リアルたちはセレビィと出会い、そして次の目標を目指し帰還した。
だが、その後を静かに追う者がいた。
これにて、セレビィにまつわる旅は終了となります。
リアルの過去はまだわかりませんが……それでも幾ばくかのヒントが。
ようやくこの話で、物語の根幹が見えてきたような気がしますね?
リアルたちの旅はいよいよこれからです。
早く成長し、強くなってもらいたいものです──
ちなみに、三章自体の内容もこれからがメインだったりします。(がんばります!)
時を遡ること数時間前。リアル達が灰色の森を目指すべく、静寂の山を進んでいた時。
ダンジョンに足を踏み入れて以来一匹も敵と遭遇せず、その不気味さに彼らが恐れを抱いていた時、その後をつける影があった。
黒い外套を纏い、闇と同化し、物音ひとつ立てずにひっそりと三匹を尾行する。
その身のこなしは第一進化の子供のような姿からは想像もつかない熟練されたものだった。リアルたちが気が付かなかったのも当然だろう。
そしてその彼自身も、この異様に静かなダンジョンに最大限の警戒をしていた。
いくら静寂の名を冠するとはいえ、ただ迷宮化しているだけのダンジョンに暴走した敵がいないなどということはあり得ない。
そもそも「静寂」は地形の特性上音が吸収されて響かないという意味合いなのだ。
そして尾行する彼は、リアルたちが持ちえない情報を知っている。
(ここが立ち入り禁止に追加されたのは、彼らが出発した直後だった。気が付くはずもない)
数々の目撃情報。「プリンのギルド」が所有する広大な情報網。その蓄積から今回急遽立ち入り禁止ダンジョンが発表された。
「敵」はわからない。だが「手段」は既に確認されている。それを持った敵と、ギルドメンバーを交戦させるわけにはいかない。その為の処置だっただが、僅かなズレが生じてしまった。
彼はちらりとリアルたちに目を向けた。三匹とも落ち着かない様子で辺りをきょろきょろと見渡している。
危険を察知している、という時点で及第点ではあるだろうか。何が起こるか分からないダンジョンでは、小さな違和感を感じ取れるかどうかが生死の分かれ目になる。
ほとんどダンジョンでの技術を学んでいない彼らだ。本能的に危険を感じ取れるだけ優秀である。
実際、このダンジョンに敵がいないのは「奴」がいるからだ。凶暴化したポケモンに理性はないが、その分野性的な感性は研ぎ澄まされているという。だから「奴」に恐れをなして隠れている。
(後をつけて正解だった)
リアルたちだけを贔屓し甘やかすつもりはない。だが今彼らを理不尽な目に遭わせる必要もないだろう。
これは彼らの旅だ。彼らが苦難を乗り越え、勝利を掴み、夢を叶えるその旅路。そこに理不尽な悪意はまだ必要ない。
それ故に彼はひっそりとリアルたちを見守っていた。その目には固い決意が宿っている。
そして、彼にはもう一つ、リアルたちを追う理由があった。彼らが目指す今回の目的地。彼はそこで彼女に会わなくてはならない。
その時。一瞬にして張り詰める空気を察知して、彼は咄嗟に低く身構えた。
微かな足音。リアル達ではない。全く別のポケモンだ。
「──止まって」
デリートが気が付いて仲間たちを制止させる。
三匹は突然すくんだように固まった。気が付いている。彼らに向けられている”殺意”に。
(奴か)
だがその姿は見えない。どこだ? 奴はどこに隠れている?
必死に、しかし冷静に彼は周囲に目を凝らす。
自分に向けられる殺意の方向くらい彼ならば察知できる。だが今はこちらには向いていない。あるのは明らかな緊張、そしてあの独特の匂い。
出来れば生け捕りにすべきだ。誰にも知られずに、ひっそりと。
無論これ以上被害が出ることは避けなければない。
だがもし「奴」が、想定しているようなポケモンであれば、むやみやたらに「手段」を使うことはないはずだ。だからリアルたちは問題ない──
しかし、その予想は外れる。
その均衡は、突然振り出した雨粒によって崩された。
空気が乱れる。視線が散る。意図の増大。息を吞む音。
(まさか)
「危ない──ッッ!!!」
リアルが叫び出すと同時に、彼は飛び出していた。
リアルたちの前にではない。そんなことをすれば死ぬ。
だから彼はその殺意の元へと飛んだ。ここまで殺意が凝縮されれば誰だって気が付く。
何かが焦げる匂いがした。咄嗟に回避しようとするリアルたち。
失敗した。だが、想定する精度であれば──!
