心がジベタリアン

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もう何年前になるだろうか。小さな虫ポケモンが隊列を成すのを、地べたに座り込んで見続ける経験。視界は狭まり、感覚は鈍り……しかし、視覚だけははっきりと対象物を覗き込んでいる。気になるものがあると、僕は座り込んでずーっとそれを眺めていた。そう、座り込むことは僕にとっては積極的な手段だったのだ。少年時代の思い出というものは儚く、脆い。故に、いつ僕の心情が変化したのかは分からないながらも……"座り込む行為"が持つ意味が"僕の中"で真逆のものになっているという現状は理解している。
小学校の友人らがイワンコとかけっこするの夢中になっている間、僕は一人で図鑑を眺めていた。イワンコについて少し詳しくなったので、意気揚々と彼らにそのことを伝えに行った。しかし、彼らの興味は既に海でのポケモン探索へと変わっていた。彼らは誰が一番最初にポケモンを捕まえられるかに躍起になっており、僕は握りしめていたメモをそっと鞄にしまい、海に入った。

その時だった。何が巨大なポケモンが僕の横を横切り、大きな波がおこり、僕を襲った。
未熟な人間の体では到底敵わない波。まして子供なら尚更流されやすい。僕は『どうやって助かろう』とか、『他のみんなは大丈夫だろうか』とか考えるより先に、『海に入るのは僕にはまだ早かった』と思った。しばらくして浜に打ち上げられた。友人らも横たわっている。流されたのは僕だけじゃなかった。
しかし、友人の一人の網の中にはラブカスが入っていた。

「実は俺、捕まえてたんだよね。」

その一言を聞いた他の友人らは、我先にと海へ飛び込んだ。僕も行こうとしたが、足がすくんだ。暫くは立ったまま彼らのことを眺めていたと思う。しかし、立ちっぱなしというのも疲れるので、僕は彼らがシェルダーや、コイキングや、ヒトデマンを捕まえる様子を座り込んだまま眺めていた。

時が経ち、少年は青年になっていた。しかし、彼の座り込み癖は悪化している。ただの座り込むのではなく、心が座り込むのだ。ポケモンバトルも強くなければ、ポケモンを捕まえるのが上手いわけでもない。どんくさくて、パットしない、ヒンバスみたいな男。僕が学校生活の中で受ける視線は『嫌気』か『無関心』か。こうしたものを受けるたび、座り込んでいてはきりがない。僕は気にしないようにしたが、難しい。『まもる』が使えないので『光の壁』でなんとか耐えている、そんな状態。当然壁技なんか使ったターンは動けない。あとは言うまでもないだろう。

ある日、ニドリーナを僕の家で預かってくれないかと頼まれた。依頼主は小学校の頃からの友人。このニドリーナとはまだ彼女がニドラン♀の頃からの付き合いなので顔見知りだった。僕は乗り気じゃなかったが、両親が快諾した以上、預からねばならない。ポケモンは嫌いじゃないが、はっきり言って積極的に関わりたいとは思わない。図鑑越しに眺めるのが丁度いい。
預かり初日、両親がポケモンフーズの買い出しに行ってしまったので、早速ニドリーナと二人っきり(一人と一匹だが)になってしまった。事前に友人からもらったフーズなんかをあげると、喜んで食べるのだ。

「リーナ!」

と、喜んで飛び跳ねる姿は可愛い。そんな姿を見せられては僕も調子に乗ってしまう。おもちゃを取り出し、遊んであげることにした。そう思いおもちゃを取り出した。釣り竿みたいな、ヒラヒラしたものがついているあれである。ヒョヒョイとおもちゃを振り回すと、ニドリーナはそれに合わせて動く。しばらく続けていると、手からおもちゃがすっぽり抜けてしまった。そのままニドリーナに直撃する。すると、ニドリーナはダッシュでこちらへ向かってきた!
僕の頭を恐怖が支配する。僕は知っていた。ニドリーナは強力な毒を有するということを。僕は知っていた。ニドリーナにな鋭利な棘があると言うことを。僕は知っていた。ニドリーナは普段は温厚だが、怒ったら恐ろしいということを。
恐怖のあまり、僕はものすごい大声を上げながらニドリーナを蹴り飛ばした。

「リナッ!」

我に返ったときにはニドリーナは床に伏していた。反射的に謝った後、自室へと向かう。
後悔の念から、僕は課題やテスト勉強なんかを放置し、体育座りなんかしつつ時計を眺めていた。



