3-9 原初の記憶

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前話から半年が経っていました……申し訳ない。
今回は初の2万字超です。ついに、セレビィとの出会いが──

主要登場キャラ
・リアル(ピカチュウ)
・ヨゾラ(ツタージャ)
・デリート(イーブイ)
 灰色の森。難易度Bのダンジョン。内部は周辺の気候に関係なく一年を通して濃い霧に覆われていて、その霧に紛れて頑強な敵が現れるという。森自体は他のダンジョンに比べて小さいため難易度が低く設定されているが、その不明瞭な視界と連携の取りづらさを加味すれば数値以上の難度と言える。
 とはいえプロの探検家にしてみれば世界に数多くあるダンジョンの一つであり、特段意識されるような場所ではないただの森である。しかしごく少数の探検隊や、そこに赴いたことのあるポケモンたちの噂では──曰く、主が住むという。
 ダンジョンの奥地に住む「主」、つまりボスの存在は珍しいものではない。だがプリンによると、灰色の森の主こそがセレビィであるというのだ。
 "時渡り"を駆使して、時間を自由に旅することの出来る幻のポケモン。リアルたちはそのポケモンに出会うためにこの森にやってきていた。

 確かに奥へと進むうち、何か神秘的な雰囲気を感じないこともなかった。どことなく最深部へと向かっている感覚だ。むしろ視界の悪い森の中でその方向感覚だけを頼りにしているとも言えた。
 だがリアルたちにとって気になるのはもっと別のことだったのだ。

「また……霧が濃く!」

「はぁ、はぁ……これじゃあ、キリが無いよ!」

「こんな時にダジャレか! ヨゾラ!」

「ちがーうっ!」

 唐突に濃度を増す霧。それは近くに敵が迫っている兆候だった。疲れた体にムチを打ってフォーメーションを組みなおすリアルたち。険しい顔で各々の方向を警戒する三匹の前に、ほどなくして敵が現れる。今回は──二匹。それを見てデリートが手にしていたきのみをバッグに戻す。つまり、彼女も前線で戦う必要があるということだった。

「行けるか」

「な、なんとか……」

 三匹の中で一番息の上がっているヨゾラに声をかけるリアル。苦しそうになんとか息を整えようとする彼の顔を見て、デリートも辛そうに顔をしかめた。酷なことではある、しかし敵の襲来を切り抜けるには三匹の力が必要だった。
 ヨゾラがゆっくりと長い息を吐き、構えなおした途端に敵が牙を剥いた。その二匹は本来ダンジョンの敵にあるまじき連携を見せ、同時に向かってくる──


          *


 実際、懸念は現実のものとなってしまった。
 三匹がかりでスムーズに倒すことのできたガバイトだが、それはボスなどではなくこのダンジョンの標準的な雑魚敵だったのだ。つまり、ひっきりなしに同レベルの敵が襲ってくる。
 既に灰色の森に潜ってから二時間ほどが経っただろうか。

 リアルたちは敵に背を向けて必死に逃げ出していた。

「無理無理無理無理!!」

 叫び声をあげながら先頭を走るのはリアルだ。そしてその後ろにデリート、少し距離を置いてヨゾラが走っている。ヨゾラが最後尾なのは足の遅さではなくスタミナの無さ故だった。うすうす分かってはいたが、ヨゾラはどうやらあまり体力のあるほうではないらしい。技が使えず身体能力が高いリアルとはちょうど真逆である。ツタや葉っぱカッターの精度はピカイチなものの、今のように逃げに徹する時にはその疲れやすさが目立ってしまう。フラフラな状態で前のめりになって足を動かす彼は、いまにも転んでしまいそうだ。
 その後ろには敵──ガバイトと、ムウマージが追いかけてきている。
 走りながらも振り返り、その有様を見たリアルは口をきつく結んで己の失敗を恨む。
 ヨゾラが飛びぬけて疲れているとはいえ、目の前のデリートも、そしてリアル自身も疲労が溜まっている事には変わりない。この逃走も、連戦の疲れによってフォーメーションが崩れてしまったことに起因する。

「デリート、ヨゾラにオレンのみを!」

「もう使い果たしちゃったよ!」

「じゃ、じゃあふしぎ玉は!?」

「品切れーっ!! 後はあなぬけの玉だけ!」

 幾度となく襲い掛かる敵たち。彼らは時に二体以上で現れる。そんな相手についには回復も尽き、攻撃を防ぎきれずについには撤退せざるを得なくなった。一体を三匹で迎え撃っていたリアルたちにとっては、立ち向かうのはあまりに力不足だったのだ。
 そしてそれに加えて気になることが──不審なことがあった。
 
 霧の中をひた走るリアルの視界の先に、一瞬ポケモンのしっぽが映る。霧の奥に誰かがいる。もちろん、敵だろう。

「右に曲がるぞ!」

「了解!」

 後ろの仲間たちに声を掛けて、勢いを緩めぬまま方向転換する。しばらくしてから振り向いて──大丈夫だ、ちゃんと着いてきている。主に今にも死にそうな顔のヨゾラを確認してホッとする。
 だが状況は変わらない。むしろ悪化している。

「ねえリアル……」

「……だよな、わかってる」

 デリートの不安そうな声にリアルは頷き、頭に浮かんだ疑念が確信になる。彼女も同じ考えらしい。曲がってすぐ、進行方向を見据えた先。一瞬だがまた敵影だ。──まるで、待ち伏せされているかのように。
 
「やっぱり、囲まれてる……!」

「いや、囲まれつつある、だ! 左に曲がる!」

 そう叫んで、会敵する前に脇道にそれる。もう奥を目指すどころではない。
 ずっと気になっていたこと。それは、どうやらこの森の敵は皆「理性」があるということだ。
 本来ダンジョンの敵は凶暴化している。そもそもダンジョンに囚われているポケモンは理性を失っているのだ。それが「迷宮(ダンジョン)」の通例。多少の思考能力はあれど、常に理性よりも本能的な攻撃行動が優先される。故に会話を試みても意味がなく、そしてダンジョンの敵同士で協力するということもない。そのはずなのだが。

(どうも敵が賢すぎる……!)

