2-3 安堵の表情、かけられない言葉
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ヒンメル地方南部。広い荒野に引かれた道路の上を、青いフォルムのサイドカー付きバイクで走る。
隣の席には予備の白いヘルメットを被ったヨアケが静かに座っていた。
エンジン音に紛れて、穏やかな寝息が聞こえる。
朝早く起きたせいか、それとも昨晩眠れなかったのかは知らないが、ヨアケは眠りについていた。
速過ぎず、でも遅すぎないスピードで、俺はバイクを走らせる。他人を乗せるのはあまりしないので、加減がよくわからなかった。
(親父だったら、もっと上手くやるんだろうな)
そう、少しだけ練習してこなかったことを悔やむ。
このバイクは俺の親父の遺品である。
なんでも俺が生まれる前、親父が母さんとデートするためだけにサイドカーを付けたらしい。
二人乗りすれば良かったんじゃないか、と親父に尋ねたこともあったが、親父は「そんなことしたら心臓に悪い」と断固として譲らなかった。
遺言でも、もしバイクに乗れる年齢になっても二人乗りだけは止めておけと念を押されたほどである。
母さんは俺が幼いころ亡くなってしまったので、そのサイドカーは物心ついた時には俺の席になっていた。
このサイドカーが、まるで揺り籠のような役割を俺に与えてくれたのを、今でも覚えている。
途中の休憩の合間、ヨアケの寝顔をちょっとだけ覗く。
無防備すぎる表情に呆れつつ、改めてこのサイドカーの効力を感じた。
(寝心地、良くないはずなのに眠れるんだよなあ)
俺もよく、親父が走らせるバイクの横で寝たものだ。
たとえ走っていなくても、眠れない夜はサイドカーにこっそり潜り込んで、夜が明けるのを待っていたこともある。
親父も亡くなって、ラルトスと二人きりになった夜も。
ラルトスがいなくなり、暗闇が怖くなってしまった夜も。
【ソウキュウシティ】はここから北にある、【トバリ山】を超えた先にある。
【トバリ山】はヒンメル地方の中央部と南部を横断している山だ。
この地方にある山々の中でも特に険しく、山道に道路が作られるまで、地上を進むには長い日数をかけて山を迂回するか、山道を徒歩で超えていくかの二択だったらしい。
いくつかの山道に道路が整備されたことにより、車両でも気軽に南部に向かうことが出来るようになったのである。
その、筈だったのだが……
「おい、ヨアケ。起きろ」
「ん……ふああ、ゴメン……ビー君。寝ちゃってて……」
「それは構わない。それより、弱ったことになったぞ」
「弱ったこと?」
メットのシールドを上げ、目をこするヨアケ。
眼前の光景を見て、事態を把握したヨアケがぼつりとこぼした。
「うそ」
「言っておくが、夢じゃないからな」
「わー……」
いつにも増して、車を見かけないと思ったら、こんなことになっているとは。
その白と緑っぽい黒のツートンカラーの丸みを帯びた巨体は、谷間に挟まるように、道路を塞いで鎮座していた。
「カビゴンだー」
「カビゴン、だな。今朝方山の上の方から落っこちてきたみたいだ。さっきすれ違ったトラックの運転手が嘆いていた」
「そりゃあ、無理ないよ……」
唖然とするヨアケに、俺は謝罪する。
「悪い。こんなことになってるとは思わなかった」
「ううん、しかたないって。どうする? 捕まえる?」
「難しいだろ。ここはポケモン保護区に指定されているしな」
「あ、そっか……<エレメンツ>には連絡した?」
「一応、さっきの人が」
「じゃあ、待ったほうがいいね」
「いいのか? 俺に付き合って待つ必要はないぞ」
「まあ、いいじゃんいいじゃん。急ぐわけでもないし」
「それは、そうだが……」
のんきというか、のんびりやと言えばいいのかわからないが、そのペースに呑まれそうになった。
ヨアケのペースに翻弄されないように、首を振って立て直す。
「いいや、やっぱりどかそう」
「どうやって?」
「こいつの力を借りるのさ」
そう言ってから、俺はモンスターボールからポケモンを繰り出した。
ボールの中から出てきたのは屈強な四本の腕を持つポケモン、カイリキー。
「おおー、配達屋っぽいね!」
「だろ?」
