越冬

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作者:ジェード
読了時間目安:13分
 凍原の上に、青い影が伸びていた。
 本来の空を映したような薄青さだった。凍土の空は今日も鉛色のまま、視界を埋め尽くす吹雪が寒冷帽に吹き付けている。何かを見つめ続ける物陰は、白い翼を休め、しゃんとした筋肉質な足を、銀世界に埋めていた。
 ウォーグルだ。遠巻きに見つめていたが、この一帯では物珍しい。

「なして、あったらところ留まってるだ?」
「さあ? それはわからん」
 
 きゅっきゅっと、冷たく何かを詰めたような踏音。
 凍れる川の底流へと耳を傍立てるポケモンを背に、先頭の黄色の旗は、先へ先へと進んでいく。銀河団のシンボルは、白雪でもう見えなくなっていた。
 
「きっと獲物でも探しているんでしょ」
 
 向かうは調査隊の仮設拠点。
 風変わりの博士と若い調査隊員を迎えに、この日の警備隊は進んでいた。コトブキ村から純白の凍土は遠い。しんがりは身軽なオオニューラが務め、先の厄介な凍結や雪道は時折、うら若いポニータが溶かした。まだ幼体なのか、時折無邪気な姿で広大な雪景色を駆け抜けていた。
 寒空の下で、警備隊の灯りのみがちらちらと移ろう。白日に似た銀世界の中で自然はさらなる厳しさを手にし、容赦ない冬の知らせをヒスイの地にもたらしていた。

「今宵は特にしばいとるね」
「はよ帰って子供の世話しとっとよ」
 
 革の寒冷靴に冷水が染み込んではまた、その冷温に触覚が追い付く前に、目の前の積雪をかき分けていく。
 それからして凍土に向かっていた集団は、拠点の証である雪櫓 (ゆきやぐら) をようやく見つける。

「お、あった」

 銀河団の調査隊員が手を振っている。
 あいにく猛吹雪で狭まった視界では、よく見えはしないが、自分達のことを今か今かと待っていたのだろう。足踏みをして、少しでも暖を取ろうとする姿が健気だった。それには余所者だろうと、労いの言葉が自然と出てくる。先頭にいたポニータは、やっと見飽きた雪景色からの解放にだろうか。蹄を高らかに鳴らして走っていく。背中の炎が赤い蛍光を散らしては、消えていった。
 その様子を和やかに眺めていた男が、紫のハイカラな毛帽子を被り直している。しばし横の夜警と談笑してから、調査隊員に向かって話した。

「では、コトブキ村に戻りましょう。大丈夫です、警備隊も一緒ですよ」

 こうして、銀河を模した旗は翻る。
 二人を連れて、警備隊は職務の折り返しに差し掛かった。「お米、うるかしたっけなあ」という、誰とも分からない日常の一部が、夜更けの深雪に吸われていった。
 やがてコトブキ村に到着すると、乾いた帰り拍子木が鳴る。二人の無事を知らせたものだった。


 ◇

 
 初冬の大地には、厳格な吹雪をものともせずに、しかし立ち尽くす影が伸びていた。
 目を焼く白銀に、ウォーグルの翼は迷彩かのように溶け込む。人間が近づく音にはびたとも物怖じしない。憑りつかれたかのように、身包みなくした樺を見続けていた。
 やがてどさりと、雪折れで枝が落ちてくる。それには僅かに耳を震わした。

「またやっこがいるだ」

 彼ら野生の獰猛さは、男もよく知っている。
 それとは別の好奇心として、凍原にわざわざ留まり続ける理由があるのか。はたまたそれは、自然により近い彼らの、人間には理解できぬ領域か。その真相が気にかかった男が呟いた。

「したからって、仕事すっぽかしたらいかんべ」
「分かってる」

 白い羽を伸ばすようにして、晴れ渡る凍原の遥か彼方を見つめる一匹。その真摯にすら映る姿に気を引かれつつも、警備隊は凍土に向かってなくなった経路を掘っていく。
 そうすると雪山からはたりはたりと、小さな影が下りてくる。野生のユキワラシだった。
 彼らは好奇心旺盛で、ただ雪山に現れる人間へと近づいては眺めてくる。男達は立ち止まった。彼らの多くは無害であると知っていたために、「遠くさいくべ」ときのみを放り投げた。途端に、雪を食べていた童たちが一目散に駆けていく。

「そういえば、今年は厳冬だと。聞いたべさ?」

 深々と降り積もる雪道を、草鞋の群れが押し進む。
 積雪にはいくつかのポケモンの足跡が、淡い空色となって残る。凶暴な種のものではないと確認すると、誰かの安堵の吐息。特にこの時期ともなると、ユキノオーの巣穴は警戒していた。警備隊は揃って彼らを『雪男』と呼称しては、話の種にしたものだった。
 安全を確認し、明滅した松明の燈が移ろう。