 この森で最初にガバイトと戦った時から違和感はあった。確かな証拠こそなかったが、どうも奴には戦略があったように思える。ただごり押しで戦うだけではなく、時には引いて機を窺う。ダンジョンの敵の強みはその量、そしてそれぞれがそこまで強くないからこそ探検隊は攻略できるのだ。たくさんの敵が一体一体思考などされてみれば……難易度が跳ね上がるのは想像に難くない。
 そして現れる複数の敵たちは、異種であっても互いにアイコンタクトを取り、無言でも助け合って攻撃を受け流してきた。まさに理性を感じさせる動きだった。

「囲まれてるのに、こんなに霧が濃いと道もわからないよ……!」

 デリートの言葉に、リアルは最初の戦いを思い出す。
 リアルにはもう一つ気になることがある。それがこの霧だ。
 思い返せばいつも、敵は霧が濃くなると同時に現れた。デリートも呟いていた、まるで「意図的な」霧の出現。濃い霧に乗じて襲ってくる、という偶然の可能性もあるが……それにしては時間差もなくぴったり同時に現れた。

「まさか、誰かがこの霧を作り出しているってことか?」

「私も大体おんなじ意見だよ! でもどうしようもなくない? むしろ敵が来るタイミングが分かっていいかもね!」
 
 もちろん彼女も本当にいいことだとは思っていないだろう。これは皮肉だ。
 その濃い霧の中を走り続ける。戦うのは得策ではない。しかし複数の敵たちに包囲されかけているのを肌で感じていた。モンスターハウスほどの数ではない。だが一体一体が本当に理性があるのなら、やはり勝ち目はない。
 
 どうすればよかったのだろうか。戦いで傷ついた仲間たちを見ながらリアルは自分の力不足を恨む。
 そもそも長旅だった。いくら静寂の森でバトルがなかったからといえど、森に入る前にしっかり休息を取っておくべきではなかったのか。……いや、そもそも事前準備が足りなかったのかもしれない。図書館で資料を調べたり、先輩たちに聞き込みをしたりしてもっとダンジョンの情報を集め──いやまず実力が圧倒的に──

「リアルっ! 前!!」

「ッ──!?」

 唐突に飛んできたデリートの声にハッとして前を向く。そこにはもう目と鼻の先に敵が立っていた。慌てて咄嗟に方向転換して横道に飛び込んだ。幸いその先には敵の姿は見えない。体勢を立て直して走り続ける。

「なにぼうっとしてるの! まだ後悔するときじゃないでしょ!」

 キツめに叱られて反省する。自分の悪い癖だ。ネガティブに、しなくていい自己反省を始めてしまう。確かに今すべきことではなかった。全てはこのピンチを切り抜けてからだった。

「ごめん、ありがとう。……でも……」

 その瞬間、背後でドサッという音が聞こえて思わず振り返った。その光景に目を見張る。

「ヨゾラっ!」

 ヨゾラがついに躓いて派手に転んでいた。大きめの石に足を引っかけたらしい。ひとまず真後ろに敵の姿はない。デリートと共に急いで彼のもとに駆け寄った。ケガは……大したことはない。攻撃を受けきれずに残った技のダメージはあるものの、目立った外傷や、転んだ傷以外の出血もなかった。やはりポケモンの技によって血が出ることはないらしい。でもその疲れ切った表情は、彼の限界を示していた。

「……ごめんね……いつもこんなのばっかりで……」

「いつもって……あ」

 すぐに否定しようとして、見晴らし山での依頼が頭に思い浮かんだ。あれは罠を踏んでしまった故だが、あの時も一番ダメージを受けて倒れていたのはヨゾラだったような。訓練の時のランニングでもよくバテていたし。

「確かにいつもだな……」

「ちょっとリアル!」

「大丈夫だ、俺が抱える」

 デリートの窘める声を背中に受けつつ、ヨゾラの身体を持ち上げて肩に腕を回す。もうヨゾラは歩けそうにないからこれが最善だろう。正直まともに歩きづらいが、少し距離を稼ぐくらいはできるだろう。そう、少しくらいなら。

「でも……」

 デリートも分かっている。もうほとんど逃げ場はないほど追い込まれているのに、この進み方をしていてはいずれは追いつかれてしまうと。
 だが諦めたわけではない。まだ道はある。
 ほぼ完全に包囲されているのは気配でわかる。が、一斉に飛びかかってくる様子はない。舐められているのか、はたまた理性があるゆえに慎重になっているのかはわからないが。そしてその包囲にも穴がある。わずかに途切れている場所があるのだ。それはちょうど、微かな神秘を感じる方向。オーラと言ってもいい。つまり目指すべき方向であろう道がなぜか空いているのだ。

「そっちに進もう。……あなぬけの玉、あるよな?」

「っ……あるよ。ちゃんと持ってる」

 デリートの息を吞むような音がした。あなぬけの玉、つまり脱出のための道具を使うということは実質的にリタイアと変わらない。最終手段だ。でもその時がきたら使わざるを得ない。

「行こう。もう少しだ」

 もう限界はすぐそこだった。少しでも休息が取れれば立て直せるかもしれないが、さすがにそれほどの隙はくれないだろう。ならば進むしかない。こちらが最深部までたどり着くか。それとも先に力尽きるか。
 
(セレビィに……会わなきゃ……ここまでついてきてくれたヨゾラとデリートのためにも)

 そう強く決心して、リアルはヨゾラの肩を持ちながら歩きだした。




 
 もう敵はすぐ後ろに迫ってきていた。
 背後から飛んでくるシャドーボールやりゅうのいぶきを必死に躱しながら走り続けた先。微かな感覚を頼りにたどり着いたのは、ひときわ開けた空間だった。

「……広いほうが戦いやすいけど……」

「行き止まり、か……」

 デリートと顔を見合わせ、覚悟を決める。
 その場にゆっくりとヨゾラを降ろし、振り返るとガーメイルやムウマージが同じ空間に入ってきていた。敵の数は5……6体。もちろん脇をすり抜けて逃げる、なんて芸当はできそうにない。

(戦うしかない、よな)

 今ここでリタイアすれば、装備を揃えなおすために一度ギルドまで戻る必要が出てくる。それだけではない、そもそも難易度が自分たちには高すぎるのだ。もう一度ここまで来れるかはわからない。だから極力今回でクリアしたいのだ。
 
 この大勢を前にして、まさか力を温存できるわけもあるまい。
 
 目を閉じ、深く息を吐いて自らの身体に意識を集中する。全身を循環するエネルギーを加速させる。それは確かな熱をもって駆け巡り、技として昇華され外界へ生み出されるのを待つ。
 だがこのエネルギーを抑えに抑えて、暴発するギリギリのラインまでしか発散しなかったのがさっきまでの技だ。それが本来リアルに許された最高の威力。
 だがリアルは敢えてエネルギーをそれ以上に解放する。体に負荷もかかるだろう。シュンに怒られるかもしれない。だが今は少しでも威力が欲しかった。
 周囲に電閃が飛ぶ。空気中が帯電しているようで、それが体を覆っていた。