そして、森に轟音が響いた。
たった一発。その”攻撃”は、リアルたちの命を掠めて遥か彼方へ飛び去った。
彼は森を駆けた。第一撃、それは外れた。ならば今こそが好機。
その攻撃にはある程度の準備時間を要するはず。第二撃は撃たせない。
木々を飛び、空を駆けて敵の居場所に急ぐ。
黒い外套がはためく。
いまだ途切れぬ殺意の線。奴はまだリアルたちを狙っている!
「──そこか」
高速で背後へと流れていく景色の中で、彼はついに見つけた。
灰色の布を全身に纏い、首から小さな袋を提げたポケモン。フードを頭まですっぽりと被っていて、顔は不自然に認識できない。
だがその手には腕の長さほどの鉄の棒が握られていて、端から細く煙が立ち上っていた。
そして辺りに充満する焦げ臭い匂い。
奴はその長い鉄の棒に何やらさらに細長い木の棒を差し込んでいるところだった。
「随分と物騒過ぎやしないか? お前」
彼は音もなくその場に降り立ち、突然のことにその敵は泡を食ったように飛び退った。十分に距離を取って彼を睨みつける。
確かに虚を突いての襲撃だ。だが想定以上の慌てぶりに彼は訝しげな表情を見せる。
だがそれでも奴は既に第二撃の準備を終えたらしく、彼から視線を切らないまま木の棒を布の内側にしまい込んだ。
「その筒……どうやらお前にはいくつか聞くべきことがあるらしいな」
奴は咄嗟に飛びのいた分、十数メートルの距離を取っていた。それはもちろん、こちらの攻撃にすぐ対処できるようにだろう。
近距離攻撃はもちろん、この距離ならば場合によっては遠距離の攻撃も回避することが可能だろう。
お互い不干渉な距離。間合いを詰めなければ交戦しない距離。
だが奴はその距離を「強制的に無視する」攻撃を持っている。奴にとってこの距離は絶好の攻撃位置だ。
そうしているうちに、段々と奴は落ち着きを取り戻したらしい。
不自然にもその表情を伺い知ることはできないが、ゆっくりとその鉄の棒をこちらに向けた。その先にはやはり穴が開いていて、まだ少しくすぶっている。
同時に、少し離れたところで一斉に走り去る足音が聞こえた。リアルたちがうまく逃げたらしい。タイミングを計るのが上手い。
「そいつは、俺たちが持っていいものじゃない。……というより、この世界に存在することすら許されない」
奴は既にその棒を水平に構えてこちらに狙いを定めている。
そこから放たれるのは音速の攻撃だ。極小の金属片は体内エネルギーの干渉を受けない純物理性を以て、容易く身体を貫通する。
ポケモンの技にそれほどの速度を持つエネルギー弾など存在しなかった。彼とて回避することは叶わないだろう。
「撃てよ」
その膠着は、第一撃ほど長くは続かなかった。
急速に高まる殺意。奴はその攻撃が回避されるとは思っていない。また彼も同じく回避するつもりはなかった。
故に。
彼は、その鉄の棒に火が吹きかけられるのをただじっと見ていた。
炸裂。
もう一度、轟音が鳴り響く。
「──なに!?」
閃光が煌めいた。
放たれた弾が甲高い金属音と共に弾かれ、敵は初めて動揺に声を上げた。
撃ち出された攻撃は確かに一直線に彼の元へと飛んだ。誰にも反応できない速度でその命を奪い去る、その筈だった。
しかし彼の手には帯電する何かが握られている。
黒い外套の中から、まるで闇を裂くような眩い煌めき。美しく電閃を散らすそれは、敵を害することに特化した「武器」。
生命への冒涜、この世界に存在してはならないもの──技によって再現された、剣の「レプリカ」である。
「この世界に、硝煙の匂いは似合わない」
キッと、彼は敵を睨みつけた。
その異様な圧に、敵は一歩後ずさった。
「殺しはしない。──その代わり、全てを吐いてもらう」
そう言って彼は外套をはぎ取った。同時に彼の周りに漂う電閃が、一気に収束し、膨張する。訪れる刹那の無音。
次の瞬間、爆音と共に巨大な光の柱が天を貫いた。
彼から発せられる膨大なエネルギーが、集まり光の束となり、そしてあまりに暴力的な力の奔流となって空へと伸びている。
森を裂き、山を裂き、雲を裂いて、電撃と衝撃波をまき散らしながら、光の柱は鮮烈にそびえ立っていた。
