ポケモンのいる世界に迷い込んだ男の日常

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作者:ソラ
読了時間目安:34分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

覆面作家企画11で参加させていただいた際に、投稿させてもらった作品です!
大きな山がそびえ立ち、周囲はその山を囲うように雪が降り積もる雪原地帯。
その山のふもとに明かりのついた一軒の小さな建物が建っていた。
「よし! もう大丈夫そうだな。 動かしてみてもいいぞ」
 建物内にいた男がムックルの羽から包帯を外して言った。
 男の言葉を聞いたムックルは包帯が巻かれていた右側の翼を確かめるように動かし、痛まない事を確認すると、嬉しそうに一鳴きした。
 その様子に男も笑みを浮かべ、ムックルを肩に乗せると、そのまま建物の入り口まで歩いていき、外に出た。
「今日は天気もいいし、たぶん南に向かっての風も吹いてる。 絶好の退院日だ」
男が肩に乗せたムックルに飛び立つよう促すと、ムックルはお礼のつもりなのか、男の顔に体を押し当てて、満足げに鳴くと、そのまま空高く飛んでいった。
 その姿を見送ってから、男が建物内に戻ると、一匹のポケモンが声をかけてきた。
「ずいぶんと手慣れたもんじゃないか」
「2年もやってればこれぐらいはな」
「そう謙遜するな。 未経験の君が2年でその手際なら上出来だよ」
と、やたら上から物を言うこのポケモンはミュウ。
 ポケモンを知る者ならば、大多数の者が知っている幻のポケモンであり、しかも、このミュウは、体の色が水色の色違いのミュウである。
 そんなミュウとの出会いは今から2年程前、男がこの世界に迷い込んでから、数日が経過した日の出来事であった。
そもそも男はポケモンを知ってはいたが、それはゲームやアニメなどの世界の話であり、あくまで作り物の娯楽の一種として認知されていた世界で暮らしていた。
それがある日、気が付くと見知らぬ雪原に放り出され、あげく雪崩に巻き込まれて死ぬ所であった。
そんな男を助けてくれたのが今、男の隣でニヤニヤと笑みを浮かべているミュウである。
「まったく、向こうの世界にいた時の君が聞いたら驚くんじゃないのか? 知識も経験も全くない素人の君が医者の真似ごとをするなんて。 それもポケモンの医者をさ」
「だろうな。 けど、自分で決めたことだし、後悔はしてないよ。 ……と言っても、俺はまだまだ実力不足の素人医者ドクターだけどな」
「やれやれ。 向上心があるのはいいけど、少しは自分の成した事を評価してもいいと思うよ」
「……いや、まだ足りないことだらけさ」
 変わらない男の態度にミュウがわざとらしく大きなため息をつき、肩をすくめて、やれやれと言ったポーズをとった。
すると突然、建物の扉が勢いよく開かれ、1匹のクマシュンが中に駆け込んできた。
「おや、お客さんかな?」
「そんな穏やかそうな要件じゃなさそうだけどな。 君、何があったんだ?」
 男が問いかけるとクマシュンは走ってきたからか、ハァハァと息が上がっている状態で、途切れ途切れではあるが、必死に何かを伝えようと言葉を口にしている。
 だが、人間である男にはポケモンの言葉はわからない。
 テレパシーを扱う事の出来る、ミュウの言葉を除いては。
「なんて言ってるんだ?」
「ふむふむ。 どうやら、このポケモンの親であるツンベアーが怪我をしてしまったから、助けてほしいそうだ」
「よし、わかった! メタモン!! 急患だ! 救急バッグを持ってきてくれ」
 男の言葉に建物の奥の部屋から返事をする声がし、大きな白いバッグを運んでくる水色のメタモンが現れた。
「ありがとう。 それで、場所は?」
 男の問いかけに、クマシュンは短い鳴き声を上げると、建物の外へ駆け出していった。
