盲目的なオブセッション

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作者:照風めめ
読了時間目安:32分
 イッシュ地方北西。セッカシティと7番道路を隔てる巨大な鉱山はネジ山として親しまれている。鉱山王ヤーコン氏率いるヤーコン・コッパー社が大規模な開発工事を行い、露天掘りされた鉱山はすり鉢状に拓かれている。
 連日銅資源の採掘が行われている一方でトレーナーの鍛錬の場としても機能する、「開かれている拓かれた山」というのがヤーコン氏の談であった。
 降雪の多い冬場は辺りが雪原のように雪が積もる。重機が動きづらいことから、一部の地下エリアを除いて採掘作業も休みに入り、周囲は閑散とする。しかし例年とは異なり、ネジ山に隣接するセッカシティでは異様な光景が見られた。
 セッカシティ側ネジ山の入り口の前には「SAVE THE POKĒMON」と書かれた巨大な横断幕が貼られ、拡声器を持った環境保護団体のメンバーがネジ山の入り口前を陣取って演説をしている。
 その様子を人込みに交じって見ていた青年は、ふと環境保護団体の目を盗み、ネジ山内部へ飛び込んでいった。



「本当はね、今はこういう採掘依頼お断りしてるんだよ」
 7番道路側のネジ山入り口にて、ヤーコン・コッパー社のラリー・ホーキンスがため息混じりに呟いた。
「君、この向こうで何が起きてるか知ってるかい?」
 向こう、とはセッカシティのことだろう。イッシュ地方から千マイル離れたユーフ地方から訪れたヒューイ・メイソンはイッシュの事情にさほど明るくない。いいえ、と答えるとホーキンスは続ける。
「スピリット・シンボルってネットかテレビかで聞いたことはあるかい? あのイカれた環境団体がネジ山を開発するな、ポケモンを守れとまぁ元気に喧伝しとるんだ。だから危ないってことで今は基本的に採掘依頼は断ってるんだよ。トレーナーが訓練や通り抜け目的で入山するのは別に止めちゃいないがね」
「はあ」
「でもね、君がある程度トレーナーとしても腕が立つと君の大学の先生が直接ボスや社長に言って認可に漕ぎつけた。お陰でデスクで熱々のコーヒーを飲むはずが、寒さに震えながら学生の案内をする羽目だ」
 落ち窪んだホーキンスの眼窩から覗く眼が、ギロリとヒューイに向けられる。さながらヨマワルの"睨みつける"だ、とヒューイは心の中で独りごちた。
 ネジ山の開発権はヤーコン・コッパー社が有しているが、ポケモンの化石、進化の石など非銅鉱石の採掘に関してはヤーコン・コッパー社の認可が下りれば研究、教育機関や一部企業も採掘が可能である。
 ヒューイの目的はアルバイトで行っているクラフト作品作成のための氷の石を採取するためなのだが、建前上はヒューイが所属するセントラル・ユーフ大学研究室の実地調査ということにしている。ヒューイの担当教授の顔の広さのお陰で、一介の学生であるヒューイにも単身で採掘権を与えてくれたことには感謝の言葉しかない。
 ネジ山の入り口に着いたところで、ホーキンスは足を止める。
「君はプラズマ団って知ってるかね? と言ってもまだ小さい頃かもしれんが」
「まあ知識としては知ってますけど」
 ポケモンを人間の支配から解放する、という喧伝をしてイッシュ地方全域で活動していたカルト集団がいたということは、今でもニュースやドキュメンタリーで目にする。
「彼らも耳あたりの良い言葉を口にして活動していたが、フタを開けると破壊活動を厭わないただのテロ集団だった。だから私はそういう団体とかが嫌いでね。万が一君がネジ山の中でスピリット・シンボルの人間と遭遇しても気を付けることだ。何されるか分かったもんじゃない。人間、身の程を忘れないように」
 そう言ってホーキンスは作業用の反射ベストをヒューイに渡し、彼を見送った。



