33.闇へ囁く純黒

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「あれ、あたしってば、国際警察は」
 混濁とした長い眠りから目を覚ました女は、見覚えのある白い治療室を見渡す。黒いボブカットの髪はハラリと落ちて、見慣れた三つ編みの部分のみが、長く垂れている。
 無菌服を着た何人かとポリゴン2が、彼女の質問には答えずに、バイタルの計測を始める。この機械的な動き。人間とは思えぬ冷たさを持った人々に。彼女は、コードネーム:ロザリオであった、エスター・イーストンは。ようやく、此処が自分の震撼し、憎んで仕方なかった実家であることに、気がついたのである。
「嘘!? い、いつの間に帰って来てたの……」
 彼女は、あの廃工場の時の影すらない。単身ネクロズマを使い、工場ごと元上司をぶち抜こうとしたとは、この様子からは分からないだろう。
 しかし、当の本人には別の心配で、思考が席巻されていた。
「ど……どうしよう。兄さんは、ハイド兄さんが」
 彼女が最も嫌い、そして恐れた長兄の存在。自分が国際警察ではなく、実家の研究室の備え付けの治療室に居る、ということは。自分は何かをしでかして、強制的に戻された可能性が高い。
 最も冷酷な父親に似た兄は、時折、人間には分からない残虐さを見せる。説教なんて生温いことを、するとは思えなかった。
 哀れなことに、彼女は自分が高らかに上司を殺そうと、切り札を切ったことも。また、妹と合流し、重度の神経系負荷による、人格の変化を見せたことも。全て、忘れてしまっていた。
「お嬢様、当主様より伝言です」
 肩を震わせた、黒髪の彼女。研究員の一人が、エスに言伝と、ついでに彼女のボールを返した。
 未だ、思考はクリアではない。手足は軽く痺れていて、風邪に似た悪寒が存在する。今まで服用してきた、鎮静剤のウツロイドの神経毒が、抜け切っていないのだ。
「本日、会議終わりの19時。当主様のお部屋に向かってください。末妹のお嬢様もいらっしゃいます」
 渡されたモンスターボールと、青い化学の叡智の結晶。ウルトラボールには、見慣れたテッカグヤともう一匹。彼女が震えるに相応しい、黒い身体。アローラを侵略しようとした、光喰らう闇が。彼女の知らない姿にて、鎮座するのだった。





 ネイティオに導かれ、不死のカロス王・AZと邂逅した二人。怪盗の男が決死の覚悟で出した答えは、『彼女もカロス地方も救う』という、英雄じみた宣言だった。
「お前、ここで愛の告白って。ロマネスクってやつ? 怪盗なんて自称する男は、やっぱ頭イカレてんな」
「う、うるさいな! 仕方ないだろう。君の存在を忘れていた、僕の落ち度か」
 ジト目で彼を見つめるゲッコウガに、AZとネイティオは、互いに殊勝なものでも遠目に眺めるよう。唯一、この場で彼を茶化すレミントンのみが、からからと笑っていた。
「だがよ。私はなかなか嫌いじゃないぜ。そういう、情に熱い男」
 後ろ手を組んだ彼女は、括った髪を海風に靡かせながら、歯を見せてニヒルに笑う。協力するという、彼女なりの真っ直ぐではない、そんな意思表示であった。
「今更、君に好かれてもね。僕の助手は一人しかいないから」
「あー、はいはい。レミーちゃんは男募集してねーから、お前の枠は永遠にないぜ。とりあえず、話をまとめちまおう」
 取り仕切るかのように、ネイティオは前に躍り出て、話し始める。今までほとんど口を挟まなかったのも、彼女なりの意図だろう。
『AZ様、お二人はこの後、私が“機巧のマギアナ”へと導きます。信頼に値するとは……よくお分かりになったかと。貴方様は、どうされますか?』
 一旦はキースに渡そうかと考えられた、最終兵器のキー。AZは鍵を一瞥した後、ネイティオの翼に持たれた黒と赤の花を見た。
「私は、ゼルネアスを探そうと思う。もっと言えば、ゼルネアスを探す人間の善悪を、確かめておく必要がある。鍵は私が持っていよう。クロノスの末裔よ、お前の言う通りだ。因縁には、私がケジメを付けるべきだ」
 靜靜としたゼルネアスの使いより、フラエッテの持っていた花を受け取ると。3mはある巨神は、ゆっくりと海岸線を歩き出す。
「さらばだ、意思を継ぐ人間達よ。また会う時には……どうか“ポケモントレーナー”の強さを、確かめさせてほしい」
 それは、“カロス地方が今ある美しさのままである”という、前提の上の台詞だった。彼の悠々とした後ろ姿を見ていた二人は。自然と一番古い相棒に。または、ジガルデのバッジと、“彼”が持っていたパルスワンのボールに。各々と目を落としていた。


