2.遅れた旅立ち

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 手に真っ白なスニーカーを持つ少年。胸高まる、新しい旅立ちの証である。普段はテニスに使っていたリュックサックに、そそくさと食料類を詰める。机の上にあった公式戦パンフレットからは目を逸らした。見覚えのあるバンギラスが居たのは、なんだかバツが悪かったからだ。
 誰にも見つからないようにと、少年は父親の研究を一部拝借した。時間制限のある光学迷彩だった。しかし、心は冒険に夜も眠れぬ子供というよりも、いつ誰かにこのことを咎められはしないか。ミュウツーのことがバレて、父親はありもしない陰謀や非難を浴びるのではないか。トーリにあるのは、そのような緊張だった。

「父さん。アンタのしてくれた面倒事で、オレは旅に出られたよ」

 昨晩から警察や報道レポーターが散見する、変わり果てた家の前。そろりと少年は裏口から駆け出す。
 事件の重要参考人である少年――海堂トーリは、身勝手な自分の父親を殴る為に、ルクス地方の謎を知る旅に出たのだった。

 
 ☩


 スタジアムに選手登録されていた男性・御影シュウ(18)が昏倒したのは、およそ1日前の昼の出来事である。
 彼の症状が出て1時間もしないうちに、選手村にて接続していたバンギラスに影響が出た。強制断絶による、〈精神体〉への異常。被害は怪我人2名、重傷者1名。エースバーンのライナー選手が少年を守る感動的な姿は、各地報道局が挙ってネタにしていたが、本件はサイコブレイク・ダウンの四件目に当る事案ではないかと予想されていた。

「トーリ、お前なんで……さっきまでのは」
「お、無事か。良かったね。じゃ、オレはこの時間寝てたから!」
 
 従兄弟・アスマのもとに、少年がミュウツーと共に駆けつけた時には、周囲は吹っ飛んだバンギラスにあたふたとしていた。それもそのはず。あの時の『サイコブレイク』は規格外の攻撃であったから。
 無理矢理すぎる言い訳で、その場からは走り出そうとしたトーリ。彼の袖を掴んだのは、さっきまで泣いていた従兄弟だ。

「何なんだよお前、俺はお前なんか」
「嫌ってんだろ? 知ってる。オレに嫌がらせしてんのが、そっちの嫉妬ってことも何となくな」

 先ほどのミュウツーよりも、従兄弟はこの同居人に対する困惑を強めていた。
 トーリは彼のつまらない意地悪にも、特に動じなかった。素直に従いさえしたのは、叔母夫婦のお世話になっていたから。そんな姿も尚更に、従兄弟の腹を立たせていた。

「また家族がいなくなって、誰かが悲しむのを見るのは。オレが嫌なんでね」

 もとより意志を感じる凛々しい瞳が、この時にはいっそう強く見えた。
 軽傷の従兄弟は言葉を失い、無言のままに頷く。エースバーンが担架に運ばれていく中、彼はもうトーリを睨みつけることができなかった。
 
 問題はこの一件の収拾方法である。
 暴走体のバンギラスには、何者かの攻撃の跡を確認された。エスパータイプと思しき外傷のない一撃だが、これまでライセンス登録された種族とは一線を画している。
 また、本来“あくタイプ”であるバンギラスに攻撃が通っている時点で、ライセンスポケモンの仕業なのは間違いない。というのは、フェルム地方の総合異種格闘技〈ポッ拳〉からの流用である、この共鳴システム。このルクス地方の根幹になったバトルには、タイプ相性というものは基本介在しない。そのような性質がある以上、バンギラスを内部から殴ったのは“ライセンスポケモン”と断定される。
 警察各局はサイコブレイク・ダウンよりも、この「未知の違法ライセンスポケモン」を訝しむようになった。


 ☩


「……もういいかな」
 
 父が趣味で作っていた未完成の光学迷彩は、もうじき効果が切れそうだ。競技スタジアムや研究所のあった大都市〈サートシティ〉からは20分ほど走ってきた。
 山道に差し掛かる小道。涼しい木陰にて身を隠すと、きょろきょろと左右を見てからリュックと共に座り込む。
 取り出したのは父の作ったライセンスリーダー。液晶部分にある「Connected:Mewtwo」の文字が、昨日起きたことは現実だと訴えかける。
 
「父さん」
 
 何を考えてオレにコイツを託したんだ。
 トーリが言えなかった呟きは、そのまま汗となる。目線の先にあるサートシティ。多重の通行禁止ホログラムが、スタジアムを囲っている。「白い人型ポケモンを見た」「あのバンギラスを叩きのめした」なんて噂もにわかに広がっていた。
 少年は、静かに事件と自分の関わりを考えていた。父親は頭が良かった。無駄なことをするタイプではない。しかし何かと意地悪で秘密も多い人だった。