その日の夜、両親と食事をしているときにはじめてこのことを話した。
母はひたすら怒り、ニドリーナのことを心配していた。まあ、これは慣れっこである。
しかし、父は神妙な顔をした後、少し悲しそうな顔をして、

「ニドリーナを蹴ったんだろ? 仮にニドリーナに敵意があったのなら、お前の足には穴が空いていたはずだ。」

だが僕の足は無傷だった。

「となるとニドリーナは純粋な好意からやったんじゃないか?」

おそらくその通り……いや、絶対にそうだ。そういえばニドラン♀のころも同じことをしてきた覚えがある。

「やはりお前はもう少し自分以外ものの気持ちを考えたほうがいい。」

このようなことはよく言われる。学校の教員には耳にオトスパスができるほど言われた。しかし僕の心には響かない。なぜなら既にそうしているから。他人の事を考えた結果、常に最悪の事態を想定する癖がついている。期待を裏切られることに対する恐れ故なのだろう。面倒な男である。
食事を終えてテーブルから離れると、ニドリーナが目を輝かせながらついてきた。自分がなにをされ、それがなにを意味しているのか理解してないのだろうか。


翌日、学校で依頼主の友人に謝罪した。ポケモンを預けるということは、旅行なりなんなりで家を空ける故と想像する方が多いだろう。しかし友人の場合預ける理由が全く違ったものであり、一般的にポケモンを預ける場合よりも重大な責任が付随する。と、いうのも彼の両親がポケモン博士であり、『人的環境要因によるポケモンの変化』という研究のため、家庭のモデルケースとして我が家が選ばれた。つまりニドリーナになにか「良くないこと」があった場合、彼の両親は研究のやり直し、あるいは家庭がポケモンに与える影響にその「良くないこと」を加え、学会に発表しなければならないかもしれないのだ。
僕の両親と友人の両親は仲がよく、言ってしまえば縁故採用のようなかたちでこの研究の協力者として選ばれたのだ。

「はは、ニドリーナはそんなにヤワじゃないから、大丈夫だろ」

彼は笑っている。

「でも、ニドリーナを傷つけてしまった……やっぱり他の家庭に代わってもらったほうが……」

「そうはいかない。ニドリーナと昔から顔なじみのお前だから頼んだんだ。」

僕の提案はすぐに拒否された。

「まあ気楽にやれよ。知ってるか? ニドーリナの進化系、ニドクインはじめんタイプだ。普段下ばっか見てるおまえに、じめんタイプはピッタリだと思うが。」

「みなさん席についてくださーい。」

授業が始まる時間になったので、彼は自分のクラスへと帰っていた。

僕は漠然と授業をこなし、弁当を食べ、気づけば家に帰っていた。ノートには書いた覚えのない数式や、知らないポケモンの名前が羅列されている。テレビをつけると、新チャンピオンのことでもちきりである。弱冠10歳にして、地方統一チャンピオンの座へと登りつめた天才。彼をみた凡夫は、己の一日を想起し、彼と比較して、なんだか暗い気持ちになった。
いくら考えても答えが出ない。どうして自分はこうなのか、と。自己問答の果には新たな問題が待っている。考えてるうちに夜は更け、明日になり、不完全燃焼感とともに目が覚める。
そんな日を繰り返す。
繰り返す。
繰り返す。
繰り返す。



繰り返していると思ったある日、どこからかニドリーナが現れた。

「リーリー」

皿を鼻で小突いている。餌の時間だろうか。
トークアプリを開いてみると、母からの伝言が。
『ニドリーナ、16:00におやつの時間です。ポフィンが冷蔵庫の中にあります。貴方のおやつも冷蔵庫にありますけど、くれぐれも間違えないこと。』
ポケモンの餌と人間のおやつを間違えるわけがない、と思いつつ棚を見ると、なるほど、確かに間違えそうだ。ニドリーナに渡すと、美味しそうに食べている。僕もロールケーキを食べようと思うと、何故かすでに切られている。ニドリーナがやったのだろうか。 

「思ったより世話焼きなんだな、お前。」

ロールケーキを食べ終え、勉強をしようと部屋に行こうとすると、ニドリーナにズボンを引っ貼られる。遊んでほしいのだろうか。
遊んでやろうと思ったが、先日の事を思い出し、手が止まった。僕は早々と部屋へ行き、宿題をはじめるのだった。

