど私が提出した案ですが『精彩に欠ける』だったり『後輩より劣っている』だったりご指摘を賜りましたので、せっかくですし私のもう一つの案も見ていただきたく存じます」

 ドラちゃんは何も言わずにただ私の頭の上へやって来るといつものように合体。やはりドラちゃんは私にゲンキト勇気をくれる。好き。今日のご飯は豪華なものを一緒に食べようね。
 ズンズンと歩いて勝手にプロジェクターの端子を掴むとパソコンに接続。ボツ案にした方のファイルを開くと、椅子をお立ち台に全員を見下ろしながら誰かが口を開く前に私が先に口を開く。

「今回の案のもう一つは私の頭の上に乗っているドラちゃん……ドラパルトから着想を得た、人間砲弾ギミックです」

 周囲がザワザワと騒ぎ始めるが全部無視。唯一心配そうにこっちを見上げる後輩に対して笑って返す。こうなればもうヤケだ。

「今回の発表では風やものを飛ばすというのがコンセプトのものばかりでしたが私は発想を逆転させ、そもそも人自体をぶっ飛ばす、というアイデアコンセプトのもとこちらを設計しました」

 二の句をつがせず図技のスライドへ。全員が呆気に取られて正常な思考に戻る前に最大限の情報を叩きつける。

「そもそも皆さんはuドラパルトのドラゴンアロ―という技で疑問に思ったことはないでしょうか? 自身の幼体だった頃を射出しては群れとしての個体数が減少するのではないかと。いいえ違います。ドラパルトはこの地上で最も安全な射出機構を持つからこそ、幼体に戦う経験を積ませています。その機構を私は誰よりも間近で見て、どうすれば人間に転用できるか、この地上で最も詳しいという自負があります」

 今必要なのは確実なデータでも試算でもない。後輩がいつもみんなに与えている面白そうというインパクト、ワクワクして好奇心をくすぐられるような可能性だ。
 こんなのやったことがないぶっつけ本番勝負。足もプルプル震えるが、そんなの今はどうだっていい。

「建物内には高低差をつけることで大砲の射出により高所に登ったり、高い足場をそもそも飛び越えたり、トレーナー自身が三次元的なギミックを体感することが今回のコンセプトの最大の魅せ場になってます」
「でもね君、いくらなんでも人を飛ばすんじゃあ安全性の確保というものが」

 それはそうだ。私だってその可能性にいたり、この案をボツにしたんだ。でも今なら、後輩の案を見た今ならどうすればいいかのビジョンが見えた。
 私の特許を好き勝手発表に利用しているんだ、たまには私だってそっちの発表を利用させてもらおう。

「それには地面自体をモトトカゲのサスペンションに加えて、トリミアンのシングルコートによる衝撃吸収性に着目した繊維鋼材を着地部分に使用します。これによって歪んだり跳ねたりすることなくトレーナーの着地を安全に行えます」
「だが短い距離ならまだしも、長距離の空中移動ともなれば着地点がずれてしまうこともあるんじゃないのかな?」

 それも私がぶち当たった懸念点だ。それも不確実性は距離の二乗に比例して大きくなる。
 足場を全面、さっき私が言ったような素材にすることも可能だが、衝撃吸収剤というものである以上定期交換は必須。それも繊維鋼材はえらい値段になってしまうだろう。
 どうすればいい。どうすればこの問題を乗り越えられる。
 図体ばかりが私より無駄に大きい後輩の方を思わず見てしまうが、だからと言って何か解決するわけでもない。

「…………いや、無駄に大きいんだ」
「どうされました?」
「長距離の移動では足場には着地しません。もっと大きな壁にぶつかり威力を殺した後、地面に着地します」

 そうだ。地面でうまく着地できないというのなら、壁にぶつけて速度を殺してから真下に降りればいい。

「なっ、君はふざけて」
「ふざけていません! 地面で着地箇所がずれたり衝撃を吸収しきれない可能性があるなら、そもそも二段階で衝撃を吸収します。壁は周囲と同じ模様にしたマット等を用いて怪我を予防し、その下にジャラランガの尻尾の鱗を応用して、ぶつかった際に大きな衝撃音が出るようにします」
「その音には何の意味が?」
「鱗自体が多少のクッションになるのもありますが……大きな音を出すことでジムチャレンジャーには『壁にぶつけられた』と思わせることで精神を揺さぶります」
「ジムの目的の一つである『トレーナーの判断力・精神力』を、想定外の衝撃を与えることで揺さぶる……ということですか?」

 その言葉にこくりと頷く。今回の人間砲弾はトレーナー自体を動かすからこそ、他の案との差別化になる。
 言いたいことは言い切った。あとはもう野となれ山となれ、それでも私としては悔いはない。
 誰もが何も言えずに押し黙る中、最初に口火を切ったのは私でもなければ後輩でもなく、ましてやこの場にいた他の誰でもない。
 この部屋にあったパソコンのスピーカーからだった。