それはもはや一個体が持ち得るエネルギー量ではなかった。地形すら改変し、山ごと灰燼に帰してしまうほどの規格外のエネルギー。
彼はため込んでいたそれを放出する。だがそれは攻撃ではない。あくまで凝り固まっていた肩をほぐすようなもの。
ウォーミングアップに過ぎない。
地響きと共に大地が揺れ、その衝撃で転がる敵。何とか立ち上がり体勢を立て直す。
目の前に広がる異様な光景に、暴風ではためく灰色の布を手で抑えながら敵は目を疑う。
今まで触れたことのない圧倒的なエネルギーの奔流。神々しいほどのその光の中で。
彼の鋭い眼光がこちらを見据えていた。
そして、突如としてエネルギーが解ける。
光の柱は掻き消え、粒子は霧散していく。
だがその凶暴なオーラが消え去ったわけではなかった。
その跡地に立つポケモン。
先ほどと同等の威圧感を持って、彼はただ一匹の敵を見据えていた。
「『第三者』リーダー、シュン。──行くぞ」
「脅威」が、やってくる。
*
「敵」は背後から追ってくるシュンから必死に逃走しながら、先ほど見た光景を未だに信じられずにいた。
そもそもが誰の目にも捉えられないほどの音速の攻撃。それを前にして誰が対応できるものか。
だがシュンと名乗る探検家はそれを一切の無駄のない動きで弾いた。
肉眼で視認することすらできない速度なのに、よもや極小の金属片を見極め、弾くなど。
到底信じられることではない。
背後からとんでもないスピードで追われているのを本能で感じる。
音はしない。だが確実な「死」が迫っている予感がした。
恐怖で足が覚束ない。手も震えていた。
そしてもう一つ、不可解なことがある。
あの金属片は鍛冶屋に依頼して入手した、採掘された鉱石から作られた貴重なものだ。
ポケモンの技によって生み出され、実体化したものではない。
故に、あの金属片は極めて高い純物理性を持っているのだ。
そもそもポケモンの技、つまり体内で循環するエネルギーを実体化させた物体は、長時間の使用には向いていない。
時間が経てば結合は解け、跡形もなく消え去ってしまう。
はっぱカッターの葉っぱ、ロックブラストの岩などがいい例だ。
そしてその技によって生み出された物体は、自然に存在する物体に干渉することが難しい。
すぐに消え去る一時的な技の物体では、高い純物理性を有する自然物には対抗できない。
かりそめの実体では、土も岩も水も木も、阻むことができない。
加えて金属の有する純物理性は、自然物の中でもトップクラスに高い。
落ちてくる岩をロックブラストで砕く──なんて芸当は一瞬であれば可能かもしれない。
だが相手が鉄塊であれば別だ。その”硬さ”には、ポケモンの技では対抗できない。
なのに、何故?
何故あの探検家はあの電気技で金属片を──
「気になるか? お前のその弾丸が、どうして俺の技に弾かれたか──」
背後から探検家の声がした。
ちょうど心を読まれたように、その疑問を言い当てられる。
そして次の瞬間、猛烈な寒気を頭部に感じて咄嗟に転ぶように頭を下げた。
手をついて無様に一回転する。同時に頭上を電撃が通り過ぎて行った。
布の焦げる匂い。そしてその電撃はまさに雷のように空気を伝って森を駆け抜けていく。
振り返ると、探検家は木の上に立ち、先ほどの短剣を手にしていた。
「反則じゃないぜ。これはあくまで”技”だ。その点、お前のそれは完全にタブーだけどな」
「──っ!」
「──知ってるか? この世界に『武器』は存在しないはずなんだ」
シュンはそう言い終わるや否や、もう一度短剣をふるった。
放たれる斬撃。
しかし今度は「敵」もそれを見ることなくすぐさま背中を向けて走り出した。
もはや戦うつもりなどない。
身体のすぐ左を電撃が掠める。だが構わず足を動かし続ける。
鉄の筒を握る手が汗で滑る。一メートルほどもある長い筒を持って走るのは、あまりにも邪魔だった。だが、これを手放すわけにもいかない。
探検家はすぐそこまで迫っていた。
もうすぐ追いつかれてしまうだろう。引き離せる望みもなかった。
まずい。捕まったらどうなる?
