「お前は……!」
「『いじげんホール』が開いたからなんだと思いやァ。この間のクソガキじゃねェかよ」
荒ぶるような赤髪に、長身が映えるエナメルのジャケット。鋭い三白眼と目が合った。
忘れるはずがない。自分が鮮やかに敗北を刻まれた、あの時から。トーリの強くなりたいという願いは生まれたのだから。
「ハッ、丁度いいぜェ! あのアルスをぶっ飛ばしたっつーのが、本当か」
男は再び出会ったトーリとミュウツーを前にすると、鋭い両目を輝かせた。そして。
「確かめてやるよ」
男の相棒である、ゼラオラの青い電撃が迸った。
フーパの手繰る『いじげんホール』。そこから召喚された男と一匹。ゼラオラ使いの男とトーリ達は、因縁の再会を果たす。後ろには依然としてあのフーパとベルも控えている。ここに来て1対2という、圧倒的不利の事態になっていた。
「おいベル。コイツとは一対一でやり合う。フーパはひっこめとけや」
「ええー!? 何言ってんの、ベル達で一緒にとりゃーってすればいいじゃん!」
だがどうにも、きゃいきゃいとツインテール少女と背の高い男は言い合っている。同じ集団の人間には違いないのだろうが、やはり個人の我が強いようにトーリは思う。
「るせぇ。テメーとフーパがくたばっちまったら、俺様はどうやって帰んだよ」
「歩けばー?」
「おいこら、ココがどこかもわかんねーっての!」
男の黒いロングブーツは小石を蹴る。見慣れた光景なのだろう、ゼラオラが特に気にも留めず前に出た。からからとまた少女が笑っていた。
「ま、たしかにー? よくないかもねっ。ベルがアルスに怒られるし」
「おう。つーわけよ、お子ちゃまは見てな」
話し合いがまとまったのか、ベルデは下がり、代わりに男がトーリに立ちはだかる。
少年からは意外だったが、本当にあのフーパはホログラムに戻っていた。厄介な『シャドーボール』での補助を、この男は本当に断ち切ったらしい。トーリ達にしてみれば幸運でしかない。しかし不審も残るので、困惑気味にトーリは、戦闘を任せたミュウツーを見つめていた。
「えっ、アンタ一人で戦うんだ? いいの?」
「ああ。マジにアルスを下したンなら、アイツにゃ到底敵いっこねーよ。それにだ、クソガキ」
猫背のまま首をもたげるようにした。男は以前よりも、いっとう楽しそうに笑う。姿はまさに戦闘狂そのもの。眼差しは鋭く光る。
「あン時のてめーの言葉……今の俺様とゼラオラに見せてみやがれ!」
『雪辱、晴らすぜミュウツー!』
実に息の合った宣言。男とゼラオラの共鳴が高まるのを感じる気圧。フーパと選手交代し、再開するは打って変わっての鍔迫り合い。スピードに命を懸けたゼラオラの猛襲が、開幕を知らせる。
しかしミュウツー側も、以前とは大きく異なる。派手な動きも、ある程度は目視が効くようになってきた。ミュウツー自身の戦闘への適応力の高さが垣間見える。
「来るよ!」
『存じている。お前が何とかしろトーリ!』
『ワイルドボルト』の連撃が、目にも留まらぬ速さで襲いかかる。電光を纏ったままの鮮烈な切り裂き。ミュウツーに触れるたびに、小さな火花が上がった。
ミュウツーは回避を止めた。代わりに、全てをガードすることに専念する。小さな規模の『バリアー』が、ミュウツーを包み込んだ。しかし無傷とはいかない。
反撃に転じたが、相手の『ボルトチェンジ』がゼラオラに生まれた隙をなくす。追撃の布石である『こうそくいどう』も、雷に似た尻尾が『エレキネット』にてとどめる。完璧な遂行だった。
『相変わらずだな、貴様は。どうにも洒落臭い』
睨みつけるように一言。
ゼラオラは軽い愉悦に浸ったまま、攻撃の意思で駆け抜ける。同じ『こうそくいどう』だが、ミュウツーよりも明白に上をいっていた。
「わざが断然増えてやがる。嘘みてーな連携も結構マシになってンな。特に攻撃の切り口。ったく、誰の入れ知恵だァ?」
素直な相手からの賞賛。
派手な見た目をしていようが、やはり男はトーリとミュウツーの戦いをつぶさに観察している。攻勢に重点を置いているのも確かであり、すぐに看破された。
どうせ信じられはしないだろう。そのつもりで、トーリは師匠のことを言ってやることにした。