 氷の石については、あらかじめ当たりをつけている。ネジ山の地下エリアにて、氷で覆われた岩があることは事前に調査済みだ。
 洞窟を数十分歩いて抜けた先には一面の銀景色が広がっていた。すり鉢状のネジ山に積もっている雪は、平時では直接渡り歩けないようなポイントを橋渡ししているようにも見られるが、反面雪は非常に深い。
 雪上は避けて整備された道を進め。どうしても雪上を行くなら覚えておくといい。雪の深さを知るには、くれぐれも迂闊に両足を突っ込まないように。そう語ったホーキンスの言葉を思い浮かべる。
 ネジ山を下りて最下層の盆地に降り立つ。再び洞穴に入り、しばらく進むと外よりもさらに冷たい空気が流れ込んできた。亜熱帯気候のユーフ出身であるヒューイには、借り物の厚手のコートを羽織っても寒さが肌を刺すように思える。
 さらに奥へと歩みを進めていくと、うつ伏せで人が地面に倒れている。
 手持ちのゴルーグを繰り出し、辺りを警戒しながら倒れている人に近寄る。
「大丈夫ですか?」
 小さな呻き声は聞こえたが、応答らしき応答は無い。倒れていた人を仰向けになるよう転がし、肩をたたいて再度呼びかけるが、どうやら意識は無いようだ。
 救助を求めるにしても洞窟の中からまずは脱出するしかない。そう思った時、静かに見張りをしていたゴルーグが低く唸る。
 それと共に灯りで照らされている洞窟内を、巨大な影が蠢く。灯りの角度で伸びた影ではない。明らかに大きな何かがいる!
 より強い冷気と悪寒が駆け巡る。さながら全身の冷点を刺すようだ。
 何かがいるには違いないが、今はそれと相対するのではなく救助が最優先。ヒューイに迷いはなかった。
「ゴルーグ、撤退しよう」
 倒れていた人をゴルーグに託し、ヒューイは来た道を一目散に引き返した。



 セッカシティのポケモンセンター近くの公園で、グランブルマウンテンを飲みながらヒューイは青年を待った。
 救出されたアンソニー・ベネットには特に外傷も無く、ごく軽度の低体温症との事らしく、簡単な治療を受けただけで済んだらしい。
 ヒューイとしても氷の石の確保はしたいが、ネジ山で見たあの大きな影についての情報は必要だ。故にアンソニーを呼び止めたのだった。
「いやあ、先ほどは助けてもらってありがとうございます」
 救出した時よりも着膨れた様子のアンソニーが、ヒューイに駆け寄ってきた。
「もう体の方は大丈夫ですか?」
「ええ、お陰様で。今はボディーウォーマーカイロを付けたりして体を温めてるよ」
 へへへ、と笑うアンソニーに若干の不安が付き纏う。あんな危険な目に遭っておきながら、へらへらした様子に見える。そんな言動にヒューイは眉を顰める。
「それにしても」
 ヒューイが話しかけるより先に、アンソニーは公園の柵に手をかけて話し始める。
 坂の下、眼下にはネジ山の入り口周辺で特徴的な髭の男を先頭に、数十人規模で行進するグループがいた。同じロゴが刻まれたアウターを身に纏っている。
「お兄さん、あの人達の事は知ってます?」
「スピリット・シンボル。有名なNGO団体らしいですね。いろんな意味でも」
 アンソニーはそんな彼らに目をやる。
「あれ、ネジ山の開発でポケモンの権利が侵害されているってここ数日騒いでるんですよ。で、ネジ山を開発してるヤーコン・コッパー社はSDGsにも積極的に取り組んでる企業で有名じゃないですか。これはもうどっちの言い分が正しいか、ジャーナリストとしては確かめるしか無いでしょう」
「アンソニーさん、ジャーナリストなんですね」
「ええ、と言ってもフリーだけどね。でもね、ここだけの話なんだけど」
 アンソニーは声のボリュームを露骨に絞り、ヒューイに近づいて囁きかける。さながら馴染みの悪友のように。
「スピリット・シンボルは表では環境保護団体を名乗っているけどその実情は怪しいものさ。やつらがネジ山内部でポケモンに関する何らかの違法行為を働いていて、それが露見されるのを防ぐために開発中止を訴えかけてるんじゃないかって話があるんだよ」