「行くぞ、デリート」

「……うん」

 横を見なくても、彼女が不安げな顔をしているのが声色で分かった。誰が見ても無謀な戦い。
 ああ、そういえば前もそんなことがあったような。カッとなって、無謀にも強大な敵に戦いを挑んだことが。──その時は、どうなったんだっけ。

 じりじりと距離を詰める敵達。それぞれに持ち場があり、隙間が無いように確実にリアルたちを追い詰める。
 お互いの間合いに入るまで、とても長い時間が経ったような気がした。緊張、焦り、そして覚悟。
 そしてお互いの攻撃が当たるその距離に入った瞬間。敵が一斉に技を構え、デリートがスピードスターを発生させ、リアルが電撃を前方広範囲に放とうとしたその瞬間──


「リアルっ! デリートっ!」


 背後から必死な叫び声が聞こえた。
 二匹はエネルギーを溜めたまま、咄嗟に振り向いて──目の前に、二本のツタが伸びていた。
 それを辿った先には、広い空間の一番奥の、一際大きな巨木の下に寄りかかっている、ヨゾラが居た。
 彼は、フラフラな状態で体を動かし、最奥の木の下まで這って行ったらしい。弱々しく、しかしツタを長く伸ばしていた。
 何のために? だが驚くべきことはもう一つあった。そのヨゾラが寄りかかった巨木が、淡く光り輝いていた。ヨゾラはそれに触れながら、こちらにツタを──手を差し伸べている。

 すぐ近くで一斉に技が、凶暴なエネルギーが発射されたのを感じた。
 
 ヨゾラの行動の理由は分からない、でも。
 リアルとデリートは、迷わずその手を取った。

 その瞬間、世界がぼやけて回転する。

(ああ──この感覚、見晴らし山でもあったなあ)

 そう思ったのを最後に、意識は光に包まれた。


          *


 その感覚はちょうど、以前ワープのわなを踏んでしまった時と似ていた。ぼんやりとした意識で、自分たちがどこかに誘われているのを感じる。
 水の中を誰かに引っ張られるようにして泳ぐ。……そういえば、今まで水の中に潜ったことなんてあったっけ。そんなことを思いながら、されるがままに運ばれていく。
 そして夢から目覚めるように気が付くと、そこは暗い洞窟のような場所だった。

「あ……れ……」

 周りを見渡すと、ヨゾラとデリートたちが同じタイミングで目を覚ましたところだった。そこで合点がいく。そういえばワープのわなも一緒に触れていた相手と共に転移させられていた。今回は恐らくヨゾラが触れていたあの大樹がワープのキーだったのだろう。それに触れながら手──もといツタをヨゾラが伸ばし、それに掴まったことで三匹まとめてここまで飛ばされた、というとこだろうか。
 
「……はっ、ヨゾラ、大丈夫?」

「うん……ここは……あれ? 疲れてない……それどころか、傷もなくなってる!」

 自身の身体を見回して、ヨゾラが驚きの声を上げた。確かにいつの間にか体に蓄積されていた倦怠感は取り払われ、身体の目に見える外傷も無くなっている。いつのまにか回復していたのか?

「……なんだ、ここ」

「わかんない……僕はただ、急に大きな木が光りだすのが見えて、触らなきゃって──」

「よく分からないものに触りに行ったのね……」

「で、でも!  危険そうな感じじゃなかったし!」

 デリートのもっともな指摘に、必死の弁解をするヨゾラ。確かに不注意とも言えるが、あの戦いを避けられたというだけで今回はお手柄だろう。

「ありがとう……おかげで助かった。勝てるような相手じゃなかったし」

「そうね……うん、ありがと、ヨゾラ。それで……ほんとにどこなのかな、ここ」

 お互いの無事を確認して、改めて辺りの状況を把握する。
 先程よりも薄暗い洞窟。そして何より、霧がない。
 あれだけリアルたちを苦しめた霧が綺麗さっぱり消え去っていたのだ。
 
 とりあえず散開して、この場所について調べることにした。

「霧が晴れて……そして目の前には薄暗い洞窟の道が続いてる……と」

「待って!」

 突然、壁に向かって何かを調べていたデリートが声を上げた。

「これ……洞窟の壁……岩とかじゃなくて、木の幹だよ!」

「えっ!?」

 確かによく目を凝らしてみると、ごつごつした岩肌だと思っていた壁や天井は、隙間なく編まれた太い木で出来ているのが分かった。まるで誰かが意図的に作ったとしか思えない複雑さ、そして緻密さだ。いや、むしろこれを誰かが作れるとも思えないのだが……
 
「不思議なところだね……全部生きた木の幹で出来てる洞窟なんて、見たことないよ」

 そう感嘆の声を漏らすヨゾラ。それはリアルとデリートも同じだった。こんなところ、見たことも来たこともない。
 霧はなく、空気は少しひんやりとしているが過ごしやすい。敵の気配もなく、さっきの森とは大違いだ。ただ似ているのは、あの不思議なオーラがもうすぐそこにあるということ。

「てことはやっぱり……ここは灰色の森じゃないってことか?」

 そうリアルが呟いた時だった。

「ここは間違いなく灰色の森よ! 隠されたわたしの部屋だけどね」

「!?」
 
 突如声を掛けられ、リアルたちはその方向を一斉に振り返った。そしてその声の主の姿を見て硬直する。
 そのポケモンは、続いていた洞窟の道の先にいた。
 ホバリングして、こちらを見据える小さなポケモン。
 リアルたちにとっては初対面のポケモンだった。しかし、ここに来る前に何度も資料で見たことがある。小さな手足に、透き通った羽。そして神秘的なオーラを感じさせる。色は調べていた緑色ではなく、柔らかなピンク色だが──間違いない。
 
 彼、いや彼女こそが。時を旅する幻のポケモン。


「セレビィ……!!」

「そうよ。わたしがセレビィ。あなたたち、わたしに会いに来たのよね? プリンちゃんからちょっとだけ話は聞いてるの。ついてきて!」

 彼女はそう言って微笑んだ。
 
 ついに、リアルたちは幻種のポケモンと遭遇した。


          *


「あの子から、わたしを訪ねたいポケモンがいるって話は聞いてたんだけど……誰がくるとかーそういう詳しい話は知らなかったの。それが、こーんなに小さい子たちだなんて!」

 ついに出会えた幻のポケモン……セレビィに連れられ、リアルたちは薄暗い道を進んでいた。正直幻のポケモンはもっと気難しく、うやうやしい態度を取らなければいけないのかとも思ってたが……。