『倅の癖に奴をロクに知らんのか』

 少年はライセンスリーダーを通し、自分の頭中に聞こえる声へ「わっ、忘れてた!」と手を滑らせそうになる。声の主であるミュウツーの方は、不機嫌そうなままだ。

「お、おはよう。せがれって何」
『このライセンスと“共鳴”とやらの仕組みについて教えろ。貴様の父親が作ったんだろ』

 トーリ少年の素朴な質問は華麗に聞き流し、ミュウツーは我先にと続けた。「伝説のポケモンって態度も伝説級なんだ」と少年が軽い茶々をかけてみるも、相槌も罵りもない。無視という、あからさまだが静かな侮蔑。
 仕方がないので少年は口を開く。

「この地方では、トレーナーとポケモンは契約に近いものを結ぶ。それが“共鳴”。お互いの意思が合致しないと、接続やバトルもできない」
『既に破綻しているが。私と貴様は合致などしていない』
「ふ、普通はこうならないはずなんだよ! 普通はね」

 口苦くもトーリは補足をした。通常は海堂博士の用意した、専用のマッチングシステムにてトレーナーとポケモンを照合するという。多くの場合は病院に似たデジタルスキャンで終了するが、稀にポケモン側の意思で、模擬戦や数日間の試用期間を作ることもある。
 ルクス地方のバトルシステムを深く知るほどに、少年とミュウツーの置かれた境遇は、極めて異質だった。

「それでライセンスポケモンとの接続ってのは、一人につきポケモン一体。この地方でバトルができるトレーナーは、皆バディなんだ」

 ホログラフィー技術が支えるルクス地方。“ライセンスポケモン”として登録されたポケモン達は、多くが既にある程度成長した状態で、海堂博士により〈精神体〉をライセンスに電子化されている。一個体の個性や気質をデータ化してあるのだ。
 ルクスのライセンス制のポケモンバトルでは、ポケモン側の能力が素の状態よりも格段に高くなる。タイプ相性や特性が、大した影響を持たないのもそれが起因している。理由は、トレーナーとの接続により、人間側の〈精神体〉という力を借りている状態にある。海堂博士は論文の中で「微弱だが人間が誰しも持つ、精神と生命力」と噛み砕いた。
 この〈精神体〉こそ、共鳴に使用する部分であり、一人につきポケモン一体の原則ができた理由だ。複数のポケモンとの接続は、トレーナー側の精神損傷が激しいと予想され、未だ前例は存在しない。
 
『フン。トレーナー共はいいだろうな。しかし、我々からすればさして意味がない』
「そうかな。実はそうでもないと思うよ。トレーナーの〈精神体〉も借りた状態は、キミ達ポケモン側の力も今までより引き出せるから」
 
 相手がミュウツーだろうが、そのまま話を続ける少年は怯む気を見せない。「たとえば」と続ける。
 
「共鳴をした状態なら――使える“わざ”の数は4つを軽く越えられる。能力の限界値が上がるんだ」
『ほう』
「他にも利点はいくつかある。戦闘指示は口に出す必要がないし、レンタルポケモンだから回復も基本的にライセンスリーダー内で完結する。戦闘では、ホログラムを通じて立体化してる状態だから。その分時間は必要だけどね」

 今までとは違い、思考を感じた声が通る。ミュウツーの考え込む様子が少年には想像できそうだった。
 トーリが父から借りた言葉を辿る。外国の“ダイマックス”という現象に着想を得たという逸話や、元は保護され、退屈なパラダイスのポケモンの意思を汲んだ結果だった小話まで。先日のバンギラスの様な、戦闘に意欲的な種族は特に、ライセンス制バトルを自ら望む個体が多かったという。

「ま、それも半年前までの話で……あれからは、ライセンスの登録や接続も一旦全部止めたんだけどさ」
 
 海堂博士を発端とした、トレーナーの〈精神体〉異常。これまで海堂ユーゴ博士が、独占的に研究していた未知の生命力が、この事件を契機に危険視され始めた。
 だがサイコブレイク・ダウンという名称に勝手に使われたオリジナルは、人間のゴタゴタには早くも興味を失っている。
 
『粗方の経緯はもういい。問題は、貴様がどうなると私がマズいかという部分だ』
「死ぬのと、あとえーっと」
『知らないならむやみに探すな、愚図が』

 そういえば「やたら口悪いなこのポケモン」と少年は、今更ながら思っていた。すかさず思考を共有され、「すり身にするぞ」と追撃が飛んでくる。余念が無い。
 決してライセンスポケモンが、このミュウツーのように言葉を操る訳ではない。これに関してはミュウツーが特異である、というだけである。

「あ、そうだ! 共鳴してると、互いの意思が一致しないと能力は使えないだろ?」
『そうだな。あのクソカスの付けた制約だ』
「“共鳴”ってのはその名の通りに、ポケモンとトレーナーの波長が合ってるほど強くなる。つまり」