 目をギラつかせながらアンソニーは続ける。
「冬場はネジ山の開発が止まる。そんなネジ山の深部なんて寒くて人が寄り付かない。だからこそ何か悪いことでもしてるんじゃないかって」
 囁き声ながらも徐々に言葉尻が強くなる。
「だからといって勝手に単身で飛び込むのはどうなんですか」
「あはは、さすがにそれは間違いだったよ。トレーナーでもない僕が一人でいくのは準備不足。お陰でちょっと痛い目見ちゃったね」
 ヒューイにとって興味があるのは環境団体やネジ山の都合では無い。あくまで無事に良質の氷の石を採れるかだ。やや強引に話を折る。
「で、何に襲われてたんですか?」
「それがサッパリでね。強い寒波──ポケモンのワザかな? とにかくあまりの寒さに意識がブワっと飛んじゃって。でもあのエリアに棲むポケモンってどちらかというと非好戦的なのが多いはずなんで、ポケモンが人を襲うっていうのも変でしてねえ」
 アンソニーはわざとらしく肩を竦める。はあ、とヒューイは顔を逸らすが、再び距離を縮めて来る。
「でもお兄さんはあんな深部に一人で来て、僕を助けられるくらいの腕もある。きっと何か用事もあるんでしょう?」
 この男、全く懲りていない。それどころか悪びれもしていない。ヒューイが少し苦手な種類の人間だ。
「ただ石を採掘しにきた学生ですよ」
「でも君は十分強そうだ。もし良ければボディーガードとして同行してくれると嬉しいんだけどなあ。旅は道連れって言うじゃあないですか。謝礼はもちろん弾みます、原稿料の何割か流すから。ね?」
 しかし、断る方便が思いつくほど口が達者でもなかった。
「一緒にイッシュの平和を守ると思って、さ! 君も一人でネジ山に入るってことはチャンピオン目指すトレーナーかなんかでしょ?」
「俺は別にそういうのは」
「またまた~。照れなくていいでしょう!」
 明日の朝に決行しましょう。そう言って、聞く耳もたずのアンソニーはポケモンセンターへ戻っていった。
 ぬるくなったグランブルマウンテンは、濃い苦みが広がった。

「あの集団、放置していいんでしょうか」
 スピリット・シンボルの人間がどれだけポケモンに長けているかは知らないが、ヤーコン・コッパー社の社長はホドモエジムのジムリーダーで、社員にはジムトレーナーを兼ねる人もいると聞く。それだけの実力者がいれば排除することも難しくはないとヒューイは考える。
 アンソニーの語ったことをホーキンスには伝えなかった。正直真実かも疑わしい。それに、そんな大それたことは本来個人のレベルでやることではない。と、思った。しかしいずれにしても、スピリット・シンボルがネジ山からいなくなれば済む話では無いだろうか。
「一昔前の社長なら力ずくで排除していただろうね。でも今は時代が違う。それに違う考えを持つ、それは当たり前のことさ。犯罪行為に出たり、直接の被害が無い限りは彼らにも自由がある。まあ限度ってものはあるがね」
 と語っているが、ライブキャスター越しにもホーキンスの不機嫌さがひしひしと伝わる。
「そういうものですか」
「そういうものさ。ま、社としての建前だがね。どんな者に対しても受け皿は必要だと社長は言うがね、現場の人間としては関わりたくない、ってことが本音さ。いつか彼らの興味が移るまで、ハリケーンに耐えればいいんだからね」
 まさか、と口にしたホーキンスはしかめっ面になる。
「採掘日程の延長は構わんが、変な気は起こさないでくれよ。君はただの学生だ。くれぐれも身の程を忘れないように。ましてや朝は寒くて危険度も増す。君に何かが起きた場合、こちらの責任問題になるんだからね」



 ヒューイは悩んだ。いくら人の手の入った鉱山と言えど、必ずしも安全ではない。ましてや足手纏いが着いてくるくらいなら、無視して一人でネジ山に潜るほうが良い。
