【第008話】Jam

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください



 時刻は深夜3時過ぎ。
バー・ロゼットにはもの好きの客が入り浸り、酔いが回りきって潰れていた。
特に今日は会社の繁忙期が終わったらしく、大勢のサラリーマンが押し寄せてきていた。
その後の処理や介抱、片付けは当然だが我々従業員の仕事となる。
そして先程、その激務から開放されたところだ。
「お……終わった……」
「えぇ……今日の人は大変だったっすね……。」
壁際のソファ席に倒れ込むようにして、私とクマちゃんは特大のため息をつく。

「ははは、流石に今日はしんどかったね。ふたりとも、お疲れ様。」
モップを片手に労いの言葉を駆けてくる、糸目で銀髪のお兄さん。
この人はこのロゼットのアルバイト、狐崎涼深こざきすずみさんだ。
実家の孤児院とその他バイト……多数のわらじを履きながら、家計を支えているんだそうだ。
『ホント、コザッキーが来てくれなかったら大変だったわよ!!』
丁度厨房の方で仕事をしていたオニちゃんが、疲弊混じりに現れた。
「いえいえ、これくらいなんてことないですよ。」
笑いながら答える狐崎さん。
一晩中疲れた様子を一切見せていなかったが、この人は一体いつ寝ているんだろう。

『……そして申し訳ないんだけどね、コザッキー。その……』
オニちゃんが冷蔵庫、時計、自動車のキー……と順番に視線を動かしつつ、最終的に狐崎さんの方へと向く。
そのアイコンタクトで、彼はオニちゃんの意図を全て察したようだ。
「はいはい。『魚の在庫が切れたから豊洲の朝市に行くけど、アタシは車を運転できないからコザッキーよろしく』ですね。」
『流石よコザッキー、デキる男は違うわね!!』
そう、仕事が一段落したと思った束の間。
なんとこの店は、朝市に買い出しに行くことすらあるのだ。

 普段であればオニちゃんがいつも一人で競りに行くらしいが、ポケモンの姿だとそういうわけにも行かない。
なので狐崎さんに同行を依頼したのである。
そして、目利きのためにオニちゃんが行くことは半ば確定するため、必然的に……
『ほら小枝ちゃん!準備しなさい!!』
「はい……今行きます……!!」
私だって乗り込まなくてはいけないのだ。
オニちゃんを詰め込むためのリュックとコートを取りに行くべく、上の階の部屋まで駆けていく。
息をつく暇もない。


ーーーーー狐崎さんの運転する車に乗り込み、豊洲市場へと向かう私達。
クマちゃんは仕込みがあるためお留守番だ。
まだ日も昇らない冬の早朝、静かな国道を駆け抜けていく。
社内に訪れる静寂……それを打ち破ったのは、他でもない狐崎さんだった。
「どうだい?此処での生活には慣れた?」
「……まだなんとも、です。出来ないことばっかりですし、クマちゃんや狐崎さんには迷惑かけっぱなしですし……。」
「まぁ、そうだよねぇ。マスターは暑苦しいし、クマちゃんは愛想ないし。なかなかに色の濃い職場もんね。」
『ちょっと、暑苦しいってどういうことよコザッキー。』

 笑いながら答える狐崎さんと、後ろの席から軽く椅子を叩くオニちゃん。
どうやら彼はクマちゃんとは違い、積極的に会話してくるタイプなようだ。
「……でも、クマちゃんは喜んでるよ。アイツ、小枝ちゃんが来てからちょっと明るくなったもん。」
「……?」
本当だろうか?
彼は普段から無表情で掴みどころがなく、退勤後はいつも新聞を読んでいるような人だ。
『喜び』なんて感情とは無縁そうだが……

「ホント、最初に来た時はひどかったんだよ。もう抜け殻状態っていうかさ。」
『ま、あの子も後輩が出来て芽生えてきたんでしょ。責任感みたいなものが。』
彼らが言うには、何かやはりクマちゃんにも事情があるようだ。
少なくとも、このロゼットでの生活が……彼の拠り所なのは間違いない。

「アイツ、色々と複雑だからさ。いざとなったら頼むよ。住み込みのキミが一番近くに居るだろうし。」
「いざと……なったら……」
そんなときが、本当にくるのだろうか。
というかそもそも、それを私に頼むのは些かお門違いではないだろうか。

 ……が、しかし。
もし彼も、私と同じように……この世界に居場所を感じられない人間だとしたら。
どこか吐き出せないものを抱えているのだとしたら。
……いや、なんでもない。




