Box.62 トモシビタウンにおける火災再調査記録

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読了時間目安:17分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ミズゾコとナギサ。
 この二つの街は海底洞窟で繋がっている。一日かけてようやく踏破できる距離であり、主要ルート以外の横穴も沢山ある。崩落を起こさないように配慮しつつ、海底洞窟の迷路の中、隠されるように〝秘密基地〟はあった。
 地上との連結部を作り、空気の循環路を作成。空間を拡張して機材を持ち込み、海底ケーブルで電気と通信機能を独自に増設。数年かけて完成させた理想の隠れ家だ。なにせ辺鄙な場所であり、訪問客も滅多にいない(ごくごくたまに命知らずなトレーナー、チャンピオン、四天王が遊びに来るが)。緊急通信用の電話が一応おいてあるのは、部屋の主の良心だろう。
 ミズゾコジムリーダー・トラフは、物凄い悲鳴に目を覚ました。すり切れたTシャツにジーパン、短く刈り込んだ髪と赤茶けた肌をした30代半ばの男だ。皮膚の厚い掌で枕代わりのタオルを掴み、悲鳴のした部屋に入った。そこは元々はトラフの寝室であったが、今は別の男が使っている。
 ベッド上でのたうっている赤い髪の男――ヒナタは、何日も眠り続けていた体の硬直具合に苦しんでいた。意識に体が追いついていない。トラフは大股で近づくと、勢いよく頭突きをした。ヒナタがベッドに倒れた。
 寝室にはもう一人いた。着流しに白衣、桜色の髪をした美女――に、見える男だ。白磁の胸板が剥き出しになっており、大口を開けて寝ている。この年齢不詳の女顔の男は、シラユキジムリーダー・ユキシロ。トラフがしゃがみ込み、頬を強く叩いた。

「んあ?」
「……」
「あぁそう……ヒナタが起きたのか……は? 起きた?」

 ガバッとユキシロは起き上がると、首から下げていた聴診器を取った。覗き込んだベッドでは、額にたんこぶを作ったヒナタが気絶していた。

「寝てんじゃん」
「……」
「うるさいから頭突きしたぁ? ばっかお前、仮にも生死の境を彷徨ってたんだぞ。まぁいいけど」

 危ねぇな、と言いつつ、ヒナタが暴れたせいで出血した静脈内点滴の針を抜いた。サイドテーブルの引き出しから体温計や血圧計を取り出し、バイタルを確認する。ピクシーをモンスターボールから呼び出すと、ヒナタに目覚ましビンタを放った。ジムリーダーとしては氷タイプを主体に扱うが、医師としてはハピナスやピクシーを助手としている。特に今回のように、ポケモンセンター外へ単独で往診へ向かう際は心強いスタッフである。
 両頬を真っ赤に腫らし、ヒナタが目を覚ます。目の前でひらひらとユキシロが手を振った。

「おーっすチャンピオン。自分が誰だか分かるか? 名乗ってみろ」
「ヒナタ。マシロタウンのヒナタだ」
「俺が誰だか分かるか?」
「ユキシロ」
「オッケェイ。じゃあここはどこだ?」

 ぼんやりとした目が周囲を見渡す。

「はれ? なんで俺、こんなとこに?」
「バイタル安定、意識も清明だな。体はゆっくり動かせよ。何事も、まずは準備運動から始めるもんだぜ」





 トラフが二人分のコーヒーを淹れて戻り、ユキシロはこれまでの経緯を話した。
 まず、行方不明のヒナタを最初に見つけたのはトラフである。ジーランスの群れが何かを守るように泳いでおり、そこを回収した。不思議な動きだった。目的を持って野生のポケモンが人間に寄ってくることは滅多にない――異変を察知したトラフに差し出されたのはヒナタだった。ヒナタを受け取ったトラフがこの秘密基地に帰還するまでの間、ジーランスの群れはまるで護送船団のように泳ぎついてきた。それはラチナを大地震が襲ってからおよそ3日後のことだ。
 トラフという人物は、人間への猜疑心が強い。彼が唯一友と呼ぶ人間がいるとすれば、それはシラユキジムリーダーのユキシロのみ。現在、ラチナ全土が混乱に陥っていることはトラフも知っていた。この海底洞窟内の秘密基地に入り浸りの生活を送ってはいるものの、それは外部の情報に疎いという理由にはならない。
 トラフは人間は嫌いだったが、この、ヒナタという人物には一目二目おいていた。なぜならば、天が采配を傾けたのではないかと思うほどに、時の運というものはこの男に降り注ぐのである。実際ヒナタには、〝こいつだったらなんとかするだろう〟と人に思わせる何かがあった。助けておいて損はないと判断した。特に今のような災禍のただ中では。
 ユキシロはトラフの求めに応じてこの海底洞窟までやってきた。直後にシラユキの街は閉ざされることとなるが、ユキシロは帰らなかった。シラユキのフォローに入った四天王はユキシロの幼馴染みであり、その腕に全面的な信頼を置いていたのである。
 そんなわけでユキシロはここに泊まり込みでヒナタの管理をし、トラフは周囲の警戒と影響を受けた海底のポケモン達の援助を行っていた。