 しかし目の前で起きてしまった"事"を放置するほどの冷徹さも持ち合わせていなかった。きっと一人で行けばアンソニーがまた一人でネジ山に飛び込み、二の轍を踏むかもしれない。
 陽が昇るよりも前、ネジ山の入り口で二人は落ち合った。この時間は流石に誰も見当たらない。
「きっと来てくれるかなあと思いましたよ!」
 屈託なく笑うアンソニーに対し、ヒューイは自分の行いが正解であったかまだ悩んでいた。雪の深さを知らぬまま、迂闊にも両足を突っ込んでいるのであるから。
「言っておきますが、あくまで俺は氷の石を採りに来ただけです。その目的が果たせれば、貴方の目的が達成されなくても引き上げます」
「いやいや、それで十分! Win-WinですよWin-Win!」
 昨日来た道を再び辿り、ネジ山の深部へ潜っていく。
 アンソニーには伝えなかったが、比較的新しい人間の足跡がいくつかあるようだ。
 決してそういったレンジャー的な専門知識も持っていないし、他に採掘に来た人もいるだろう。アテにするには心許ないが、いざという時の覚悟も必要だ。
 なるべく静かにするようにアンソニーに伝えると、彼は静かに頷く。腰につけたモンスターボールの位置を確かめなおし、歩みを進めた。
 昨日アンソニーを発見した場所から十五分程歩くと、開けた空間に出た。これまでもせいぜい作業用車両二台がなんとか通れる程の道幅はあったが、ゴルフコースに匹敵するかもしれないほどの開放的空間だ。
 クマシュンの群れ、そしてガントルの姿も散見される。どこかに隙間でもあるのか、自然光も差し込んでいるようだ。そしてなだらかにすり鉢状になっている空間の底には、推測一メートル弱の高さを持つ巨大な凍った岩が鎮座する。
 グレシャーブルーの凍った岩は、よく知る氷の石より数段神秘的に感じる。鉱物好きとしては息を呑まずにはいられなかった。
 しかし個人的な感慨を破るように、アンソニーが肩をたたく。ヒューイは振り返り、またしてもアンソニーが指す方向に視線をやる。
 クマシュン、ではなくそれを覆う巨大な影。その影の主を辿れば結晶ポケモン、フリージオ。しかし、あれは──
「オーマイゴッド……、なんてデカさだ」
 これまで沈黙を押し倒していたアンソニーが声を漏らすほどの衝撃。
 目測で全長およそ二メートル。普通のフリージオの二倍くらいの大きさだ。フリージオにも個体差はあるだろうが、そこを加味しても異常としか言えない。
 しかしポケモンの肥大化については前例が無いことは無い。それはエネルギー鉱石による遺伝子変異だ。
 進化の石を始めとする特定のエネルギーを持った鉱石が、ポケモンの遺伝情報に変化を与えて時に進化を促すのは知られた話だ。しかし進化とは違った突然変異を促すこともある。その一つとしてあのフリージオのような身体の肥大化、異常発達。
 異常発達そのものは珍しいが、過去の文献では旧シンオウ地方で見られたオヤブンと呼称された個体は相当数いたらしい。今でもアローラ地方ではヌシと呼称される個体がいくらかいると聞く。
 きっとあのフリージオも凍った岩のエネルギーを受けたのだろうか。いずれにせよ異常発達したポケモンは、一般的なポケモンよりも強敵であるのは間違いない。
 大学の講義で話を聞くのと、実際目の当たりにするのでは話は違う。いくら頭でロジカルに現象を捉えようと、本能的に足がすくむ。
 そしてそのフリージオを追うように、人影が一つ現れる。特徴的なアウターには昨日も見たスピリット・シンボルのマーク。フードを被っていてその顔は見えない。昨日のアンソニーの話については眉唾と思っていたが、どうやら当たりだったらしい。そしてもう一つ特筆すべき点。遠くて書かれている文字までは見えないが、フリージオの氷の鎖の先に緑色の、何かタグのようなものがついている。