「いんや。イヤだねえ。また屋根からせっせか雪下ろししないと」

 晴れた空には、ちりちりと火の粉が舞う。どこまでも続いていそうな銀世界の淵は、薄く青みがかっていた。雲が流れていくのを見ていると、自分達までこの自然の一部に溶けていくと錯覚してしまう。辺りには、すっかり一年間の終節を経た、樺の木が檻のように連なっていた。

「んだな。ポケモンさ手伝ってもらうか?」
「ポニータには無理だろうよ」

 重くとも足取りは確かに前進する。
 時折、風で雪が眩しく目に映る。欄然と陽を映し出すように、宙に舞っていた。

「早く冬が明けてほしいだ」
「んだな」

 軽い談笑も彼らには必要なものだった。何せ話していないと、次第に口が悴んで話せなくなってしまう。それでなくとも、この見晴らしだけは良い雪原地帯。限りなく無音に近しい世界は、淡々と生きる者の生気を吸い取っていくよう。僅かにここを通る人間は、みな自然と暇をつぶそうと試みるというものだった。
 そうして雪道には貴重な薬草類を収集した。彼らは道なき道を通っては日々の暮らしを語らい、目的地を目指していく。


 ◇


 本格的な冬の訪れを感じる日に、また青暗い影が伸びていた。
 それは特別に風が強い日だった。古い小屋が木枯らしに弄ばれると、すすり泣くように軋む。先日近くの木に巻いた (むしろ) が、強風で剥がれてしまいそうだ。
 それに比べてあのウォーグルと言ったら頑健なもので、何度も深雪のような白い羽毛がはためくのみである。長らくその場にてとどまっていたのだろう。特徴的な鶏冠には、雪が積もり出していた。

「お前さんもよく飽きないねえ」

 この日の男は非番だった。コトブキに続く雪を、少しでも下ろしておこうと思った矢先に出会ったのである。
 厚手の革手袋にも沁みる鉄の冷たさ。草鞋に染み込んでは、骨身にすら届く冬の厳しさ。雪かきの作業は、気温とは裏腹に多量の汗をかく。幾重にもなった雪道の凍結をただひたすらに削り、果てしない労働に遠く思いを馳せていた、刹那である。
 
 野生のウォーグルが動く。
 それはそれは、貫くような雄々しさで啼いていたのだ。
 途端に、辺りの雪が一陣にて薙ぎ払われ、大風が男に尻もちをつかせた。あっという間だった。腰元からはぽろぽろと、持っていた木の実やピッケルが深雪に埋まる。
 
 慌てて事の発端から身を隠そうとするが、意外にもあちらは男を視界に据えてはいない。細かく身を震わすと、冬山の如き羽毛が落ちていく。それは人間にも馴染み深い、雪を払う動作に見えた。

「いやあ、何だっただか」

 徐に起き上がると、既に白き大鳥は飛び去っていた。
 先ほどまで居た場所に、恐る恐る近づいていくと、そこにあったのは立派な足の押し判。いかに彼らが厳冬を生き抜く強さを持っているか。それを端然と物語っていた。ひと羽ばたきで転んだ方からすれば、末恐ろしいというもの。
 
 銀河団による彼らと共に生きる道標とやらが、近頃は語られていた。
 男の周りにも侃々諤々と、多様な議論が飛び交ったが、今の一件を見るに時期尚早ではないかと思う。あまりにもこの地に生きる人間は微力で、彼らは途方のない環境適応をかざしていた。ポケモンを所持していようが、それは覆らない事実である。
 ふとあのウォーグルに倣い、同じ冬山を見つめてみる。天へ向かい聳えるテンガン山に、凍った川がみしみしと音を立てて泣いている。霜柱が銀の針に見紛う輝度で照り付けた。

「やっぱやっこさ変わりモンだ」

 それだけ呟いてしまうと、男は体に言い聞かせるよう、除雪作業に戻っていった。
 次第に凛然とした夜が深まり、白点の星々が群青に冴えていく。見上げてもそれしか点在しない。ただ寒々しい色を持って、冬季に足掻く全てを悠然と見下ろしてるようだった。


 ◇

 
「おばんです。お疲れしょや?」
「いいや、なんも。もうじき冬至だあね」

 小屋で新しい草鞋を編んでいると、ふと同僚から声がかけられた。
 男たちが囲んだ囲炉裏の横には、寝ころんだ炎の仔馬。すうすうとお行儀よく寝息を立てていた。藁の寝床に火が付きやしないかと初めは警戒したが、次第にあのたてがみの制御が、器用にされていると知ったものだった。

