ムーンフォース

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 ダイニングに入ると、机の上にはたくさんの料理が並んでいた。それを取り囲むように三人が座っている。
「よう、早く来いよ」
 私は室内の面子を見渡し、白髪の上品な老婆をマグノリア博士、声を掛けてきた快活そうな少年をホップだろうと見定めた。
「お腹すいたでしょ? 堅苦しい前口上は抜きで、さあ、食べて食べて!」
 ソニアが早く座るように明るく促すと、ホップは待ってましたとばかりにフォークを手にする。マグノリア博士が嗜めるような目線を送ると、「あ……い、いただきます」と申し訳程度に、食事の挨拶をした。

「おまえ最近サーナイト使い始めたんだな。どこで出会ったんだ?」
 食事を摂りながら、ホップは同席する私に声をかけた。
 この研究所では、私も人間と同等のテーブルにつかせてもらっている。マスターは元々そうしてくれているから、うっかり忘れそうになるがこの扱いは人間界でなかなか珍しいことなのだ。
 もっとも最近では世の風潮も変わり、人間とポケモンが対等の関係になりつつあるが、使う者と使われる者の関係はあくまでも変わらず、今も根底に横たわる。
「おねえちゃんにもらったんだ」
「へえ、遠くに行ってるんだっけ?」
「そそ、遠隔交換したの」
 何気ない会話が耳に入り、頭が鋭く傷んだ。
 瞬間、脳裏にいくつか浮かんだ。カロスのマスター。ホウエンのマスター。アローラのマスター。ウルトラビースト。メガシンカ。
 
 ――メガシンカ。
 あえて、“メガ進化”とは表記されない。
 ポケモンの中には「進化」と呼ばれる変化を遂げる種族が多く存在する。単なる成長ではなく、姿形、その者の持つ能力を大きく変化させるものであり、それが私たちポケモンと他の動物を区切る一つの大きな壁である。
 複数回の進化を遂げる種もあるが、最終形態まで進化したポケモンがそれ以上進化することはない。だが、メガシンカは違う。「進化を超えた進化」とされ、トレーナーと強い絆で結ばれたポケモンがバトル中の特定の条件下のみ発現し、その後は以前の姿に戻る。
 
 そうだ、羨ましかったんだ。
 他のサーナイトがメガシンカにより、純白のウエディングドレスのようなフォルムになることが。
 そもそもが他のサーナイトと異なる私は違う。みんなと同じにはなれなかった。メガシンカしたところで、純白にはなれなかったのだ。
 漆黒の、まるでドンカラスか何かのような不吉な色にしかなれなかった私に、カロスの、ホウエンの、アローラのマスターは言ったのだ。
 きれいだよ、と。
 その一言で私は変化を受け入れた。
 そうだ。いつのときも変化だ。気づけば私は変化と共にあったように思う。前は持ち物などこんなにたくさん無かった。前にはこんなポケモンはいなかった。そもそも私は単なるエスパータイプではなかったか。いつからフェアリータイプはあった。メガシンカとは何だ。ダイマックス、キョダイマックスとは。

「サナさん、長旅に顔色が優れぬようですね……ちょっと老人の話相手がてら、夜の空気を吸いに行きませんか?」 
 考え込み、食事をする手をとめていた私に助け舟を出したのは、マグノリア博士だった。
「サオリさんから聞きましたよ。私の著作なども読んでいただけたとか。ポケモン目線からどう感じられたか、お伺いできればありがたいのですが」
 私は頷き、マグノリア博士は微笑んだ。優しい柔和な笑みが、一見厳格そうなこの老婆のなかに、あたたかみを感じさせる。ポケモン博士とは、心優しい“種族”なのだと、改めて感じた。

 マグノリア博士に連れられて出た外の空気は澄んでおり、虫の鳴く声がそこら中から聞こえる。
「月がきれいですね」
 空を見上げ、マグノリア博士は言った。
 シュートシティとは異なり、のどかなブラッシータウンの夜空の満月は一際輝いて見えた。月明かりが、小道を照らす。
「ふふ、知りませんか? 異国の地では、今の言葉、“愛してる”の比喩表現だそうですよ」
 博識な老博士は言う。言われてみて、詩的で素敵な表現だと感じた。
「満月が見えるでしょう。あれは、国によって見え方が異なります。それは、私たちの住むこの地球が丸い形で、それが自転し、地球の周りを衛星である月が公転しているから……というのは、今のスクールでは簡単に教えてくれます。科学の進化はめまぐるしい」
 博士の隣を歩きながら、その意図は何だろうと思案する。
「だけど、あなたたちポケモンの“進化”に科学は追いつけていません。新たな発見はいつの間にか、旧式に変わる……不思議なものです」
 牧場の近くまで来て、手頃な石に腰掛け、私もそれに倣う。

『あの』
「私の気のせいならごめんなさいね。あなた、悩んでいそうだったから。小さい頃のソニアによく似てるわ」

 そう言って微笑む。
 ソニアは博士の孫だという情報が私の頭にはある。

『私は……悩んでいるわけではないんです。ただ、わからないのです。何がわからないのかさえ、今はわかっていない』

 だから、とりあえず思い浮かんだワードに絞り、話を展開してみる。話しているうちに頭のモヤモヤの整理もつくかもしれない。

『博士はダイマックスを理論付けし、その原理を応用した技術を確立させました。ガラル粒子と言われる地底のエネルギーに、隕石のエネルギーをぶつけ、激的な変化を起こし、それを流用したものですよね』