「案内するからついて来て。 だってさ」
「なるほど。 よし、2匹ふたりとも行くぞ!」
 ミュウとメタモンは無言で頷き、男と共にクマシュンの後を追いかけて行った。


 クマシュンの後を追いかけて、山の中腹辺りに広がる雪原に来た男達は、白い獣毛を赤い血で染めながら、苦しそうに口を開けて、必死に呼吸をする1匹のツンベアーを発見した。
 何が起きたかは道すがら、ミュウがクマシュンから話を聞いてくれたおかげで、ざっくりとだが、把握できている。
 まず、雪原の小さな丘の上で遊んでいたクマシュンの足元が急に崩れた。
親であるツンベアーはそれを察知し、慌ててクマシュンを庇うように抱きかかえ、地面に落下したのだが、運悪く落下位置にはクマシュンほどの大きさの岩が隆起しており、そこに背中を思いきり打ち付けてしまった。
クマシュンは、苦しむツンベアーの姿に何もできずに狼狽えていた。
そんな時、ふと山の麓に怪我をしたポケモンを治療してくれる場所があるという噂を思い出し、急いで男達の元に来たというわけだ。
「これは……外傷よりも、体を強く打ち付けた事による内臓のダメージが大きそうだ。 それに呼吸困難も引き起こしてる」
 苦しむツンベアーの様子を見ながら、男はバッグから聴診器を取り出し、ツンベアーの胸部に押し当ててみる。
「……まずいな。 肺の音が全く聞こえないし、脈拍もほとんど感じない。 外傷性の気胸、それも緊張性か!」
 気胸とは、何らかの要因で肺に穴が開き、肺の空気が漏れて、肺がしぼんでしまう症状だが、漏れ出した空気の量が多い場合、漏れた空気が心臓や無事であるもう片方の肺を圧迫してしまい、早急に処置をしなければ命を落とす危険性が高い緊張性気胸になる。
男は急いでバッグから消毒液と針の太い注射器を取り出した。
「メタモン! レントラーにへんしんだ!」
 男の指示に従って、メタモンはすぐに自分の姿をレントラーへと変える。
レントラーは鋭い目つきをした虎のようなでんきタイプのポケモンだが、レントラーにはでんき能力とは別に強力な透視能力がある。
メタモンのへんしんは自分を他の生物と同じ姿に変える力だが、変わった生物の能力も完璧にとはいかなくとも模倣する事が可能である。
 レントラーの透視能力を使えば、完全とはいかなくとも、簡易的なレントゲンが可能になり、ツンベアーのどこに針をさせば、安全に漏れ出した空気を抜けるか、即座に判断する事ができる。
「ミュウ! 患者を抑えていてくれ」
「おっけー」
 処置をする際、万が一、ツンベアーが暴れてしまえば、人間である男にはどうする事もできないので、事前にミュウのサイコキネシスで両手足を軽く抑えつけてもらった。
 男はメタモンが示した場所に注射器を向け、ゆっくりと針を体の奥に刺しいれていく。
 そして、プシューと空気が抜けるような音がすると、ツンベアーの表情が少し和らいだ。
 他の臓器を圧迫していた空気が抜けたことにより、呼吸が楽になったからだろう。
 男は針を刺した場所を軽くガーゼで塞ぎ、ホッと一息ついた。
「ふーう。 とりあえず、応急処置はこんなものか。 ミュウ、俺とメタモンは先に病院に戻って手術の準備をしておくから、患者の搬送を頼む」
「はいよ」
 男はレントラーの姿をしたメタモンの背に乗ると、救急バッグを持って山道をかけ下りて行った。
 その様子を見送ったミュウは、両手を倒れているツンベアーに向けて、サイコキネシスの力でツンベアーの体を浮かせると、そのまま体勢が変わらないよう気をつけながら、クマシュンと一緒にゆっくり病院へと向かった。


 病院に到着したツンベアーを検査した結果、他にも内臓や骨にも損傷がある事が判明し、緊急の手術をする事となった。
 手術室前の通路脇で膝を抱えて座るクマシュンは、不安そうに涙を浮かべて、手術が終わるのを待った。
