この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ウィッグはその後も、レザーミュージック内にて多くの名曲を作り続けてきた。
己の後悔を引きずるかのように、自分の味を出しつつ曲を作り続けている……つもりだった。
でも知らず知らずの内、実際に出来上がっていたのは、当たり障りのない普遍的なポップスだ。
まるで世相の圧に屈したかのような……否、最初からそうだったような。
有り体に言えばそれは、誰にでも作れるものだった。
それでもウィッグは、それに気づかない。
気づきたくない。
知らないフリで、シーケンサーに譜面を打ち込み続ける。
良いじゃないか、売れているんだから。
良いじゃないか、評価されているんだから。
……と。
そんなこんなで、ウィッグが就職してから10年弱が経過した頃。
このレザーミュージックには、不穏な空気が流れ始めることになる。
且つて一世を風靡していたようなアーティストたちが、徐々に売れなくなってきた。
終わりかけのコンテンツ……『オワコン』などと揶揄されればまだマシな方で、殆どは多様化する電子の海の中に藻屑と消えていく。
つまりは、忘れ去られていったのだ。
酷いときには、そんな中で不祥事を起こして世間を騒がせる輩も居た。
そんな時代の波から取り零されたアーティストたちは、口々にレザーミュージックのことを揶揄した。
「最低だよ!!どうせ最初から、アタシを使い捨てるつもりだったんだッ!!」
「才能があるとかなんとか甘いこと言って、結局は誰でも良かったんだ……。」
その心無い言葉は当然、関係者のウィッグの耳にだって届く。
彼はそれを聞いて「恩知らずな奴め」とも思ったし、「お前らに言われる筋合いはない」とも思っていた。
でもそれ以上に、彼は嫉妬していた。
一度でも美味しい思いをしたくせに。
『たった』一度の栄光が、どれだけ手に入れがたいものなのか、知らないくせに。
……『誰でもいい』になれるだけマシじゃないか。
自分はそこにすら行けなかったのに。
段々とウィッグは、わからなくなっていった。
こんな連中のために作ってきた音楽に、果たして何の意味があるのか。
自分が此処に携わっている意味が、本当にあるのか。
その答えにたどり着かないように、気づかないように。
彼はひたすらに、使い捨ての音楽を作り続けていく。
逃げるように、惑うように。
……そして更に10年ほどが経過した、ある朝。
彼の世界からは音が消えた。
あれだけ騒がしかった世界が、しんと静まり返ってしまっていた。
ベッドの布が擦れる音も、電話の響く音も、窓の外のポケモンの鳴き声も。
何も……何も聞こえない。
医師の診断によれば、過剰なストレスに起因する突発性の失聴とのことだった。
音楽のために人生を捧げた結果、その音楽そのものに触れられなくなるとは……なんとも皮肉なものである。
音楽家にとっての命である耳が使えなくなることは……彼にとって、最早『死』も同義であった。
無論、こうなっては仕事どころではない。
ウィッグは社長の采配で、すぐに別部署に異動となった。
でも、彼がその場所から居なくなっても、会社は問題なく回っていた。
世間に評価される曲の数々を、何食わぬ顔で出し続けていった。
『ウィッグ……あぁ、そんな奴も居た気がするな。』
……そんなことを言った社員が居たかどうかは定かではない。
でも、ウィッグの聞こえないはずの耳には、そんな言葉が飛び込んでくるようになっていた。
居たたまれなくなった彼は遂に、レザーミュージックを退社した。
あれほどまで心血を注いできた音楽が、彼の人生から消えてしまった。
でも、だからこそ。
彼はその時点で気づいてしまった。
自分の作ってきたものが、ただのゴミであることに。
積み重ねてきたものが、薄汚い音波信号であることに。
あれだけ好きだった音楽も、最後は雑音の塊になって忘れ去られていくことに。
そしてここに来て彼は、気づいてしまった。
『誰でもいい』と揶揄される痛みに。
代用可能な部品に成り下がる苦しみに。
当然だ。
彼だって一端のクリエイターだ。
その個性や積み重ねが否定されることが、苦痛にならない訳がない。
嫉妬に駆られ、レザーミュージックのアーティストたちを見下していた結果が……寄り添わなかった罰が、きっとこの無音の世界なのだろう。
ウィッグにはそうとしか思えなかった。
そう受け入れる他になかった。
ーーーーー迷霧の読み進めていったウィッグの経歴は、遂に最後のページへとたどり着く。
「んで、その後になんやかんやあってGAIAの音楽科教員として就職……と。」
「あぁ。なんでも、ウィッグ先生の奥方の紹介だそうだ。」
「……これだけ色々あったのに、結局行き着くのは『音楽』ってことか。なんとも言えねぇっすね。」