ーーーーー時を同じくして。
千葉県船橋市、高速道路。
自動車のハンドルを握りつつ、ため息をつく人間が一人。
獣対部の鎌倉だ。
『久々に本部に戻ったと思ったら、今度は千葉まで出張かよォ……』
透明化した状態で声を駆けてくるストライク。
それに鎌倉は、やつれ気味の顔で答えた。
「ですが、麒麟寺きりんじ先生の呼び出しですからね。応じないわけにはいきません。」
『だがよォ……宍戸ししど部長も人使いが荒いよなァホント!!魚川うおかわの姐御に行かせりゃいいのによォ!!』
「魚川さんは西東京の方に出勤中です。それに2日の無断欠勤が始末書1枚で済んだんです。ありがたいと思いましょう。」

 とは言え、やはりあれだけの連戦の後に早朝から車を走らせると、精神的にも余裕はなくなってくるものだ。
特に、こんな朝方から道路が渋滞しているようなら尚更だ。
何故か下り車線だけが凄まじい混雑に見舞われており、鎌倉たちのストレスを加速させていく。
なんとか愛用のシガレットを咥えつつ、苛立ちを抑える。
『なぁ……いつも思うけどよォ。それ、美味いのか?』
「もちろん。学生時代からのお供です。……よかったら一つどうですか?」
『……不味そうだから要らねェ。ってかポケモンに食事は要らねェからな。』
「……それもそうですね。」
そして箱を閉じ、サイドポケットにしまう鎌倉。

 その時……向かい側の道路で凄まじい破裂音がした。
「あ……アレは……!?」
なんと、バイクと自動車が運悪く接触事故を起こしてしまったようだ。
投げ出されたライダーと、車の中から出てこない運転手。
事態はどうにも深刻そうである。

 無論、鎌倉はすぐさま車を止めて外に出ていく。
『お、おい鎌倉ァ!!』
「ストライク、車は任せましたよ!!」
科捜研側とはいえ、彼女だって警察官の一員だ。
人命救護の基礎は、身体の中に叩き込まれている。
すぐさま負傷者の確認をすべく、動き出す。

 ……が、それとほぼ同時。
反対車線後方にいたトラックのドライバーが、凄まじい速度で運転席から駆け下りてきた。
作業服を着た、白髪交じりで低身長な中年の男性だ。
「大丈夫ですか!もしもし!!」
彼は凹んだ自動車の方へと駆け寄ると、中の運転手に声をかける。
すぐに返事がないことを確認した彼は、潰れかけた自動車の扉を半ば強引に開ける。

 そして一方、倒れ込んだライダーの方は鎌倉が意識確認を行う。
「大丈夫ですか?わかりますか?」
小さく呻くライダーの青年。
怪我はしているものの、意識はあるようだ。

「駄目だ、意識がない……!すみません、そこの方!119番をお願いします!後ろの人は発煙筒を!貴方は……」
「私物のAEDです。これを使ってください!それと止血用のタオルを……!」
「助かります!!」
周囲の人々に声をかけるドライバーと、自分の覆面パトカーからAEDを持ち出していた鎌倉。
ふたりはそのまま、慣れた手付きで救護活動に当たる。
救急車到着までの約10分間……人命を途絶えさせぬよう、必死に動いていた。


ーーーーーそれから間もなく、ライダーと運転手は救急車で搬送されていった。
ひとまず早朝の事故現場は、ひとつ山場を超えたところである。
「ご協力ありがとうございました。貴方の指示のお陰で、スムーズに事が運びました。」
鎌倉はトラックのドライバーに頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ。警察官の方とすれ違えていたとは……不幸中の幸いでしたよ。」
そう言って笑いかける中年の男性。
先程は救急時故に鬼気迫っていたが、こうして面と向かうと温和な表情をしている。
作業服にピン刺しされている名札には、『火ノ浦陽平ひのうらようへい』と書かれてる。

 火ノ浦も緊迫した状況にいたからか、汗が吹き出ている。
その汗を首元のタオルで拭いつつ、彼は言葉を紡ぐ。
「本当に……命は一つしか無いものだ。大切にしないと。」
「……え、えぇ!本当にそのとおりです!!」
なにか思うことがあったのか、やや返答の遅れる鎌倉。
無論……思い出していたのは、昨日の狐崎とのやりとりの前後だ。

 が、ふとその瞬間。
ふたりは後ろの車がつっかえていることに気づく。
上り車線は、事故による大渋滞だ。
それに伴い、火ノ浦も自分の仕事のことを思い出した。
「っと……そうだ。今ので大遅刻だ……!じゃあ、私はこれで失礼します!」
「はい、お仕事がんばってください!」
そしてトラックに駆け戻った彼は、そのまま東京を目指して車の群れの中に消えていった。

