【第038話】生き恥の是非 / ケシキ、チハヤ

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 週末、昼。
GAIA西エリア、保健室。
「……。」
ベッドの上のケシキ少年は、スマホと参考書を広げながら自習に励んでいた。
この日は授業は無いにも関わらず、スズメからは相変わらず保健室への滞在を強制されていたため、自分のコテージへの帰室も出来ない。
つまり、これしかやることが無かったのだ。
「……みゃお。」
ケシキと一緒にベッドの上で参考書を読んでいたニャオハが、彼に語りかける。
「物理防御の専門書を読み終えたか。次はどれだ?」
「みゃ。」
「……カウンタームーブの奴か。これだ。」
「みゃお。」
枕元にあった参考書を受け取り、ニャオハはすぐにそれを読み耽る。
その集中力も佇まいも、まるで人間と遜色がない。
「(……凄いな。コイツ、俺の3倍は速読だ。)」

 ニャオハは彼なりに、デスクワークを楽しんでいるようだ。
が、トレーナーの方は対照的に、歯がゆさに悶えるばかりであった。
「(クソッ、俺がここから出られないばかりに……!)」
実際、彼は無断での外出は禁止されている。
そのため、満足にポケモンたちに実践訓練を施してやることも出来ないのだ。
ニャオハのように高度な知性を持っているポケモンであればこうして幾らか座学で補うことも出来るが……

「(……やっぱり限界がある。特にガケガ二とアイツは、身体を動かさないと……)」
段々と、彼の中でも思考が詰まっていく。
戦闘理論や技の選択肢など、様々な知識は磨かれるものの、それでも。
こうしている間に、他の学生らは鍛錬に励んでいるのだ。
……そう考えているだけで、ケシキはまた耐え難い屈辱と劣等感に襲われるのであった。

「……みゃお。」
突如、ニャオハがケシキの参考書を上から押しつぶす。
「な、何をするんだ……!」
「みゃ。」
ニャオハは首を小さく横に振った。
眉間の皺が深くなっていくケシキを見て、彼の心情を悟ったのだろう。
少しばかり休憩にしよう……と、彼なりにケシキを労っていたのだ。

「みゃーーーーお!」
そしてニャオハは大きく鳴き声を上げる。
カーテンの外にいるスズメを呼ぶときの声だ。
「はいはい。なんじゃ、その様子だと緊急では無いようだが。」
呼ばれたスズメが顔を出すと、彼女に向かってニャオハは訴える。
「みゃお!」
「ふむ……詰まっとるようじゃな。どれ、茶でも入れよう。しばし待っておれ。」
「みゃ!」
ニャオハの小さな敬礼を確認し、スズメはキッチンスペースの方へと向かっていった。

「べ、別に詰まってません!第一……」
そう言いかけたケシキはバッと起き上がり、カーテンを大きく開く。
「大体何なんですかその格好はッ!?」
ケシキが言いたかったのは……スズメのその面妖もといファンシーな背格好だ。
なんと彼女はいつもの白衣ではなく、ピカチュウ型の着ぐるみパジャマを着用していたのである。

「おー、これか。通販で安かったから買ってみたんじゃが……中々かわいいじゃろ。」
「そうじゃなくてですね……何故に職場でそんな格好してるのかって聞いてるんですよ!?」
「……本来ならわっちとて休みたいんじゃ。でも、お主の万が一を考慮して、こうして休日出勤しとるんじゃろうが。服装くらい好きにさせい。」
実際、本来であればこの日は教員たちも休みになる筈の日だ。
が、ケシキを保健室に軟禁している以上、スズメも持ち場を離れるわけにはいくまい……と、この保健室に籠城しているのである。
せんべいの袋と畳と座布団、あとはワンセグテレビを完備して。