 そこから数時間が経過し、手術室から着ていたと思われる手術着をサイコキネシスで浮かせたミュウが出てきた。
 クマシュンは慌てて立ち上がると、ミュウの元に駆け寄る。
『あれ? 君、もしかしてここでずっと待っていたの? 長くなるから向こうの休憩室で休んでてよかったのに』
『そんな落ち着いていられないよ! ママは? ママは大丈夫なの??』
『大丈夫。 処置は全て完了。 あとは傷口を縫うだけだから、手術は終わったようなものさ』
 ミュウの言葉に安心したのか、クマシュンはへなへなとその場に座り込んだ。
『安心するのはいいけど、ここじゃ、手術後の通り道で邪魔になるよ? ひとまず休憩室に移動しようか』
『う、うん。 ……あれ、なんか安心したら足に力が入らないや』
『しょうがないなー』
『うわぁ!』
 気が緩んで立ち上がれないでいるクマシュンの体をサイコキネシスで浮かせたミュウは、その状態のまま、休憩室に移動した。
『ずっと気を張っていて疲れたんだろうね。 君はここで休んどきな。 後の処理はこっちでやるから』
『待って!』
 休憩室のソファにクマシュンを下ろし、その場から立ち去ろうとしたミュウをクマシュンが呼び止める。
『なんで人間がここにいるの? それにポケモンの怪我の手当てって、どうしてそんな事しているの? 人間って悪い奴らなんじゃないの?』
『質問が多いね。 ……けど、まあ、答えてあげるよ。 手術を執刀した彼の信用が低いと今後の治療に支障をきたすかもしれないからね』
 ミュウは休憩室の扉を閉めて部屋の中に戻ると、クマシュンの隣に座って話し始めた。
 2年前、この世界でミュウと男が出会った時の話を――

***

『すごい音がしたから来てみたけど、なんだ。 ただの雪崩か』
 つまらなさそうな物を見るような目でため息交じりに呟いたミュウ。
 ミュウと呼ばれる種族の中でもこのミュウは体色が他のミュウとは違い、鮮やかな水色をしている。
 そういった経緯から変わり者として、仲間から距離を置かれていたこのミュウは、仲間の元を離れて、1匹ひとりで色々な場所を転々としていた。
 今日もそんな感じで目的もなく、生まれ持ったサイコパワーで気ままに空を飛んでいると、ちょうど雪山を通過しているタイミングで、何やら大きな音がしたので、退屈しのぎに見に来たのだが、自然の世界ではありふれた雪崩が起きただけであった。
『でも、今回は派手にいったねー。 結構な量の木が流されて、山の中腹辺りが丸見えだよ』
 この世界では雪崩なんて自然災害の一部であり、驚くことの程でもない。
当然、そこで暮らす者もそれをわかったうえでその場に留まっているのであり、当事者でもない立場の者からしてみれば、自然災害に巻き込まれたら、運が無かったねとしか思えない。
その程度の出来事だった。
 だからこそ、それは、本当に気まぐれであった。
 ミュウは視界の端に、雪の中からポケモンの体の一部と思われるものがはみ出しているのを捉えた。
 救助なんて行う柄ではないのだが、見つけた者をそのまま放置しておくのは、それはそれで気になるので、ミュウはサイコキネシスでそのポケモンを雪山から掘り出すことにした。
『……あー、これは、余計な事をしちゃったかな?』
 ミュウが雪の中から引きずり出したのはアブソルという、四足歩行で頭の角が特徴的なポケモンであったが、すでに息絶えていた。
 身体には無数の傷があり、背中に折れた木の一部がいくつか突き刺さっていた。
 おそらくこれが致命傷となってしまったのだろう。
 しかし、ここでミュウは1つ疑問に思った。
 アブソルというポケモンは、こういった自然災害が起きる際、その予兆を敏感に感じ取る種族だと記憶している。
 そんなアブソルが、雪崩に巻き込まれるような間抜けな事をするだろうか?