 ミズゾコもナギサと同じく襲撃を受けた。ヒナタに手をとられていた事もあり、気がつくのは遅れたが――燃え盛る街に気がついた瞬間、彼はハクリュー二体を投入して豪雨を呼んだ。火は一瞬で消し飛んだが、邪魔をするなと煉獄を放つキュウコンに、強力な炎を操るバシャーモを加えた乱戦に陥った。トラフ自身は街ではなく秘密基地から特別製の無線を利用して指示していた事もあり、結果は引き分けであった。
 余談だが被害の程度は同時期に襲われたナギサよりミズゾコの方が上だ。理由は単純明快で、トラフも街を破壊したのである。それでもジムリーダー職を辞めるべきとの声があがらないのは、彼が姿を現さず、遣いのポケモン達に無線から指示をしている場面が多いためだ。人は姿を見せない存在に神秘性だったり神格性を勝手に見いだすものだ。
 また、海底洞窟と接続している以上、水タイプを修めることはナギサと同じくジムリーダー就任の必須条件である。そしてミズゾコは港街だが、リゾート地としての側面が強い。そんなミズゾコのジムリーダーとして、近隣の水ポケモンの人望(?)厚く、神秘性のあるトラフというジムリーダーは街のアイコンとしてうってつけの存在であった(とうのトラフ本人はジムリーダー職への執着や思い入れが薄く、ほぼ引きこもりの生活を送っているが)。
 閑話休題。
 ナギサ・ミズゾコ・シラユキ・ゴートが襲撃を受けたこと。ヒナタはじっと話を聞いていたかと思うと、先ほどと同じく起き上がろうとして第二の悲鳴をあげる羽目となった。

「だから準備運動からって言っただろうが、あーもー」
「これどうにかならないのか?」
「ならないな。お前だって人間の体持ってるんだから、人間らしく徐々に慣らしていけよ」
「……」

 ぽすっとヒナタはベッドに体を預けた。ユキシロは物事をはっきり言う。彼がどうにもならないと言えばそうだし、それに逆らえばえらい目に遭う。これまで何度も逆らっては傷が開いて死ぬほど怒られた経験則だ。
 キィ、と部屋の扉が開き、緑の傘がのっそりと顔を見せた。「ジェド」封印の向こう側までついてきた、ヒナタの最後のポケモン・ノクタスだ。

「あいつもお前と同じく、ずっと目が覚めなかったんだぜー。ところがお前が目を覚ましたらぱっちり起きた。お前ら、何処に行ってたんだ? ……どした?」

 目を丸くしてノクタスを見つめるヒナタに、ユキシロが怪訝な顔をした。

「なんであいつはピンピンしてるのに俺だけ動けないんだ」
「残念でした。ポケモンと人間じゃあ体の作りからして違うんだなこれが」
「ずるいぞ! ジェドに出来ることが俺に出来ないわけがあるか!」
「発想がクレイジーだぜ」

