第72話 憎しみと幸せ

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 2人の涙が止まると、ライボルトがそっと近くに寄ってきた。足音で彼の存在に気づき、2人は顔を上げて目線を合わせる。

「何が書いてあったか、私は知らない。だが察するに、ライナスが彼自身の手でグロバイルを崩壊させたわけではなさそうだな」

 これに対して特に返事をするわけでもなく、2人は黙っていた。まだ立ち直っていないことくらいはわかっているようで、ライボルトも返事を促そうとはしなかった。

「さて、お前達にはまだ問題がある」

 言葉が耳に届き、2人の目の色が変わる。大体の察しはついているせいか、ルカリオとジュプトル、互いに顔を合わせようとする。もちろん、無言のままで。

「『これから』だ。これからどうするか、決めねばならない」

 これから――その言葉はルカリオとジュプトルに深く突き刺さるものであった。今、2人の今後を決める、極めて重要な時がやってきたのだ。
 ルカリオからしてみれば、死ぬ気で立ち向かったことを考えると今後も何もなかった。自分の旅の目的も父親の死を持ってこれで終わることを含めるとなおさらだ。
 一方のジュプトルも、事実を知ったことにより復讐が幕を閉じた。この20年間、復讐のためだけに生きてきたようなもの、『これから』に何も見出せずにいるのは当然である。

「これから、だと?」

 先に口を開いたのはジュプトルだ。その口調は誰の耳にも、刺のある言い方にしか聞こえないものであった。鼻で笑うと、再び一気に脱力したかのような、弱い声に戻る。

「全く無意味な半生を送ってきた俺に、この先に何かあると言うんだ? 今の俺にあるのは、罪なき者を殺したという足枷だけだ」

 それは、絶望を意味しているように聞き取れる。ずっと命を狙われていた立場だからこそ、ルカリオにはその言葉の意味が理解できた。今思い出しても、あの時の狂気に満ちていた顔を思い浮かべると、今の心情は想像に難くない。
 もちろん、それを見てきたヒトカゲとラティアスも同じだ。複雑な表情をしながら2人を見ている。声はまだかけることができていない。
 ようやく声をかけることができそうになった時、いきなりジュプトルは地面に向かって仰向けに倒れ込む。少し消えかかっている月を見ながら、呟き始めた。

「この手紙を真実と受け止めた以上、俺に生きる意味はない。グロバイル復興も俺だけなら雲を掴むより難しい。生きていたところで……何もできん」

 その呟きは冷えた空気と一緒に他の者達のところへと流れていった。危険な匂いを感じ取り、近づくに近づけない状態の中、ジュプトルはルカリオに目を合わせ、こう言った。

「ルカリオ、頼む。俺を殺してくれ」
「……なんだって?」

 もうこの時、いや、それよりずっと前からジュプトルの心は決まっていた。自分のすべき事がなくなったら、この地の土に還ろうと。当初の予定とは違っているが、今がその時だと思っているようだ。
 復讐するためにポケモンを殺したということもあるが、大きな要因はそれではない。まだ誰にも話していない、別の要因があるのだ。とても大きな、想いが。

「どうせ裁きを受けなければならん。命を奪った者が生きることを請い願うなんておかしな話だ。俺の死を持って、全てに終止符を打つつもりだ……早く、逝かせてくれ」

 ジュプトルは目を閉じ、覚悟を決めた。攻撃の意志も一切見られず、完全に無防備である。そんな彼のもとへ、ルカリオがゆっくりと近づいていった。
 彼にはジュプトルを殺すつもりなど一切ない。だがその顔つきはどう見ても怒っているようで、ヒトカゲ達は別の不安を覚えた。何かするのではないかと。
 そしてジュプトルの傍まで行くと、ルカリオは彼の顔をじっと見た。無表情の顔をしばらく見続けた後、強い調子で彼に向かって言い放った。


「また逃げんのか?」


 逃げるのか。どこかひっかかる言葉だ。このように感じたジュプトルはそっと閉じていた目を開けた。真剣な表情のルカリオが目に飛び込んできた。

「今までは勝負に負けそうになって逃げた。そんで今回は変えられない現実を不幸に思い、逃げ出そうとしてる……違うか?」

 はっきり言ってしまえば図星である。自ら命を絶とうとする、これが逃げることと等しいことはわかっているが、そのわかりきったような言い方が癇に障りおもわず反論してしまう。

「逃げるだと? 俺の役目が終わっただけの話だ。逃げるわけじゃない」
「いいや、逃げてるな。無理とか言って自分に言い訳して、何もしてねーだろ」

 言葉を遮ってまでルカリオはジュプトルを否定する。決して逆上させたいわけではなく、考えを改めてほしいという想いが彼にはあるのだ。

「この20年、相当な覚悟で復讐を遂げようとしてきたはずだ。逆を言えば、お前の家族に対する愛情がそれほど強かったってことじゃないか?」

 刹那、ジュプトルが固まった。何のために復讐を成し遂げようとしてきたか――その問に対する明確な答えがわかった瞬間である。全てを辿れば、亡き父親を想ってのことだと。
 1人になってからずっと想い続けていたのは、もちろん父親のことだ。死ぬ間際に見せてくれた笑顔を何度も頭の中に蘇らせながら、ライナスへの復讐を固く誓ったのだ。