 何か理由があると考えたミュウは、興味本位でアブソルを掘り起こした付近の雪をかき分け、その答えを見つけた。
『……なるほど。 君はこれを守ったのか』


「ハッ、クシュン! ……ここはどこだ?」
 大きなくしゃみと共に一人の男が目を覚まし、辺りを見回す。
 自分が寝かされているのは木製の小さなベッド、そばには暖かな火がついた暖炉に、煉瓦のような物で造られている壁。 辺りは暗く、暖炉に灯る炎がこの部屋唯一の光源であった。
「痛ッ……!」
 横になっていた状態から上半身を起こした男は、痛みを感じで、自分の体に視線を移すと、大量の包帯が雑に巻かれていた。
 どうやら、自分は誰かにこの建物内に運ばれ、手当てしてもらったのだと推測した男は、こうなる前の直前の記憶を思い起こす。
 男は今年で30歳になり、世間ではおっさんと呼ばれるようになる節目の人間だったが、気がついたら見知らぬ雪原に放り出されていた。
 なぜ、そのような事になったのかはわからないが、厚手のコートに雪道でも問題なく歩ける靴を履いていたのは不幸中の幸いであった。
 それから、ここがどこなのか探るために歩き始めたが、その歩みが止まるのにさほど時間はかからなかった。
 男は目撃してしまったのだ。
 存在するはずのないポケモンと呼ばれる、架空の生き物が実際に存在する所を。
 男の認識として、ポケモンとは、ゲームやテレビといった、創作物の中にだけ存在する空想上の生物であった。
 それが実在する事に半信半疑だった男はしばらくの間、隠れてポケモンを観察する事にした。
 そして、色んなポケモンを観察した結果、この世界にいるポケモンは決して作り物などではなく、生きている生物と確信し、それと同時に自分は別の世界に来てしまい、元の世界に戻る手段など見当もつかないという事実を突きつけられた。
 その突拍子もない現実に頭を抱えて、近くにあった岩に腰かけていると、急にアブソルが目の前に現れ、なにやら騒ぎ始めた。
 しかし、男にポケモンの言葉はわからなかった。
 男のいた世界で流行していた、異世界に行く創作物の主人公は大体、言語に関するサポートを受けているものだが、自分は違ったなと現実逃避気味な事を思っていると、しびれを切らしたのか、アブソルは男の服の胸元辺りを咥えると、力任せに男を空中に放り投げて、背中でキャッチすると、そのまま勝手に走り始めた。
 男はなんとかして、飛び降りようと考えたが、その気持ちもすぐに失せた。
なぜなら、アブソルの走る速度が男の想像よりも速かった事と、走っている場所が崖沿いの道なき道であり、アブソルは野生で培われた身体能力を持って、険しいルートを難なく走り抜けていたからである。
そんなアブソルから、思い切って飛び降りられるような勇気など、男は持ち合わせていなかった。
 ならば、せめてアブソルから振り落とされないよう、しっかりと背中にしがみついてやろう。
男がそう考えた時、大地がうなり声を上げるような音を耳にし、山頂に目を向けると、雪崩がすぐそこまで迫ってきている光景を目にした。
 そこでようやく、何故、アブソルがあんなに騒いでいたのか理解したが、全ては遅かった。
 雪崩はあっという間に男を乗せたアブソルの元に到達し、男とアブソルは迫りくる雪の塊と共に崖の下に落ちて行った。
 感じる浮遊感、迫りくる雪の塊と男に向けて前足を伸ばすアブソルの姿。
それが、意識を失う直前に男の見た最後の光景であった。
「……そうだ。 アブソルは、いっつ!」
 直前の記憶を思い出し、男が立ち上がろうと体を動かしたが強烈な痛みを感じて、痛んだ個所を手で押さえた。
「じっとしてなよ。 人間の体に詳しくない私でも、君の体が重症なことぐらいわかる」
 頭に直接語り掛けてくるような声に驚いた男が、部屋の入り口に目を向けると、小さなバッグを持った水色のミュウが浮いていた。
「あれ? この方法で伝わってるよね? 私の言葉、わかりますか~?」
 特別な存在であるミュウの登場に男が固まっていると、慌てたようにミュウがまた語りかけてきた。
「あ、ああ。 大丈夫、ちゃんとわかるよ」
「おお、よかった。 人間はポケモンの言葉がわからないからテレパシーが有効だって本に書いてあったんだ」
