覚悟の準備

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 皮膚に湿っぽさを感じて、目が覚める。道の端に倒れていた私は身を起こしながら周囲を見渡した。
 外だ。人工的な建築物が広がっている。コンクリート、ビル。地面は舗装されており、土が見えない。代わりに誰かが食べたパンの袋や、空き缶などが転がっている。チラシや破れた雑誌などのゴミが至るところに散乱していた。
 周囲は静けさに包まれており、私は覚束無い記憶を辿った。
 私は誰だろう。
 私は何故ここにいるのだろう。
 記憶がなかった。どこにも。

「あれれ、おねえさん。どうしたの?」

 金色の髪の軽薄そうな男が声を掛けてくる。親切、なのだろうか。どこか嫌な雰囲気がした。

「オールで飲んで酔いつぶれちゃってた感じ? よかったら、ウチ来なよ」

 強引に手を握られ、起き上がらされる。白のワンピースの裾を踏んでしまい、転びそうになる。男は私を倒れないように支えながら、耳元でささやく。

「かわいいじゃん。肌も白いし、キミ、日本人じゃないよね。言葉わかる?」
「え、いや……」
「お、わかるんじゃん! もしかしてハーフ? 髪はホントは何色なの? それって染めてるよね? 細いねー、スタイルいいしモデルか何か?」

 矢継ぎ早にされる質問に、目が覚めたばかりの私の頭はついていけない。男は全く気にした様子はない。

「よし、決まり。俺に任せてよ、行こ? 悪いようにしないって」
「いえ、だいじょうぶです」
「いいじゃんいいじゃん」
「でも本当に……」
「いいって言ってんじゃん!」

 頭が痛む。寝起きに、この軽い声がずきんと響く。それにここがどこなのか、私が誰なのか。私が何故ここにいるのかわからないことが、なお、私の頭を混乱させた。

「ホントにやめてください、ほっといてください……」
「あれ? リングなんかネックレスにしちゃってさぁ。彼氏いんの?」
「いや、え?」
「え? じゃないでしょ?」

 金髪男は私のネックレスを強引に引きちぎる。
 恐怖、不安、孤独。様々な感情が渦巻く。両目から涙がこぼれ落ちた瞬間――

「いやがってるだろう」
「うるせぇな――ふぐぅ!?」

 私の手を握っていた金髪男の手が外れると同時に、その身体が宙を舞った。鮮やかなフォームで蹴りを入れた、スラリとした青い影。

「痛ぇな……! おまえ、店のケツ持ちが黙っちゃいねえぞ――あ」

 金髪男は起き上がり悪態をつこうとして絶句した。

「黙っちゃいなかったら何だ」
「お、お前は、チームミスティックの!?」
「ブランシェだ。覚えておくがいい」

 そこまで言うと全力で背中を見せて逃げていく。それを冷めた目で見る青いスーツの男性、いや女性か。髪は染めているのか、脱色しているのかはわからない、銀髪だ。中性的な顔立ちや声からはその性別は特定できそうになかった。
 ブランシェと名乗ったその中性的な人物の背後に何か別の影がピッタリとついているような気がした。
 目を凝らすと次第にそれが妙な青色の鳥であることに気づく。凍てつく冬を感じさせるオーラがあった。

「観光客か? あなたも一人でウロウロしているんじゃない。歌舞伎町は不慣れな外国人、しかも若い女性が一人で訪れる街ではない。さあ、もう行きなさい」

 金髪男を撃退させたブランシェは私を軽く叱責した。
 しかし行けと言われても、私は何も思い出せないでいた。そして、大事なことに思い当たる。
 ネックレスがない。リングを通した、あのネックレスが。慌てて周囲を見渡してもない。そのリングに何の意味があるのか思い出せないでいたが、ひどく大切なものであることは心が覚えていた。

「どうした?」
「ネックレスが……」
「ああ、先程の光り物か。それならば、わたしに任せてほしい」

 ブランシェの銀髪が揺れる。肌寒さを瞬間感じたが、それはブランシェの周りに漂う大きな青い鳥が羽ばたいたせいだった。
 ゴゴゴゴゴ、という効果音すら聞こえてくる気がした。

「どうやら、ここには無いようだ……恐らくは先程のホストがそのまま持ち去ったのだろう」
「その鳥が探してくれたのですか?」
「もしかして、スタンドが見えるのか? きみは何者だ?」