この武器は没収され、入手先について尋問されるだろう。しかし話すわけにはいかない。そうなれば──
この先のことを想像し、あまりの恐怖で吐きそうになったその瞬間。
思い出した。
こんな時のためにと、離脱用に持たされていたその道具を。
「──?」
突如足を止め振り返った敵に、シュンも怪訝そうな顔で同じく立ち止まった。
だが敵が右手で掲げるものを見て目を見開いた。
「──お前!」
それは青く透き通るふしぎ玉。
シュンが止めようと地を蹴って飛び出すが間に合わない。
ふしぎ玉は強く地面に叩きつけられ、ガラスの割れるけたたましい音と共に青白い光が辺りを満たした。
その光に一瞬目が眩む。
そしてシュンの視界が元に戻ったときには、既に敵の姿はなかった。
「あなぬけの玉か! だがその程度ならっ──」
急いで探検隊バッジを取り出すシュン。
漆黒のバッジ。通常よりも遥かに高い機能を有する特注品。
そしてそのバッジを起動しようとして──目を疑った。
「バッジが──動かない?」
何度ボタンを押そうがバッジが光を灯すことはなかった。
故障? このタイミングで?
「──チッ」
バッジが動かないのであればこれ以上の追跡は叶わない。
ダンジョンの入口と出口は常に変動している。
同じ出口に辿り着ける可能性は低く、そしてあなぬけの玉でどこにワープしたかも特定できない。
それにバッジが動かないのであれば、倒れた際の保険がなくなる。
この程度のダンジョンで倒れるつもりもないが、やはり心許ない。
シュンは溜息を吐いて、木々の隙間から空を見上げた。
脅威からリアルたちを逃がすことはできた。そして敵の「手段」も確かめた。
大きなミスではあるが、最低限の仕事はこなせたか。
残る仕事はあと一つ──
*
「──じゃあ、何から話す?」
高い天井のすぐ近くまで積み上げられた祭壇。その低い位置の階段に座り、ピンク色のセレビィは問いかけた。
対するシュンは用意された石段に座ることなく、大きな木に寄りかかる様にして答える。
「ああ、まずは君のことについて聞かせてもらいたい」
途端、セレビィがプッと噴き出した。
「……ちょっと待って? ふふ……シュンってそんな口調だったっけ? そんな、『ああ……』なんて言うキャラじゃなかったでしょ!」
「なっ……! いや、そりゃ何年も経てば口調も変わるだろ!? 笑うな!」
「あーあ、あの時のシュンはもっと幼くて可愛げがあったのにねー」
「うるさい、昔の話だよ」
顔を赤くしてそっぽを向くシュン。そんな彼をセレビィは懐かしさ交じりにいじり倒した。
そしてひとしきり笑い終えた後、大きく息をつく。
「……もう満足したか?」
「ふふふ……ごめんなさい。つい嬉しくて。それで……そうね、わたしのことよね」
「ああ。……何故、君がここにいる?」
シュンの表情は至極真面目だった。
そしてセレビィもその質問の意味を理解していた。
何故なら、本来”この”セレビィはここにいるはずがないから。
「あの後──わたしたちは消滅するはずだった。キミたちが星の停止を食い止めて、過去を変えて。それで、未来世界は書き換えられて消滅するはずだったの」
セレビィは滔々と語り始める。
シュンたちが知ることの叶わなかった「その後」の物語だ。
「でもその消滅には少し”時差”があって……キミたちの行動の結果が、未来に影響を及ぼすまで時間があったわ。そこで──その暗黒の未来で──わたしたちは戦った」
静かな部屋の中で、セレビィは昔を思い出すような遠い目をしていた。
「未来の世界でもディアルガは暴れてて、最後の最後に滅茶苦茶にされないように、ジュプトルさんたちと消滅の時までディアルガを封じ込めた。それでわたしたちは遂に消滅の光に包まれて──ああ、キミたちが解決してくれたんだなって安心して──」
過去を書き換えたことによる未来世界の消滅。
僅かに過去を改変しただけでも、長い時間を経てそれは大きな時空の歪みを生み出す。
故に、世界を滅びの運命から救うという大きな改変をした以上、未来世界のポケモンたちの存在が「なかったことになる」のは当然だった。
そしてそれは、未来から来た”元人間”も同じこと。
「でもね、わたし達は消滅しなかったの。初めて見た朝日の中で……甦っていく世界の中で……わたしたちは生きていた」
「……それは、どうして?」
「……」
その問いにセレビィは無言を返した。
目を瞑り、小さく息を吐く。
言葉を探して逡巡しているようだった。
「…………キミはさ。どうして生きているの? シュンだって消滅したはず、でしょ?」
「……その時は、俺にも分からなかった。一度は消滅したんだ。でもいつの間にか戻ってきていた。それはきっと──ディアルガの力だろう」