 本日三度目の悲鳴が上がった。





 ――サイカの森。
 鬱蒼と茂るこの森はサイカとゴートの間に広く横たわっている。北に向かえばゴート。南に向かえばサイカ。東に向かえばカザアナ。西は……果てなく広がる森。ラチナ地方には通行の難所が多く、サイカの森もいっけんそう見えるが、実のところ通行自体はそれほど難しくない。深き森の樹冠に通路が設けてあるのだ。通常、トレーナーはその樹冠に設けられた空中通路を通って街々の間を行き来する。サイカに近いほど見回りのレンジャーも多くなり、安全が確保されることとなる。
 リアンはサイカの森にいた。樹冠の真下、空中通路もない場所でポケナビを手にしていた。
 サイカの森は、安全である。
 樹冠のみを通過するので、あれば。
 樹冠の下は真昼でも夜のように暗い。空を覆い尽くす木々に日が遮られて届かないのだ。そこは弱肉強食の世界が広がっている。適者生存。弱いものから淘汰され、強くなくては生きていけない。
 木々の影からこちらをうかがう気配がいくつもあったが、どれも手出しはしてこなかった。木の上からリアンのパートナーであるダーテングが周囲を警戒している。全幅の信頼を置いているが、それを差し引いてもこの、ぼんやりとした男の立ち居振る舞いに隙はない。

『びっくりすると思ったんだけどなぁ』
「先にキプカから連絡があってね。珍しくヒナタ君を助ける手助けをしてくれたようで――サニーゴは帰ってきたかい?」

 ポケナビ向こうの男――ユキシロが肯定した。
 ヒナタが目を覚ましたのは一昨日のことだ。そこからノクタスに勝手に対抗意識を燃やして無理をして倒れるという行為を繰り返してはいたが、ベッドから起き上がれるまでには回復していた。「あいつ本当はポケモンなんじゃね?」とはユキシロの見解である。ポケモンの転送装置が壊れているため、ヒナタ自身がもう少し回復したらサイカヘ向かう予定となっている。
 行方不明のサニーゴは、プルリル達がモンスターボールを持ってやってきた。
 サニーゴは本来の姿ではなく――変性していた。
 骨が露出しており、真っ白な体から霊体が飛び出たゴーストタイプへと変化していた。また、記憶が曖昧な状態である。ヒナタの声や指示には従うものの、感情の起伏が薄く、ほとんど発声もしない。ヒナタのそばに戻ってからはずっと寄り添っている。顔見知りであるユキシロ、トラフはもとより、仲間であったはずのジェドに対してさえも無反応であった。人ならぬ、ポケモンが変ってしまったような有様だ。

『医学的にも研究学的にも興味深い存在だが……ヒナタのことを考えるとな。本人はこっちが心配するほどダメージ受けちゃあいないみたいだが、思うところはありそうだ』
「彼らの会話はもう終わっているんだろうね。彼女は変性してもなお彼のもとに戻ることを望み、彼もまた受け入れた」
『相変わらず人間離れした生き方してんなぁ、あいつ』
「だから敵も警戒してるんじゃないかな。連続する街の襲撃事件の直前、真っ先に消されたのはヒナタ君だからね」
『その口振り、敵の正体が掴めたらしいな』

 ゴルトから情報提供があった。自身の手で掴めなかったのは口惜しいが、それは向こうも同じことだ。正体と目的までは掴んだが、ゴルトは今、街から動くことが出来ない。
 珍しい人物が、珍しい相手の為に動いたのはキプカだけではないということだ。

「君も会ったことのある子だよ。今はアカと名乗っているみたいだけど、本名はアカツキ。行方不明のトモシビジムリーダー後継者だ」





 トモシビタウンには、約束の炎と呼ばれる火が奉られていた。
 神話は語る。
 プロメウは告げた。約束の炎が消えるとき、テセウスの罪も許されるであろう。
 トモシビジムリーダーは代々炎ポケモンを扱い、その生涯を約束の炎と歩み生きる。今は亡きトモシビジムリーダーは当時、在任ジムリーダーの中でも最高齢であり、群を抜く実力者だった。現チャンピオンであるヒナタはもとより、前チャンピオンより強いという噂さえあった。
 それでも彼女がそれ以上の地位を求めなかったのは、今の場所が性に合っていたからである。彼女にとってみれば、トモシビジムリーダー、炎の守人の立場以上に重要なものはなかった。
 トモシビジムリーダーには一人娘がいた。しかし娘は、息苦しい土地、自らの血族に嫌気が差し、地方を飛び出してしまった。トモシビの民は炎を守る。守り、守られ、血に縛られる。
 数年後、娘は飛び出した時と同じく、突然帰ってきた。娘は妊娠していた。父親のことを尋ねられると、