 ブランシェは驚いたように問いかける。スタンドという耳慣れない言葉に私は頭を悩ませる。

「どうも様子がおかしいね。ワケありなのか?」
「あの、私……」

 記憶が無くて、と言いかけ――足元に落ちていた破れた雑誌が風でめくれた瞬間、気づく。
 そこには美しく、まだ幼さの残る少女が映っていた。その顔が目に入った瞬間、頭の中を物凄い早さで、目まぐるしく、記憶のページが開かれていく。次々と飛び込んでくる情報に私は酷く重い頭痛に襲われ、頭を抑える。

「大丈夫か!?」

 目の前の銀髪の青いスーツを着た人物は誰だろう。それはブランシェだ。先程そう名乗った。
 では、私の記憶に浮かぶこの少女は誰だろう。少女は一人ではなかった。同時に思い浮かぶワード、チャンピオン。この雑誌の少女は、ガラルではなく、アローラのチャンプだ。

「アローラ……」
「どうした? 頭が痛むのか?」

 アローラの地で、精霊たちの試練を乗り越え、世界を救った少女。その少女だ。
 私は頭を強く振る。痛みが思考を邪魔するのだ。そして、振った視線の先にあるガラスの中の自分と目が合う。この顔もまた、そうだ。アローラのマスターだ。

 そして、私は思い出した。私は、サーナイトだったはずだ。どういうわけか、白いワンピースを着て、アローラのマスターと同じ人間の顔をしている。だが私はポケモンだ。私の名前は――

「私の名前はサナ……」

 思いがけず出て来た自己紹介の言葉に、ブランシェは目を細めた。

「サナだな。改めて、わたしはブランシェ。新宿を根城にするチーム“ミスティック”のヘッドだ。よろしく頼む」

 新宿、聞きなれない言葉だ。どうやら、街の名前だろうと推測する。

「シンジュク、シティですか? さっきは、カブキシティだと……ここは何地方ですか?」

「地方? ああ……ここは日本の関東地方。東京都新宿区歌舞伎町だ。きみはどうやら混乱しているらしい。ひとまず、歌舞伎町の女王の店に案内しよう。そこで何か甘い物でも飲んで一息いれよう」

 そして、私に手を差し出す。どうやら悪い人ではない、と私の第六感が告げている。

「行こうサナ。きみの話を聞こう」

 そう言って、ブランシェは私の手を取り、エスコートしてくれた。皮膚同士が触れる感覚は、ポケモンであったはずの私には凄く新鮮な手応えだった。
 どうやら、私は知らない世界の知らない街で、なぜか人間になってしまっているらしかった。

――――――――――
【補足】東京都新宿区歌舞伎町とは?
 別名、眠れない街……と見せかけて、明け方は結構寝ている。夜はあれほど賑やかだったのに、その静けさとのギャップに早朝はセンチな気分になる。
 今話の時代背景はテキトーである。いいとも!があり、ガラケーがあるという程度のざっくりした時代設定しかない。
――――――――――

 案内されたのは、飲食店がひしめき合う一角の小さな飲み屋だった。目立ったピンクの色合いの建物に、これまたピンク色の看板には、異国の文字が書かれている。

「看板に書いてあるとおり、“ポプラの部屋”という名前だ」
「カブキチョウの女王の店じゃ?」
「ああ。それは、この店の初代ママが自分で勝手に“歌舞伎町の女王”と名乗っていたからだよ。源氏名はポプラだったね」

 ピンクの外観。店の名前。私の中で何かが結びついていく。

「その歌舞伎町の女王ポプラには会ったことがありますか?」
「あるよ。ピンクなお人だった」

 ブランシェは頷き、店のカギをあける。
 入口を潜ると、店内にはアニメのグッズがたくさんあった。

「驚いただろう。非公式ではあるが、ジブリバーなんて呼び名も、一部のお客さんの間では使われる」

 ジブリというアニメのグッズらしい。イラストや人形など、色々なものが並んでいた。
 ブランシェは、「となりのトトロ」、「天空の城ラピュタ」、「もののけ姫」、「風の谷のナウシカ」と一つずつ教えてくれた。

「これは、生原画でレアなものらしい」

 そう言って、壁にかけられた額を指さした。

「これは?」
「ユパ様と言う。ポプラが大好きだった、風の谷のナウシカのキャラクターだ」

 ガラルの何かの雑誌で、ジムリーダー特集のポプラの回で、「好きなアニメは風の谷のナウシカ。好きな異性のタイプはユパ様」と書かれていたという記憶がある。この店は、私の知るポプラの拠点であるという確信は強くなった。

「今はポプラさんはどこへ?」
「元の世界に帰る、と言って、一年前にどこかへ消えていったよ。店を二代目に任せてね。交通事故があってね、この世界で探していた女の子が死んでしまったらしい。そして、この世界には意味が無いと、去っていったのさ」