 さて、問題はここからどうするか。あの人影に気付かれずに氷の石の採掘を遂行するのはかなり、いや、ほぼ不可能だろう。どうやってあの人影、あるいはフリージオをこの場から撤退させるか。いずれにせよ単身でやるには無理がある。ポケットから携帯端末を取り出し、外部への連絡を図る。
 様々な策を思案している最中、背後から突如眩い光が放たれる。振り返るとカメラを構えたアンソニーが、やってしまったと言わんばかりの表情を浮かべていた。カメラのフラッシュが作動したのか。状況の把握と同時に人影から怒号が飛ぶ。
「何撮ってんだよ!」
 厳めしい顔をした男がフードを外し、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。特徴的な帯状のヒゲは昨日セッカで見覚えがある。集団行進の先頭をきっていた男だ。
「消せ! そのデータ。絶対に逃がさないからな」
 激昂した男を言葉で宥めることは勿論、何をしていたか問い質すのも難しそうだ。
「アンソニーさん、何してるんですか」
 カメラを掲げたままのアンソニーは、わざとらしく右手を額に当てる。
「いや、フラッシュは焚かないようにしてたはずなんだけどなァ」
「おかげで俺も巻き込まれてるじゃないですか」
「ここまでくれば乗り掛かった舟! 助けてもらえるとWin-Winかなって。アハハ」
 ヒューイの深いため息は、結露して白い靄となる。Lose-Loseにならないように努めるしかない段階だ。
「フリージオ! あいつらをまとめてやっちまえ!」
 巨躯がこちらを見下ろす。纏い始めた冷気がこちらに吹きかかる前に、ベルトに並べたモンスターボールを一つ叩く。
「"守る"」
 閃光と共に解き放たれたゴルーグが、両手を拡げて壁を作る。アンソニーの服を引っ張り、ゴルーグの影に入れる。
 フリージオとこちらの距離は十メートル以上ある上に、守るの影に入ったにも関わらず鳥肌が立つこの寒さ。昨日アンソニーを見つけたときに感じた冷気はやはりこのフリージオに違いないだろう。
「"気合玉"だ」
 フリージオの攻めの間隙を狙い、相性の良い技で攻撃する。橙の波動がフリージオに命中。いや、"光の壁"がそれを遮ったように見える。
「"ヘビーボンバー"!」
 拳を折り畳んで体内に格納。腕からジェットを噴射し、その勢いで強烈な突進を試みる。いくら相手が大きかろうが、より大きな質量を持ちジェット噴射で推進力を得た強烈な一撃はかなりの痛手になるはずだ。
 しかしヒューイの目論見は思わぬ方法で裏切られる。
「クイタラン、フリージオに"煉獄"だ!」
 環境団体の男が繰り出したクイタランが、味方であるはずのフリージオに炎を放つ。するとたちまちフリージオの体の一部が気化し、猛突進したゴルーグは標的を見失って天井に激突、そのまま突き刺さってしまう。
 静寂の空間に突然の轟音と振動。何も知らないガントルは吠え、クマシュンは鳴き声をあげて逃げ出した。
 暑くなると気化するフリージオの生態を活かした防御術。これは一枚上手と相手を褒め称えるしかない。しかも、再び固化するまでのスピードも速い。ゴルーグを戻そうとモンスターボールを掲げるが、モンスターボールから伸びる赤い光は同一直線状に再び現れたフリージオに阻まれる。
「フリージオ、そのまま凍らせちまえ!」
 突き刺さった頭を引き抜こうと藻掻くゴルーグに、フリージオが放つ冷気が襲い掛かる。間もなく腕がだらりと下がり、重力に耐えかねてそのまま墜落する。
「環境保護団体って聞いてたんですけどえらく過激ですね」
「うるさい。次はお前らの番だ。記憶が飛ぶくらいには凍らせてやる」
「ただたまたま写真を撮っただけなのにそこまで怒らなくてもいいじゃないですか」
「どうせ適当な事を書いてSNSにでも載せるんだろう。絶対に許さないからな」