「というかお主も、少しは寛いだらどうじゃ。どーせ満足に寝とらんのじゃろ。」
「みゃお。」
湯を沸かしながら説教をするスズメに合わせ、ニャオハが頷く。
ケシキの目元がぼんやりとしているせいで、彼女らには全て見透かされていたのだ。
「……眠れるわけ無いじゃないですか。全然動いてないのに。」
「だとしてもしっかり眠れ。身体を動かさずとも、脳は思った以上にエネルギーを喰らうんじゃ。休めないとパンクするぞ。」
「それっぽいことを……まるで保健の先生みたいじゃないか。」
「いや、実際そうじゃが?」
不貞腐れながらも、湯が湧くのを座って待つケシキ。
膝上にて丸くなるニャオハを撫でつつ、他愛の無い会話を交わしていた。

 さて、そんな時。
保健室の扉を、何者かが優しく叩く。
「はい、どうぞ。」
スズメが返事をすると、ガラガラと音を立てて扉が開いた。

「失礼します。」
深々と頭を下げつつ入ってきたのは、2人の男子学生だ。
片方は黒いバンダナとエプロンを下げている、銀髪の大人しそうな学生。
そしてもう片方は、ケシキとほぼ同じ緑色のマッシュヘア……そして緑色のエプロンをしている。
このエプロンはレンジャー科の実習用の服装……即ち彼らは、レンジャー科の学生なのだ。

「おぉ、ナガメか。久しぶりじゃの。」
「お久しぶりです、スズメ先生。こちら、お茶菓子です。よろしければどうぞ。」
緑髪の方の学生……ナガメはそう言いつつ、持参した紙袋をテーブルの上に置く。
中にはヒウンアイスのカップが数個、セットで入っていた。

「で、ヘイルも来たのか。まぁゆっくりして行け。」
「……どうも。」
ヘイルと呼ばれた方の学生も小さく会釈をし、ナガメと共に近くのテーブルに座す。
どうやら彼らは、スズメとは顔見知りの仲のようだ。

 が、その時……
「……おいナガメ。一体何の用だ。まさか怪我をしているわけでもあるまい。」
保健室に現れたナガメという学生に対し、ケシキはおもむろにガンを飛ばす。
「何の用だ、とは何さ。兄さんが保健室から帰れないっていうから心配して来てやったのに。」
「別に良い。というか、もっと部活なり街へ遊びに行くなり、有意義な事はあるだろ。」
ナガメの事を邪険に扱おうとするケシキ。
そんな彼の手首を、ニャオハが前脚でぱしりと叩く。

「痛ッ……」
「み゛ゃお!」
何てことを言うのだ!と言わんばかりの竹箆である。
「全く……可愛い弟が遠路はるばる訪れに来たというのに、何じゃその態度は。お前のツンデレなど需要はないぞ。」
「誰がツンデレだ!」
嗜めるスズメ及びニャオハに、反発するケシキ。

 ……そう、このナガメとケシキは弟と兄。
実の兄弟関係にある、ドラクサイド家の子息なのだ。
「どれ……ちょうど紅茶を入れようとしていたところじゃ。お前らも一緒にどうかの?」
「ではお言葉に甘えさせていただきます。」
「うん、いただくとしようかな。」
「(チッ、うるさいのが増えた……!)」


 ーーーー「……ほう、4年生になってからも随分と楽しんでおるようじゃな。あれか、確か……」
「ブリーダー専攻ですね。育て屋や預かりシステムの運営などに携わる職業の専門訓練をする学科です。」
「おぉ、それじゃ。」
アイスを片手に、ナガメとスズメは世間話を弾ませる。
特にナガメの学園生活は、彼本人の様子を見るに大きく充実しているようだ。
「まぁ、具体的な専門教科に入るのは9月以降なんですけどね。今年の夏はガラル地方のヨロイ島での実地演習も出来るそうなので、特に楽しみなんです。」
「ほう、そうかそうか。あそこは名物師範がいると有名なところじゃな。……あの爺、まだ息しとるんかな。」
「ご健在ですよ。この前もかくとうポケモン専門の学術誌で取材されてましたし。」
「うわマジか。というかそんなニッチなもん……よう読んでるの。」
「いえいえ、面白いですよ。ダクマの効率的な繁殖法とか、色々書かれてますし。それと……」
ナガメのテンションが数段上がり、学んできた知識のお披露目会が始まる。
その圧倒的な情報量には、スズメもヘイルも圧倒されるばかりだった。