「さっきもう井戸の水がしゃっこくて。もう暫しの辛抱だあな」
「だな。『雪男』の仕業だしょ」
「ユキノオーの冬将軍、今年見なかったなあ。運がいいや」

 それから彼らはぽつぽつと世間話に勤しんだ。隣の人が結婚したとか、村に近い場所で大量発生があったなど。特に意味はない談笑をしていると、ふとあの話に差し掛かる。

「そういやあんたの言っとった鳥、さっきも見たよ」

 彼もまた、あの佇むウォーグルを見たという。
 詳しく話を聞けば、やはり危害を与える様子はなく、静かに川を眺めていたようだ。

「博士に聞いたけども。あの種は普通えらい獰猛で、戦いに誉を持つと」
「そうだべ。脚はえらい筋骨だった」

 彼ら警備隊が純白の凍土に向かう際には、野生の知識は不可欠である。生態系を知っておかねば、彼らとまみえてしまい、お互いに不要な血が流れることになるだろう。あの白銀の大翼を思い出す。襲われたらひとたまりもないと思った。
 男は話を聞いて尚更、鳥の意図がよく分からなくなる。だがそういうものだと捉えることにした。要は自然の一部として考えることにしたのである。
 もうじき冬は峠を越える。それまでは耐え凌ぐように生きて、短い朝日を待つことになるだろう。拍子木にも似た焚火の音が、心地よく夜を迎え入れていた。


 ◇
 
 
 ヒスイの晩冬は、幕を引いたような薄朱い霞が棚引いていた。
 明け方の空には暁に染まる冬月。煌々と朝の目覚めを知らせている。ようやっと重たい寒冷具とはおさらばかと、誰かの呟きが聞こえた。散々に使い古した革の帽子を直しては、早朝から先を急ぐ。

「まただ」
「もういい加減さ、やっこは見慣れたでしょ」

 見慣れた川沿いには、凄然と立ち尽くす影が揺らめく。
 一匹は何かを見定めようと、凛とした眼つきを川底に向けていた。何度も通りがかっては一瞥したが、その先に在るものを男は分からない。ヒスイの変わらぬ荒涼の地を見つめ続け、何が楽しいのかと問いたくなった。

「あ、飛んだ」

 誰かがそう言うと。
 人間とほぼ同格の威厳ある体躯は、警備隊の眼前で初めて飛翔を見せた。獲物を威嚇する甲高い鳴き声。そうして物々しく羽ばたいてみせると、後から大きな羽が数枚、雪のように落ちてきた。
 瞬く間に、冬野には果てしない静寂が蘇りゆく。
 そうして誰かが「行くべ」と呟くと。男も飽き飽きとした、純白の凍土への順路に足を向けようとした。
 だが止まる。男の目に何かが留まった。常にあのポケモンが佇んでいた場所が一部、雪解けていたと気が付く。

「なしてる?」

 仲間うちの一人が、大鳥の居た場所をしんと見つめる男に訊いた。
 腰を曲げて何やら感嘆した様子に、自分も見てみたくなった。背の高い樺の木に腰掛けるようにすると、小さな白い花が咲いている。それはいち早い春を知らせる自然の暦。冬至梅の花だった。寒冷の地にいち早く開花する、強い自生の種である。
 男はふと呟いていた。

「意外だ。人間臭いやっちゃな」
 
 遠き冬山に添えるように咲く様は、何とも小さな嘆息が漏れた。気が付くと、凍っていた川も雪解け水に変容し、再び巡ってくる四季を静謐にも見せている。
 この光景を目に留めては、飛び立った白い大鳥に思いを馳せる。それは既に遥か彼方へと、薄青い雲の影になっていた。勝鬨 (かちどき) に上げるという猛々しい遠吠えが、大空の残響になるばかり。
 瞳には、自分達と同じく、春の訪れに焦がれた情景が映っていたのだろうか。それとも徒然なる気まぐれだろうか。
 真偽は分からない。ただそれで構わないと、男は思っていた。

「いんや行きましょか。おれも冬の終わりが早う見たい」

 男が満足そうに促すと、先頭の松明の火も動き出していた。黄色の旗が風に揺れ、ポニータの蹄が雪道を駆けた。
 冬はやがて過ぎていく。
 春を待ち遠しい人も、自然の中に生きる獣も、雪に眠る植物すらも。それは誰一人として変わりはしない。
 しんしんと募った日暮しの時間は、やがて暖かな日差しでもって凍原を照らしては、一面が白銀にさんざめいていた。

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