バタフリーエフェクト

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「こっそり聞いちゃってたよ。おばあさま、ずるいです。私もサナちゃんと話したいのに!」
 マスターも輪に加わり、マグノリア博士とすっかり話し込んでいると、ホップとソニアがいつの間にかそこに立っていた。
「遅いぞ、料理がさめちゃうじゃないか!」
 それを見つめ、口元を緩めるマグノリア博士。
「……と言いながら、心配で迎えに来たという感じですね。ホップ」
「……!? あ、研究データ途中だった! またな!」
 不自然に走り去るホップと、それを見てお腹を抱えて笑いこけるソニア。
「もう、ばればれ! おもしろすぎー!」
 散々笑って、ソニアはマグノリア博士へ向き直った。
「おばあさまもそろそろ夜風きついでしょ?」
「ふふ、貴方もサナさんに聞きたいことがあるのですね。サーナイトが抱擁ポケモンと言われる所以ゆえんでしょうか……不思議な魅力がありますね。さて、貴方もホップのフォローをお願いしますよ」
 マグノリア博士はそう言って、マスターの手を引いた。
「え、あ、あたしも?」
 手を引かれて連れられていくマスターにソニアが手を振る。
「少し、サナちゃん借りるねー? 私も知識豊富なサナちゃんと話したいの! と、さて……サナちゃん。ちょっとお話したいんだ。今度は私の散歩、付き合ってくれる?」
 今日は、奇妙な一日だと思う。
 私はとりあえず、『月がきれいですね』と、言っておくことにした。

 ※

 ソニアは歩き、小川の流れるところへと着いた。

「よくここでさ、泣いてたんだ」
 彼女の真意を測りかねて黙っていると、足元に落ちていた小石を放り投げる。
「ダンデって、知ってるでしょ? あなたのご主人の前までチャンピオンやってた人」
 シュートシティで会った、モミアゲの男性のことである。
 ホップとは兄弟だという前情報は、ガラル鉄道でマスターから聞いている。そして、ソニアとダンデは幼馴染だとも。

「私さ? 昔はポケモントレーナーだったんだ。知識では誰にも負けなかった。だから、ジムバッジも全部ゲットしたし、リーグでもそこそこいいとこまでいけてた。だけど、ダンデには完敗だったんだ。ダンデはすぐ道に迷うから旅人としては致命的だし、馬鹿だからスクールの成績は常に下から数えたほうが早かった。だけど……ダンデはポケモンとの意思疎通だけは完璧だったし、バトルに関しては才能があった。あなたのマスターと、とってもよく似てる」

『マスターと、ダンデが……?』

「いや……ちがうか。似てるのは、私とホップだ。ダンデに負けた私は、ポケモン博士になる道を選んだの。そこなら、ダンデに絶対に負けない、私だけの道がある、無意識にそう思ったんだと思う」

 少しの無言、川のせせらぎが夜のとばりによく響く。 

「ホップは幼い頃からずっと、兄のダンデに憧れて、その背中を追いかけていた。それを同じ日に一緒に旅に誘った友だち――あなたのご主人ね。その人に負け、その後も負け続けた。ホップがあなたのご主人に勝ったことは一度もなくて、シュートスタジアムでも負けて、自分の天井を自分で作ってしまったホップは……たぶん、他の道に進むことでしか自分を保てなかったんだと思う……だから私はさ。ホップの気持ちがわかるから、研究者としての道をどんな理由であれ選んだあの子の選択を大事にしたいんだ。だって、私は今、研究者として幸せだから。……あ、ついつい話し続けちゃった。ごめんね?」

 ライバル同士の距離感とは難しいものだと思う。
 きっと、今こうやって 笑っているソニアの胸の裡に僻みや妬み、あるいは恨みのようなものが無いかと言われるとゼロではないのだと思う。
 仲の良さそうに見えるマスターとホップも、どこかそういう感情はあるのかもしれない。敗れた者の背負わなければならない、黒い感情が。
 勝負の世界は、いつも非情だ。

「えい」
 何を思ったか、ソニアは屈むと足元の小石を拾い、小川に投げた。
 
「……今、世界が分岐した」
『え?』

 意表をつかれて言葉を失うと、ソニアはいたずらっぽく笑った。
 
「今この瞬間ね。私が石を小川に投げた世界と、投げなかった世界に分かれたの。ここは、私が石を投げた世界。まだ今の時間なら、変化はほぼ無いわ。だけど、波紋のようにそれは広がり、小さな変化はやがて大きな変化になっていく……バタフリーエフェクトね」

