手がかりになるものはないか。辺りを見回し、瀬良は自分が立っている傍らに置いてあるリュックに気付いた。
両ひざを立ててチャックを開ける。
小さく畳まれた衣類。固形の携帯食料、魔法瓶、財布、コンパクトナイフ、小型の懐中電灯、メモ帳に筆記用具。がさごそとリュックの中を探り、口を紐で縛るタイプの布袋から出て来たのは、何かのスプレー。ひし形の欠片。塗り薬を入れるような、小さな容器。
「これは……?」
上部にストッパーらしきピンのついた、いくつかボタンのある細くて先の長い、注射、というべきか。
ここまででは、何がなんだか分からない。
また別のケースが出てきて、中からは八センチCD程の大きさのディスクがたくさん。間違いなくCDではないと思いつつも、瀬良には何に使うのかまったく分からなかった。
手がかりはないのか、と半ば諦めかけたところで、また新たなケースが顔を出す。大変小型な、ジュラルミンケース。口はロックされており、鍵がかかっていた。一体何が入っているのか。鍵はどこかにないものかとあちこち探し、ポケットに手を入れたところで、それらしきものに辿り付いた。
「これか?」
何が出てくるのか。鍵を開け、ガチャリとロックを解いたジュラルミンケースを恐る恐る開けてみれば、やっと知っているものに出会えた。
「モ、モンスターボール?」
知ってはいても、あってはいけないものだった。あれはゲームの話で、現実ではないからだ。触れれば確かにそこにあるモンスターボールに、瀬良は更に困惑する。
ハンカチが敷かれた上に置かれた六つのボールは、とても大切に扱われている様だった。触ればそれはプラスチックの手触りで、なんだおもちゃか、とそう思いたい。そうであって欲しい。瀬良は片手で箱を支えつつ、ゆっくりとその一つに手を伸ばした。
感触で分かる。どういう素材か、ということよりも、明らかにおもちゃというにはしっかりしすぎている質感が、手に伝わって来た。
「おいおい、嘘だろ」
ボールをよく見れば、中には何かが入っているのが分かる。モンスターボールの中に入っているもの、いや、生き物なんて決まっている。
ポケットモンスターだ。
その知識は瀬良にもあった。ゲームをやったことがあるからだ。だが、それはあくまでゲームの中、アニメの中の話。自分が本当に手で触って、現実にそのものがあるというその異常さは、瀬良にもよく理解出来る。
異常なのは理解出来ても、何故今それが目の前にあるのか。そこまで理解するには程遠い。
その中身と対峙する勇気は、今の瀬良にはなかった。そっと箱を閉じ、鍵をかけ、リュックの中にそれをしまう。
一度立ち上がって、瀬良は大きく深呼吸を一つついた。
モンスターボールが現れたことで、先程リュックから出て来た数々の道具が何なのか、瀬良の中で明らかになってくる。傷薬に、元気の欠片、技マシン。あの長細い注射のような道具は、きっとなんでもなおしだ。だとすれば、今自分はトレーナーということになる。
ポケモンを持っていて、旅用の道具が揃っているならば、それはポケモントレーナーだろう。すると、もしかしたらあれもあるのかもしれない。
再度リュックの中へ手を伸ばし、瀬良は中を探り始める。
「多分、これだな」
サイズ感はぴったりだった。
固い布製の二つ折りケース。開いてみれば案の定、瀬良の知っているものが並んでいる。
窪みに嵌った、八つのバッジ。
きっと貰ってから特に磨いてもいないのだろう。見た目は綺麗だが、窪みの縁には埃が溜まっている。バッジを集めること自体には執着がなく、それでもこうして八つ揃っていた。
ケースを閉じ、リュックに仕舞い込んだ瀬良は、少しずつ今の状況について、したくもない理解をし始めていた。
ここは恐らく、カントー地方だ。あの怪しい研究所の設備から、どうやら飛ばされたと思った方が良いだろう。
眠っていた場所に直接飛ばされたのだろうか。どこか別の場所に飛ばされ、その後眠ったまま、木に寄り掛かるように寝かされたのだろうか。何のために? 何故飛ばした? 考えれば考える程、分からない事は増えて行く。
一つ確実に言えるのは、今の自分は、瀬良利樹ではなかった。
どう考えても背格好や声が自分のものではない。
これが一番信じられない事態だったが、もう受け止めざるを得ない。
あまりにも現実離れし過ぎていて、ははあ、これは夢だな、と思いたかった。あの怪しい設備は、設定した夢を見ることの出来る機械だったと思いたかった。
だが、頬はつねれば痛いし、息を止めれば苦しくなる。現実空間なのは、間違いない。
現実にカントー地方へ来てしまった。旅の道具も持っている。バッジがあり、手持ちのポケモンもいるようだ。だとすれば自分は一体誰なのか。
格好を確認すれば、淡いブルーのパンツ。赤いストライプの入った黒のスニーカー。黒のインナーに、薄手の赤いパーカー。リストバンドに、腕にしているのは恐らく時計、というよりはポケギアだろう。今更それくらいで驚きはしない。
「ポケギア、ポケギアか。そうか、マップが見られるかも」
操作方法が良く分からない、腕についたポケギアをいじり回し、ようやく開いた小さな画面のマップ上に表示された自分の位置は、一番道路。
数字だけで場所が分かる程ポケモンに精通していた訳ではない瀬良でも、その道路の名前は知っていた。ゲームを始めて最初に入る道だからだ。
瀬良の中でも仮説が出来上がりつつあった。ふと頭に過ったものを確かめるため、瀬良は再度リュックを漁って、先程見つけた財布を取り出す。
探していた”トレーナーカード”を見つけ、それを引き抜いた。
そこに記されている”レッド”の名前で、瀬良は自分の仮説が正しいことを証明する。
「レッドか。また随分やっかいな奴になったもんだな」
プレイヤー側としてレッドを経験したから、その実績はもちろん知っていた。若くしてジムバッジを八つ集め、四天王と幼馴染であるチャンピオンを撃破。
新チャンピオンを戴冠。
ゲームとして楽しむ分には、自分が天才少年として世界を席巻する様子には興奮したものだった。だが、それが現実として現れ、本当に自分こととして考えた場合、それはとても厄介な状況だ。
瀬良は今レッドだが、レッドの様な才能も経験値もまったくない。そんな男が、どうやってこの世界でやっていけば良いのか。
一先ずは自身と今いる場所を把握出来た。受け入れ難いものではあるが、夢ではなさそうなのでこのままやっていくしかない。
ようやっと周りを見渡せるくらいの余裕が出来た瀬良は、北側を眺め、その向こうを想像する。
「トキワシティ、だよな。タウンマップ通りだろうから、ここを抜けて行けば町には着くんだろうけど」
今度は南側に身体を向け、その方角にあるであろう”レッド”の故郷を想像した。
このままその場でじっとしていても、何も始まらない。まだ確かめなければならないことがたくさんあるため、瀬良は南側のマサラタウンを目的地に据える。
「行くしかないか」
チャックを締め、リュックを背負い、ようやく一歩目を踏み出す。
「おいおい、まじかよ」
分かってはいたのに、実際に見たら苦笑いをするしかなかった。二歩目が出ず、再び足を止めたその先に、草むらから飛び出したコラッタがいた。