 マッシュは、ライフストリームと呼んでいた。本質は同じで、ワイルドエリアの土壌はそのエネルギーを豊富に含んでおり、地底から吹き出しているところもある。
 ガラル地方のパワースポットとされるガラル粒子の豊富な場所は他にもあり、そこにスタジアムが建てられていることも知っている。おそらく、そのどれもが隕石が落下した地点である。

『ムゲンダイナ……ご存知ですよね。現代の“ブラックナイト”と呼ばれる災害――未遂に終わった事件の原因を』

 博士を責めるつもりはなかった。ただ、そこから記憶の糸口を手繰りたかったのだ。

「ローズの引き起こしたことは、私にも責任があります。彼があれほど道を踏み外すとは思わなかった。ただ、私の見る目は間違ってはいない。彼は純粋にガラルの未来を憂うあまりに、道を間違ってしまったのです。ローズがシステムの故障とすれば、ダンデは、それを止める一種のフェールセーフの役割を担っていました。私は当初それはキバナだと思っていましたけどね。いずれにしても、ガラルは破滅せずに済みましたが……ローズは牢の中です。私の責任でしょう……」

 間違っていない、と言った老博士はその自責の念に潰されそうになっていた。私が聞きたかったのはそういった話ではなく、慌てて謝る。
 終わってしまった“ブラックナイト”のことではない。先に繋がるカギが欲しいのだ。

『すみません……思い出させてしまいました。ムゲンダイナという名前で思い出したことがあるのです。“むげんだいエナジー”って知ってますか?』

 ついさっき思い出したことだ。
 それは、ホウエン地方で聞いたエネルギーの名だ。トクサネ宇宙センターではそれが航空技術に活かされていた。
 そして、それは――メガシンカをするために必要な“メガストーン”と呼ばれる石に宿るエネルギーでもあると言われている。

「ごめんなさいね、少し記憶にないわ」

 私はそのとき、やはり、と確信を得た。
 あのときダイマックスは無く、今はメガシンカが無い。

 メガストーンも隕石の欠片ではないかという説があった。そして、ダイマックスに必要とされている、トレーナーのつけるダイマックスバンドには、“ねがいぼし”が組み込まれている。ねがいぼしもまた、隕石の欠片ではないかと言われている。

 似て異なるのだ。
 私が今まで見てきた世界と、この世界は。

『博士は、平行世界の存在を信じますか?』

 少し考えるような仕草をして、博士は口を開いた。

「科学者としての視点から言うと……観測できないものは信じるべきではないと思います。ただ……あってもおかしくないのかもしれませんね。だって、あなたたち不思議な生き物がこの世界にいるのですから」

 博士は、ポケットから指輪をひとつ取り出した。

「私が一時期、カントー地方に滞在していた頃、“おつきみやま”というところで出会った方に、“指に合う人に渡して欲しい”と言われて預かった指輪です。ピッピを進化させるのに使う石とは違う……持っているとなんだか不思議と力の湧くような気のする石が埋め込まれているんですよ」

『この石は……隕石の欠片?』

「ええ。“月の力が満ちている”とその方に言われ……持ち帰り分析したところ、未知のエネルギーが宿っていることに気づいたんですよ。そこからダイマックス研究は飛躍的に進んだのだけど、私の指には合わなくてねえ……」

 その人は、“つきのいし”と勘違いしたのかもしれない。隕石と月とでは、意味合いが異なる。


「おーい、サナたん」
 そこに、少女の声が聞こえた。私の名を呼ぶマスターの声だ。
 すぐに私たちを見つけ、駆け寄ってくる。

「気分転換になったかな? ……ん、指輪?」

 マグノリア博士が手にした指輪をマスターは興味深そうに見つめる。

「ええ、そうよ。月の力が込められた石だそうよ。合うかわからないけれど、貴女つけてみる?」
「え、いいの? つけてみようかな?」

 隕石とはあえて言わない。月というと、どこかロマンチックな響きがする。
 嬉しそうに手を出すマスターのひとさし指に、リングを通す。
 
「なるほど、そう……そういうことだったのね……」
 
 あまりに自然に、ピッタリと指にはまり、博士は驚いたような様子を一瞬見せるが、すぐに平静を取り戻す。

『……博士?』
「ああ、すみません……。それを私に託した方がおっしゃっていたものですから。指輪が合う人によろしく、いつか現れるはずだから、と……。貴女にあげるわ」
「それはさすがに悪いです! 返します!」
「いけません。私はそう言われて、預かっただけですから。……もっとも、分析などで、十分研究に活用させてもらいましたし、今はもう貴女の指がその子の居場所よ」

 マスターは驚き、慌てて指輪を抜こうとするが、博士は微笑み、その手を抑えた。しばらく考えたマスターだが、すぐに思い直してお礼の言葉を口にした。

『その人は誰なのですか?』
 気になって思わず聞く。
「わかりません。なにぶん昔のことで、私も年ですしねえ。思い出せないんですよ」
 一期一会。旅先の出会いなど、そんなものかもしれなかった。
 私もガラルのこの旅で出会った人の顔を忘れるのかもしれない。私のことも忘れられるかもしれない。
 だけど、その人は、記憶として博士の中に残っていた。何かのきっかけに誰かを思い出し、誰かに思い出される。そんな関係は存外素晴らしいものなのかもしれなかった。

「ね、サナたん。見て!」
 嬉しそうに指輪を月明かりに照らして眺めていたマスターだが、指輪のはまった人差し指で夜空を指した。
 つられて、視線を上げる。
「月がきれいだね、サナたん」
 ああ、こういうときに使うのかと思った。
 だからこそ、返す言葉は一つしかなかった。
『月がきれいですね』
 そう、この上なく、月はきれいだったのだ。

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