 この脳内に直接話しかけるような感じの正体が、テレパシーとわかった男は、テレパシーの声の主であるミュウの姿をまじまじと見つめた。
 男の世界でのミュウはサイコパワーを扱うポケモンで、なおかつ全ての始まりのポケモンでもある特別なポケモンだ。
 さらに、目の前にいるミュウは男の知っているミュウとは色が異なる事から色違いと言うレア中のレアなポケモンという事になる。
「手当てしてくれたのは君?」
「そうだよ。 雪に埋もれてたのを私が引きずり出してあげたんだ」
「ありがとう。 助かったよ。 それで、ちょっと聞きたいんだけど、俺のいた付近にアブソルってポケモンはいなかった?」
「いたも何も雪の中からアブソルの尻尾がはみ出てて、その近くで君を見つけたのさ。 まあ、アブソルはすでに死んでいたけどね」
「……え?」
 自分がこうして助けられているならば、直前までそばにいたアブソルも助けてもらっているかもしれない。
 もし、助けてもらっていたならばお礼を言わなければならないと楽観的に考えていた男には、ミュウの返答は受け入れがたい言葉であった。
「あの子も君同様に打撲や切り傷が多かったけど、君と大きく違うのは背中に直径10センチぐらいの枝が2、3本突き刺さっていた事だね。 君は運がいいよ」
「え、いや、ちょっと待てよ。 アブソルが、死んだ……?」
「そうだよ。 そう言ったばかりじゃないか」
 ミュウは話しながら男の隣に移動するとバッグの中から包帯を取り出し、放心状態の男の包帯を取り換え始めた。
「……なあ。 ミュウの力でアブソルを生き返らせる、なんてことは出来ないかな?」
「はぁ? そんな事、出来るわけないよ。 そもそも、君とあのアブソルはどんな関係さ?」
「……雪崩が起きる直前に、初めて会った」
「ハハハッ。 そんな浅い関係性の相手によくもまあ、そんな感情移入できるもんだね」
「でも、あいつは俺を助けてくれた。 だから、ミュウの力なら短い時間でもアブソルと話が出来る時間くらい、作れるんじゃないのか?」
「あのさぁ。 出来ないって言ったばかりだよ?」
 ミュウは明らかに不機嫌な表情をしながら、包帯をサイコキネシスで操ったハサミで器用に切り、男の傷口に新しく巻きなおしていく。
「一度、死んだ命は戻らない。 諦めな」
「で、でも。 ミュウの力なら――」
「君もしつこいなぁー」
男の言葉にミュウは包帯を巻く手を止めると、小さな手で男の顎を掴んで自分の目と男の目を無理やり合わせて言った。
「君がミュウというポケモンにどんな幻想を抱いているか知らないけど、それを私に押し付けるのは止めてくれないかな? 私は私だし、出来ない事は出来ない。 はっきり言って、不愉快だ」
「ご、ごめん。 そんなつもりは無かったんだ」
 鋭い目つきで男にそう言い放つと、ミュウは男の顎から手を離し、再び包帯を巻き始めた。
「大体、死んだアブソルと会って何を話すつもりさ? 罪悪感を抱くのは勝手だけど、その気持ちから少しでも逃れようなんて理由で死者を蘇らせたいなら、それはただの傲慢だよ」
 自覚していない事を言い当てられた男はミュウの言葉に何も言い返せなかった。
「……お前の言う通りだな。 ……悪い、忘れてくれ」
 その後、ミュウは無言で作業を完了させると、最後まで何も言わずに部屋から出て行った。
 それから1ヶ月ほど男はミュウの手当てを受けながら生活した。
 最初こそ、気まずい空気が流れていたが、少しずつ何気ない会話を積み重ねていくうちに、男とミュウは次第に打ち解けていった。
ある日、男は自分が他の世界から来た可能性がある事をミュウに話すと、ミュウは妙に納得したような態度をしたので、理由を聞いてみると、この世界には人間と言う生物は既に存在しないらしい。
正確には、数百年程前に存在したらしいが、この星が寒くなると星に見切りをつけて、別の惑星へと旅立ってしまったらしい。
そのため、時がたった今でも星には人間が使っていた建造物などがいくつか残っていて、男が寝ているこの場所もその一つだという。
ただ、当時のポケモン側は人間に対してあまり良い印象を持っていなかったようで、人間が住みやすくなるようにと、どんどん木々は伐採され、洞窟は街を行き来するためにと灯りをつけられ、海や川は化学物質で汚され、そこに生息するポケモン達は次々に行き場を奪われた。