 話しながら慣れた風に私をカンター席に案内し、自身はそのままカウンター内へ入った。

「いらっしゃい、二代目マスターのブランシェだ。ようこそ。“ポプラの部屋”へ。このミルクはサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい」

 テキーラでも出しそうな口振りでカウンターに置いたのは、白い液体の注がれたグラスだった。
 自分も注ぎ、そのまま口にする。安全だということを伝えてくれたのだろう。悪い人では無いと直感した。

「ミルク? モーモーの?」
「もーもー? ふふ、面白いことを言う。牛の乳だよ」
「ウシ……?」

 聞き慣れない単語が出てくる。そして、私の脳裏にある概念が出て来る。
 動物――ガラルで失われた概念が。

「きみはスタンドが見えたね。きみにはこれが何に見える?」

 付かず離れずでブランシェの背後にいる青い鳥を、顎で指し、ブランシェは問いかけた。

「カントーの伝説ポケモン。3鳥といわれる一体、フリーザー……」
「ふむ、やはりそう認識するか。きみは、ポプラと何処で会ったんだい」
「最後に会ったのは、ナックルシティです」

 少し考え込み、ブランシェは頷く。

「やはり。きみが居た世界と、ここが居た世界は異なるようだ。ポプラもよくそんなことを言っていた。ただ一点。似通う存在がいる。それが――わたしたちが“スタンド”と呼び、きみたちがポケモンと呼ぶ存在。この世に居る、不思議な不思議な生き物」

 ポケットモンスター。
 ちぢめてポケモン。この世界にその呼称は無いらしいが、確かにそれは存在している。

「わたしたちがスタンドが見え、彼らを見られるようになったキッカケはまちまちだが、皆等しく、自分のスタンドを持っている。しかし、きみのスタンドは見えない。一体どうなっているんだ? きみはスタンド使いではないのか?」

 スタンド使いとは、その名の通りだろう。この世界において、スタンドを使う人間のこと。即ち、私のいた世界で言うところのポケモントレーナーのことを指す。

「きみはこの世界に来て間もない。スタンドはこれこら発現していくのだろう。きみもそのうち、背後にスタンドを感じるようになるはずだ」

 どこまで手の内を明かすか悩んでいると、ブランシェは一人納得していた。何だか隠している気がして後ろめたがったが、今はこのままにしておくことにした。

「あの」

 意を決して聞くことにした。先ほどカブキチョウの路上で拾った雑誌を開き、あるページを示した。
 チェックのスカートをはいた美少女がたくさん写っている。

「この人たちに会おうとしたら、どこへ行けばいいですか?」

「これは、AKB48だね。あまり売れてない、地下アイドルだよ。それを逆手に取って、“いつでも会いに行けるアイドル”というキャッチコピーで売り出している。アキバに行けば会えるさ」

「アキバ?」

「秋葉原のことだよ」

 アキハバラ。AKB48。
 元いたガラル地方でもたまに聞いた。ガラルのマスターがよく口ずさんでいた歌も彼女たちのものだった。
 そして、奇妙な縁でそれが目の前にある。私が開いたページに写る少女たちの中に、アローラのマスターの姿があったのだ。

「アキバに用があるなら、詳しい人間を紹介しよう。スパークという。アキバ界隈を根城にするチーム“インスティンクト”のヘッドだ。わたしとはライバルだが、頼りになる男だ」

 ブランシェが縦長の電話のようなものを取り出し、何やらコールする。スマホロトムよりも遥かに旧型であるらしいが、連絡手段としては問題ないようだ。

「たまたま近くに来ていた。ヒマだから、アルタ前で、お昼のウキウキウォッチングに映ろうと待機していたらしい。タモリが司会をやめることはないだろうから、その用事はいつでも良いそうだ」

 今一つ言っていることはよくわからなかったが、この場所にスパークという男が向かってくれているのだろうということは理解した。
 と、同時だった。店内の入口のドアが乱暴に吹き飛ばし、稲光する黄色い鳥、サンダーと共に金髪の男が入ってきた。身体にフィットする薄手のパーカーの上に黒い革ジャケットを着ている。スタイルはブランシェと同様良く、黒のスキニーなパンツを着こなしていた。

「はやかったな、スパーク」
「オレの相棒サンダーは気が早くてね。文字どおり電光石火、疾風迅雷だぜ」
「それは良かったな。しかし、扉が壊れた。弁償しないなら、器物損壊罪で近いうちに訴えるぞ。覚悟の準備をしておくのだな」

