第三節 キャッスル・クチュリエール

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「やめろ姉さん離してくれ! アタシももう逃げたりしないから! 布団で簀巻きのまま運ぶのはやめてくれ!」
「フキちゃんが約束を守る子なのは知ってるわ。それはそれとして、わたしがフキちゃんをギュッとしたいからしてるのよ」
「なあこれ『ギュッ』なのかっ!? 完全に小脇に抱えられてるだけじゃねえのか!?」
「ふふっ」

 周囲の面々は居たたまれない物を見る目でアタシを見てくる。しかし残念ながら誰も助けに入る様子もなく、市中引き回しの刑の真っ最中だ。
 普段の様子はこんなんだが姉さんはマジモンのお嬢様。庶民派マスコットお嬢様のリリーと違って、喋りかけるのも何か壁があるのだろう。タッパ高すぎて見下ろされてる感が凄いのだ。
 そのまま跳ねる繭型妖怪として体を捻るが、姉さんの恵まれた膂力に勝てる筈もなく。
 無様な姿を晒してのリーグ入場とあいなった。
 観客席に誰もいない椅子だけのリーグにも関わらず、照明はかんかんと照らされており、その明るさに思わず軽く目をつぶる。
 そしてようやく目が慣れてきたところで瞼を上げると、そこには結構な人数がコートで思い思いに身体を動かしていた。

「おい、あれって四天王のウユリさんと、あの小脇に抱えられているの……」
「いや、まさかあんな面白布団コイキングがあのフキさんなわけ……くくっ」
「おいそこの笑ったテメェ、ツラ覚えたぞ! リーグ戦の時覚えておけよ!」

 リーグ戦――言っちまえば一ヶ月のバトル期間と二ヶ月の休息期間が一セットで年四回、それでランキングが作られるのがウチのリーグの基本的なやり方だ。
 今は休息期間のため、リーグにいくつかあるコートは、リーグ戦参加者に無料で貸し出されている。そのためこの街に住むトレーナーたちは、ボチボチ相棒と共に調子を合わせにやって来るのだ。
 その中でもいちばん大きな、ファイナルシリーズでも使われるコートに来たものだから、周囲からの視線がビシバシと突き刺さる。
 ここで相棒と調子を合わせていたり、肩慣らしでバトルをしているトレーナーやポケモンも皆、目を点にしてこっちを見ていた。

「あら、わたしたちとっても人気者よ。みんなの注目の的だわ」
「完全に珍獣を見る目なんだよアレは! 注目はされてるけどさ!」
「それじゃあ降ろすわよフキちゃん。準備は良いかしら」
「……はぁ、アタシが勝ったらさっきの話は無しってこと、忘れんなよ」

 姉さんのそばに控えるハハコモリが、アタシをグルグル巻きにしている糸を切る。そこでようやく身体が自由に動かせるようになった。
 そのまま彼女がアタシの脇に手を差し込んで地面に下ろしたら、アタシは固まった体をほぐすように軽く屈伸運動。
 手のひらを何回か握って体の調子を確認すると、姉さんに背をむけバトルコートの端へ向かった。
 大きく息を吸うと、向こう側の端で佇む姉さんに向かって聞こえるように声を張り上げる。

「勝負の時間は一〇分、両者ポケモン一体のみのルールで良いな!? 戦闘不能かサレンダーで勝負ありだ!」

 その言葉に、姉さんはこくりと頷く。
 向こうではハハコモリがコートに静々と歩み出て、カーテシーで恭しく挨拶してきた。
 それに対してアタシが出すポケモンはもうすでに決めてある。
 懐からモンスターボールを取り出し構える頃には周囲の人間がごクリと唾を飲み込み、その場にいる人間・ポケモン問わず、全員がそそそくさと観客席に上ると押し黙った。
 誰もがアタシと姉さんの勝負に注目する中、アタシは今回の大一番を託すポケモンの名を叫ぶ。