「だったら襲わずに普通に身の潔白を表明すればいいじゃないですか。急に俺たちを襲わずとも。これじゃあやましい事があると言ってるようなものですよ」
 まるで異常発達したフリージオをひた隠しにしたいように見える。
 シニカルな物言いで時間を稼ぎながら、打開策を練る。ゴルーグを一撃で仕留めるパワー、そしてフリージオの種としての特徴を活かしたクレバーな戦術。まともにやれば勝ち目は無い。
「ポケモンを守るだとか演説していたらしいのに、俺のポケモンは守ってくれないんですね」
「減らず口を。やっちまえ、フリージオ!」
 フリージオは地表近くまで降りてきては、周囲の地形から無数の岩を浮かび上がらせる。"原始の力"だろうか。身を守るため、次の手持ちを選ぼうとモンスターボールに手をかける。
 が、事態は予想外の方向に一転。なんとフリージオの攻撃の矛先はクイタランに向いたのだ。
 理由を追う前にヒューイはモンスターボールを二度叩く。閃光を突き破って現れる一つの影。背中につららを背負ったサンドパンに"アイアンヘッド"を命じる。
 予想だにしない味方の誤射。"原始の力"の矛先が自分と思っていないクイタランは、背後から弾"岩"の直撃を喰らう。これでクイタランの援護による気化して回避のパターンは無い。しかしすんでのことでフリージオの貼る"リフレクター"に"アイアンヘッド"の威力を殺される。しかしその背はがら空きだ。
「オオニューラ、"インファイト"!」
 サンドパンと共に放たれたもう一匹、長身痩躯のオオニューラが背後からフリージオに襲い掛かる。
しなやかに伸びる長い手足が鞭となり、怒涛の連打を浴びせる。さすがの両面攻撃に、たまらずフリージオは地面に転がった。
「どうやら貴方はフリージオを味方と思っていても、フリージオにとって貴方は味方でなかったようですね」
 先ほどのフリージオの反旗、おそらくクイタランの煉獄攻撃に対する仕返しなのだろう。ヒューイ対フリージオ、クイタランの一対二ではなく、一対一対一であった。
 今になって思い返せば、クイタランへの指示は的確なのに、フリージオに対してはかなり大雑把にしか指示を出していない。それは彼が粗雑だったのではなく、単にフリージオがこの男の命令を聞く理由がなかった。すなわち、信頼関係が十分に築けていないか、ただの野生のポケモンだったかだ。
「くそっ、攻撃してきやがって……」
 報復攻撃の流れ弾が当たったのか、男はクイタランと共にその場に崩れ落ちる。これで洞穴に再びの静けさが訪れた。物陰にいたクマシュンの一匹が、ヒョイと顔を出す。
 しかしヒューイの敵はまだ残っている。
「オオニューラ!」
 足元の手ごろな石を拾い上げたオオニューラは、ヒューイの背後にいる陰に向かって"投げつける"。ヒューイの耳元を掠めた石は、その男が懐から取り出した武器──特殊警棒を弾いた。
「やるねえ。どこから気付いてた?」
 意外にも軽いフットワークでヒューイから離れるその男、アンソニー・ベネットが問いかける。
「ジャーナリストを騙っておきながら、取材対象が目の前にいるのに閉口しすぎですよ。設定を作るならきちんと押し通してもらわないと」
 ピュウ、と口笛を吹いてアンソニーは手を叩く。
「で、何者なんですか。貴方」
「そうだねェ──」
 半身になって顔を伏せるアンソニー。そして正面に向き直るとともに、コートのポケットから口の大きい小銃を取り出し引き金を引く。
 咄嗟に体の重心を傾け避ける動作をとるが、放たれた弾はヒューイの横を通り抜ける。そのまま倒れたままのフリージオを捉え、赤い光と共に吸い込んだ。小銃から打ち出されたのは"弾"ではなく"玉"。黒地に黄色のHの塗装、ハイパーボール! 小刻みに揺れていたたボールも、間もなく捕獲音と共に静かになる。
「まあ君とある種同じようなモンさ。狙いが石じゃなく、売れば金になるゴシップと珍しいポケモンってだけでね」