俺とか言っちゃって、と小さく笑うセレビィ。だがシュンの返答には肯定した。
「そうでしょうね。きっと、お礼とか憐れみとか、そういう類の気まぐれね。伝説種の奴らって、大体みんな気まぐれだから。でも伝説だけあって、シュン一匹だけの運命を捻じ曲げる位の力は、どの時間軸のディアルガにもあるはずよ」
「……そうだな」
木に寄りかかったままそう小さく返すシュン。彼もまた昔のことを思い出しているようだった。
だがセレビィの見る彼の表情は、どこか苦々しくもあり、違和感を覚えてしまう。
しかし本題はここからだった。
「それでね……わたしたちが生きていられたのは──ディアルガのおかげじゃないわ」
「何?」
「アイツは言ってた。私よりも上位の存在によるものだ、って。……キミの存在を因果律を無視して確立させるくらいの芸当なら、アイツにもできる。でもわたしたち全員の存在を”許容”し、世界線ごと並行世界として存続させる──そんなこと、伝説種だからってできっこないの」
並行世界としての世界線の存続。
それによって、未来世界はまた別の世界として生き続けることになった。
それがセレビィたちが生き残った理由。
「ちょっと待て、じゃあ未来世界はあの後も生き続けて、ジュプトルやヨノワールたちも!?」
「そう。丸ごと生きていたわ」
予想もしない事実にシュンは目を見開いて、前のめりにセレビィに問いかけた。
あの後、未来世界のことを忘れたことはなかった。
自分が残ったのだから、あるいは──という一縷の望みこそあったが、それでも確認する術もない。
故にセレビィからのその知らせは、思いもかけない朗報だった。
だが。
「──生きて、”いた”?」
その過去形に不穏なものを感じ取ってシュンは聞き返す。
だがセレビィはその疑問を一時的に無視する。
「話を続けるね。……わたしたちには、その”上位の存在”が誰なのかは分からない。ディアルガにすら分からなかったんだもの。でも、少しだけ手掛かりはある。あの場所で、唯一の幻種であったわたしには分かる。勿論、伝説種のディアルガも分かってたかもしれないけど──」
セレビィは、シュンの目を見据えて言った。
「あれは、間違いなく『原初の規律』の介入よ」
「!!」
「わたしたちは幻種。世界に各々一個体しか存在せず、その権能を以て世界の調和を図る調停者。それが幻のポケモン。わたしたちは世界に仕えているの。そんなわたしたちを縛るもの、それが原初の規律。絶対的な規範ね」
「その名前は、何度も……それで、その原初の規律って一体──」
シュンの質問は無情にも遮られる。
「ごめんなさい。それはわたしには言えないわ。……いや、キミたちが知ることは無い。……と言っても、本当にわたしたちも知らないんだけどね!」
申し訳なさそうに笑うセレビィに、シュンは何か言いたげに口を開き、そして諦めたように疑問を噛み殺した。
「分かるのは、それがわたしたちを厳重に縛っているということだけ。形も規模も、何もかも分からない。接触する方法も知らないし、そもそも接触できる類のものなのかも知らないの。ただそれは強大な力を持ってる。おそらく並行世界として存続させたのも──」
「分かったよ。……その名前が出るとは思ってなかった。その情報は期待してない。だけど」
本題に入ろう、とシュンは身を乗り出した。
「何で、この世界に来た?」
セレビィ達が生きていたのは分かった。それは喜ばしいことで、いまいち実感が湧かないくらいの出来事であった。
だがそれは、セレビィが今ここにいる理由にはならない。
「……わたしたちの世界は生き残り、そして過去の改変によって世界は甦った。陽は昇り、草木は生い茂り、風は心地よく流れていく……そんな場所で、わたしたちはもう一度暮らし始めたの。世界は息を吹き返したけど、それでも復興には長い時間が掛かった。だって一度全てが滅びかけたんですもの。生き残った者たちで、必死に文明を立て直していった」
「大変、だったよな」
「ええ。でも全然苦にならなかった! だってあんなに綺麗で美しい世界、私は知らなかった。初めて"生きた世界"を見たわたしの感動、伝わる? わたしはそこにいるだけで幸せだったの。ジュプトルさんもいたし……ね」
今日一番の幸せそうな顔で、かつての喜びをセレビィは伝えた。だがふっと力を抜くと、少し悲しそうに目を伏せる。
「10年は経ったかしら。正直、あまり時は数えていないの。それくらい長い時間を掛けて、ゆっくり、ゆっくりと世界は再生して。それである日突然──」
「世界は滅んだ」
「……え?」
言葉の意味が理解できない。
滅んだ? 世界が?