 このナガメという学生は、現在はブリーダー志望としてレンジャー科に所属している。
特にポケモンに対しての知識欲は凄まじく、自ら専門書などに手を出す程である。
そのあたりの知識量は、兄のケシキに勝るとも劣らない。
 
「さ……さすがブリーダー志望だ……。」
「まぁね。あ、ヘイルくんもちゃんと専攻コースは決めておきなよ。夏休み明けには提出を迫られるんだから。」
「うん……前向きに考えておく。」
気乗りしない様子で、ヘイルはティーカップを口に運んだ。
そうしている間にも、ナガメの会話はヒートアップしていく。

 そんな中、徐々に苛立ちを募らせていたケシキ。
遂に彼はスプーンを軽く投げ捨てるようにテーブルに叩きつけ、徐に立ち上がる。
「……ッ、少しお手洗いに行く。」
「みゃお。」
そうしてケシキは保健室を後にし、その後を追うようにしてニャオハも部屋を出ていった。
ケシキが機嫌を損ねていたのは、誰の目にも明らかであった。
どう考えても、額面通りにお手洗いに向かったわけではあるまい。

「あーあ……全く、いつまでもガキ臭い奴じゃ。」
「あ……ちょっと悪いことしたかな。」
「ええんじゃええんじゃ、気にするでない。」
少しばかり肩を落とすナガメを、スズメが慰めた。
「……もしかして、楽しそうにしているナガメくんが羨ましかったのかな。」
ヘイルはふとそんな事を思い、口にする。
しかしそれに対して、スズメは首を横に振った。

「違うの。……アレは奴なりの責任感じゃ。」
「責任感……?」
「……話せば長くなるんじゃがの。ケシキとナガメの家……要は大銀行のドラクサイド家は少々面倒な事情を抱えているんじゃ。」
そうしてスズメは掻い摘んで、ケシキの持病についての情報をヘイルに伝える。

「んで、ケシキの奴は持病が原因で次期社長候補から外された。必然的にドラクサイド家は、次男坊のナガメを後継ぎ候補にしたってわけじゃ。」
「え……でもナガメくんはブリーダー志望なんじゃ……」
「……そうだよ。僕は正直、お金のことはあんまり興味はないからね。」
「……。」
「常に有益なものと無益なものを天秤にかけて、後者を切り捨て続けなくちゃいけない。善い人と悪い人を見極めて、後者の手を振り払い続けないといけない。そんな商売、僕には到底無理だよ。」
ナガメは申し訳無さそうに、俯いてそう言う。
実際、彼の温厚そうな人柄を見ても……銀行員、という雰囲気はこれっぽちも漂ってこない。
ケシキと比べても、その素質の違いは明らかであった。

「そしてアイツは、そんなナガメの夢を応援するために、2年生の時にGAIAと交渉して弟を商業科からレンジャー科に転科させた。」
「え、そんなこと出来るんですか……?」
「普通は無理なんじゃけどな。アイツ、普段は幼稚な奴なのに……こういう所は流石、社長のドラ息子って所じゃの。」
そう……ケシキはナガメに対して高圧的な態度を取っているものの、その実は弟のブリーダー志望の夢をこれでもかと応援していたのだ。

「まぁ、だからこそアイツは……なんとしても社長の席に座らなければ行けない、と自責の念に駆られておるんじゃろ。弟を実家の束縛から解き放ち、夢を叶えさせてやるためにもな。」
「じゃあ、ケシキ先輩が辛そうにしていたのって……」



 ーーーーーGAIA西エリア、8号館フロント。
保健室からはいくらか遠い場所だ。
入口付近にあるベンチに座し、俯くケシキ。
「……クソッ。」
そう吐き捨てるように、小さく呟く。
「ナガメのためにも、頑張るって決めたじゃないか……!なのに、どうしてこんな所で足踏みしてるんだよ、俺……!」
「みゃお……。」
「……アイツ、相変わらずだったな。間違いなく、あの知識量と学習量は逸材のソレだ。……絶対に、あんな銀行のために絶やして良い才能じゃない。」
ニャオハに語りかけるようにして、ケシキは本音を吐露していく。
ナガメに対しての尊敬と思いやりが……ここに来て自身の劣等感と、最悪のシナジーを引き起こしていたのである。

