3.朝霧

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 ミストレイカと名乗る女は、静かにトーリを見つめていた。様子を伺うようであった。
 フィールドはにわかに霧がかかっており、これこそがミュウツーの急いだ理由なのか、と少年は考え始める。ライセンスリーダーから戦闘準備を始めた。ホログラムがポケモンを生成し、女の声は「本当に」といった驚嘆。
 
『……初めからそうしろ』

 不機嫌をまるで隠さない、破壊の象徴・ミュウツー。眉間に寄る皺が、トーリの目に入った。
 彼が場に出た瞬間、相手のアマージョは様子を一変させた。相手の殺気を感じてか、萼めいた後ろ髪が逆立つ。知らずのうちに、プレッシャーを帯びた顔つきへ変貌した。
 
「もう手伝わないって言ってたじゃないか」
『貴様がコイツに捕まるからだ。下郎め』
「もしかして、意外と良い奴なのか……?」

 ミュウツーとごく普通にやり取りをする、目の前の少年。先ほどの一言で尻尾で薙ぎ払われ、少年は転んだ。だが今にも潰されそうな、ミュウツーの殺気は本物。
 相反する光景が共存する状態に、国際警察の女は驚いていた。ひとまずは、仕掛ける他ない。トレーナーの前に立つアマージョとバルジーナが、目配せに頷く。

「君のその相棒は、一体何処で手に入れたのかな」

 真っ先に動いたのはアマージョ。狙いはミュウツーの後方にいる少年だった。グライダーの如く足を滑らせ、足を高く突き上げる。『トロピカルキック』は空を掠めた。
 最小限の動きのみで、いなすミュウツーと、腕の中には「カスめ」と吐かれた少年。すかさずトーリも「カスじゃないって!」と応戦する。
 
「悪いけど……教えないよ!」

 トレーナーの気概により、動けるようになったミュウツー。
 まずは、先ほどから戦闘意思を見せるアマージョに向かう。小さな砲撃がミュウツーから放たれた。『シャドーボール』だ。
 その隙にミュウツーは、もう片手で投げ捨てるようにして、少年をアマージョの射程外にやる。衝撃で頬を擦りむくトーリ。
 咄嗟に空中へ退避するアマージョ。これまでの経験とは一線を画した威力だと、アマージョ自身の勘が叫んでいたのだ。先ほども使用したムーブ技『トロピカルキック』に加え、高速回転をする『トリプルアクセル』。アマージョの優れた機動力が、ミュウツーとの十分な距離を生む。だがしかし。

『まさか、この私から逃げる気か? 』

 目を見張ったのは、トレーナーのミストレイカであった。コンマ数秒遅れ、彼女と思考を共有するアマージョも同じく。
 音もなく背後に立つ、白い人型。ミュウツーは鼻を鳴らすようにして、身体を強ばらせたアマージョを見下ろす。
 一方トレーナーの方は冷静で、「大丈夫。こちらの方が有利な距離感」と近接戦に自負のあるアマージョを静かに鼓舞した。

「そう。だったら、君たちに勝って教えてもらうまでね」

 トーリは「来る!」と身構えた。その様子をミュウツーが見ることは無い。一瞥すら構わない。
 多段の足蹴りを浴びせに掛かるアマージョに対し、ミュウツー側は特に予備動作もなく、顔と胴体を逸らす。しかし先ほどよりも動きは鈍い。
 アマージョの作り出した『トロピカルキック』の弾道は、相手の機動力を下げる。アマージョの持つ甘く粘っこいアロマの香りのせいだ。度重なる『トロピカルキック』により、アマージョの足技はミュウツーを徐々に捉えるようになってきた。ミュウツーの舌打ちが聞こえる。

「そうずっと、生意気言ってられるかしら。海堂トーリ君!」
 
 相手を引っ掛けるようにした、『グラススライダー』。
 次なる攻撃にて、ミュウツーの急所を狙うが受け流された。追撃を構えるミュウツー。だが先制は叶わない。僅かな攻防戦、女王の威厳がアマージョを守りきったのだ。
 トーリも相手のアマージョの敏捷が上がっていることに気がつく。このままではマズイのでは、と思い始める。
 だが「黙っていろ」というミュウツーに、思考が一蹴されてしまう。