人間と共存する道を選んだポケモンも存在はしたらしいが、野生で暮らしているポケモンから見たら、力をいいように利用されたり、娯楽施設の見世物にされたりと、共存とは言い難い扱いにしか見えなかった。
そして、星が氷河期を迎えて住みづらくなると、あれだけ共存だと言い張っていたポケモンを簡単に見捨てて、別の星に向かってしまったのだから、良い印象を持てるはずもなく、いつか寒さが終わると戻ってくる可能性がある事を危惧した当時のポケモン達が、人間と言う生物に関しての話を後世に言い伝えていったらしい。
この話を聞いた男は、何故そうした背景を持つ、この星に人間である自分が迷い込んだのか、その理由をしばらく考えたが、これといった答えを見つける事は出来なかった。
「さて。 傷もあらかた治ったし、これから君はどうするか決めたのかい?」
「……そうだな。 俺は、ポケモンを救える医者を目指そうと思う」
「は?」
 男の言葉にミュウはマメパトが豆鉄砲を食らったように呆けた顔をした。
「いきなり突拍子もない事を言っている自覚もあるし、知識も経験もない素人の俺が何を言ってんだって思うのもわかる。 けど、アブソルが俺を助けてくれたように、俺も誰かを助けたいんだ! ……それが、死んだアブソルに対する俺なりの義理の果たし方だ」
 男の話を最後まで聞いたミュウは、呆けた顔から一転して、お腹を抱えて笑い始めた。
「アハハッ! これは面白い! この世界の知識どころか、ポケモンに関する医術も経験もない君が医者かー! ハハハハッ!」
「な、何もそこまで笑うことないだろ。 俺なりに考えて出した答えなんだよ」
「いいや、私は笑うね。 こういう荒唐無稽な話は、誰かが笑い飛ばしたほうが叶うもんなんだ」
 ひとしきり笑い終えたミュウは、男の方に視線を向けると面白い事を思いついたと言わんばかりの表情をして言った。
「うん! よし、決めた。 私は君のそのバカげた話に付き合う事にするよ」
「はぁ? お前、俺を助けたのは気まぐれみたいなこと言ってなかったか?」
「そうさ。 だから、これも私の気まぐれさ。 それに、君といると退屈しなさそうだ」
「なんだその理由」
 男が呆れた表情をすると、ミュウはさらにいたずらそうな笑みを浮かべて言った。
「何より君が私を必要としているんじゃないのかい? この世界で私の協力なしで、0から医者になるのは大変だよ~?」
「ウッ。 それは、そうだが……」
 ミュウの言う通り、この世界にいた人間が使っていた言語と男のいた世界の言語が一致している可能性は極めて低く、さらにこうして男とまともに会話できる相手は、目の前にいるミュウのようにテレパシーが使えるポケモンに限定されてくる。
 ミュウの協力なしで、この世界の知識を学び、実践していくのは無謀と言わざるを得なかった。
「どうやら自分の掲げた目標に対する、今の状況が理解できたみたいだね?」
「ああ、理解したさ。 俺はお前の力を借りないとやっていけないぐらいに弱い状況だって事をなぁ!」
 ニヤニヤと小馬鹿にするような笑みを浮かべるミュウに対して、男はやけくそ気味に言い返した。
「じゃあそう言うわけで、これから私が色々教えてあげるよ! しっかりついてくるんだよ?」
 ミュウは笑みを浮かべたまま、男に向けて自身の小さな手を差し出した。
 男はミュウと目を合わせると、同じように笑みを浮かべ、差し出された小さな手を力強く握った。
「言われなくても、ついていくよ。 ミュウ!」

***

『それから、私は彼に知る限りの知識や技術を教えて、足りない部分は人間の廃墟に残っている本やら道具やらを持ち出して補った。 この建物だって、かつて病院と呼ばれる建物で壊れていたのを他のポケモンと協力して、最低限使えるように修理したのさ』
『……そうだったんだ。 人間は悪い奴だってママのママも言ってたから、そうなんだーって思ってたよ』
 人間である男とミュウの出会いから、この病院と言う建物が出来るまでの話を大人しく聞いていたクマシュンは、感じた事を素直に口にした。