そう零し、迷霧はため息を吐く。
「しかし、これで合点がいった。あの先生の境界解崩が、あんな雑音を鳴らす意味。そして……」
「そして……?」
「……あの『尻尾』が生み出したものが『無音』である意味。」
そう言いつつ迷霧は、机の上に広げた資料を整理してクリアファイルへと戻していく。
その最中、向かいに座っていた蒼穹が目にしていたものは……迷霧の所持していた、インクの滲んだ紙の切れ端だった。
「『尻尾』……これのことか。」
「あぁ、まさしく。」
その紙切れに書かれていた文字。
それは……
『龍のよ●な、桃●の●●尻尾』
『広●る無音』
『●●で●たラブ●ロス』
『強●な不快感と●怖』
『●●●の●●』
『豹●するチハ●』
『●●●●●●』
一見すると、意味不明で汚いだけの文字の羅列。
几帳面な迷霧らしからぬ、走り書きの雑な文字。
しかしまさしくそれは……チハヤの発動していた特別な力、《召サレ揺ラグ春ノ尾獣》の特徴と合致するものであった。
そう……この紙切れは、あの時迷霧が手元に残しておいたメモなのである。
あの『尻尾』に纏わることは、誰の記憶にも、何処の記録にも残っていない。
まるで何者かにかき消されたかのように、すっぽりと消滅していたのだ。
しかしこのあまりに雑なメモは、この『尻尾』に纏わる情報だとは認識されなかったのだろう。
故に迷霧は、この情報を持ち越すことが出来たのである。
「なるほどな。チハヤ・カミシロがそんな力を……。これはまた思わぬところから伏兵が出てきたな。」
「……割りとあっさり信じるんすね。」
「たわけ。我々を何だと思っている。科学者が身内の見聞を信じなくてどうしろと言うんだ。」
「おっと、こりゃ失礼。」
相変わらずの顰め面をする蒼穹へ、迷霧は冗談半分で返事をした。
「……で、それはそれとして。このチハヤの力と、私の調べたウィッグ先生の情報に何の関係が?」
「まぁ、これは俺の仮説っすけど……。」
そうして迷霧は、自身の考えを蒼穹に簡潔に伝える。
その理論には、蒼穹も納得の様子であった。
「……なるほど。理にかなっている。が……未だそれを立証するには、具体的なデータが足りん。」
「っすね。災獄界で目撃した例の一件と合わせて、今後はチハヤ・カミシロの監視を続けていくことになりそうっすね、これは。」
「だな……奴がまた、文字通り『尻尾』を出してくれれば良いんだが。」
そう迷霧が言い終えると共に、両名の口からは同時にため息が漏れる。
「はぁ……やれやれ、やることが雪だるま式に増えていく。」
「いつもの事じゃないっすか。ま……当分の間は養成プログラムどころじゃなさそうですけどね。」
こうして彼らは新たな方針を固め、資料を纏めて図書館の最上階を後にした。
……そんな背中を、目で追う人物が2名。
「……なるほどね。随分と出来る学生みてーじゃないですか。」
窓際に凭れかかっていたのは、シママの覆面を付けたスーツの男性。
聖戦企業連合のシママーマンだ。
どうやら彼は陰で人知れず、黒衣らの会話を聞いていたようだ。
「大分真実に近づかれてやがりますけど、アンタはそのあたりどう思うんですかね。」
彼がそう投げかけた先に居たのは……近くのオットマンに座る女性。
彼女はにやりと笑って答える。
「なーに。所詮はガキの科学者ごっこ。知ったところでどうしようもない。」
随分と余裕そうな佇まいである。
その様子に、シママーマンは首を数度捻って間を開けて答える。
「……ま、俺としては学生さんらに危険が及ばなければそれが最善なんですけどね。」
「ふーむ、君はそればかりだな。結局は老婆心か。」
「失礼な。ヒーローの大義とでも呼んで下さいよ……Mis.W。」
「ハハハ、些細なものだろう。」
そう笑いながら、Mis.Wと呼ばれた女性はその場を立ち去っていった。
「しかし尻尾を出す……か。やれやれ、ちぃとばかりエサを撒いてやりますかねぇ……。」
そして遅れて、シママーマンも図書館を後にする。
その覆面の下にどんな表情を浮かべていたのかは、誰も知ることはない。
[人物ファイル]
☆シキシマノ・シママーマン(33)
☆所属:ZigZagoon重役、聖戦企業連合
☆外見の特徴:シママの覆面、黒いスーツ、高身長で長い脚。
☆ひとこと:ダウナー系のお兄さん。常に何かを諦めたような口調で話す。一応ヒーローコンテンツのいちキャラなのである程度は体裁を保つ必要があるのだが、GAIAの学生たちはそんな年齢ではないので、そのあたりの配慮はしない。
[ポケモンファイル]
☆キリキザン(♂)
☆親:悠久ノ蒼穹
☆詳細:トレーナーに似て非常に堅物。自分の力量に自信があるので、あくまで真正面からの突破に拘る性格。蒼穹の料理の味見役第1号。