『その、マギアナの場所ですが。お二人には案内までしか、出来なさそうです』
 これまで品行方正で、懇意にしてきたネイティオは、突然そのようなことを告げる。二人の上空を飛ぶ彼女は相変わらずで、表情は微かな微笑のみ。
 ミュライユ海岸にて、カロス王とは別れ、二人は新しくミアレ方面へと歩き出していた。やはり、見えざる意思に招かれて。
「場所を教えてもらえるだけでも、ありがたいが。話によれば、暗い蔵に居るのだろう?」
 イーストンの一族に狙われない為に、わざわざ隠されたという機械兵器。彼ら兵器一族に捜索されないよう、幾重もの細工があるのではないか。特に怪盗としてこれまで生きていた、キースにはそうも思えていた。
『左様です。しかし、キース様のお仲間には、私よりも内部に詳しい者が、いらっしゃいますので。もはや、私は不要かと』
 彼は思い出す。マギアナに自分よりも深く関わる、二対だったという従者の存在。ギルガルドの入ったゴージャスボールは、かたかたと揺れていた。彼からすれば、ようやく。数百年を超えて、本来の主と対面するのだ。不安にも喜びにも、駆られてるに違いなかった。
 同時にキースは、このネイティオは何でもお見通しなのだと、ある種の畏怖も感じていた。隣を走るゲッコウガに、小突かれた感覚がある。「気を引き締めろ」という、彼なりの励ましだった。
「それで、お前さんは私らを導いて、それから先は傍観って訳じゃあるまい。さっきのAZの補佐にでも回んの?」
『それも良いのですが……私は、ゼルネアス様より命を賜りし者。主の意志は私の意志ですので』
 婉曲な言い回しに、レミントンが苦言を呈そうとしたが。清廉な女性の声は、次いで目的を話す。
『主神の復活の手伝いと、カロスの安全を守る手立てについて。今しがた、視ているところでございます』
 左目には過去を、右目には未来を見るという、このポケモン。国際警察の彼女は、ネイティオという種族が、誰も彼も微動だにしない理由を、ここに垣間見た気がした。
 二人をショウヨウからミュライユ海岸、また8番道路から、再びミアレシティ方面へと。導き、呼び寄せたネイティオ。見た事もないショートカットをして、気がついた二人と、駆けてきたゲッコウガが居た場所は。
「……よかったな怪盗。無駄足踏んで、危うく捕まるとこだったろ」
「そんな馬鹿な真似はしないさ。しかし、ここは」
 シャラシティを結ぶ、ありふれた洞窟。通称“映し身の洞窟”から、あのパルファム宮殿へと繋がった、小さな隠し道。土埃に隠された、地下へと繋がる銅板の扉が重々しく鎮座する。
『皆様、私はここで“別の方を導く”為に、皆様とは別れて行動致します。この先については、『見聞録』とギルガルド様を頼りに、お進み下さいませ』
 生命神の使者は、いつ間にやら影すら消していた。幻術のように霧にでも囲われていたかと、錯覚してしまう。
 彼女の念話によるサポートはなくなったが、代わりに、剣と盾を持つ亡霊。ギルガルドが、二人の前に立っては、決意を探る目を、向けていた。





 エスが久々に身なりを整え、言われた場所に向かうと。彼女を待っていたのは、顔のよく似た妹と、もう一体。
「お姉様、ご無事……でしたか?」
 家のしきたりであった、黒いドレスに着替えている、末妹のイーラ。久しぶりにおろされた黒髪が、幼少期の姿と被って見えた。
 隣には、透明なガラス質の触手。恭しい妹を監視するかのように、浮遊するウルトラビースト。名前はウツロイド。白い肌をした妹を、時折撫でる素振りを見せた。
「無事かは、分かんない。けど、アンタも帰って来てたのね。もう、何がなんだか……とりあえず、最悪って感じよ」
 頭が痛い様子を見せる姉。まだあの長兄と、鬱陶しいことこの上ないデンジュモクが、いないことをまずは確認。
 距離のある二人の姉妹は、お互いに目線を合わせはしない。跨る沈黙は重たい。先に破ったのは、エスの方であった。
「あたし、段々と、思い出してきたの。上司だった人を裏切って、アンタにも八つ当たりして。特にあの人は」
 さめざめと言葉を零す、喪服を模したドレスの彼女。その声は幾度となく詰まり、途切れが生んだ空白には、言い様のない後悔が詰まっていた。