「意外とフレンドリーなんだ……」

「えーわたし? うーん、むしろわたしが珍しいんじゃないかな。他の幻種の子たちはもっと怒りっぽかったり、気難しかったりするよ?」

「へー……」

 フランクに接してくれるのはセレビィがたまたま優しいだけなのか。それはとても幸いだった。
 だがそんな優しげな少女に対して、まったく言葉を発さないポケモンが二匹。

「おい、ヨゾラ、デリート。どうしたそんなに固まっちゃって……」

 振り返ると一緒についてきている二匹が、緊張で完全にカチコチになっていた。あのデリートまでもが、歩き方が変になってぎこちなくなっている。
 
「だ……だってあの幻のポケモンだよ……こ、こんなの緊張するに決まってるじゃない!」

 小声でそう喚いているデリート。その額には冷や汗がにじんでいる。そしてヨゾラと言えば、

「ピ……ピピ、ピンク……」

 ──もはや片言だった。しかしセレビィはそんな言葉足らずな質問にも丁寧に拾ってくれる。

「あ、この色? これは突然変異みたいなものだから……キミと一緒だよ」

「い、一緒っ!」

 噛み噛みでオウム返しをするヨゾラは、さながら好きな子に話しかけられてテンパる少年のようだった。まあ今回は相手が幻のポケモンだからだろうが……。でもそんなに緊張するものだろうか。確かにセレビィから発せられるオーラには神々しいものがあるが……やはり自分は幻のポケモンに対する憧れや崇拝を知らないからなのか。

「突然変異……?」

「デリート?」

 突然何か考え込むデリート。歩みは止めぬまま、セレビィが振り返る。

「あ、あの……セレビィさん」

「なあに?」

「幻のポケモンって、世界に一匹ずつしかいないんですよね?」

「あー……うん、大体はそうじゃないかしら」

「でも資料に描かれてたセレビィさんは緑色でした。なのにあなたは……」

「……その質問はよくわかるわ」

 デリートは至極真面目な表情でセレビィと向かい合っている。
 色違い、というのは稀にあることだという。親や環境は関係なく、生まれつき本来の種族の体色とは異なってしまうことがある。ヨゾラもその色違いで、最初こそ驚いてしまうものの、慣れてしまえばむしろチャームポイントにすらなる。
 だが、確かに幻のポケモンの色違い、というのは聞いたことがなかった。

 つまり、本来セレビィは緑色とされていて、そのセレビィは世界に一匹しかいないなら、色違いが存在するのはおかしいのではないか、ということだろう。

「……でも、それを詳しく知るには、あなたたちじゃちょっと早すぎる……かな?」

「早すぎる……って」

 明らかに不本意そうな顔をするデリートに、セレビィが優しく微笑む。

「ごめんなさい。でも、私がセレビィなのは本当だし、本来のセレビィが緑色なのも本当。でも、この世界にセレビィは現在私しかいないのも本当なの。……あっ、というかそもそも、一匹だけじゃない幻種もいるのよ? セレビィは一匹だけの幻種だけど……」

「?????」

 全く分からない。頭にはてなマークが浮かんでいるのは三匹とも一緒だった。だがセレビィはそれ以上情報をくれるわけではないらしく、後ろを向いてまた進んでいってしまう。
 そんな彼女に、デリートも諦めてついていく他なかった。


「そういえばあなたたち、ずいぶんボロボロだったね? 大変だったでしょう」

「ええ、まあ……あ、でも今は何故かもう元気になってて……」

「それはね、この部屋の効果なの。わたしが作ったんだけど、ここにいるポケモンを勝手に回復してくれるの! もちろん、回復しないようにすることもできるけどね?」

「そうだったんだ……それは、ありがとう」

「うふふ、どういたしまして!」

 セレビィはくすくすと笑って、くるんと空中で一回転した。周囲に美しいきらめきが舞って、幻想的な光景だ。と、ヨゾラがいつの間にかすぐ後ろまで近づいてきていた。こわばった表情、でも彼女とどうしても話してみたいらしい。

「あ、あの。なんだか灰色の森の敵たちはすっごい強くて……」

「んー? あっ、そうそう。わたし、あなたたちが来るって聞いてダンジョンの子たちに誘導させたんだけど──」

「──えっ!?」

 今、何と言った? ……誘導? ダンジョンの敵を……!?
 
「といっても攻撃するのは止められないから……囲い込む感じで奥まで誘導したんだけど、やっぱり強すぎちゃったかしら」

「ちょちょ、ちょっと待って! じゃあ、あのポケモンたちはセレビィの仲間……?」

 もしそうだとしたらとんでもないことをしてしまったことになる。後半こそやられっぱなしだったが、既に何体かは倒してしまっている。しかし倒した後は通常のダンジョンの敵と同じように光になって消滅していたから、殺してしまったなんてことはないと思うが……。でも確かに理性的だった説明はつく。もしかして、普通のポケモンを殴り倒してしまったのか……。

 しかし、セレビィはそれを否定した。

「わたしの仲間……というよりは、ボディーガードかなあ。あの子たちがダンジョンから出られないから、それをちょっと利用させてもらってるの。本当は解放してあげたいんだけど……さすがにわたしでもちょっと正気をもどしてあげるので精一杯。結果的にこの部屋に悪い奴が近づかないように守ってもらってるってこと。だから、倒しちゃっても大丈夫だよ!」

「そ、そうなんだ……」

 最悪の想定は回避したらしく、ホッと胸をなでおろす。
 リアルとしてはダンジョンの敵を倒すのも少し考えてしまうところもあるのだが、ヨゾラたちはそうでもないらしいし。もともと共通認識として”そういうもの”なのだろう。
 確かに考えてみれば、立ち入った者に見境なく襲い掛かる敵たちは、その奥に住処を構えるものにとっては警備として都合が良さそうではある。

 と、しばらく薄暗い道を歩いていた一行だが、ついに目的地にたどり着く。リアルたちの前に光が見えたのだ。
 長く細い道を抜けると、それは大きな部屋で──

「はい、着いたよ。ここがわたしがいつも住んでる部屋!」

 それはまさに、幻想的としか言い表せない光景だった。

「すげえ……!」

「うわあ……」

「綺麗……!」

 三者が口々に感嘆の声を漏らす。
 先程とは比べ物にならないほどの広い大部屋。中央奥には巨大な石段がさながら祭壇のように積みあがっている。これも隙間なく精密に積まれていて、その頂上では、木々の隙間から陽の光が差していた。その光は部屋中を照らし、張り巡らされた植物を照らし、生き生きとした輝きを感じさせている。
 いや、時刻的に本当の陽の光ではないのかもしれない。ただその明かりは暖かく、心を優しく鎮めてくれそうだった。