何を言っているのか。今、未来世界は救われて、生き返ったと──
「シュン。未来世界はね、あっけなく滅んだの。……いいえ、違う。未来世界じゃない。『この世界』に、また別の滅びが訪れるの」
「な……」
「理由は分からないわ。ある日突然、急に長い地響きが起きて、地面が割れ、天が落ち、空間がグチャグチャにねじ曲がって──断層に世界は崩れて吸い込まれた。……何の予兆もなくて、本当に唐突だったの。だから手がかりは何一つない」
「……」
「わたしたちは為す術がなくて……仲間達もみんな時空の断層に吸い込まれて消えていった。ジュプトルさんもヨノワールも……それで、わたしも吸い込まれそうになった時、最後の力で時渡りをしようとしたの。だけどほとんどその力は使えなくなってた。一番良いのは、すぐ過去に戻ってこの滅びを解決すること。でもそれにはいくつか問題があったわ」
何も言えなくなってしまったシュンを前に、淡々とセレビィは続ける。
「まず、過去に行ったとしても解決できるか分からないってこと。時の回廊は限定された場所にしか開けないのは知ってるよね? それに力も制限されてて、開いた先が"解決可能"な時間か分からない。二つ目は、未来世界の成り立ちの複雑性が心配だったこと。ほら、わたしたちの世界は消滅するはずが無理やり存続できてたでしょ? どうやらそれは、暗黒の未来が来てしまった後、『星の停止が食い止められた』っていう成果だけを無理やりくっつけて成り立ってるらしくて……だからそんな不安定な状態でまた改変を行えば、今度こそ未来世界はどうなるか分からない。三つ目はそもそも、時の回廊を使ってしまっては、世界消滅に巻き込まれて時の回廊を通じて全てが壊れてしまうかもしれないってこと──」
小さなその指で「三つ」を指し、ため息を吐いた。
「もう、わたし何にも分からなくて。どうしてこんなことになったのか。どこに飛べばいいのか。そして飛べるかすらも分からなかった。でもね、多分あんまりにも時空がぐちゃぐちゃだったからかな……”この世界”への道が開いてたの。こっちの世界なら、星の停止を本当の意味で食い止めている。それを成し遂げた探検隊がいるのも知ってる。だからきっと、わたしたちの世界線より希望があるんじゃないかって、そう思って──」
広い空間に差し込む陽の光。実際には本物の太陽の光ではなく、時間経過で翳ることはない。
だがセレビィの語った過去──いや、「未来」は、この暖かな部屋にあまりに重苦しい空気をもたらしていた。
しばらくの沈黙。ややあってシュンが重い口を開く。
「……滅びが……天災がいつかまた来ないとも限らない……とは、常に考えてはいた。星の停止の規模の、世界の破滅。それが来る可能性を……」
もはや懐かしい記憶。
未来から来た彼らと別れ、自らの責務を果たしたあの記憶。
二度と会えぬと覚悟した彼らが、また違う世界で生き抜いていたこと。
直接自分には関係の無いことなのに、その事実が心を温めてくれる気がした。
しかし、その世界は自分の知らぬ間に生き続け、そして自分の知らぬ間に終わっていた。
「そうか……ジュプトルも……もう……」
とっくにお別れしたはずなのに。
知らないところでまた一つ、離別があった。
「……ね、そんな顔しないでよ。問題ないでしょ? わたしたちが解決方法を見つけて、それで世界が崩壊する時間より前に『時渡り』するだけじゃない! ね? そうすれば元通り!」
顔を上げると、にっこりと笑うセレビィと目が合った。必死に元気づけてくれる彼女も、自分にとってはもう二度と会えないと思っていた友達だ。
少しだけ、元気が出たような気がした。
「……でも、残念だけど今のわたしには何もできない。権能を使い過ぎたからなのか、今はどこにも時渡り出来ないみたい。この世界に来て、もう数か月は経つんだけど。前途多難ね……」