部屋に戻り宿題を始めようと、本棚に手をかけた。すると、取り出した参考書の産んだ空間に吸い込まれるような感じで、連鎖的に本が倒れた。「片付けなきゃ。」と思った矢先
、一冊の古びた本が目に入った。
それはアルバムであった。たしか……10年くらい前の写真が貼ってある。改めて覗いてみると懐かしいものだが、ある一枚の写真が強烈に過去ではなく現在を訴えかけているのに気づく。写真には二人の少年とポケモン一匹。そのポケモンは……ニドランだった。この頃の僕はニドランの雌雄差なんて気にしていなかったので、写真には『友達とニドラン』とだけ書いてある。お察しの通り、このニドランとは今のニドリーナである。目元が似ているのですぐにわかった。
そうだ、僕はよくニドランと遊んでいたんだった。ではなぜ今、こんなにもどかしいことをしているのだろうか。
いろいろ考えていると、『コンコン』と扉を叩く音が聞こえた。開けてみると、ニドリーナが例のおもちゃをくわえてちょこんと座っていたのだ。恐る恐るおもちゃを手に取り、前にかざそうとする。しかし、手が動かない。己の葛藤、迷い、悩み、複数要因とも、あるいは単純な二択とも言える条件が頭の中を駆け巡る。

「リッ!」

ニドリーナの鳴き声共に、僕の中でなにかのレバーが倒された。脊髄反射的に先程の難解な二択問題に回答するはめになったのだ。
ニドリーナが近づいてくる。僕には新たな問題が与えられた。この前のように振る舞うか、否か。
実のところ、僕はこの問題に対して回答を用意できなかった。レバーが倒れた拍子に、僕はあっけにとられ、思考が停止していたのだ。故に、おもちゃは「遊ぶ体勢」をとっていた。ニドリーナは近づくやいなや、おもちゃで遊び始める。するとすぐに『もう一回』と言わんばかりの顔で僕の前におもちゃを突きだす。
僕は問題に答えずして、問題に正解したのだ。今考えれば『何も考えない』のというのはある種啓示的な回答だったのかもしれない。兎角、一度の成功体験は僕の認識を大きく歪ませ、凸面が凹面に変わった。下ばかり見て狭まっていた視界は、青々と開けた。僕とニドリーナの関係が大きく変わったきっかけはこの日である。
通常、何かが大きく変わるときは大きなきっかけがあるものだ。どんなおとぎ話にも、壮大な伏線が用意されている。しかし、現実はそうではないのではないだろうか。まるでポケモンが経験値を積んで、いきなり進化するように。そういった意味では、僕はポケモンらしい進化を遂げたのである。
結局その日は日が暮れるまで部屋で遊び続け、床にはキズ、壁には穴が相手しまった。
親に怒られるのが容易に想像できたが、不思議と怖くはなかった。

それからはもうめっきり仲良くなった。
僕の学校はポケモンOKだったので、もちろん学校に連れて行った。でもそれだけじゃない。
例えば一緒におやつを食べたり。
山に遊びに行ったり。森に遊びに行ったり。
まるで電光石火の如く日々が過ぎていく。
この頃にはニドリーナの世話にもすっかり慣れ、彼女は僕の日常の一部になった。
くたびれるまで学んで、日が暮れるまで遊んで、汗を流し、同じ時間を共有する。とても楽しい毎日。



「ニドリーナとはうまくやってるか?」
放課後、誰もいない教室で友人に問われる。

「もちろん、最近はめっきり仲良くなったよ」

「ならいいんだ。 そうだ、実はちょっと頼みがあって。」

神妙な顔で友人が問う。

「いつも大学に出してもらってる実験レポートなんだけど……俺、家族で旅行に行くから……変わりに大学側に出しといて貰えないか?」

友人は両親の手伝いでよく大学に行っている。が、それができないということなのだろう。

「わかった、もっていっとくよ。」

僕は快諾した。
彼から資料を受け取り、早速大学に向かう。
その時、

「リーナ!」

ニドリーナが飛びついてきた。

「ニドリーナも気になるか。」

まあ、自分事なので当然である。

大学はここからそらとぶタクシーで15分。
鳥ポケモンたちにお礼を言い、大学構内に入る。やはり国内最大級の大学都市なだけあって、気を抜かすとすぐに迷ってしまいそうだった。友人から預かっていた入館証を提示し、ビルの中に入る。たしか……7階だった。エレベーターを使い上へ上がると、そこは様々なポケモンが暮らすポケモン研究所だった。僕がポケモンに見惚れていると、後ろから声がする。