「さ、入って入って」

 そう促されるままに、大部屋に足を踏み入れる。心なしか空気もおいしく感じられる。
 ……と、三匹が部屋に入ったところでセレビィが首を傾げた。

「──あら? あなたたち、今日は何匹で来たの?」

「え……この三匹だけど」

 意図の掴めぬ彼女の質問に、リアルが正直に答えると、

「──そう。そういうことなのね。……うん、だいじょうぶ。わかったわ」

「?」

 質問の意味を問い返そうとしたが、その前にセレビィはスイーっと部屋の中央へ飛んで行ってしまった。そしてそこからリアルたちを呼んでいる。
 随分柔らかい物腰で対応してくれる彼女だが、どことなくマイペースで、意図的に一部の質問が無視されているような感覚がある。

(初めて会うタイプだ……)

 戸惑いつつも呼ばれたとおりに中央まで歩み出るリアルたち。よくみると床は巨大ですべすべな岩でできていた。ひんやりとした温度が心地よい。常に飛んでいるセレビィはわからないかもしれないが……。
 そしてセレビィは三匹を横に並ばせると、くるっとその場で回ってからリアルたちに向き直った。
 表情は柔らかいまま。しかし瞳がこちらをしっかりと見据えていた。
 
 ──雰囲気が変わった。

「さて──本題に入りましょ? ……あなたたちは、今日何の目的でここに来たの? 幻種たるわたしに──何を望むの」

「──ッ」

 一瞬にして張り詰める空気。今、確かに重要な質問が投げられている。
 彼女の瞳は見定めるようにこちらを見つめ続けている。ただそれだけなのに、身体が強張ってしまう。これは恐怖ではない。圧倒的な力を前にした、おそれ、うやまう畏怖。
 きっと軽い態度をとっても彼女は協力してくれるだろう。だがその視線は、決して言葉を間違えてはいけないと思わせる。
 ようやくリアルは実感した。自分は今、幻のポケモンの前にいる──

「それは──っ」

「大丈夫、デリート。俺が言う」

 真っ先に答えようとしてくれたデリートを片手でとどめる。ありがたい、でもこの質問には自分が答えなくてはいけない。これは自分のための旅でもあるのだから。
 自分勝手な願いかも知れない。だが目的は違えない。深く息を吸い込んで言い放った。

「過去に行きたい。行って、失った自分の過去を知りたい」

 言葉が震えないように、足で地面をしっかりと踏みしめて言い放った。
 ついにここまできてしまった、という後悔にも似た虚脱感。そして、ついに過去を知ることができるという高揚感が、リアルの身体を包んでいた。

 そんなリアルを、桃色のセレビィはしっかりと見つめていた。

 長い、長い時間が経った気がした。
 ついに、彼女が口を開く。無意識にリアルたちは身構えて──


「あー……その……ごめんなさい。わたし……今、過去に行けないの……えへへ……」


「────は?」


 素っ頓狂な声が、三匹同時にハモった。


          *


「ほんとうにごめんなさいっ!! 実は訳あって今"ときのかいろう"が使えなくて……時を移動することができないの……」

「そんなあ……」

「ごめんなさい……プリンちゃんの紹介だから精一杯協力したかったんだけど……っ」

 申し訳なさそうに、しきりに頭を下げるセレビィ。本気で謝っている少女に対して責め立てるのは忍びない。だがわざわざここまで来て目的が果たせないとなるとがっくり度も半端ではない。

「それ……何とかならないんですか……?」

 せめてもの抵抗を見せるデリートに、セレビィは力なくふるふると頭を横に振った。
 仕方ない。ダメなものはダメなのだろう。リアルでも頭では諦めがついていた。だが心がその落胆を隠せない。そんな気持ちがリアルたちの顔にしっかりと出ていたようで、ますますセレビィは申し訳なさそうになる。

「ごめんなさい……過去を見せるくらいならできるんだけど……過去に行くのは今は無理なの……」

「えっ、なんて?」

 ──今何と言った? ……てかさっきから驚いてばっかりなんだけど!

「え……過去を見せるくらいならできる……わ」

「──それで十分だよっ!! はああああ……よかった!! よかったねリアル!!」

 真っ先に叫んだのはヨゾラだった。その喜びを全身で爆発させリアルに飛びついてくる。リアルはそれを受け流しながら──ホッとしていた。

「まったくだよ……心臓に悪い!!」

「もう……セレビィさんったら!」

 デリートに至っては口調がなんかおかしい。今リアルたちは完全に無駄な一喜一憂をしたらしい。
 過去に行けなくたっていい、最初から求めているのは見ることだけなのだから。
 本当に安心した。危うく最大の目的が、手掛かりが失われるところだった。

「え? え? ほんとにいいの? 見せるだけで?」

 唯一状況が理解できてないセレビィ。そんな彼女にリアルたちは元気に頷いた。呆気にとられているセレビィだが、しばらくして、

「じゃ、じゃあわたしも役に立てるわ! 良かった!」

 ホッとした様子で笑い出した。


          *


「──それで、どの子の過去を見たいの?」

「あ、俺で」

 手を上げて前に一歩進み出る。
 リアルたちは今、積み重ねられた石段の上──祭壇の上に立っていた。
 本来はときのかいろう、過去や未来に行くための門らしいそれを開く場所なんだそうだ。

「わかったわ。じゃあ、キミのどれくらい前の過去が見たいの?」

「ええっと……」

 しばし考えてみる。ギルドに入団してそろそろ一か月になる。ということは大雑把に見積もって、空から落ちてきたのが二か月前。だからその前後から探ってみるのがいいだろう。その旨を伝えるとセレビィは快く了承してくれた。

「じゃあ、はじめましょ」

 そう言ってリアルから距離を取る。そして彼女は空中でホバリングしたままリアルに向かって手をかざした。

「いまからこの祭壇の頂上に、過去の景色を投影するよ!」

 ──え?
 祭壇に投影する、と言い放った彼女に、リアルはただならぬ不安を感じて咄嗟に声を上げた。

「ちょっと待って! え、ここに映すってこと?」

「そうなるわ」

「それって……」

 思わずリアルは振り向いた。そこにいるのは、これまでリアルたちを支えてくれた仲間たち、ヨゾラとデリートだ。ここに映すということは、二匹にも過去を見せることになる。

(それは……いいのか?)

 自分はこれから見る過去に何が待っているか知らない。だから、眼を背けたくなるような光景があるのかもしれないのだ。自分が過去にしてきたこと、それがもし、許されないようなことだったら?
 