「姉さん相手だ、全力で頼むぜキュウコン!」
「くぉぉぉぉんっ!」

 アタシの叫びに気高い遠吠えで応えるのは、ふわふわと波打つ純白の毛並みのアローラキュウコン。
 気位が高くアタシでもまだ上手く呼吸を合わせられないことが多いが、それでも強敵が前なら二人で呼吸が合わさるポケモン。
 相手が姉さんなら相手に不足無し。二人とも抜群の集中状態だった。
 凛と澄ました体躯から浪々と冷気が溢れ出し、空気を揺らして辺り一体を埋め尽くす。これがキュウコンの特性『ゆきふらし』、たとえその場に空がなかろうと、霰は虚空より襲い来る。

「こっから先は、全力全壊で行くぜ!」
「ふふ、絡めとってあげるわ」

 熱を持った視線が絡み合い、二人の間で火花が散った。



「キュウコン! 姉さん相手だ、吹雪であたり一体吹き飛ばせ!」
「くぉん!」

 フキは勝負が始まって開口一番にそう叫ぶと、キュウコンは主人をちらりと一瞥し、体毛から氷の粒を溢れさせた。
 それを肌が切り裂かれそうなほどの冷気に乗せ、怒涛の勢いでハハコモリを飲み込もうと荒れ狂う。
 しかし当のハハコモリは怯えた様子ひとつも見せず、ただ主人の言葉を待つのみだった。

「ハハコモリ、天気が悪い日は傘を刺さなくてはいけなくてよ」
「はーりぃ」

 ハハコモリの穏やかそうな声に反してドゴンッ、と何かが崩れる音がすると、黒い影が細身な体躯の目前に現れる。
 ギャリギャリと耳に残る、硬いもの同士の擦過音が鳴り響き、氷塵が辺りに吹き荒ぶ。
 そして霧が晴れ、地面に突き刺さっていたものが巨大な鉄看板だと分かった時、周囲の面々が息を呑む微かな音がその場に響いた。
 そこにあるのは、リーグの協賛会社のドーム内広告を張り付けるための巨大な鉄板。それも天井付近に吊るされているような巨大な物。

「っち、この短時間でよくもここまで仕込めるもんだなバケモンめ……!」
「やだわ、まだまだ仮縫いですもの。全然本調子には及ばないわ」

 急激に冷やされたドーム内では水分が至る所で結露する中、何故か空中で光がキラキラと輝いておりハハコモリに近寄り難い雰囲気を漂わせている。
 それが何故か、フキはよく知っていた。
 よくよく目を凝らせば、水滴は真っ直ぐ直線上に並んでおり、ごくごく細い糸がその足場になっていることが分かる。
 ハハコモリの周囲に張り巡らされた糸たちが、彼女を守るように配置されているのだ。
 ハハコモリはその糸を利用して、滑車で重いものを持ち上げる原理で、看板を地面に引き摺り落としたのだ。

「ねばねばネットは蜘蛛の巣状じゃあド三流、形を自在に変えられて二流って話は聞いたことがあるが、姉さんのそれはもう糸じゃねえか。どんな精度してやがる」
「昔から織り物をお手伝いしてもらっていたら、いつの間にかこういう風になっていたの」

 ウユリの懐かしむような声音に反して、フキの背中には冷や汗が垂れる。
 周囲が彼女にかけた二つ名“奇郭城塞”は今日も健在。未だ本領には至っていなくとも、一瞬でリーグを自身の居城としてみせた。
 周囲に細かく張り巡らされた糸の結界はハハコモリに近づくほどに多くなり、下手に飛び込もうならいとも簡単に身動きが取れなくなること請け合い。
 それが分かっていたからこそ、フキはヒヒダルマを出すことができない。下手に近づけば一手で絡め取られる危険性があるからこそ、できる限り遠くからの攻撃手段に優れるポケモンを今回の勝負に臨ませた。
 しかして城塞は不動。氷雪如きでは小揺るぎもせず、ただそこに佇むのみ。