「君、何しに来たんだ?」

猫背の中年女性がニドキングと共に立っている。

「あ、これを届けに来たんです。」

「リーナ!」

「被検体も一緒に……わざわざ御苦労なこった。」

とだけ言うと彼女はポケモンと共にこちらへ向かってきた。
ガラス張りの天井が光のカーテンを作り、それをかき分けるように近づいてくる。

「実験の経過はどうかな?」

「はい、ここ一ヶ月の観察で、ニドリーナはきのみの中でもチーゴの実が好きだとわかりました。」

「……。」

「それから、ニドリーナは走るのが好きみたいで、よくポケモンランに連れていきます。それと、ニドリーナは……」 

「ちょっと待って。」

彼女が会話を遮る。
その顔はすこし困惑している。

「私は君の経過について聞いたんだけど。」

僕は少し硬直してしまった。
なぜ、僕の経過……というか、僕について聞いてどうするんだろうか、と。

「なぜ僕なんですか……?」

素直に聞くと、彼女は過ごし驚いた顔をして、

「まさか知らなかったのか? 今回の実験の被験体は君だ。」

声が出なかった。

「新世代ポケモンセラピーについての検証、その被検体が君だ。 ニドリーナの母性本能が、一体どこまで効果的なのか……がテーマだ。」

ニドリーナの方を向くと、少しうつむいているように見える。

「……受け取るものは受け取ったので、君たちはもう帰宅して構わない。車に気をつけて。」

彼女はそう言って、去っていった。
さっきまで青々としていた僕の視界には、打ちっぱなしのコンクリートが広がっている。


その後立ち上がり、家に帰ることにした。帰路ではニドリーナと口を交わすこともない。まさか、自分が面倒を見てると思っていたニドリーナに面倒を見られていたとは。道化である。家に帰り、僕はニドリーナをボールから出して、部屋に入った。椅子があるにも関わらず床に座り、手で顔を覆った。
頭の中をいろんな考えがかけずり回る。「僕は騙されていたのか?」とか、「ニドリーナも実は嫌がっていたんじゃないか?」とか。
考えて、考えて、考えて、考えて考えて考えて………。このまま過去の自分に戻りそうな気がした。顔を覆っていた手をほどかれ、支えを失った首が頭蓋の重さで傾いていく……………と、その時、僕の視界になにかが映った。
これは………キズ?だろうか。
そうだ、これはニドリーナと遊んだときにできた傷だ。おもちゃを引っ込めたときに、ニドリーナが角でつけた傷。
不思議とニドリーナのことが思い出される。思い出してみると、嫌なこと……はない。ではなぜ、僕は再びニドリーナから目を背けようとするのか。いや、ニドリーナに限った話ではない。僕はなぜ、こんな行動をとってしまうのか。

「リーナ……?」

ニドリーナが部屋にやってきた。そうだ、あまりに急なことだからドアを締めていなかったのだ。ニドリーナは、今日のおやつをわざわざ下のキッチンから歩いて運んできたのである。

………そういえば、この座り込んでいる自分は周りからはどう見えるんだろうか。
楽をしているように見える。たしかに、楽な姿勢である。楽………僕は楽をしていたのかもしれない。周りを見なければ、余計なものを見なくてすむ。その場にとどまっていれば、疲れなくてすむ。逃げる体力すら惜しむ、思考停止の行為。僕はこの状態を考え込んでいると思っていたが、そんなことはなかった。
再びニドリーナを見る。そういえば、ニドリーナと過ごしているときは下なんか見てる暇がなかった。休んで止まっている暇なんかなかった………。

「ニドリーナ、ありがとう。」

僕はニドリーナの頭を撫でると、立ち上がり、階段を降りた。
暑かったので、ドアと同じく窓も開けっ放しにしていた。故に、突然の風がカーテンを大きくめくり上げた。
車が動き、人が歩き、ヤミカラスが羽ばたいている。雲はなびき、ディグダは穴に潜り、遠くでは夕日が沈まんとしている。
僕は、世界が動いているのを確信した。



結局僕は何事もなかったかのように翌日を迎えた。

「ニドリー!」

「おはよう、ニドリーナ。」

実際のところニドリーナがどこまで実験のことを知っていたのかわからないし、どう思っていたのかもわからない。

それにこれは後で知った話なのだが、大学に行ったあの日、すでにレポートは大学側にメールでデータ送られていたらしいのだ。わざわざ僕にレポートを届けさせたことが故意なのか、たまたまなのかはわからない。が、どうでもいいことだ。
聞けばわかるんだから。

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