『良いじゃないですかその案、一番ぶっ飛んでて!』

 その声は私でも知っている。今回のジム――フキヨセジムのジムリーダー、名前はフウロ。

『実は最初から見させてもらっていたんですけど、私はその子の案が一番好きになっちゃいました』

 スピーカーから飛んでくる音は声だけだというのにいたく喜色満面そうで、その対象は間違っても後輩ではなく私だ。
 つまりそれは、それは。

「先輩っ! おめでとうございます!」
「んぎゃっ! 自分で喜ぶ前に来るんじゃにゃい!」
「ぱるるぅ……!」

 私が選ばれたのだ。ジムリーダー直々に、あの後輩を抑えて私が。
 なぜか私よりも喜んでそうな後輩が私をキャッチ・アンド・ホールドで羽交い締めにあっているが、それも今日ばかりは笑って許せてしまう。
 実感はまだ湧かない。それでも、じんわりと胸の中から熱くなるような感情が湧いてきた。

「それで先輩、初めて私に買った気持ちはどうですか?」
「は」
「は?」
「はっくちょいっ!」

 だがとにかくまずは、緊張で汗ぐっちょりの服が冷やされて寒いのをどうにかして欲しかった。



 それからというもの、寝不足と冷房と知恵熱で顔を真っ赤にした先輩は私の胸の中でお熱を出してしまい、いつも私がよく抱えて移動しているということもあって、彼女を家まで連れていく役目を任せられました。

「ぅうん、後輩……今日は私が勝ったから運ぶんだぞぅ……」
「別にそうじゃなくても病人を見捨てたりしませんよ?」
「うにゅう……」

 背中で変な鳴き声をあげる先輩をおんぶしながら、彼女の相棒であるドラパルトちゃんに下宿先までの道案内をしてもらっています。
 夕暮れ時でうちの学校の学生も多く見られますが、私としてはむしろもっと見て欲しいくらいですね。
 それよりも背負っているはずの先輩が全然重さを感じさせないのが不安になるところです。もっとご飯を食べた方がいいのではないでしょうか?

「どら、どーらどら」
「あぁ、ここの建物が先輩の家なんですね。鍵はどこにしまてあるか知ってますか」
「ぱるる」

 ドラパルトちゃんは器用にその小さい前脚で小物入れのカバンをつつくいてくれました。
 そしてカバンの中を弄ること少し、お財布の中に部屋の鍵が仕舞われているのを発見します。

「先輩ってば、お財布落としたら危ないですね。今度きちんと言わないと」
「ぱる、ぱるぱるっ!」

 ドラパルトちゃんも激しく首を振って同意してくれています。先輩はただでさえチョロ……分かりやすいのに、輪をかけて無防備なので側から見ていても心配です。
 きっとこのドラパルトちゃんが過保護になったのも、昔から先輩がそそっかしいからなのかもしれません。
 何とか先輩が起きている時に聞き出した暗証番号を入力してマンションの中に入り、先ほど見つけた鍵を差し込めばカチャリと軽い音と共に施錠が解かれた。

「わぁ……先輩のお部屋は本ばっかりですね。まるで図書館じゃないですか。」

 それでも地面に本が積みっぱなしなのはいただけませんね。ドラパルトちゃんは普段浮いてるのでそこまで気にしていないのでしょうが、先輩がつまづいて転んだら危険です。
 そんなことを考えながら先輩を奥のベットまで寝かせると、小さなドラメシヤたちが労いついでに冷蔵庫からペットボトルを持ってきてくれました。

「ありがとうございます。私は少しここで先輩の面倒を見ておくので、風邪薬とか探すのをお願いできますか?」
「めし」「やー」

 二匹とも素直に探しに行ってくれると、この場には私と先輩しかいなくなる。

「……先輩、私今日はとっても嬉しかったですよ。いや、いつもですね」

 私は客観的に見てもかなり容量がよく、周囲からは天才だなんだと持て囃されていた。
 小さい頃は周囲の期待に応えようと頑張って尚且つ褒めてもらうことも多々あったが、それも年を経るにつれてどんどん『できて当然』、頑張っても『あの子は才能があるから』というふうに変わっていった。
 それでも幸か不幸か、頑張ることがそこまで苦では無かった私はそのままで生き続けてしまった。
 だからこそ、大学に入ってすぐの頃、先輩に初めて出会った瞬間のことは覚えている。

「おい後輩! なんだか天才だかなんだか持て囃されているらし、私とこの授業で勝負だ!」

 最初こそなんだこの大学生に見えないちびっ子、一体どこから紛れ込んできたんだろうと思いました。
 なので長く付き合うと面倒だろうし思いっきり任せば二度と話しかけてこないだろうという私の実体験をもとに、それはもうけちょんけちょんにしてやりました。
 でも、先輩は他の人とは全然違ったのです。
 私に惨敗を喫しても次の日には折れずに私に勝負を挑みに現れ、その度に毎回丁寧に負かしていました。
 それでも真っ直ぐに私を見据えて何度も向かってくる姿に、気づけば私の方が絆されてしまうのも、先輩のせいでしょう。

「だから先輩、私をここまで夢中にしたんですから。責任、取らせますよ」

 きっと先輩は私がこんなに重い想いを抱えているなんて知らないだろうけど、まずは勝手に外堀から埋めていきますね。
 それに私に勝ったお祝いとして何か装飾品をプレゼントするのもいいでしょう。鈴のついたチョーカーとか。先輩は律儀なのできっとこまめに付けてくれるでしょうし。
 こういう時に先輩が聡くないのは助かります。私の独占欲が本人だけにはばれないんですから。

「ですがまずは突然ドアの前までやってきた時の先輩の顔が気になりますね。その時にお見舞いの品も持っていきましょう」

 きっと想像からそう離れていないだろう悲鳴をあげる姿を想像して、思わず唇の端が歪んでしまった。

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