「……ただでさえ、俺がナガメの夢の妨げになっている。俺がこんな病気だから、アイツを自由にしてやれないんだ。だったら、せめてアイツの邪魔にならないように生きるしか無い……なのに、それが出来ないなら……!!」
「みゃ………。」
そこまで言って……その先の言葉は、ケシキ自身も飲み込んだ。
ニャオハに聞かせる訳にはいかない……という思いから。
そして、口にすれば真実味を増してしまう……という恐怖から。
しかし淀んだその答えは……彼の心に共鳴し続ける。


「(俺に……存在する意味はない………)」




 そんな事をしていた……まさにその時である。
誰かの声が聞こえる。
どうやら何名かの女子学生らが、談笑しながらフロントを通過しに来たようだ。
「でさー……確か明後日?あのチハヤくんがまた果たし合いプレイオフに出るんだって。」
「マ?早すぎっしょ。」

「ッ……!!」
『チハヤ』……という聞き覚えのある名前に。
ケシキは思わず反応し、女子学生らの会話に耳をそばだててしまう。

「で、相手はオモト先生だってさ。いや、流石に無理ゲーじゃね?」
「わかる……あのセンコー、やることワケ分かんねぇもん。」
「でも、あのテイルって試験官プロクターも凄腕だって噂らしいじゃん?ワンチャンあんじゃね?」
「いや……でもそのチハヤがさ、昨日からずーーーっと牧場の方に籠もりっきりらしいよ?畜産部の彼ピが言ってた。」
「マ?何やってんだろうね。」
そんな会話を交わしながら……彼女らは建物の外へとフェードアウトしていった。

「……牧場、か。少し顔を拝んでやるか。」
「みゃ……。」
ニャオハは小さく頷く。
「……引き止めないんだな。」
いつもならスズメの指示を破るケシキを嗜める彼だが……今日ばかりはナガメが来ていることもあり、彼のコンプレックスを再発しかねない……という判断だろう。
こうして彼らはチハヤが居ると噂される牧場へ向かい、無断外出をするのであった。



 ーーーーー同時刻、GAIA南西エリア、牧場。
「……遅い。」
苛立ちを見せるテイルは、牧場の裏戸を開く。
もう昼時になったというのに、一向に訓練会場に現れないチハヤを捜しに来たのである。
「……チハヤ。一体いつまで此処に……」
テイルが彼を叱責しようとしたのもつかの間……彼女は言葉を飲み込んでしまった。
そこには壮絶な光景が広がっていた。

「ぶるぉおおおおおおおッ!!」
という、ケンタロスのけたたましい鳴き声。
そして……
「おいこらてめッ、いい加減に大人しくしやがれ!!この薬飲まないと治らねぇっつってんだろーがッ!!」
「ぶるぉおおおおおおおお!!」
「痛ででででで、髪は駄目ッ!駄目だってああ゛あああ゛ああッ!!」
そのケンタロスと生身で取っ組み合いに発展しているチハヤの姿であった。
片手にはソテツから渡された粉薬を解いたトレイがある。
どうやらこれを飲ませようとした所、目を覚ましたケンタロスが抵抗を見せ始めたようだ。
パーカーが穴だらけ、そして本人の顔が痣だらけになっており、その戦いの激しさを物語っている。
周囲にはウールーやミルタンクがギャラリーとして集まってきており、状況は混沌を極めていた。

「……え、これどういう状況?」
困惑するテイルに、近くを通りかかったニーノが説明をする。
「まぁ、かくかくしかじかで……なんとか点滴液は替えられたんだけど、飲み薬がね……」
「……えっと、これいつからやってるの?」
「今朝の6時くらいにはこうなってたから、実に6時間くらい……?」
「え」
「しかもチハヤくん、今日は一睡もせずにケンタロスの側に居たらしいからねぇ。ほんと、正気の沙汰じゃないよ。」
流石のテイルも、顔から血の気が引いていくのを感じる。
それだけの時間を費やしていたこともだが……そこまで献身的になれることには、寧ろ恐怖すら覚えていた。