『確かに悪い人間がいたのも事実だけど、悪くない人間もいるって事はわかってほしい。 少なくとも彼は罪悪感から逃げる事よりも、向き合う事を選んだ。 彼はいい人間だよ。 君のママであるツンベアーの所に行った時、レントラーに変身した水色のメタモンがいたのを覚えてる?』
『うん。 なんか見たことない色してたから覚えてる』
『実はあのメタモンは、彼が医者として初めて助けたポケモンなのさ。 治療を終えた際に彼の考えに感銘を受けたらしくて、私と彼の手伝いがしたいと言うから、アシスタントみたいなことをしてもらっているんだ。 これは、彼が悪い人間だったら起こり得なかった事だろ?』
『そうだね! じゃあ、あの人間は悪い人間じゃないんだ!』
 クマシュンがミュウに人間について質問してきた時こそ、人間に対する不信感を感じさせる表情をしていたが、話を聞いた後の今では、そんな様子は無かったかのように穏やかな表情になっていた。


 ツンベアーの手術が無事に終了してから、一晩が経過し、クマシュンは意識の戻ったツンベアーと楽しそうに会話をしていた。
 そこへ、ミュウがやってくると、ツンベアーに経過観察もかねてこれからの話をするから、男を呼んできてほしいとクマシュンに頼んだ。
 男はこの時間は外に出て、建物の裏手にいると聞いたクマシュンは男を呼びに行くため、病室から走って出ていった。
 建物の裏手に来ると、そこはちょっとした広場のようなスペースが広がっており、間隔をあけて大きな石が置かれ、石の前にはそれぞれ花束が置いてあった。
 クマシュンは周りをきょろきょろと見回すと、花束が置かれた大きな石の前で両手を合わせて、静かに目を閉じている男の姿を見つけた。
 クマシュンにはその行動の意味が分からず、不思議に思いながらも男に近づき、男の着ている白衣の裾を引っ張った。
「ん? ああ、君はあのツンベアーのお子さんか」
 男はなるべくクマシュンと目線を合わせられるように、その場にしゃがんだ。
 クマシュンは病院の方を指さしてから、ミュウが呼んでいる事を伝えるため、言葉だけでなく、ジェスチャーを交えて、男に伝えようとした。
 その意図に気が付いた男は、クマシュンの一連の動作を見て、何を伝えたいのか察し、笑顔で言った。
「ミュウが呼んでいるって事は、ツンベアーへの術後説明のことか。 それを伝えに来てくれたのかい? ありがとう」
 男はお礼にクマシュンの頭を優しく撫でてあげると、わりと気持ちよかったらしく、可愛らしい鳴き声を上げて、クマシュンは嬉しそうに男の元にすり寄った。
「フフッ。 このまま撫で続けたい気分だけど、ミュウが呼んでるし、行かないとね」
 男はクマシュンを抱きかかえて、立ち上がり、病院の方に向かって歩き出した。
男に抱っこされた状態のクマシュンは、ふとこの広場が何なのか疑問に思っていた事を思い出し、今度は男の白衣の襟を引っ張り、大きな石を指さして、首を傾げるような仕草をした。
「どうしたんだ? ああ、この場所が何なのか不思議なんだね。 ここは死んだポケモンが埋葬されている墓地みたいな場所さ。 といっても、規模は小さいけどね」
 ポケモンは死んだら地面に埋める事は、親であるツンベアーから聞かされていたし、ツンベアーの親が寿命で死んだ時もそうしたので、クマシュンも知ってはいた。
 だが、わざわざ埋めた場所に目印として、大きな石を置くなんて事はしたことが無かったし、花束を添えるような事もやったことが無かった。
「……そういえば、ミュウから墓標を立てたり、お墓参りの習慣はポケモンにはないって聞いたことがあったな」
 まだよくわからないように首を傾げるクマシュンの姿を見て、ミュウが以前、そんな話をしていた事を男は思い出した。
「うーん。 なんて言えばいいかな? 人間っていうのは、誰かが死んだ時、死者を弔うためにお墓を建てて、その誰かがいた事を忘れないために、定期的にお花を供えて、安らかに眠ってもらえるように祈る文化があるんだ。 ここにあるお墓は、俺が救えなかった患者さんたちのお墓で、心に刻んで、絶対に忘れないために、俺がミュウに頼んで作ってもらったんだ」
 穏やかな口調で話す男だが、その表情は少し悲しそうに見えた。
クマシュンは、男の頬に小さな手を当てて、心配そうに男の顔を見上げる。
「ハハッ。 慰めてくれるのかい? 君は優しい子だね。 俺は大丈夫。 さあ、ツンベアーの元に行こう」