「……セレビィ、でも……仮にこの世界で滅びを回避したとしても、既に並行世界として別の道を歩んでる君たちの世界にはきっと──」
「だから、そんな顔しないでって! そんなの、解決方法をわたしが持ち帰って、わたしたちがあっちでも滅びを止めるだけじゃない!」
それが、どれだけ現実味が無いかは彼女も分かっているのだろう。
そもそも世界線を跨いで時渡りできたことが特例過ぎる。本来はそのような権能をセレビィは持っていなかったはず。
もう一度戻れるかすら分からない。
それでもやるしかないと、彼女はそう分かっているのだ。
シュンはゆっくりと頷いて、それでふと思い出したことがあった。
「そういえば、”この世界線”のセレビィはどうした? 数か月前に君が来た時には、本来のセレビィがいただろう?」
「立場を譲ってくれたの。凄く驚いてたけど、話を聞いて納得してくれた。もうあの子は役目を終えて還ったわ」
「還った……どこへ?」
「さあ。世界へ、かな? 言った通り、幻種は世界の制御装置の一つなの。同じ世界に二匹として同じ種族は存在しない。普通のポケモンと違くて、わたしたちは世界に必要とされて生まれ落ちる。先代の幻種が死んだと同時にね? だからセレビィが二匹もいるのは色々と不都合が起きる。今回はわたしの役目を優先させてもらって、こっちに残ったの」
「そんな、簡単に消えてしまえるのか」
「うーん……わたしたちは本来、あくまで機構だから……意志も必要ないのよね。自己の消滅もあまり頓着しないの。わたしは結構気にする派だけど……そこら辺の感覚は”忠誠度”次第かしら? どれだけ原初の規律に従い、調停者として自我を捨てるか? みたいな」
「そんなものか……まあ、入れ替わった、ってことか」
とんでもない話だ。今まで数々の幻のポケモンに出会ってきたが、そのような価値観は聞いたこともない。
だがなんとなく状況は把握した。
少し前から噂として流れていた「ピンクのセレビィ」。
この森にセレビィがいるのは知っていたが、かつては紛れもなく緑色だった。
まさかと思い来てみたら、まさに知り合いの彼女だったというわけだ。
「それで……プリンには会ったのか?」
「あー、あの子? 実際に会ってはいないの、引き継いだ記憶だけね。ただ少し前に連絡があって……小さい子たちが訪ねるから助けてあげてほしいって。前のセレビィがお世話になってたみたいだし、力になってあげたかったんだけど……」
セレビィは力なく首を振った。
先程のリアルとの会話の中で、プリンからの知らせがあったと言っていた。プリンがどこまで把握していたかを知りたかったが、この件については知らないということだろう。
そもそもプリンには”この”セレビィとの直接的な繋がりはなかった。関わったのはあくまでリアルの過去を探るための助言だけ、らしい。
そしてセレビィが申し訳なさそうな顔をしているのはリアルの件だ。
確かに何故かリアルの過去を確かめることはできなかった。
「そこだ。何故リアルの過去は辿れなかった?」
「……分からないの。あんなことはわたしも初めて。過去に行くんじゃなくて、ただ投影するだけなら難しくないの。でもあの子の過去は──まるで、あの空の彼方で行き止まりになってるみたいだった。その先にはどうやってもいけない。見えない壁に邪魔されて、まるで意図的に塞がれているような──」
「意図的……か」
「だからわたしは一つの提案として、ユクシーを勧めたの。権能の一つである記憶の消去──もしかしたらそれが原因かもしれない。それに、この世界のユクシーは……どうにも”きな臭い”、から」
リアルたちに見えない木の陰で、シュンもまた彼の過去を目撃していた。
空から落ちてきたピカチュウ。それより前の記憶は存在せず、過去も見ることは不可能だった。