 テイルはニーノの話を聞くとすぐさま、手首を振り上げる。
呼び出したのはグランブルだ。
「……やりなさい。」
「がるるーーーーッ!!」
飛び上がったグランブルは、ケンタロスとチハヤの取っ組み合いの現場に乱入。
そしてそのままケンタロスの顎にアッパーパンチを食らわせ、彼を無理やり眠りに落としたのであった。

「ぶる…………。」
軽い脳震盪を起こしたケンタロスは、そのまま動かなくなる。
「た……助かった………。」
チハヤは安堵し、ほっと胸をなでおろす。
そして倒れ込んだケンタロスの喉を目掛け、水で解かした粉薬を無理やり流し込んだのである。

 そんなチハヤの元へ……テイルは数歩歩み寄る。
直後、彼のパーカーの胸ぐらを掴んだ。
「なっ……!」
テイルの表情は怒りに満ちている。
その要因は、チハヤが訓練場所に遅れたこと……だけではなかった。

「……いい加減にしてッ!!どうしてあなたがそこまでボロボロにならなくちゃいけないの!?」
「ッ………!」
テイルは眉間に皺を寄せ、叱責する。
彼女の瞳に反射するチハヤの顔は……酷いものであった。
先の喧嘩で出来た傷だけでなく、一睡もしてないことに起因するクマも浮かんでいる。
そんな彼の様子は……目に余るものだったのだ。

「いやだって、ニーノ先輩には牧場の仕事があるし……いつ容態が急変するかも分かんねぇし。俺が診ておくしかねぇだろ。そもそも、俺が撒いた火種なんだし……」
「……だとしてもッ!あなたがそこまで身を削る必要は無いでしょう!?これであなたに何かあったらどうするの……!」
テイルの腕は、震えている。
怒りだけではなく……別の感情も、彼女を揺り動かしていたのだ。

「あなたはそうやって……また・・生き急ごうとする……!!」
「な……なんだよ。元々、俺を殺すつもりだったくせに……。」
「ッ………!!」
テイルはしばらく俯く。
何も言い返せない。
何も伝えられない。
……彼女の中で、口にするべき言葉は、行き場を失ってしまっていたのだ。

「……………とりあえず、16時に特訓を開始するから。早く帰って仮眠を取りなさい。」
「で、でも……」
チハヤにとっては……今の最優先事項は自分のことではなかった。
このケンタロスの命の是非こそが、一番の気がかりだったのだ。
今はこうして大人しく眠っているが、いつまた容態が変わるか分からない。
それに先のテイルのような荒療治も、少なからずケンタロスには負担がかかる。
……この場を離れることなど、チハヤにはとてもじゃないが出来なかったのだ。

「……じゃあ、このケンタロスに時間を取られてオモト先生に負けてもいいの!?」
「そういうわけじゃねぇけど、コイツをほっとくわけにも行かねぇだろ!?」
そうしてテイルとチハヤは、また論争を発展させる。
彼らの価値観の違いが……どうしようもない軋轢を生んでいたのだ。


 さて……そんな彼ら師弟の声を聞きつけてか。
表戸から何者かが入ってくる。
「……此処に居たか、チハヤ。」
「みゃお。」
「け、ケシキ……!?」
そう、先程保健室から無断外出してきたケシキとニャオハである。

「……なるほど。牧場に籠もりきりという噂は本当だったのか。」
そう言いつつ、彼は牧場の奥地へと入っていく。
そして08番スペースに横たわって、点滴に繋がれているケンタロスの姿をひと目見た。
「……ふーん。」
「な、何だよ一体……!」
「……そういうことか。お前らしいな。」
重傷のケンタロスと、ボロボロのチハヤ……これがどういう経緯で完成した情景なのか、彼にとっては語るまでも無く見抜けることであった。
ケシキはそんなチハヤのお節介を察し、言葉を送る。