『バタフリーエフェクト?』
 
「ある気象学者の講演の題名から来てるわ。『オーレ地方でのバタフリーの羽ばたきがイッシュ地方でトルネードを引き起こすか』。あなたはどう思う?」

 しばらく考える。先ほどの小石を投じたことと、今話しているバタフリー効果は繋がっているのだろう。悩んでいると、博士号を持つ人にある特有の性質からなのか、整然と説明し始めてくれた。

「ほんの些細な事が、徐々にとんでもない大きな現象の引き金に繋がることをたとえた表現よ。ある場所におけるバタフリーの羽ばたきが、遠く離れた土地の天気を左右する可能性もある……けど、実際には波や風など天候には不確定要素が大きく絡むからどういった変化を遂げるかはわからない。様々なパターンの結果が想定できるわ」

 ――結果とは即ち未来。
 ある時のある決断。それを決断した未来と、決断しなかった未来。
 また、別の見方をすると、ある事象の起きた世界と、起こらなかった世界。

「さっき、おばあさまと話してるの少し聞いちゃったんだ。平行世界のこと、聞いてたよね」

 少し前からこっそり立ち聞きしていたと言っていたが、そのあたりの会話から聞いていたらしい。

「あったかもしれないと思うんだ。私が勝って、ダンデの負けた世界も」

 もしくは、ホップが勝ち、マスターの負けた世界か。
 あるいは、あの日、カントーで赤帽子の少年が負けて、悪の組織の首領の勝つ世界か。
 私が今ここにおらず、別のサーナイトがマスターの隣にいる世界か。
 ダイマックスが存在せず、メガシンカの存在する世界か。いずれもない世界か。フェアリータイプの存在しない世界か。

「だけどさ、私は今この世界にいる。だから、ここで咲くしかないと思うんだ」
『この世界で、咲く?』
「そ。それに私に負けたらダンデ、どんな生き方があるかわかんないしね? ヤケクソで悪の道に走ったかもしれないし、この世界で良かったんだって思うわ」
 そう言ってけらけらと笑う。ポニーテールの髪がかすかに揺れた。

「まとまりがなくなっちゃったね。たまにさ? こうやって話したくなるんだ。自分が選んだ道を信じて突き進む途中のホップには言えないでしょ? あなたのご主人にも言えない。でも、なんかあなたなら理解して共感してくれそうな気がしたんだ。あ、さてはサナちゃんの特性はシンクロだな?」

 勝手に喋ったくせに、とは謂わない。不思議とそう言われると悪い気がしなかった。胸が温かくなる。
 それに誰かと話すことは私にとって糧になる。知らなかったことを知ることができるから。
 黙っていると、ソニアは続けた。

「……道が一つしかないのはその世界でしか生きられない者の宿命なんだよね。だけど、本来の世界の理から外れた存在であるあなたたちポケモンなら、時間や空間を超えて、別の世界にもきっと行けるんだと思うよ」

 それは、考えたこともなかった選択だった。少なくとも今の私には思いつかなかったことだ。あるいは、記憶にない過去の私が選んだ選択肢のひとつが今なのかもしれない。

「私さ、ガラル神話を調べ始めてから、どうにも腑に落ちないことがあって。それをきっかけに異なる世界について研究を進めてるんだ。サナちゃん……他の世界の記憶なんてあったりするの?」
 ずばり尋ねられた。
「あなたがここに来る前の世界はどこだったの? 距離だけの問題? それとも、時間も空間も異なる世界だったりするの?」
 ソニアは真剣な顔をしていた。
 だからこそ私は何も答えられなかった。
「ごめん」
 一言謝り、ソニアは笑った。
『いえ……記憶がない、というのが実際のところです。最近は断片的に思い出すことがあるのですが』
 断片ではあるが戻った記憶もあった。しかし、それらに私は整理をつけられていない。だからこそ、言葉としてまとめることができないでいた。
「変な話に付き合わせちゃってごめんね。そろそろ帰ろうか」
 ソニアは立ち上がり、私の手を引く。
 私は彼女の心が理解できた。私と同じで整理しきれない想いがきっとあるのだ。だからこそ、私と話そうとした。
 人の心も、ポケモンの心も、単純なものではない。

 月も随分と高くなっている。戻ったら、寝ようと思う。思えば、昼間は列車の中を駆け回り、タマタマと闘っていたのだ。
 長い一日だった。
 けれど、こんな日も大切な積み重ねなのだと思う。以前の私の記憶はあまり戻らないが、私は今のこの世界で咲きたいと思う。
 今のマスターの隣にいたいから。

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