『貴様は何もするな』
「でも」
『邪魔だ』

 何かしらの指示や技でもと、トーリが思考を掻きむしっているも束の間。
 ミュウツー単独でのアマージョ撃破に迫る。少年の声など聞く気すらない。

『2だな』

 アマージョとそのトレーナー・ミストレイカは疑問のまま、目の前に浮かぶミュウツーを見た。人に似た3本指を器用にもV字にしている。

『2秒。貴様らを片付けるのに、これから私が割く時間だ』

 ひしひしと震えるのはアマージョ。「挑発よ」とミストレイカが続けた。

『そこの果実と、“霧の方”。それぞれ1秒だ』

 あまりにあっけらかんとした、“霧の方”という言葉。刮目したのはトレーナーの方。
 右手から放たれた『シャドーボール』は、刹那すら待たずに何かに直撃する。上がるは鈍い音。これまで姿の見えなかった何者かが倒れた。ミュウツーが意味深長に言った『霧の方』だ。

「あれは、ユキメノコだ」
 
 完全に意識が外を向いた。この隙を逃すような、生ぬるさをミュウツーは持っていない。
 鋭い『サイコカッター』がアマージョを地面に縫い付けるように降った。息をする間もなく、『きあいだま』が容赦なく畳み掛けられる。轟くは凄まじい力の証。
 何とも残酷なまでの圧勝。後ろで見ているしかなかった少年は、素直に喜ぶ気にはなれなかった。

 倒れたアマージョを介抱する、国際警察を見ていたトーリ少年。ライセンスポケモンであるアマージョとは違い、ユキメノコはボールへと戻されていった。退路を塞いでいたバルジーナも、彼女の元に帰還している。
 彼女と出会ったあの瞬間。何かが降り始めていたのを思い出す。おそらくは“雪降らし”によるものだ。ユキメノコは、あの時点から既に霧による戦闘補佐の準備をしていたのだろう。
 感心する少年とは裏腹に、土埃を払ったミュウツーは悠然と立つ。

『さて、そこの女。無論お前にも消えてもらう』

 先ほどは、ライセンスポケモンに奮った強大な力。その細い指が黒髪の女に差し向けられていた。
 静かに見ていた少年。場合によっては介入も考えていた。人を傷つけたくはないという、彼の道理からである。
 しかし、ゆるりと立ち上がった女は、全てのボールを地面へ置く。その中にはアマージョと接続した、あのライセンスリーダーもある。

「参ったわ。可能ならば取り引きしましょう。あなた達にも決して、悪い話じゃないわ――“ミュウツー”」

 
 ☩

 
 トーリとミュウツーに見張られたまま、両手を上げた黒髪の女性は話し始める。手にはICPO〈インターポール〉の証。少年が目を見張る。彼女がハッタリで言っていた訳ではないと知った。
 
「取り引きって?」
「……海堂トーリ君。君は今私たちの捜索対象よ。そこの相棒さん含めてね」

 後ずさる少年は「うげっ」と声を上げていた。最悪だとそのまま呟く間もなく、この状況を作り出した父親を思い出す。記憶の中の父は、胡散臭い笑顔をしていた。
 そして隣を見る。実に涼しい表情のミュウツー。

「君は元から重要参考人。“サイコブレイク・ダウン”の調査の為、私は君を探しにきたってワケ。でも」

 ちらりと流すように見る。投降を示すミストレイカの視線の先には、ミュウツー。

「まさか、こんな形で見るとは」
『……話が噛み合っていないな。命乞いすら必要ないなら、そうさせてもらおう』

 話の結末を急ごうとした人造ポケモンに、少年が待ったをかける。「邪魔しかしないな」と舌打ち混じりの言葉が続く。トーリは念の為に周囲を見るが、今の所は彼女の応援部隊などはいない。一旦、このまま話を聞くように促した。
 こほんと、国際警察官・ミストレイカは続けた。

「つまりね。私と協力して欲しいの」
「協力?」
「そう。君たち誤解されたまま、私達みたいな警察関係者と追いかけっこしたい?」
「それは……確かにやだな」

 ため息を吐く少年に、彼女はいくつか補足をした。
 トーリとミュウツーは、先日のバンギラスを沈めた疑いがある。しかしサイコブレイク・ダウンとは関係がない“違法ライセンス所持”であること。トーリのような子供が、サイコブレイク・ダウン本件の主犯とは考えづらいこと等。
 人間並みかそれ以上の知能を持つミュウツーが、目を閉じて思考に専念する。

『我々のことを口封じできるなら好都合だ。だがその物言いでは、何か対価を求めるようだが?』
「そうね。でもこちらは単純。君たちの事を知りたいの。個人的に追っている事件もある」