 冷ややかに氷のような視線を扉に送るブランシェに、スパークは「すまん」と一言、短く切り揃えた金髪の頭を下げた。

「というわけで行くか! 我らが秋葉原へ!」

 ブランシェを無視し、スパークは私の手を引き、早足で歩き出す。せっかちな男だ。
 店を出る間際にブランシェに頭を下げると、いいよ、という風に手をひらひら振ってみせた。氷のような冷たさと優しさを兼ね備えた、不思議な女性、いや男性? いずれにしても、良い人であることには間違いなかった。

 ジブリバーことポプラの部屋に滞在していた時間は思いのほか長かったらしく、カブキチョウには活気が戻ってきていた。
 ゴミもいつの間にか消えている。朝が来て、街が動き出したのだ。

「スパークはクールに新宿駅に行くぜ。JRで移動する」

 スパークは当たり前のような口調で言うが、私には未知の連続であった。
 ガラルではほぼ見ることのなかった自動車が数多く行き交い、街中にはどでかいディスプレイがあり、そこには黒眼鏡の中年男性が写っており、何かの宗教のように「いいとも!」と言っていた。
 そして、建物の上には青い妙な円形の看板のようなものがくるくる回っており、遠く空には、青や赤、黄色のタワーのようなものがそびえ立っている。

「スポットやレイドが見えるのか?」

 スパークは驚いたように言い、ブランシェと同じように「スタンドは居ないようだが」と首を傾げていた。

「おいお前ら……」

 声を掛けられ、振り返ると男が立っていた。黒いユニフォームに、その胸に見慣れた赤いRの文字。

「GOロケット団か」

 スパークは、やれやれと首を振った。GOロケット団という組織の男は、気色の悪い笑みを浮かべ、近づいてくる。

「見えない力を使うエスパーを怖いと思うか……? 怖いよなあ、ヒヒヒ、貴様らスタンド使いだろう。俺にはわかる。すげーわかる」

 GOロケット団の男もどうやらスタンド使いであるらしい。

「サナ、覚えときな。スタンド使い同士はひかれ合う……きみもスタンドが見えるのだから、いずれ戦わなければならない」

 そして、スパークは何やら構える。その背後のサンダーが翼を雄々しく広げた。

「初対面の人には敬語使えって、ばあちゃんが言ってた。それに、死にゆく人にも優しくしろとも……」

「ああ? なに言ってんだ、チョコボ頭。死ぬのはテメェだよ!」

「あなた、“覚悟して来てる人“ですよね……人を“始末“しようとするって事は逆に“始末“されるかもしれないという危険を常に“覚悟して来ている人“ってわけですよね……」

「うるせー!」

 GOロケット団の男は、“スタンド”を呼び出す。緑のおかっぱ頭、ラルトスだ。

「シャドウポケモンか……哀れだな」
「ゴチャゴチャ言うな! ラルトスゥゥゥ! やっちまいなァ!」

 ラルトスは何かに取り憑かれたような目をしており、黒い負のオーラを纏っていた。その姿に、私は昔の自分を重ねる。
 私の最初の地方、オーレ地方。ダークポケモンとして使役されていた、苦々しい思い出。

「ねんりき! ねんりき! 念力ィィイ!!」

 ラルトスの念力が、スパークの“スタンド”サンダーを襲う。しかし、意に介した様子もなく、スパークは、電気ショックで応じる。

「サンダー、でんきショック! でんきショック! でんきショック!」

 単調な技のぶつかり合いが続き、先に仕掛けたのはスパークだった。

「10万ボルト!!」

 スパークが叫ぶと同時に、サンダーが甲高く鳴き声をあげ、その身に電気を集め始める。あまりのエネルギー収集に繁華街のディスプレイなどが消える。

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ムダァァァ!!」

 スパークが叫び、サンダーから発せられた稲光は何発もラルトスを直撃していく。劣勢のラルトスは、更に念力をサンダーに打ち込もうとし――その軌跡が逸れた。
 念力は後ろで闘いを見ていた私へと飛んでくる。あまりの咄嗟のことに、私はただそれを見ていることしかできなかった。いつもの私ならば、サーナイトならば見切れていたはずの攻撃に、人間である私はその速さについていけず――

「サナ、よけろ!」

 スパークの叫ぶ声がしたと同時に、頭に強い衝撃を受ける。
 ポケモンは恐ろしい生き物なのだということを、当事者である私は認識できていなかったのだ。
 人間であればこの一撃で死ぬかもしれない。薄れゆく意識の中で、不安を感じた。もし死ぬのなら、最期に貴方に逢いたい。
 脳裏に浮かんだのは笑顔のマスターだった。ガラルチャンピオンでガラル王で、国民の象徴で。でも、頼りなく守ってあげたくなる。そんな少女の顔が浮かび、やがて私の意識は飛んだ。

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