 ──ずっと、気が付いてはいた。セレビィに会えば過去に行けると知った時から、まとわりついた不安。
 準備をして、出発して、ダンジョンを抜けて。目的地に近づくほど増した不安の正体を。

 自分は、自分の過去に全幅の信頼を置けるほど、今の自分を信じていないのだ。
 もしかしたら自分の過去は良いものではないのかもしれない。静寂の森でのヨゾラの言葉でもその考えは主張を増した。血が日常な過去だとしたら。果たして自分が誰かの血を流していないと誰が保証できようか。
 ……もし、受け入れられないほどひどい過去なら、自分は知らないほうがいい。そして、ヨゾラとデリートにも知られたくはなかった。
 ……嫌われたくは、ない。

 それはもう、今までの旅を否定することで、自分の過去を追うという大前提がひっくり返れば、今後の目的もなくなってしまう。
 そんなことはただの逃げと分かっている。
 だが、自分の過去を知る者は誰もいないのだ。誰が自分の過去を保証できようか。

「俺……は……」

「リアル……」

 親友たちと、目が合った。
 二匹ともリアルの不安を感じとったのか、心配そうな表情を浮かべている。

「リアル……僕達、下がってようか?」

「見るのは……リアルだけでもいいよ。伝えられるところだけ、後で私たちに言ってくれればいいから……」

 リアルの不安を理解して、最大限配慮してくれようとする仲間たち。彼らの目を見て──ハッとした。
 
 ──そうだ。自分は、一匹だけでここにいるのではなかったのだ。
 もう、とっくに分かっていたじゃないか。
 空から落ちてきてから、本当なら自分だけの力で生きていかなくてはいけなかったはずなのに。目が覚めたら、師匠に拾われていた。
 そこから、ギルドに入って、色んな仲間たちや先輩に出会って。常に、近くには誰かがいた。本当なら、一匹だったのだ。
 でも、幸運にも仲間がいる。そして今も。
 同じ目標を目ざして、そして過去を追うという自分勝手な願いに協力してくれる親友が。

 嫌われたくはない。過去が良いものだという保証もない。でも……彼らに嫌われる、と考えてしまうことも、裏切りなのではないか?

 あの月明かりの下、デリートと交わした約束を覚えている。自分が一匹で悩んでいるときも、彼らはずっと心配してくれた。そして約束したのだ。次は悩み事を相談すると。
 
 自分は、彼らを信頼すべきだ。

「なぁ、ヨゾラ……俺の過去がどんな物でも、受け止めてくれるか?」

「……うん! もちろんだよ!」

「デリート……俺が過去に何をしていても……友達でいてくれるか?」

「……私が一緒にいるのは現在(いま)のリアルだよ。現在のリアルが前を向く限り、私たちは一緒だよ」


 心は決まった。
 最初から、こうすればいいだけの話だった。

「セレビィ……よろしく頼む」

  
 セレビィが頷く。
 そして次の瞬間、祭壇の陽光が翳り、夜の帳が落ちた。それと同時に、リアルたちが立つ石段が淡く輝き始める。その光は、あの大樹の煌めきと同じだった。

 真っ暗闇に、セレビィの声が玲瓏に響く。

「──我は、原初の規律の旅客なり──」

 
 投影が、始まる。


          *


 気づけば、リアルたちは"景色"の中に立っていた。
 前方、左右の壁。そして天井と床に、景色が映し出されていたのだ。しかしそれはまるで本当に過去に没入しているようで、辺りの本当の風景──つまり、祭壇や部屋の様子は漆黒に包まれて見えなかった。ここがどこだか忘れてしまいそうになる。

 そして今、リアルたちはギルドの中にいた。

「ここは……廊下だ」 

「夜……みたいね」

 天井のガラス張りの窓からは、月明かりが漏れている。とても静かな夜だ。
 そんな中、誰かが廊下を歩いていた。
 音がする方向を振り返ると、そこには──

「……リアルだ」

 そう呟いたのはヨゾラだ。
 確かにそこにやってきたのはピカチュウ……つまり自分だ。

「これって、俺の視点じゃないんだな」

「わたしの権能はそもそも過去に行くものだから……視点だけを過去に飛ばしてると、そう思った方が分かりやすいわ」

 なるほど……確かに自分の視点では少し分かりづらいかもしれないし、そちらの方がいいだろう。
 廊下から一匹で歩いてくるピカチュウ。彼の顔は随分と浮かない表情だった。立ち止まって空を眺めている。

「随分と、しょぼくれてるねえ」

「何だしょぼくれてるって!」

 くすくすと笑ったのはデリート。ちなみにお互いの顔は見えているが、距離感までもが曖昧だ。とことん過去に集中できる仕組みらしい。

 それにしても、リアルにとってこの光景は見覚えがあった。当たり前といえば当たり前だが。
 これはギルドに入る前、ギルドや街を案内してもらう前日の夜だ。この後師匠が現れ、明日は休みにしてギルドの探索をしようと勧めてくれる。
 まあ、結果として翌日は師匠の予定が合わず、代わりにソワが案内してくれることになったのだが。ちなみにソワには街を詳しく案内してもらったが、ギルド自体は結局ロビーしか見させてもらっていない。

 そして、しばらくして後ろからもう一匹のポケモンがやってきた。師匠だった。
 ……と、こうしちゃいられない。見るべき過去はもっと前だ。

「セレビィ、もっと前に行こう」

「わかったわ」

 そういうと途端に不満そうな顔をするヨゾラとデリート。これから師匠との会話が始まるところで、それを見てみたかったらしい。なんだなんだ、見せ物じゃないんだぞ!
 リアルが二匹に舌を出して抗議の意を示すと、同時にセレビィが手を高くあげた。
 
 世界が巻き戻る。

 そこからはダイジェストのようだった。
 モル先生との特別授業。難解な授業に苦しむリアルの表情を見て、仲間たちは「やっぱり」とばかりに頷いていた。また過去に飛ぶ。
 ベッドに寝かされているリアル。そこに入ってくる師匠とソワ。目覚めたころの出来事だろう。もう少し。
 森を駆ける師匠とそれを必死に追いかけるソワ。これは知らない景色だ。だが彼らが立ち止まったところで疑問が氷解する。そこには気を失って倒れるリアルがいた。これは拾われるときの景色。自身の記憶を辿るわけではないからこそ見える視点なのだろう。
 そしてこの光景は──

「セレビィ、もうすぐそこだ」

「……じゃあ、行くね?」

 この光景のすぐ直前は──最古の記憶。
 無意識に体に力が入る。
 もう、すぐ目の前にブラックボックスが待っている。誰も知らなかった、自身の過去が。
 近くの仲間たちも緊張しているのが感じられた。気持ちは、一緒だ。