 ライセンスリーダーをちらと見た彼女が、しんとした声でミュウツーに告げる。
 納得しかけていた少年とは違い、ミュウツーは渋い。トーリとミュウツーがバディにさせられた経緯を知るならば、自然とミュウツー自身や、海堂ユーゴの残した研究にも目が向くだろう。それを許したくなかった。
 
『必要ないと判断するが』

 冷徹に手を振り翳す。だが相手も窮地の手練。特段と焦る気は見せず、静かに。
 
「私の命と情報は、海堂博士にも影響する。あまり変な気を起こさない方が懸命とは言わせてもらう」

 しかし確実に、ミュウツーを揺さぶる言葉を放つ。あの暴君が苦々しく舌打ちをして下がっていた。
 トーリは珍しい事もあるのだな、と横目に見ていた。すかさず頭を掴まれていた。ミュウツーの手が額にめり込む。

「とりあえず、この人は攻撃しない方がいい」
『……小賢しい人間だ』
「あの、血が、上るから!」

 再び雑に投げ捨てられた少年。「馬鹿、アホ、単細胞生物!」と痛がる声が上がる。「死にやしないだろ」と腕を組むミュウツーが、彼を気にする様子はない。
 この二者のあまりの軽快さに、きょとんとしていたミストレイカ。それでも少年とミュウツーが、こちらに対する敵意を下げたのは確かだった。

「え、えっと。いいのよね。私達と組むのよね?」
「うん。よろしくね、あ、えっと」

 名前を覚えかねた少年に、国際警察の彼女は名刺を渡す。名はニア・ミストレイカ。

「長いからレイさんとか。周りはそう呼んでる。何でもいいわよ、トーリ君」
「……じゃあ“トレイさん”で」

 若干の眉がにじり上がる彼女は、少年に近寄った。

「その……プラスチックみたいなあだ名。やめなさい」
「何でもいいって言ったじゃん!」
「いいから!」

 ほぼ強制的に、「レイさん」「ニアお姉さん」と彼女を呼ぶことになった。少年は年齢差と社会的地位の圧力に屈したのだ。隣のミュウツーが冷ややかに見ている。
 取り引きとして、トーリはミュウツーとの出会い。昨日起きた夢みたいな出来事の一部始終を、彼女に話していく。

 
 ☩


「海堂博士って随分と身勝手なのね……」
『ああ』
「ほんっっとうにそうだよ!」

 事の顛末まで知ったミストレイカは同情した。つられた一人と一体は、これまた息ぴったりなシンクロを見せる。それに気づいたミュウツーが睨んでいた。だが怖気付くような相方ではない。
 国際警察として、見過ごせない情報もいくつかあった。隠しラボに存在したミュウツーのライセンス、そしていきなり息子に届いたメッセージ。

「トーリ君。君のスマホロトムに届いたメッセージを見せてもらえる?」
「いいよ」

 青と黄色の端末をミストレイカに渡す。メッセージログには『部屋を掃除しろ。父より』という、かなり簡素な一言。これだけでは、普通は地下のラボに辿り着かないだろうに。

「それさ多分、予約送信だと思う。尚更何のためだよとは思うけど」
「君のお父さんは、事件前に何か言ってた? 例えば、何かを予期するような事とか」
「いや何も。ただ」

 言葉を濁し、頭の後ろで手を組んでいた少年。1年近く声を聞いていない父を思い出していた。まどろっこしいことを言っていただろうか。

「無駄なことはしないんだ。昔から。それだけは変わらない」

 それは、息子と父の信頼だった。意外にもこの時のミュウツーは、トーリを意識していた。少年を疎外しようとはしなかった。

「だから、絶対に意味があるんだと思う。オレとミュウツーには、親父から使命が渡されたんだ」

 国際警察・ミストレイカを見つめる少年の目には、意志が灯っていた。絶対に成し遂げるという、鋭くも芯のある勇気。「起きたら殴るけど」という茶目っ気に紛れても、それだけは確実であると思った。
 ミストレイカは微笑む。頼もしさを感じていた。同時に、先ほどのミュウツーと共に居られる肝の強さにも納得がいく。

「だったらそうね。これから〈バレイシティ〉に向かうといいわ。そこにはお父様が」

 彼女がスマホロトムを返す。同時に、トーリのロトムには情報が送られた。地図情報だった。ピンは海岸と思しき場所を指している。微かな見覚えがあった。
 
「海堂博士が、事件前に訪れていた場所がある」

 少年とミュウツーの最初の目標。バレイシティの海岸。
 父の影を追いかけ、このルクス地方に再び光を取り戻す冒険が、いよいよ本格的に始まろうとしていた。

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