第三章【三鳥天司】16

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:7分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 壮年の女性が食事の乗ったお盆を手に、ファイが閉じ込められている部屋を訪れた。監視役の使用人に目配せし扉を開かせると、ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。
「ファイ、お母さんよ。ご飯を持ってきたわ」
 布団の上で膝を抱え俯いていた少女はゆっくりとその顔を上げた。泣いていたのか、目は充血し瞼も腫れてしまっている。そんな悲愴な娘の姿に母親は心を痛め、心配そうに眉を寄せた。しかし自分がそんな顔をしては更に娘を落ち込ませてしまうと考え、すぐに笑顔を取り繕う。
「ほら、少しでも食べた方がいいわよ」
 そうして出された食事はお世辞にも美味しそうには見えなかった。見た目云々以前に少量の米と干し芋のみで、何よりも貧相であった。泣き疲れて食欲の出ないファイはそれを一目見ただけでぷいと顔を背けてしまう。
「……いらない」
「そう……」
 暫し二人の間に沈黙が流れたが、突然ファイは抱きしめられた。その腕は優しく、そして肩は小刻みに震えていた。それはまるで泣くのを堪えるように。
「お母さん?」
「ごめんね、ごめんね、ファイ……お母さん、何もしてあげられなくて」
 そうして母親はとうとう声を押し殺しながら泣き始めた。何故母親が泣き始めたのか分からず、腕の中のファイは困惑する。とりあえず抱きつく形でよしよしと背中を摩ってみるも、母親の嗚咽は強くなるばかりだ。
「ごめん……! ごめんねぇ……!」
「お、お母さん? どうしたの? 大丈夫?」
「お母さんがもっとしっかりしていれば──サンもリーザも失わずに済んだのに」
「え……?」
 涙ながらに語る母親の言葉にファイは声を詰まらせた。その物言いから、そして先程の父親の態度も含めて頭の良い少女は勘づいてしまったのである──将来を約束した一番大切な二人がもう既に殺されてしまっているかもしれない事に。
「嘘……嘘だ……なんで……なんで、お母さん。どうして? どうしてそんな事」
「ごめんね、ごめんね、ファイにまでこんな辛い思いをさせて、本当に、本当に、ごめんね……!」
 ファイは謝り続けるだけの母親に抱き竦められ、呆然と天井を見つめていた。母親を問い詰める気力も無かった。ただただ不穏な推測だけが頭の中を巡る。
 本当に二人とも死んでしまったのか。村の厄災を予見できず巫女としての役目を果たせなかったリーザ。そんな彼女の逃亡を手伝おうとしたサン。罰する理由は十分にあったかもしれない。それでも死刑なんてやり過ぎではないか。それになにより。

 どうして自分だけ処刑されていないのか?

 リーザを逃がそうとしていたあの現場を見た者なら、ファイも同罪だと言うはずである。サンが無理矢理手を取ったとはいえ、三人仲良く手を繋いでいたのだ。ならばファイも罰せられるべきだろう。
 その時、彼女の考えの中に希望が生まれた。もしかして今こうして軟禁されている事自体が罰なのではないか。それならば他の二人も人目の付かない、それこそ村長の妻も知り得ない所で監禁されているだけではないか。私がそれを知れば助けに行く事を心配して、村長である父親は何も言えないのではないか。
 そう考えた途端、すっと気持ちが落ち着いた。サンもリーザもまだ死んでない。絶対生きている。だって家族同然に暮らしてきたのだから。娘と同じように愛してくれているはずなら、あの優しい父親が死刑になんてするはずがない。
 根拠の無い考えを半ば強制的に信じ込んだ少女は未だ肩を震わす母親を宥め賺した。
「大丈夫、大丈夫だよ、お母さん。サンもリーザも絶対大丈夫だから。お父さんが二人を死刑にするはずないもの」
 ファイの言葉に母親は一瞬ひゅっと息を飲んだ。その反応に気づかない娘はよしよしと母親の痩せ細った背中を撫で続ける。その手つきは先程とは違い、力強くしっかりしていた。
 母親は娘の温もりと自信を感じ、伝えるべき事実を嗚咽と共に飲み込んでしまった。何をどう考えたのか分からなくとも、漸く希望を灯した目をした彼女に、残酷な現実を告げられるはずがなかった。
「……そうね、ファイの言う通りだわ。お母さん、取り乱しちゃって、恥ずかしいわね。ごめんね。ファイは本当に強い子ね」
 呼吸を整えた母親は娘の肩まで伸びる銀髪を優しく撫でる。ファイはくすぐったくなり少しだけ笑った。そんな娘を母親は再び軽く抱き締め、今度はすぐに離れた。
「少しでもいいから、ご飯食べてね」
「うん、ありがとう、お母さん。いただきます」
 そう言って干し芋を一切れ咥えたファイを愛おしそうに、それでいて少し眉を寄せて辛そうに見つめてから母親は部屋を後にした。
 母親が部屋から離れていく足音を確認してから、ファイは部屋の天井近くの壁に開く換気用の穴に向かって口笛を鳴らした。小さく風を切る音と共に顔を覗かせたのは一羽のヤミカラスである。
「ガーク、おいで」
 ファイは声を潜めてお供のポケモンの名を呼ぶ。ヤミカラスは主人の意図を汲み、できる限り翼の動きを抑えて静かにファイの腕の上に舞い降りた。黒い頭を撫でてやるとガークは気持ち良さそうに目を閉じる。
「ガーク、お願いがあるの。サンとリーザの様子を見てきてくれない? 絶対どこかにいるはずだから」
 ファイの手に身を任せていたヤミカラスは薄く片目を開けて面倒臭そうにではあるが、小さく返事をした。相変わらずの態度にファイは呆れるが、それでもガークがなんだかんだ命令をこなしてくれるのを知っているので特に咎めはしない。但し、ガークの気が済むまで撫で続けないと動き出してくれないので、それまでひたすらに羽毛を掻き乱した。
 幾らか時が過ぎ母親が用意したご飯が完全に冷めきった頃に、漸く気が済んだヤミカラスは一声鳴いて大きく両翼を伸ばした。ファイは同じ動きを繰り返し地味に疲れが出てきた左手を振りながら小さくため息を吐く。そんな主人を横目に、ヤミカラスは干し芋を全て掻っ攫って軽やかに飛び立った。相変わらずの手癖の悪さにファイはまた小さくため息を吐いた。

 そして安心した少女は、無慈悲な現実も、過酷な運命も、未だ知らないまま眠りについた。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想