 遠い父の言葉を思い返す少年。父は、髪色がよく似ている海を見ていた。濃紺の髪が自分とそっくりだったあの記憶。
 
「オレはこれから、キミと仲良くしなきゃいけない!」
 
 この晴れやかだが「嫌だ!」という意思は、見え隠れする少年からの宣言。対する返事は、いやに爽やかであり。
 
『よし、来世を楽しみにするがいい』
「えっそんな、生き急がないでよミュウツー」
『貴様だ。たわけが!』

 事件の影に、父親の謎。そして常に一緒の忙しなく罵声を浴びせてくるミュウツー。
 慌ただしい少年の旅立ちは、“ルクス”の名からは離れたものであった。


 ☩


 海堂トーリが、研究所のあった競技都市・サートシティからは出て、1時間ほど。脳内を占拠した口の悪い相方の対応をひとしきり終えたところで、彼は歩きながら、これからどこに向かうかを真剣に考え始める。
 というのも、少年は警察や叔母夫妻らに捕まらずどう家を出るかで、これまで頭がいっぱいであった。そうしていると、また「考えの足りん下等生物が」と聞いてない返事がきた。少年は「うるせえ」と脳内で応答することにした。
 ぶつくさ言いたくて、だがひたすら歩いていると。先に女性が見える。トーリに向かって手を振っているが、知らない顔だった。
 
「ねえ少年。ごめんね、ちょっといい?」
「ゴメン。オレはよくない」
「お姉さんねこれから仕事で、サートシティの研究所に――え?」

 まさか、この少年に完全にフラれるとは思っていなかったのだろう。黒髪ロングの彼女は目を丸くして「嘘でしょ」と呟いていた。
 そんなことはいざ知らず、トーリは走るのを止めなかった。颯爽と前だけを見ている。その足が急に止まったのは、別の理由から。

「待てと言ってるでしょうが!」
「いってえ!!?」

 鋭い嘴が頭に刺さったからである。骨で着飾る大鷲、バルジーナだ。このルクス地方ではまず見かけないポケモンであり、トーリは頭部を抑えつつ、目の前の女性を改めて確認する。
 ポケモンを連れた人を目の前にして、あまり無礼を働いてはいけないと反省していた。

「えっと……な、何でしょうか。観光の人でしょ」
「ちょっとは懲りたかしら少年。ちなみに観光ではないわね」

「海堂トーリ君」

 それまでは、せいぜい観光客の外国人が道を聞きたいのだと思っていた。
 目の前の女性が自分の名前を口にしたことで、少年は腰元へと静かに目を移す。モンスターボールのホルダーは確認できない。
『知り合いか』というミュウツーの問い。首を実際に振りそうにもなる。じわじわと不安がおい上がってきた。

「お父様の件は非常に残念に思う。早く回復なさると良いわね――それで。昨日、君はどこにいたのかしら」

 父については建前だと思った。
 言葉をきっかけに、先ほどのバルジーナは自分たちの退路を綺麗に塞ぐようにと立っていたからだ。
 ようやく目視できた、モンスターボール。ルクスの外部から来た人間の証。

「家にいた。警報が出てから、かなり遅れて避難したんだ」
「そう。お父様の研究所には行った?」
「行ってない」
「従兄弟のアスマ君が襲われてる時、君を見たって声もあったけれど」
「その人混乱してたんだ。見間違いでしょ」

 静かな押し問答。
 トーリはどうにかここからミュウツーを使わない脱出を探るが、そこは相手の方が遥かに上手。
 ぱらぱらと何かが降ってきた。周囲は霧がかっている。少年が空を見上げ、疑問に思っていると。
 
『おい、何をしている。戦闘に出させろ』
 
 何かを察したミュウツーの意志が届く。トーリが拒むも、黒髪の女性はにこやかに語りかけた。

「さっきの君のライセンスリーダー、何かと接続した跡を確認した。でもルクス地方の公式トレーナーに、海堂君の名前はなかったわ」
「……見てたんだ」
「いるんでしょ、相棒。呼んであげて。そうしないと――」

 刹那、少年は後ろへ下がった。本能がそうさせる。空を切ったのはポケモンの足。槍のような鋭い足が、髪の寸前を掠めたのだった。
 トロピカルポケモン・アマージョ。威厳振るう公式ライセンスの一種が、トーリの前に仁王立ちする。

「ライセンスポケモン……!」
「自己紹介まだだったわね。私はニア・ミストレイカ」

 彼女の手には、ライセンスリーダーとモンスターボール。異なる2つを持った不敵な笑みの女。ミストレイカは、少年を挑発するようにアマージョに指示する。
 リーダーを持つ少年も、もはやこの状態は戦うしか選択肢はないと気が付き始める。
 
「“君たち”について知りたい、国際警察官」

 突きつけられた、銃より凶悪を纏う紅い脚。
 この時ようやくトーリとミュウツーの意思は「戦う」ことに一致した。国際警察官・ミストレイカに、叩きつけられた挑戦状を受け取ることにしたのである。

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