自分では少し、仮説を立ててはいたのだが……それは的外れに終わったらしい。
だが結局は分からない、に落ち着いた。
彼の過去を追うこと。それは何故かあまりに重要なことに思えるのだが──
「ただ、一つ聞きたいんだけど、いいかな?」
「ん?」
「あの子────幻種じゃ、ないよね?」
「何……?」
「あのピカチュウ、どうも幻種の匂いが強すぎる。はっきり言って異常だわ。何か、心当たりはない?」
「────!」
そのあまりに衝撃的な言葉に、シュンは脳に雷でも落ちたようなショックを受けた。
心当たりがあるわけではない。
だがあの少年に気をかけてしまう理由。
不思議な出自。
そしてセレビィの、彼が特別であるような裏付け────
「わから、ない。だけどもし、他に気づいたことがあったらまた教えてほしい」
「うん、分かった。でもあまり焦らなくてもいいんじゃない? わたしたちが体験した滅びは、この世界で言えば百年以上先のことなんだから……わたしは解決するまでここにいるし」
「いや……多分、時間はない」
「え……どうして?」
断言したシュンにセレビィが不安げな顔を向けた。
「勘と、不穏な託宣が出てる。意味は分からないが、託宣が出ることが異常事態だ。何せ予言に類するものだからな。何かが起きる……きっともうすぐ」
「……そうなのね……でも、わたしはどちらにしろこの森にいるよ。体力の回復と、権能の回復を待たなくちゃいけない。感覚だけど……この世界の原初の規律は、少しあっちと雰囲気が違う。もしかしたら……世界線を飛んだ私には『権限』がないのかも。だとしたら、馴染むまではきっと時渡りは使えない」
不安そうな表情、だがどこか分かっていたような覚悟の色を見せるセレビィに、シュンはゆっくりと頷いた。
何かが起きること。それはもう、ずっと分かっていた。
世界を駆け巡り、何かが起きる前に止めたいと願っていた。
そしてここに来て、確定的な滅びの話を聞いた。
こちらの世界には来ないかもしれない。でも、恐らく無関係ではないはずだ。
そしてもう一つ、道中遭遇したターゲットの情報。
それも一刻も早く持ち帰らなくてはならない。
「……情報、ありがとう。それで……君に会えて、嬉しかった」
「うん。わたしも! あ、そうだ、シュンも少しは今までの話教えてよ! わたしもキミとはお別れしたつもりだった。でも生きてた。もうあれから十年近く経ってるんでしょ? 世界に名を轟かせる英雄さんは、どんな探検してきたの?」
そう聞かれた瞬間、シュンはピタッと動きを止めた。
空気が凍てつく。敵意ではない。
それは、あまりに辛い表情で。
セレビィはその固まった顔を見て、一瞬にして悲しそうな顔をした。
「……俺はもう、探検隊じゃない。英雄でもない。今の俺には……とても……」
「シュン……」
「……ごめん。もう行くよ。……滅びは必ず止める。それが俺の役目だ。……またね」
そう言い残して、シュンは黒い外套を被り、ワープゲートに足を踏み入れた。
彼は振り返ることなく、包まれる光と共に消えていった。
セレビィは、そんな彼を無言で見送った。
その目は悲壮に暮れ、そして天を仰ぐ。
かつてのあの少年は、あのような表情をする子ではなかった。
暗黒の未来でさえ希望を失わず、パートナーと共に楽しげに生き抜いていた。
どこか落ち着いていて、冷静沈着に立ち振る舞うのは良い。
だが彼はずっと、あの頃にはない「闇」を抱えている気がする。
(永い年月は、簡単に「自分」を変えてしまう。じゃあ、一体あの子の過去には何があったというの──?)
違う世界を生き抜いてきたセレビィには、知る由もないことだった。
かつて世界の滅びを止めた英雄は、希望を得た暗黒の未来より確実な滅びを知る。
幻種は「____」を示し、世界は破滅の道を進む。
それは、新たな冒険譚の始まり──