「才羽ハヤテだよ。あの公式選手のね」
名前を聞いた瞬間に、目の前の男の様子が変わった。何度か瞬きをすると首を回していた。はっきりとはしないが、どこか嫌悪感の混じる驚き方。
それは前線にいたゼラオラが、『おい、どうした』と振り返るほど。何かを呟くと、ブーツに込められた力が大きくなる。見えないものを思い切り踏みつけるようだった。
「オイいくぞ、ゼラオラ」
『お、おう?』
男のギアが明らかに変わった。
「な、なんだ……?」
これまで攻撃としては近接のみを軸とし、単調であったゼラオラ。だがここにきて、広範囲の攻撃を見せる。広く激しい『ほうでん』のフィールド。
『……小癪な』
『よう、ここからどうするよ?』
ミュウツーを『ほうでん』内に捕えると、そこから更に降り注ぐのは無数の『かみなり』。
全てを回避できそうにない。
ミュウツーは小さな『テレポート』を挟み放電から退避するも、退路に待ち構えるのはゼラオラ自身。咄嗟に逃れようと、紫の尾が『サイコウェーブ』を放つが。
「しま、ミュウツー!」
トーリは自分の指示の過失を察する。相手は近接にこそ絶対の自信を持つ。俊敏さと力の両方を持つ、そんな相手に飛びこむなど、相手にとっては絶好のチャンスでしかない。『ほうでん』に挑発されたのだ。
ゼラオラの黄色い尾はミュウツーの片足を捕え、そして強引に寄せた。
慈悲なき『スパーク』が刺さる。吹っ飛んだミュウツーへ、追加の『インファイト』を数発叩き込み、最後には背中から抜けるように『アクロバット』。退避とトドメを兼ねた華麗な一撃だった。
「だ、大丈夫……!?」
『うるさいぞ、愚弄するな』
減らず口は叩くものの。ミュウツーは脇腹を抑え込み、苦しそうに立ち上がる。
これまでとは違い、重たい一撃をもらっていた。近接戦の強敵は、バランスに長けたミュウツーすらも苦戦するパワー。
「チッ、よりにもよって……アイツか」
唾棄するような男からの言葉。初めのような高ぶりはない。
不思議に思っていたのは、後ろで見ていたベルデも同じく。「へんなのー」と足をぶらぶらさせて座るワンピース少女。相変わらず、彼女たちは加勢する気がないらしい。
トーリは改めて、相手の技量の高さを思い知っていた。才羽ハヤテから教わったどのアサシン使いよりも力強く、そして巧みだ。そうして一週間で無数に見た試合を思い出していると、記憶の淵に何かが引っかかる。そもそもの男の既視感の正体が、少年にはじわじわと蘇った。
「えっ、もしかして神速のカリスマ……?」
全てを抜き去るというファイアロー使い『神速のカリスマ』。ポケモンユナイトの競技選手・焔神カガリという男に、かつて付いていた二つ名である。彼は才羽ハヤテや御影シュウとかつて組んでいた、生粋のスピード使い。人気も実力も十分に高かったが、いつからか表舞台から姿を消してしまった。
トーリがあの1週間の座学で、最も参考にした人物であった。そのカガリの戦いぶりに、あまりに男は似ていたから。
トーリからすれば思い付きに他ならない、たったの一言だったが、しかし。
「あァ? テメェ……」
思わぬ形で男は声を荒らげる。目の前の怒りを再点火させるには、十分すぎた。
「あの名で、俺様を……呼ぶんじゃねえ」
困惑するトーリを他所に、ゼラオラの電気の出力は最大化していた。その場を焦がすほどの青い電光。蒼電が走る場所には煙が上がり、一拍遅れて凄まじさを感知する。
一歩でも迂闊を取れば死ぬ。そのような鬼気迫る強さ。誰がどう見ても絶体絶命。だが、もし勝機があるならここしかないと。そう少年はしたたかにも確信していた。
『おいやるんだろ。私は敗北は認めんぞ』
「……もちろん」
ゆるりと浮かんだミュウツー。不敵を口に出すもシャンデラ、フーパとの連戦でかなり消耗している。決めるならば、次に相対したフェーズ。
真っ直ぐに向かってくるゼラオラ。『こうそくいどう』は、瞬きするよりも速くミュウツーの眼前へ。電気を溜めた脚力で飛び掛かる。
はたき落とすような空中からの『ほのおのパンチ』が、ゼラオラを狙う。掠りはしたが無意味。返しのゼラオラの『きりさく』を両手でガードすると、ミュウツーが中枢を蹴り上げた。ゼラオラは吹っ飛ぶ。