「……実に迷惑な話だな。ケンタロスが可哀想だ。」
「……は?」
その言葉の意味が……チハヤには分からなかった。
「お前にはわからないだろ。どうしてケンタロスが抵抗するのか。」
「ッ……ど、どうしてだよ?」
困惑するチハヤに、ケシキは逐一説明する。

「ブレイズ種のケンタロスにとって、群れを率いることは『生きる意味』そのものだ。奴らにそれ以外の存在意義はないに等しい。」
「そ、そんなこと……!!」
「少なくとも、奴らの生きている世界ではそれが事実だ。その『生きる意味』を全うできないケンタロスにとって、半端に生きながらえることは最早『恥』ッ!奴にとって、ここで生かされることは屈辱以外の何物でもないんだ……!!」
ケシキは吐き捨てるように、貶すように……チハヤにその事を告げる。
その鋭利な言葉の矛先は……恐らくは、ケンタロスでもチハヤでもないのだが。

「……大人しく死なせておけばよかったものを。とんだ大迷惑だ。」

 ……が、しかし。
ここまで聞いていたチハヤは突如……ケシキの胸ぐらに掴みかかる。
「ッ……」
「おいテメェ……今の言葉、取り消せ。」
その形相は、いつものヘラヘラと笑っているチハヤからは程遠いものだった。
純粋な怒り……ただ一点の曇りもない怒りが、ケシキへと向けられていたのだ。
「……取り消すもんか。役立たずの生きる意味が何処にあるッ!!」
「死んだほうが良いとか意味がないとか、んなもんテメェが勝手に決めるんじゃねぇよ!!生きてることを否定される筋合いなんか誰にもねぇ!!」
命を軽んじる発言が……チハヤにとっては、よほど癪だったのだろう。
彼の頭には血が登り、今にも血管がはち切れる寸前であった。

「今すぐ取り消しやがれッ!!!」
チハヤが腕に込める力は、より強まっていく。
いつものチハヤらしからぬ様子に、周囲の面々もただ黙ってみているのみであった。
「命の価値を勝手に語っているのはお前の方だッ!!お前に負け組の気持ちが分かるものかッ!!」
しかしケシキも退かず、対立は加熱していく。
状況は一触即発……今にも、殴り合いに発展しそうな勢いであった。


「……そこまでだ。これ以上は見過ごせない。」
が、そんな二人の間に割って入る人物が。
両者を腕で押しのけて来たのは、この論争を傍観していたニーノであった。
彼もまた、いつもの温和な表情とは違う真剣な面持ちを浮かべていた。

「どうしても言いたいことがあるんなら、一度戦ってみればいいじゃないか。それで伝わることもあるだろう。一度冷静になりな。」
「………。」
「………。」
ニーノに促され、両者は距離を取る。
そして黙って数秒ほど睨み合った後……

 彼らは裏の戸口から出ていった。
向かっていったのは近くの遊牧地。
現在は平地となっているその場所へと向かい、そこでバトルをするつもりのようだ。

「……ニーノ、本当にこれでいいの?」
「ま、とりあえずはこれが積の山かなぁ。後は本人同士で解決するしか無いねぇ。」
そう言いつつ彼もまた、後を追って裏戸から牛舎を出る。
この戦いの顛末を……

 ……譲れない主張の拮抗を、見届けるために。
[人物ファイル]
☆ナガメ・ドラクサイド(15)
☆所属:GAIAレンジャー科、4年生
☆外見の特徴:緑のエプロン、緑のマッシュヘア、兄とは違う穏やかな顔つき。
☆ひとこと:ブリーダー志望の学生。ポケモンに対しての知識欲が凄まじい。得意なのは肉食系のポケモンで、ニャオハについてもかなり詳しい。



[ポケモンファイル]
☆ケンタロスRF-炎(♂)
☆親:チハヤ
☆詳細:非常にプライドが高く、気性も荒い。チハヤは生身で戦っていたが、常人がやったら間違いなく骨が数カ所折れる。真似してはいけない。



※本日登場したキャラ「ヘイル」ですが、現在空色代吉様が掲載しておりますGAIA舞台の別連載『光霰が降り注ぐ空』の主人公になります。こちら、本作品とリンクしておりますのでよろしければ読んでいただけると嬉しいです。

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