「相変わらずデタラメしてやがるってのっ!」
「フキちゃんが来ないなら、わたしから仕掛けるわ。ハハコモリ『エアスラッシュ』よ」

 その言葉を聞いたハハコモリは鋭く研ぎ澄まされた腕部を振るい、糸同士の隙間を通して真空の刃を打ち出す。
 キュウコンは所々に張り込められた糸に引っ掛からないようにコートの中を走って避けていくが、徐々に徐々にコートの隅へと追い立てるような攻撃だった。
 それはフキもキュウコンも分かっており、どんどん余裕が失われていく。
 キュウコンが主人の方を振り返ると、寒い部屋の中、それでも彼女は脂汗を額に滲ませていた。
 まさしく貴族の狐狩り。狩るもの・狩られるものが決定されている、一方的な戦いに見える。
 それでも、フキの目の奥には未だ焔々と光が揺れていた。

「そのまま動かないならこのまま決めちゃうわよ? フキちゃん」

 そう言って軽く頷くと、ハハコモリは再び腕を上へ。天井の照明がキラリと反射する切先が、ギロチンのように振り上げられた。
 そして頂点に向けられたその一瞬、僅かな隙を縫うようにフキは素早く指示を飛ばす。

「キュウコン、全域にありったけの力で『フリーズドライ』だ!」

 その言葉を聞いたキュウコンは、フキの覚悟を決めた眼差しを信じて体をブルリと振るわせる。

「クゥゥォォォォォォォォォォォンッッ!」
 
 大きく息を吸い込むと、彼方まで届く裂帛の咆哮。彼女の声が周囲に届いていくと、一拍置いて周囲の水分が皆一様に凝固していく。
 一瞬にしてキュウコンから同心円状に広がっていった氷の世界は、ハハコモリが作り出したエアスラッシュも、糸の城さえも飲み込んで拡大していった。

 しかし、それだけでは止まらない。キュウコンが繰り出した『フリーズドライ』は水タイプにも効果抜群の技。
 その触れ込みに違わず、その場に現れた氷たちに更なる変化が訪れる。
 固まった氷は溶けることなく、その体積を減らし虚空へと溶けていく。固体から直接気体へ、物体の昇華反応によってねばねばネット内部に蓄えられている水分は一斉に奪われていった。

「ここだキュウコンッ! 『アイアンテール』で奥まで踏み込め!」

 氷は蒸気に、糸は枝に、粘着物質はただの固体に。水分が失われた粘性の糸は、ただの炭素と変わらない。彼女の牙城が枯れ枝になったその瞬間、フキは迷わずハハコモリへの突貫を指示した。
 相手を絡め取る役割を失った糸を突進で蹴散らしつつ、ハハコモリの元まで肉薄。氷を編み込み硬質化させた尻尾を振るい、三日月状の刃として敵に迫る。
 しかしハハコモリは素早く身をかがめると、尻尾を上へ掬い上げるように、シザークロスでいなして見せた。

 だが、それでもキュウコンは攻め手を緩めない。一度使った手はおそらく次には対応される、それが分かっているからこそ、さらに前へ。
 尻尾が掬い上げられるのなら、そのまま上へ向かう力を利用しクルリと宙を一回転。尻尾にためた氷を礫として相手に打ちつける。
 それでもハハコモリは咄嗟に糸をあやとりの様に即座に広げ、被害は最小限に食い止めた。
 それどころか、捉えた氷を網で包み、その先に紐をつけることで即席鈍器のブラックジャックに早変わり。
 それをキュウコンの横っ腹目掛けて叩きつけようとするが、キュウコンは『マジカルシャイン』を鋭く放って相殺する。