だがゼラオラはそれで良かった。左の爪でミュウツーの肩を捕えた。その体勢は、攻撃の前段階。
「引き裂けェ! 『プラズマフィスト』!」
荒々しく、カガリが叫んだ。
涼しい顔をしたゼラオラ。ミュウツーの細い身体のど真ん中へと、稲妻よりも激しく迫る。空いた右の拳をいよいよ叩き込むまで――だったが。
『う、お!? 何だこりゃ』
『……残念だったなカス。やはり貴様はカスどまりだ』
ゼラオラが拳を突き出したまま、目の前で浮かんでいたのだ。
「そう、もし焔神カガリなら……ここで来るだろうから」
蹴り上げた後のミュウツーが使用した『テレキネシス』。その効果により、一時的に持ち上げられたゼラオラ。
本来ゼラオラは、ミュウツーとの空中戦に武はない。ここに来て、ゼラオラに課した無理が祟ったのだ。あの『プラズマフィスト』こそが、ゼラオラの切り札であり、趨勢を決める一手。トーリは相手の立ち振る舞いから、真打を把握していたのだ。
ここまでの流れを、少年が全て見越していた訳ではない。だがたった2戦の経験である相手と、数千の公式試合がデータとして残る相手。どちらが優位かは、火を見るよりも明らかだった。
『今だトーリ』
遠くに投げるよう、ミュウツーは『テレキネシス』ごと、ゼラオラを思い切り振りかぶると。叫ぶは共鳴する、もう一人の戦友に。
「決めて来いよミュウツー、『サイコキネシス』を!」
弾けては収束していく、白と黒の光。ふたりの共鳴が生み出した念力の集合体。それは、無慈悲にも空中へ放り投げられたゼラオラに命中する。
何が起きたのか。それほどの速さで落下するゼラオラ。この前とはまた違う強さ。いや、こちらが本力であったのか。
眼前には、悠然と見下ろすミュウツーの姿。
相手の顔を目に留め、地上へ落ちた時に脳裏へと蘇ったのは――あの日の敗北であった。
それは、相棒が散っていく様を見ていた男の方が、実は計り知れない。苦い後悔がカガリを襲った。眠気覚ましのようだった。一瞬の気の迷いが、この勝負を決したと悟る。
這いつくばるようにしたゼラオラ。まだ負けていないと、無理矢理に爪を突き立て、立とうとした。纏われた電光は弾け、草原を一部焼く。しかし、制止するのは男の手。
『待て、オレは……!』
「止せ。ありゃあ俺の判断ミスだ。お前は悪くねェよ」
「けどよ」とまだ食い下がろうとする。
悔しさを抑えきれぬゼラオラだが、トレーナー・カガリの沈黙を受け取った。その意味をゼラオラも知っていたから。一番悔しいのは、彼に違いないからであった。
「……さっきの戦い、オレ達はたまたま勝てたんだ。10回やったら、9回は負けるよ」
エナメルの光る、黒いパンクファッションの男は黙ったまま。「ケッ」と小石らしきものを蹴り、苦くも真剣な眼で少年を一瞥した。
少年が言ったことなど、とっくに理解しているだろう。普段ならば煽り文句を添えるミュウツーが、この時は沈黙を貫いた。
「待たせちまったなァ、ベル。俺様は帰る」
「もー、あんだけ言ってたのに、どういうことー?」
少女はわざとらしく聞いてもみたが、男の方がそれ以上答えることはなかった。再び呼び出したフーパの『いじげんホール』により、二人が輪の中へと隠れていく。
「じゃあまったねー! トーリ君」
「あ、ちょっと! そういえばなんで父さんをっ」
思い出したように叫んだが、その頃には遅かった。嵐が過ぎ去ったかのように、神殿跡には激戦の痕跡のみが残る。その場にいるのは、再びトーリとミュウツーだけになった。
すっかり疲れ切って、へたり込むトーリ。ミュウツーの方も息を切らしている。これ以上の連戦はお互いに無理だろう。
それでも、トーリには大きな喜びと達成感があった。隣にいたミュウツーに、振り返っては一言。
「やったじゃん!」
『……当たり前だ』
すっかり傷だらけになったミュウツーと、集中から解放されて汗だくの少年。
この時、ふたりは静かに拳をかち合わせた。あの日敗北した、大いなる敵を目の前にして、完全なるリベンジマッチを果たしたのである。