 セレビィがまた手を天に向けてかざす。
 世界が一瞬の空白に包まれる。そして──

「わわわっ!!」

「きゃあああっ!!」

 リアルたちは、空を舞っていた。
 辺りはまさに蒼穹と言い表すにふさわしい澄み切った青空。360度見渡しても遮るもののない高度。
 ヨゾラとデリートが悲鳴を上げるのももっともだろう。セレビィのように羽のあるポケモンでもない限り、こんな高度に至ることはないはずだ。下を見れば、街が、森が、世界が広がっていた。
 この景色こそ、最も古い記憶。
 目が覚めた時、目の前にはこの景色があった。すぐに自分が落下しているのには気が付いたのに、そしてとても怖くて悲鳴を上げたのに── 何故か、この光景がとても美しく思えたのを覚えている。
 広い空も、眼下に広がる緑も、ポケモンたちの営みも、その全てが愛おしく思えた。

「やっと会えた」
 
 何故か、そう思ったのだ。
 この景色をもう一度体験するとは思わなかった。

「……あれ、落ちてない? 」

 どこかで聞いたようなセリフを呟いたのはデリートだ。そもそもリアルたちは今祭壇の上にいるというのは変わらない。だから一瞬落ちているように感じるのは錯覚なのだ。つまり今リアルたちは空中で静止しているような状態だ。今更気が付いたらしい。

「わたしたちはただ覗き見てるだけだから……でも、わたしでもこんな高さまで来たことはないわ。キミ、なんでこんなところに……というかどこに?」

「それは……あ、ほら、上に」

 セレビィの若干引いているような問いかけに、リアルは上を指した。この過去が、自分の記憶ではなく、その時刻の光景であるのなら。
 リアルが指さしたその方向から、声が降ってくる。それは聞いたことのある悲鳴。

「落ちてるううううううううッ!?」

「うわっ」

 空から猛スピードで落ちてきたのは、黄色い物体。もちろん、過去のリアルだ。
 ちょうど真上に落ちてきて、思わず咄嗟に避けてしまう。当たるはずがないのは分かっていたのだが。
 そんな過去のリアルを見てドン引き状態のヨゾラとデリート。……そりゃあまあ、めちゃくちゃびびった情けない悲鳴を上げてるが。何もそんな顔をしなくても……。なんだかもっと情けない気持ちになる。

 真下の森に悲鳴と共に消えていく過去のリアルを見送り、リアルは空を仰いだ。自分はあの真上から落ちてきたのだ。その先に、自身の過去はある。
 仲間たちと目が合い、頷く。そろそろ、自分の過去を確かめる時だ。

「ここがお目当ての過去なのね……じゃあ、始めるよっ!」

 途端、高度が上がっていく。
 時間が巻き戻っている。高く、高く上昇していく。
 
 ついに手が届く。自分の、真実(リアル)に。
 

 高く昇り、まるで宇宙にまで届きそうになり、リアルが目を瞑ったその瞬間  ──

 
 
 世界は、暗闇に閉ざされた。

 

 恐る恐る目を開けると、
 そこは、元の祭壇の上だった。


         *
 

「な、何が起きた!? セレビィ!」

「わ、わかんないの! 今確かに成功していたはずなのに……どうして!?」

 肝心なところで投影が終わってしまい、リアルは泡を食ってセレビィに詰め寄った。だが当の彼女も困惑していて、慌てたように目が泳いでいる。
 見えたのは空へ昇っていくところまで。その先にこそ知りたい過去があるのだ。しかしあったのは暗闇だけ。プッツリと映像は途切れてしまった。

「そんな……もう一回やってみようよ!」

 ヨゾラの提案に、セレビィは頷いて天に手をかざした。
 もう一度行われる投影。
 …………しかし結果は変わらない。
 何度繰り返しても、空から落ちる場面より過去に行けないのだ。あともう少し、そのギリギリで投影は終わってしまう。
 三回繰り返した後で、セレビィはフラフラと地面に落ちた。

「大丈夫!?」

「だめ……できないわ……」

 慌ててリアルたちが駆け寄ると、セレビィは浅い呼吸でぐったりとしていた。投影にはかなり体力を使うらしい。彼女の様子を見るに、これ以上のトライは無理そうに見えた。
 だが……ここで諦めるのは……。
 リアルは知らず知らずのうちに拳を強く握って、歯を食いしばっていた。

「……原因はわからないんですか」

 悔しそうな声でデリートが訊く。だがセレビィは力なく首を振る。

「ちゃんと成功はしてるはずなの。でもあれ以上戻ろうとすると勝手に投影が終わっちゃって……今までこんなことはなかったのに……まるでカギがかかっているみたい」

「……ダメか」

 リアルの口から、ぽろっと諦めの言葉が漏れた。無意識のうちに呟いた言葉。だがそれは自分自身を諭すようでもあった。
 その言葉で、ヨゾラとデリートも悔しそうに俯く。

 結局、セレビィの力でリアルの過去を知ることはできなかった。





「ごめんなさい……役に立てなくて」

「いや……分からなかったということが分かっただけで成果だから……協力してくれてありがとう」

 リアルが頭を下げるのに合わせて、ヨゾラとデリートもお辞儀する。
 
 リアルたちは、大きな石碑──ワープゲートの前に立っていた。
 見晴らし山の頂上にもあった、ダンジョンの奥地からその外へワープできるという石碑。セレビィの特別製だというその門は、リアルたちを静寂の山の外まで飛ばしてくれるという。正直もう一度あの山を通るのはあまりに大変だったのでありがたい。
 
 リアルたちにとって生まれて初めて出会った幻のポケモン、桃色のセレビィ。
 結果として最大の目的だった「過去を知る」ことは叶わなかったが、そもそもこの世界でセレビィに会えた者などほんの一握りしかいないのだ。

「あの……僕、セレビィに会えて嬉しかった! 探検家を目指してて……幻のポケモンと話せるなんて、本当に夢みたいで! 」

 いつだか、この遠征の前にヨゾラが話してくれたことがある。父親を追って探検家を目指す彼にとって、難しいダンジョンを踏破したり、美しい景色を見たりすることは憧れで、そして幻のポケモンにあうこともその憧れの一つだったという。そう夢を語った彼の目はキラキラしていた。
 実際に今、セレビィを前にして嬉しそうな彼を見ていると、それだけでここに来た意味があったと思える。

「そこまで言ってもらえると、わたしも誇らしいわ。でもいいの? こんなにあっさり帰っちゃって」

「……確かにちょっと惜しいけど……僕たちも帰らなきゃ」

 そう言って笑うヨゾラ。実際、会うという目的を果たしてしまうと、それ以上することはない。ここに来て、彼女と出会った。その経験だけで十分だろう。

「そうね……失敗しちゃったわたしが言うことでもなかったかしら。幻種らしい深い知識もないし」

「あの……私も、会えて光栄でした。まさか本当に幻のポケモンとお話しすることができるなんて……」

 ヨゾラとの会話が終わるのが待ちきれないように、デリートが前に出て口を開く。
 一貫してセレビィに対し敬語を貫いたデリート。もともと彼女は丁寧な性格ではあるけれど、幻のポケモンだと敬う姿勢を見せるのは、むしろ一般的なことなのかもしれない。幻のポケモンは信仰の対象でもあるというし。
 そういう知識のないリアルや、フレンドリーなヨゾラのほうが珍しいのだろう。