 互いに息を吐かせぬ技と技の応酬、降って沸いた四天王同士の戦いにその場の人間全員が釘付けになっていた。
 しかしそんな衆目の環境など二人にはとんと関係なく、戦いはどんどんヒートアップしていく。
 キュウコンが口を開け牙を突き立てようとすれば、エアスラッシュを地面にぶつけて牽制し。
 ハハコモリがシザークロスの二連撃で付き纏う狐を振り払おうとすれば、キュウコンは己が尻尾で相手の腕を絡みとって自身の間合いへ近づける。
 まるで踊るように繰り広げられる攻撃の応酬に終わりは訪れないように思われたが、両者ともに均衡を崩す瞬間を虎視眈々と狙っている。
 そして、先に逆転の一手を手繰り寄せたのはウユリだった。

 キュウコンがハハコモリとの距離を詰めようと筋肉が強張った一瞬、呼吸の間隙を縫うようにウユリは淡々と暖めておいた技を告げる。

「そこで足元に『くさむすび』よ」
「まずっ……キュウコンっ!」

 フキは焦った様子で叫ぶが、動き始めた体はもう止まらない、止まれない。
 前に進もうとした身体の、その足元を引っ掛けてやればどうなるか。その疑問は、前につんのめったキュウコンの体が何よりの答えだった。
 一挙に崩れた均衡、明確な隙を晒した相手にハハコモリは怒涛の攻めを見せる。
 シザークロスをキュウコンの脳天に突きつけようするが、そこは流石四天王がポケモンの意地。
 キュウコンは地面に身体を擦り付けながらも、さながらブレイクダンスのように『アイアンテール』を振り回して致命傷を回避、自身への決定打までの時間を少しでも伸ばす。
 そのキュウコンの頑張りに応えるように、フキはなんとか一手を絞り出した。

「上だ! 上に向かって『マジカルシャイン』を打ち上げろ!」

 その言葉に、キュウコンは無我夢中で身体から月の波動を絞り出す。
 あまりにも不可解な一手。ウユリですら咄嗟に理解が及ばない行為だったが、それでいい。彼女たちにはその一瞬で十分だった。

 ここはリーグのコートであり、当然天井には照明が存在する。
 ここの照明は地面までの距離が離れているため、照明の周りにはリフレクターと呼ばれる反射板が電球の周囲に設置されており、電球の光を屈折させ集める役割を果たしていた。
 ではそこに、特定の角度で光を入射させたのなら?
 ウユリが素早くその答えを導き出す頃に、すでに『マジカルシャイン』の反射は終わっていた。

 脳天から降り注ぐ光がハハコモリへ直撃し、トドメを刺そうとしていたハハコモリの体勢を揺らがせる。
 しかし、ハハコモリはシザークロスをそれでも振るう。ここで躊躇すれば、キュウコンはすぐにでも追い縋って来るのだから。
 無理矢理に技を繰り出したキュウコンはシザークロスを防ぐ手立てを持ち合わせていない。ここで無理に攻めて再び逆転されては自身達の勝ちの芽は潰える、それがわかてるからこそキュウコンは大きく後ろに跳躍した。

「あらあら、また振り出しに戻っちゃったわね」
「はっ……! 冗談キツイぜ姉さんっ!」

 見た目状は振り出しに戻っているが、先ほど使った結露による糸の結界の攻略は警戒されており、フキは次の攻略の糸口をフルスピードで頭を回転させるをえなかった。
 両者ともにウォームアップなしでぶつかりあったとは思えないほどの白熱した試合。
 誰もが固唾を飲んで見守る中、再び盤面が動いたのは、強く打ち叩く音がリーグに響いた時だった。

 音の源はポケモンたちではなく、汗の滲んだフキの額の上、頭の正中。白く紙を束ねたハリセンが、強くフキの頭に叩き込まれたのだ。
 皆がそこに視線を向ければ、膨れっ面で不機嫌満開のリリーの姿。こめかみをピクピクとひくつかせながら、いつになく低い声が喉の奥から滲み出す。

「ねえフキちゃん、バトル自体は別にいいよ? でもどうしてこんなにリーグがボロボロなのか、弁明はあるのかな?」

 その言葉に応えるように、先ほど『マジカルシャイン』が当たった照明が天井から千切れ、薄く霜の張った地面に落ちた。

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