 ワイヤーでもついているのか、ハイパーボールが来た道を戻るように吸い寄せられていく。サンドパンが宙を滑るハイパーボールに飛び掛かるが、アンソニーの懐から飛び出した新手、レパルダスが"猫騙し"で動きを止める。
「実は僕一人じゃあのフリージオに勝てなくて困ってたんだよね。常に面倒な環境団体もつき纏ってたし。でも君がフリージオも環境団体も倒してくれた。Win-Win、いや、Double-Winってね!」
 そう言って銃口にハイパーボールがついた巻き取り銃を左手に移し、右手に再びポケットに手を入れる。
「君のそのオオニューラ? それも欲しくなったけど、素直に帰らせてもらうよ。これでもロマンチストじゃなくリアリストなもんで、下手な欲張りはしない主義なんだ」
 アンソニーの手から赤い閃光と共に白茶色の羽が拡がる。骨鷲ポケモン、バルジーナがアンソニーの肩を掴んで飛び上がる。この洞穴の天井の隙間から逃げ出すつもりか。
「手伝ってくれてありがとう、せいぜい君の道行に幸あることを祈ろう」
「逃がすか。"フェイタルクロー"!」
 ユーフ地方の険峻な山岳地帯に暮らして独自の進化形態を得たオオニューラの登攀とうはん能力なら、洞穴の壁面を鉤爪で登ることは造作ない。あっという間にバルジーナの高さまで追いつくと、鎌のように鋭い爪で切りかかる。
 みるみるうちにバルジーナの片翼が上がらなくなり、みるみる高度を下げていく。裂傷は無論、それ以上に麻痺が効いたのだろう。有機的なポケモンであれば一撃で動きを止める強力な神経毒は、オオニューラを山のアッサシーンたらしめる所以だ。
 たまらずアンソニーはバルジーナの足を叩き、肩を掴んでいた足を離させる。転がって最低限の受け身を取りながら不時着した彼はクソ野郎、といら立ちを隠さなかった。
「サンドパン、"アイアンローラー"。オオニューラ、"ダメ押し"」
 変わりゆく戦況に雪崩れ込むよう畳みかける。主の墜落に気が逸れたレパルダスを、体を固くしたサンドパンが縦回転しながら突進する。オオニューラはバルジーナを掌底でいなすと、アンソニーの前に立ちはだかる。
「フリージオを解放してもらいますよ」
 伸びて倒れた二匹の手持ちをわき目に見て、「ここまでか」と項垂れたアンソニー。ワイヤー巻き取り銃をその場に落とし、両手を上げる。
「恐れ入るね、君を利用しようとしたはずがこの様だ。最近の学生は強いのか? それとも君が強いだけなのか?」
「胸に手を当てて聞いてみたらどうですか。『自分は運が良かったのか』ってね」
 合図は目と目で十分だ。すかさずオオニューラがアンソニーの虚に付け込む。その爪でコートに引っ掛けると勢いよくひっぱり、鳩尾に強烈な膝蹴りをかます。
 小さな呻き声を漏らし、アンソニーはその場に崩れ落ちる。乱暴だが、しばらくはこれで黙っていてもらおう。オオニューラは足元の巻き取り銃を拾い、ヒューイに下手投げで渡す。
 すると正面から新たな物陰が一つ。コートの上に蛍光ベストのホーキンスが洞穴内に姿を現した。
「ホーキンスさん、どうしてここに」
「君が心配になって来たんだよ。万が一があれば、採掘許可を出した私の責任問題だからね」
 さて、と呟くと、足元で倒れているアンソニーの顔を舐めるようにぐるりと見る。
「ネジ山はこういう輩が少ないと思って安心していたんだがね。こうなると管理体制も見直さざるを得ない。健全な鉱山運営のためにもね」
 ホーキンスはヒューイの手にある巻き取り銃に視線をやる。
「このフリージオはうちが保護させてもらおう。直に警備員も来る。そこで彼らも引き渡そう」
 そうやってホーキンスはアンソニーと、向こうで転がっている環境団体の男を見やる。
「どうして俺がここにいると分かったんですか?」
「君に渡したこのベストには、GPSがついている。採掘者にもしもの事があったら駆け付けられるようにね」