「…………」

 ジュプトルは完全に言葉を失っていた。反論できなくなったということもあるが、言葉より先に出てきたガラントとの記憶で頭がいっぱいになってしまったからだ。
 懐かしく、愛おしく、そして悔しく――複雑に絡まった感情は1粒の涙となって目から流れ落ちる。ゆっくりと、歪んだ線を描きながら頬を伝って。

「それだけの愛情があれば、できるはずだぜ。グロバイルを復興させることも」

 感情を波導で感じ取ったルカリオは励ますように語り掛ける。彼が見たジュプトルの波導は、白色、それはすなわち『浄化』を意味する色だった。

「……だが、言ったはずだ。俺の力では難しいと」

 それでも、ジュプトルにはまだためらいがあった。1人でグロバイルを立て直すほどの力は持っていないと自覚しているため、無理ならいっそ親と一緒にいたい、まだそう思っている。
 これを受けて、ルカリオが1つ、大きなため息をつく。やれやれといった表情でジュプトルに向けて言った言葉は、誰もが驚くような言葉であった。

「誰が1人でやれって言った。俺もいるだろ」
「……えっ?」

 一瞬、誰もが自分の耳を疑った。その言葉はまさしく、ルカリオがジュプトルの事を許したものであった。当の本人は気恥ずかしかったのか、顔が赤らんでいる。

「お、お前……俺のこと、許してくれるのか?」
「……あぁ、許してやるよ」

 ぶっきらぼうに、だが想いを込めてルカリオは「許してやる」と口にした。あれだけ窮地に立たされたのにも関わらずそう簡単に許すとは考え難いと、その場にいた全員が思う。
 彼は一体どう思っているのか、本心は何なのか、真っ先に聞きたくなったジュプトルが立ち上がり、まるでからかわれたことを怒るかのような口調で質問をぶつけた。

「う、嘘言うな! 俺の心を弄びやがって! お前を殺そうとした奴を簡単に許せるはずがないだろ!」

 普通なら、その通りである。殺されかけた者が易々と加害者を許すとはあり得ないと言い切ってもおかしくない。それを打ち破るような発言をしたルカリオはジュプトルの言葉に対して、こう述べた。

「俺とお前のためだよ」

 何を意味しているかわからない。これがジュプトルを始め、ヒトカゲ達も最初に思ったことだ。問いかける前に、ルカリオが続けて話し始める。

「はっきり言って、お前のこと憎いぜ。殺したくなるくらいな。だけどな、憎い奴の事を許さない限り、俺が幸せになることなんかねーんだよ」
「幸せ……?」
「そうだ。誰かを憎む気持ちはな、そいつをさらに不幸にするだけだ。幸せってのはな、そういう気持ちを取っ払うと降って来るんだぜ」

 憎しみからは何も生まれない。かえって心を蝕み、その者を荒れされていくだけである。憎しみを捨て、そこから新しく見えてくるものを頼りに、幸せを掴むのだ。ルカリオの言葉にはこのような意味が込められていたのだ。
 いがみ合うことが愚かであること、そしてルカリオが持つ優しさがようやくジュプトルの心に通じたようで、再び咽び泣きはじめた。自分の悪い部分を全て洗い流すかのように。



「さて、これからどうするか、だったな」

 ジュプトルの涙が止まった頃に、ルカリオがぽつりと言った。話し合いでもするつもりなのか、ヒトカゲとラティアスを手招きして呼び寄せる。

「あのさ、ヒトカゲ、ラティアス……いいよな?」

 何かをためらっているような言い方で2人に尋ねる。彼が言いたい事はお見通しだったのか、ヒトカゲとラティアスは目を合わせて意思疎通を図ると、ルカリオに対して首を縦に振った。
 それを確認すると、まだじっと地面を見つめていたジュプトルにそっと手を差し伸べた。彼がそれに気づくと、ゆっくりと顔を上げてルカリオと目を合わせる。

「俺達、実はホウオウ捜してる旅の最中なんだけどよ、その……なんつーか……来るか?」

 今まで生きてきた中で、これほど優しくしてくれる奴がいただろうか。ジュプトルはそう思うとまた涙が出そうになるが、ぐっと堪え、いつものポーカーフェイスを保って右手を差し出した。

「……そうさせてもらう。グロバイル復興のため、協力してくれ」
「あぁ、もちろん」

 こうして、つい先程まで敵であったジュプトルが、旅の仲間に加わった。2人が握手を交わす頃には、既に朝日が地平線から顔を出していた。
 互いに、この日を絶対に忘れまいと誓う。今日という日が一生の中でどれほど重要な日であったかを胸に刻んで生きていくことが、自分達の父親に対する孝行と確信して――。

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