「先輩は、初めてあたしを、人間として扱ってくれたのに」

 実の所、イーラにはエスとの関わりが、ほとんどなかった。それは、他の姉兄も同じく。それがこの家の古き方針であったからだ。他人に近しい姉が紡ぐ言葉には、何故か聞き逃せないものがあった。
 それは彼女も同じであったから。イーラも、ずっと隣にいて笑っていた彼が。忘れられなかったから。
「分かりますよ。私もお姉様と、同じなんです」
 本人が、制御出来なかった感情の解れは、イーラが軽く、ハンカチで拭き取っていた。とても異形とは思えぬ、淑女な動作にて。
「……アンタは、私にすら優しいのね」
 “CoE細胞”と呼ばれるテレパシーを人間に養殖する媒介は、感情のない一族に不必要な『哀しみ』を与えてしまった。しかし同時に、人間として必要であった『優しさ』や『情け』を獲得してもいた。
 長男ハイドが、まるでその影響を受けなかった、その結果に対して。人の形を留めた二人の女性被検体は、そうではなかった。
 姉の方は、しばしば周囲の人々の悪感情を受信していた。不安から、神経質とヒステリックになる傾向を見せ、薬剤が使用されていた。姿はまさに衝動的。妹の方は正反対に、悪感情を抑圧という対処にて、時折自分を傷つけながら制御していた。
「だから、今度は兄貴に――」
『ハイドに、なんだって? くだらない幻想なら、フィルム・ノワールで足りるんじゃない?』
 凍りつく二人。見下ろしていたのは、ロキと呼ばれるデンジュモク。元はエスより二つ上の兄。誰よりも悪辣な、彼らの一族の象徴的人物だった。
「すまない、遅くなったな。お前達を集めたのは他でもない」
 ウツロイドを一目見ては、背の高い長兄へと目線を移すイーラ。エスはデンジュモク、ロキを睨みたい気持ちを抑えて、現代表の彼の方を向く。
「もうじき――俺達は、国際指名手配犯にクラスチェンジする」
「……は?」
 エスが間抜けな声を上げるのも、無理ない。これまで彼らは、辛うじて商人という体裁を保ってきた。それを投げ捨てるばかりか、諦めたような口ぶりには納得いかないだろう。
「旧フレア団の地下研究施設には、ゲノセクトのプロトタイプの製造記録が残っている。先日、彼処のゲノセクトは一掃された」
 淡々と話す男だが、状況を見るには最悪のはずである。誰よりも感受性に優れた妹・イーラは、そんな長兄を不審に思っていた。
 そもそも、国際警察が制圧した地下施設に、そんな重要な証拠を、残すのは不自然である。
「故に、お前達には、何体かの戦闘に優れたポケモンを配布しておく。これからは一段と命を狙われるだろう。以上だ」
 颯爽と去ろうとする、背の高い男。説明が足りてないどころではないが、エスは青ざめたまま、かたかたと震えて座り込んでいる。
『……ふーん、そんなに親父が憎かったなんて。知らなかったな、兄貴』
 後ろ姿を捉えた、デンジュモクが薄らと呟いていた。


「お兄様、待ってください。ハイドお兄様!」
 ミアレの夜空が一望できる、ガラス貼りの廊下にて。一人、兄を追いかけていた妹は、遊泳するウツロイドと共に、彼に追いついた。
「何だ。俺は忙しい。お前の相棒に関してなど……」
「いえ、そうではありません。私は……気になるんです。これではまるで、父や先代の行いをばら撒くかのよう」
「実際にそうだが」
 あまりにも、彼は冷たく言い放っていた。自分と同じ、クロムグリーンの瞳。黒すら吸い込む暗色には、何も映っていない。
「丁度いい。何度も付き纏われては面倒だ。父やこのバイモ・コーポレーションではなく、俺の目的を。話しておこうか」
「ハイドお兄様の、本当の目的、ですか」
 彼はイーラと全く同じ、白い右手にメガリングを嵌めていた。ポケモンと人間の絆でしか呼応しない、ある意味ではポケモントレーナーの最終系。そんな指輪を象徴的に見せ、男は笑っていた。
 初めて、あのアンドロイドにも似た、冷血極まりない兄が笑っていたのだ。何か本能に訴える、恐怖を纏って。彼は静かに口を開いた。
「世界平和だよ」

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