「でしたらもう一つ教えてください。なぜそのボールの中身がフリージオだと知っているのですか」
 落ち窪んだ目がヒューイを睨む。
「まるで尋問じゃないか。私は何か疑いをかけられているのかね?」
「そういう訳では。あくまで、念のためにです」
 ふう、とホーキンスは深いため息を放つ。
「……君たちの戦闘をその陰から見ていたものでね」
「分かりました。ではお渡しします」
 ヒューイは放物線を描くように山なりにボールを投げ渡す。受け取ったホーキンスはフリージオをボールから放ち、何かを探すように見回す。
「お探しのものはこれですか?」
 傍らにやってきたサンドパンが、緑色のタグをヒューイに手渡す。これは先の攻防で、フリージオが気化した時に落下したものだ。元々フリージオの氷の鎖に結び付けられていた、不自然なタグだ。その表面にはQRコードが表示されていた。
「今にして思えば、貴方の言動は怪しかった。危ないだのと言いつつもなるべく俺をネジ山に長居させたくなさそうだった。しかも、特に今朝は行かないようにとわざわざ時間帯まで指定して」
「それをこちらに寄越せ!」
 突っかかるホーキンスをオオニューラが体を張って抑え込む。その時だった。
「フン! 騒々しいと思えば一体なんだ? オレ様の山で何をごちゃごちゃ」
「社長!」
 振り返ったホーキンスの先にはヤーコン・コッパー社代表取締役社長、ヤーコン氏。そして数人ばかりの作業員の姿が。
「どうしてこんなところに!」
「そこの青年から本社の社員に連絡があったらしくてな。ここであったことは音だけだが聞かせてもらったぞ」
 環境保護団体の男と戦闘に入る前、ヒューイはヤーコン・コッパー社に通話を試みていた。応答こそする余裕はなかったが、周囲の音を拾ったオペレーターが異変を察し、ヤーコン氏の耳に話を上げたという。
「こんな寒いところでなんだ。ここにいるのはひぃ、ふぅ、みぃ、四人だな。全員ホドモエで詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか。なあ、ホーキンス?」
「いや、そんな大した問題じゃないですよ。ただ学生と話をしていただけで」
 両手を胸元まで掲げ、かすかに首を横に振りながらホーキンスは一歩、二歩と尻込むが、大股で近づくヤーコン氏がホーキンスの腕をつかむ。
「今更ごちゃごちゃ抜かすな。青年、そのタグもいただくぞ。お前もごちゃごちゃ抜かすなよ。今ここではワシがルールだ。いいな?」
 ヒューイは静かに頷いた。


 後から聞いた話になるが、QRコードにはスピリット・シンボルの人間とホーキンスの名が記された、フリージオを人工的に異常発達させる共同研究データが記載されていたという。
 ホーキンスはスピリット・シンボルと裏で手を組み、ネジ山の開発を止めさせることで誰も立ち入らないネジ山深部で動物実験を進めていた。どうやら人工的に金になる珍しいポケモンを作るという目論見だったらしい。
 それと並行してスピリット・シンボルが勝手に盗掘を行い、一部はホーキンスのポケットに。残りは団体の資金源としていたらしい。
 ポケモンハンターであるアンソニーがネジ山でフリージオを見かけたのは偶然であり、たまたま居合わせたヒューイが巻き添えとなったとのことであった。
 フリージオはヤーコン氏が責任をもって保護すると言い、他の関係者も芋づる式に捕らえていくと豪語していた。
 額に入れられた感謝状が壁に飾られたヒューイの自室にはグラインダーの作動音が轟く。採掘した氷の石を削りながら、ヒューイは汗を拭った。
 きっと依頼主も今回の土産話を聞けば、きっとチップを弾んでくれるだろう。なんてことを思い浮かべながら。

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