「うん。ふふ、どうもご丁寧にありがと。……ところでキミたち、これからどうするの?わたしは何もできなかったけど……」

 ああ、そうだ。これからのことについて何も考えていなかった。
 当面の目標として「セレビィに会う」を掲げていて、その次のことは忘れていたのだ。
 セレビィの質問に、リアルたちは顔を見合わせる。……うん。今回は残念だったけれど、まだ諦めない。ヨゾラとデリートの表情にもやる気はまだ表れていた。

「これからも自分の過去を追うよ。ヨゾラとデリートと一緒に。……目星は何もないけどね」

「そう……」

 リアルの返答に、しばし目を瞑って考え込む仕草を見せるセレビィ。と、ゆっくり口を開く。

「ユクシーがいいわ」

「え?」

「キミの次の行き先、決まってないんでしょ? 手助けはできないけど、彼女に会いに行くと良いと思うわ」

「え……ユクシーって! あの!?」

 知らない名前に呆然とするリアル。しかしそれと対照に、俄かに色めきだったのはヨゾラだった。リアルを押し退けるようにして、セレビィに顔を近づける。

「そう。かの有名な”湖の三神”の一柱、この世全ての叡智を持つという知識の神。まあ、厳密には神ではなく幻種なんだけど……彼女なら、キミの記憶喪失について何かわかるかもしれない」

「ユクシーの居る所、知ってるんですか!?」

「ええ。同じ幻種どうし、大雑把な位置は把握してるもの。恐らく彼女は今、霧の湖にいるはず。色々問題があって、今はその事は秘匿されてるけど……何か事件でも起きていない限り、彼女はまだそこにいるわ」

 目を見張るデリートの質問に、自慢げな顔で答えるセレビィ。だがリアルにとっては何が何だか分からない。そのユクシーとは一体……?
 自分で調べた範囲はあまり広くなく、全ての幻のポケモンを網羅している訳ではなかった。少なくとも、ユクシーなるポケモンは知らない。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。そのユクシーってのは何が凄いんだよ」

 聞き取り方によってはめちゃくちゃに無礼な質問だが、そのリアルの問いに、セレビィがチラリと目を向けた。

「さっきも言った通り、彼女は知識の神。わたしなんかよりよっぽど深い知識を持っているの。だからキミの記憶喪失について手がかりを持っているかもしれないでしょう? それに」

 彼女は言葉を切って、ずいっとリアルに近づいた。


「ユクシーは目を合わせた者の記憶を消してしまう──そう言われているわ」


「!!」

 それは、リアルにとってあまりにも衝撃的すぎる情報だった。バランスを崩したように一歩二歩、後ずさるリアルを仲間達が慌てて支える。が、リアルはそれどころでは無い。
 記憶を消す力。
 もしそんな力が存在するというのなら。自分のこの状況ほど合致するものは無い。自分の記憶は、ユクシーに消されたというのか……?
 いや、仮にそうでなくても。その力の存在でリアルは一つの新たな視点を得た。
 それは、この記憶喪失が、「誰かによって引き起こされたかもしれない」という可能性である。

「リアル! リアル! 大丈夫!?」

「……ぁ……あぁ、ごめん」

 二匹の手を借りて立ち上がる。目が合ったセレビィは僅かな笑みを浮かべていた。

「ま、詳しいことは自分達で確かめなさい。今のわたしじゃ、彼女にコンタクトはできないから……せめてもの情報提供ってことで」

「……とても……助かる。……ありがとう」

 絞り出すようにお礼の言葉を述べたリアル。衝撃の情報を得た。これは何としてでも確かめなくてはなるまい。

「ヨゾラ、デリート。次の目標は霧の湖、ユクシーだ。……すぐにでも行きたい!」 

「もちろん! 一緒に行こう!」

「ちゃんと準備が必要だけどね? でも楽しみだね!」

 お互いに目を合わせて頷く。良かった。セレビィに会う、という僅かな細い手がかり。それが次に繋がってくれた!

「じゃあ、今度こそお別れ?」

 ふふん、と役目を果たして自慢げなセレビィがリアルたちに言う。

「そうだな……写真撮影のひとつでもしたい所だけど!」

「写真……? あー、そんな貴重品は持ってないからね」

 くすくす笑うデリート。
 こんな貴重な体験、終わるのも寂しいが、次の目標もできた。今は早くギルドへ帰ろう。
 
 リアルたち三匹はワープゲートの前に立つ。振り返るとセレビィが手を振った。
 
「困ったことがあったら連絡してね! 多分ほとんど返事は出来ないけど、運が良ければサポートしてあげる!」

「はい! ありがとうございました!」

 一際元気にヨゾラが手を振って、デリートがお辞儀をして、そしてリアルは頷いた。
 
 そして三匹の体は淡い光に包まれる。辺りが青白い燐光に包まれ、そして一際強く光り輝いて──
 

──「答え」どころか、過去のことは何一つ分からなかったけれど。それでもセレビィに会うという誇るべき経験を得ることが出来た。
 まだまだ長い旅路。しかし今回の探検は、必ず将来への大きな糧になる。
 
 リアルたちは、清々しい気分でダンジョンを後にした。
 
 かくしてリアルたちの過去を追う旅は、大きな第一歩が踏み出されたのであった。


         *


「それで?」

 光に包まれるリアルたちを見送り、にこやかに手を振ったセレビィ。彼女は彼らが完全にいなくなるのを確認すると、口元に不敵な笑みを浮かべて、広大な部屋の暗がりに目を向けた。
 声を投げかけても反応は無く、そこには誰もいないように見えた。

「知ってる? 信仰に満ちたこの部屋は、言わばわたしの身体そのものなの。だから誰かが入ってくれば、その数も特徴も仔細に把握できるわ」

 傍から見れば大きな独り言。しかし彼女の言葉に観念したのか、ほうっというため息と共に、何者かが影から現れた。その姿は完全に闇と同化しており、そしてその漆黒の外套は彼自身の手によって脱がされる。



「正直、あの子たちは四匹パーティなのかと思った。でも知らないフリして正解だったのね。──随分久しぶりね!シュン!」



「……あぁ。十数年ぶりだな、セレビィ。──話したいことがある」

「其は原初の規律より来たりし使い。
永き時を越え、彼らは遂に"答え"を得る──」

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