「……優しい人でしたね。彼。」





ーーーーー時刻は6時半。
「ふぅ、良い収穫だね!!」
手押し車にて発泡スチロールの箱を運んでいく狐崎さん。
なんとか激しい闘いに打ち勝ち、数匹の魚を競り落とすことに成功したのだ。
……無論、私は終始チンプンカンプンであった。
リュックの中からしきりにオニちゃんが『サンピン!!』とか『はいダリサン!!』とか私の背中を蹴り飛ばしつつ叫んでいたけど……意味不明だ。
気づけば棒立ちの私の元に、魚の箱が来て全ては解決していたのだ。
某眠らされる探偵も、こんな気分だったのだろうか。

「とりあえず後はロゼットに帰るだけだね……おや?」
「……?どうしたんですか?」
狐崎さんが見つめていたのは、遠くにいる男性二人。
どうやら背の低い方の人が、罵声を浴びせられているようだ。

「ナメてんのかホントテメェはよォ!!1時間も到着が遅れるとかあり得ねぇだろ!!?」
「誠に申し訳ありません……」
「申し訳ありませんじゃねぇよ!!お陰でこちとら赤字だこの野郎!!」
恰幅の良い中年男性が手元のクリップボードで、背の低い人の頭を叩く。
それも一度や二度じゃない。
何があったかは知らないが、明らかにやり過ぎである。
その後も彼の怒鳴り声は、とどまるところを知らずに勢いを増していく。

「うーん……ちょっとマズいね。此処で待っててくれ、小枝ちゃん。」
そう言うと狐崎さんは、2人の間に飛び込んでいく。

 遠くからだから何を喋っているのかはわからない。
……が、止めに入っていることだけはわかる。
しばらくして、恰幅のいい男性は舌打ちと共に遠くへ消えていったのが見えた。
背の低い男性も、狐崎さんに何度も頭を下げながら去っていった。

「ふぅ……あ、おまたせ!」
「ど、どうだったんですか?」
「彼はトラックのドライバーで、渋滞に巻き込まれていたみたいだね。今朝、千葉の方で止まってたみたいだし。」
「な、なるほど……」
渋滞に合うわ勤め先に怒鳴られるわ……本当に事実なのだとしたら、あの男性も散々である。
まさしくこの世の理不尽、とでも言うべき光景だ。






ーーーーーその日の夜。
墨田区、白鬚橋。
人気の無い隅田川を、虚ろな目で遠く眺め眺める男が一人。
「はぁ………」
トラックドライバーの火ノ浦だ。
彼は思い詰めていた。
日々の長い拘束時間と、生活費だけですぐに消える給料。
独り身のまま衰えていく己の身体と、すり減る精神。
彼は嫌気が差した。
人生そのものに。
特にこの日は、方々から様々な叱責を受けていた。
そんな生活に、我慢の限界が来てしまったのだ。

 奇しくも彼は、小枝と同じ状況に立っている。
人気のない河川に身投げし、そのまま現世に別れを告げようとしているのだ。


 ……が、その間際。
彼の元にも刺客が現れる。
「なんだよ、おっさん……随分とやつれているじゃねぇか。」
「あ……貴方は……?」
そこに現れたのは赤いレザー服の女……夜行百々やこうももだ。
彼女はこの火ノ浦から何かを感じ取ったのか、すれ違いざまに接近してきたのである。

「なんだよ。もしかして飛び込みの間際だったか?」
「い……いや、まさか!そんな縁起でもな……」
「隠さなくたって良いぜ……アタシは馬鹿だが、それくらい分かる。」
「………。」
唾を飲む火ノ浦は、夜行から徐々に距離を取る。
本能が告げていたのだ。
『この女は危険だ』……と。

 そして悲しいかな。
その予感は的中する。
「おいおいこのまま死ぬ気かよおっさん……勿体ねぇなァ。弱者のままひっそりくたばるなんて、惨めにも程があるだろォ?」
「ッ………!!!」
夜行のその殺意に満ちた瞳を見て……火ノ浦は思わず逃げ出してしまう。
が……遅かった。

『ふふっ……逃さないよ!!』
「がっ……!!?」
夜行の後ろから現れたのはバクフーン。
……と、彼に『死体操りネクロナイズ』で操られたブーバーだ。
かつて田村という名前だったあの学生である。
ブーバーはその口から多量の炎を吐き出すと、去り際の火ノ浦を焼き払ってしまった。

「がっ……あああああああッ!!熱い熱いッ痛いッああああ゛あ゛あ゛あああ゛あッ!!」
高熱の炎が火ノ浦の肉体を焦がし、苦痛を与えていく。
……が、その命が途絶えることはない。
寧ろ、細胞の一つ一つが……過剰なほどに活性化されていく。

「喜べおっさん……その痛みは生まれ変わりの痛みだ。テメェは今日から弱者じゃねェ……!力を持つ者だ!!」
「がっ……あああああッ!!!!」
『ふふふ……君も今日から……僕らの仲間………!!!』

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