「死んだ。炎のような男だった」

 とだけ言った。
 全身に火傷の跡があり、娘は出産と同時に命を落とした。
 生まれ落ちた子は〝アカツキ〟と名づけられる。美しい払暁の空の瞳の子は、父を求めるかのように炎ポケモンを深く愛し、次代として大切に育てられることとなった。





「彼のことはよく覚えているよ」

 先代のトモシビジムリーダーは高齢であったが、いつも背筋がぴんと伸びた明晰な人物であった。その隣にいた子供――当時は黒髪かつ火傷の跡もなかったので、顔見知りの人間でもアカツキとアカが繋がりにくかった――は年齢不相応に落ち着いており、それは教育の結果というよりも彼自身の才覚によるものであると、リアンは感じられた。
 トモシビジムリーダーは、少年が次代のトモシビジムリーダーである旨を告げた。

(「この子は、歴代最高の炎の守人となるでしょう」)

 彼女は正しかった。リアンは回想する。
 アカツキは最高にして、最悪の炎ポケモンの使い手となって帰ってきた。

『つーことは、いま〝約束の炎〟ってやつを持ってんのもあいつ? 巷の事件はどれも不自然なくらいに炎ポケモンが協力してるだろ。普通、ポケモンが一人の人間にあれほど協力するなんてありえない。約束の炎をチラつかせて協力させてるとか。知らんけど』
「その可能性もあるだろうね。もっとも、約束の炎の性質がどんなものかはこちらも把握出来ていないし、彼が秘匿しているのか、それともいつも持っているのかは判然としない。未知が多すぎて、どれも憶測の域をでないのが現状だ」
『ホウオウの炎か~死者さえも蘇生させる力があるって噂知ってるぜ。医者としちゃあ複雑ではあるが、いっぺん拝んでみたいもんだな~』
「おや、君は見たことないの?」
『ジム挑戦した時分、見せてもらう約束はしてたんだけどよ。前日に酔っ払ってウインディにゲロ吐いたらブチ切られてさぁ、結局見せてもらえなかった』
「自業自得だねぇ」
『キプカの酒が珍しく出てきたんだから仕方ねぇだろ! トモシビジムリーダーも太っ腹だよな~』

 ウインディはカザアナジムリーダーに仕えていた――というよりも、彼は門番なのだ。トモシビジムはリーグを目指すトレーナーにとって、最後の関門である。どの街からジムバッジを集めても良いが、最後に挑戦するのはトモシビジムと決まっている。その理由は、ポケモンリーグとトモシビタウンの関係にある。
 ポケモンリーグには道がない。普通のトレーナーがリーグへ単身飛び込むのはまず不可能だ。リーグへ向かうにはテレポートするしかなく、テレポートできるのは性質上、そのポケモンが行ったことのある場所に限られる。トモシビジムでバッジを入手し、ウインディのテレポートで連れて行ってもらうのがラチナでの習わしとなっている。

『だがよ、今のところウインディはどの街の事件でも目撃されてないよな。こんだけ炎ポケモンが出張ってんのに、それって不自然じゃないか?』
「他に何か理由があるか……それとも、」
『それとも?』
「アカツキ君と喧嘩してるとか」
『死んだ婆さんの代わりにか? そりゃいい。お灸をすえてくれよ』

 トモシビジムリーダーは火災で亡くなっている。出火場所は約束の炎を奉っていた社殿であり、本殿の最奥で、奪われた炎のご神体と入れ替わりに彼女の骨が焼け残っていた。当時、仕えていた神職の人々も大部分が亡くなったため、唯一の後継者の少年が消えたことを最悪の予想と結びつけることは難しくなかった。傷ついたウインディは街に残り、その後、ジムリーダー不在の街を一匹で長く守っていた。
 いまは、誰もいない。

「トモシビの結束は固い。送り込んだレンジャーからの報告によると、知らぬ存ぜぬを全員貫いているらしい」
『ウッソだろこんだけ騒ぎになってんだぜ? 俺がやらかしたら10分以内に婦長に告げ口されてんのに!』

 ユキシロが嘆く。そちらは普段の行いの結果だろう。
 捕虜二人の血筋を振り返り、リアンは目を伏せた。

「――血の呪い、かな」

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