 クマシュンに向けて笑顔を見せた男は、クマシュンを抱っこしたまま、病院の中へ入って行った。


 ツンベアーの手術をしてから一ヶ月が経過した。
 ポケモンの生命力は驚異的で、術後説明をした日は動かないよう安静にしていたツンベアーも、3日目にはリハビリを兼ねた短距離の散歩が出来るまでに回復し、2週間も経過すると、退院しても大丈夫な状態まで回復した。
 ツンベアーが入院している間、病院で共に過ごしたクマシュンはメタモンとすっかり仲良くなったようで、ツンベアーが退院する時に中々離れようとしなかったが、ツンベアーに無理やり抱きかかえられる形で、引き剥がされて、そのまま親子一緒に元の住処へと帰って行った。
 が、その翌日から、クマシュンは毎日、病院に遊びに来るようになった。
 男としては、患者がいない時に、さみしがりやのメタモンの良い遊び相手になってくれているようで助かっているが、親であるツンベアーが心配していないか気がかりだったので、ミュウに通訳を頼み、話を聞いてみると、ちゃんと許可をとって遊びに来ているようなので安心した。
 今日もクマシュンは病院の外でメタモンと一緒に遊んでいる。
 男は病院内の椅子に座って、温かいお茶を飲みながらその光景を眺めていた。
 今は午後の時間だが、患者は誰もいない。
 午前中に転んで手を擦りむいたユキワラシの治療こそあったが、それ以外に病院ここを訪れるポケモンがいない事は良い事なのだろう。
 そんな事を思いつつ、お茶を飲んでいると、男の隣にミュウがやってきた。
 男と同じようにお茶を飲みに来たようだが、コップを手に持って飲んでいる男と違って、ミュウはコップを空中に浮かせて、自身も空中で寝そべるような体勢をしている。
 なんとも優雅なお茶の飲み方だ。
「う~ん。 やっぱり、ポットデスから貰った茶葉で淹れたお茶は絶品だね」
「紅茶じゃないのか、って最初は思ったけど、ポットデスから貰う紅茶はいろんな意味で怖いから、普通のお茶の葉で良かったよ」
 そう言って男はお茶を啜る。
 男の暮らしていた世界ではありふれていたような味わいだが、このほどよい苦味がなんだか懐かしくて、安心するのだ。
「ねえ? 君はさ。 元の世界に帰りたいって、思ったりすることある?」
「……そうだなー」
隣でお茶を啜りながら、何気なく聞いてきたミュウに、男は一息ついてから答えた。
「こっちに来たばかりの時は、理由もわからず突然、日常を壊された気分だったし、帰りたいって思う時もあった。 けど、アブソルに助けられて、お前やメタモンとポケモンの医者をやるようになってからは、これが今の俺の日常だって、思うようになったよ」
「日常、ね……」
ミュウは外で楽しそうにはしゃぐメタモンとクマシュンの方に視線を向けて、そう呟いた。
「あの時から、2年が経過した今でも、俺がこの世界に来た理由はわからない。 けど、来た意味なら自分で見つけられる。 それに気がついたから、今さら元いた世界に戻ろうなんて思わないよ。 今の俺が帰る場所は、ミュウやメタモンがいるここだからな」
「ふぅーん。 私の帰りたいか?という問いかけに対して、ここが帰る場所とは、君も言うようになったね」
「だろ? 俺も今の返しはわりと上手かったと思った」
 男はわざとらしく笑って見せると、ミュウは口元を僅かに緩めて言った。
「まあ、ここが帰る場所と言われて悪い気はしないね」
「フッ、素直じゃないな」
 素直に嬉しいとは言わないミュウに男が小さな笑みを浮かべていると、外でクマシュンと一緒にいた筈のメタモンが慌てた様子で駆け寄ってきた。
 それを見た男が視線を外に向けると、泣いている1匹のゾロアをクマシュンが慰めている光景が目に映った。
 どうやら何かあったようだ。
「あららー。 休憩時間は終わりかな?」
「そうみたいだな。 2匹ふたりとも行くぞ!」
「了解、医者ドクター!」
 男とミュウは合流したメタモンと一緒に、外で泣いているゾロアの元へと向かった。
 こうして、ポケモンのいる世界に迷い込んだ男の日常は今日も続いていくのであった。

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