ヨアケが瞳を輝かせる。彼女の熱い視線を受けたカイリキーは、得意げに右上腕で力こぶを作ってみせた。
それを見たヨアケが喜ぶもんだから、カイリキーは次々とポーズをし始める。そのうちヨアケが拍手をし始める。
そんなやりとりだけで5分くらい経過した。しかしステージ(?)はいまだに盛り上がりを見せている。
「おいカイリキー……そろそろ、その辺で切り上げて……ヨアケも止めろっておーい、あのー……」
「かっこいいぞー!」
「……………………カイリキー、そのままでいいから『ビルドアップ』」
俺の指示にカイリキーは待ってましたと言わんばかりに応える。
カイリキーの全身の汗が迸り、鍛え上げられた筋肉が弾んだ。
それは締めを飾るにふさわしい『ビルドアップ』だったといえよう。
「おおー!」
「ウォームアップは済んだか?」
皮肉交じりの確認に、今まで見たこともない良い顔で親指を立てるカイリキー。あ、高揚感に溺れて皮肉が通じてないな、これは。
……まあ、カイリキー自身が楽しかったのなら、それでもいいか。
さて、カイリキーのテンションが上がっているうちに、働いてもらうとしよう。
「いけ、カイリキー! カビゴンを持ち上げるんだ!」
応、と一声上げ、カビゴンめがけて駆けだすカイリキー。
四本の腕でカビゴンの巨体をがっしりと掴み、両の足でどっしりと構え――そして一気に持ち上げた。
唖然と見てるヨアケに、俺は発破をかける。
「長くは持たない、今のうちに通り抜けろ!」
「う、うんっ!」
二人で協力してバイクを押し進める。カイリキーは汗を垂らしながらもしっかりと堪えてくれている。
途中までは順調に事は進んでいた。だが陰りまで入って、あともう少しで抜けられるというところで、状況は一変した。
地響きのような音が、全身を振るわせる重低音が俺達を襲う。一瞬、山が崩れたのかと思わせるような音が、一帯に轟く。
思わず俺はバイクから手を放して両手で耳を塞いでしまった。
とっさに取ったその俺の行動は、間違いだった。
耳を塞ぎたくなるのが、俺だけじゃないことに気付けなかった。
視界の端を金色の髪がたなびく。
動けない俺の脇を、苦々しい表情をしながら全力でヨアケは一人バイクを押し、陰りを突破する。
そして彼女はこちらを振り返って、目を見開き慌てて叫ぶ。
「走って!」
ヨアケに呼ばれることで、本当に遅すぎるくらいようやく、音の正体に気が付いた。
この地鳴りが、カビゴンの発している『いびき』だということに。
攻撃を仕掛けられていた事実を把握するのが、遅かった。遅すぎた。
更に、最悪のタイミングで足がすくんでしまう。
(やばい、怯んで、動けな――)
諦めそうになったその時。
(?!)
突如、背中に走る衝撃。
誰かに突き飛ばされる、感覚。
転がるように暗がりから抜け出た俺は、その誰かを目の当たりにする。
青い、青いそのシルエットは、その赤い瞳で俺の姿を真っ直ぐ捕らえていた。
「リオ、ル……?」
いつの間にボールから飛び出ていたのだろうか。リオルはそこに立っていた。
今にもカビゴンに押しつぶされそうなのにも関わらず、リオルは安堵の表情をしている。
まるで、俺を助けられてよかった、と言いたげな顔をしていた。
「ビー君モンスターボール!!」
「! 戻れリオルっ!! カイリキー!!」
ヨアケに怒鳴られて何とか我に返った俺は、間一髪でモンスターボールにリオルとカイリキーを戻すことに成功する。
そして、今度こそ本当の地響きが辺りに響いた。
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カビゴンは『いびき』以上の攻撃は仕掛けてこずに、再び寝息を立て始めた。
俺は、力が抜けてへたり込んでしまう。そんな俺の頭上に、ヨアケの軽い手刀が振り下ろされた。
「いてっ」
「こらっ、無茶しないのっ」
「……すまん。助かった」
何とか立ち上がり、バイクの様子を確かめに行くと再び手刀で頭を叩かれた。やめろ縮む。
「バイクよりポケモンの心配でしょ!」
「……そうだな。その通りだ」
正論過ぎてぐうの音も出ない。さっきのショックが大きかったとはいえ、もう少し冷静になれ、どうかしてるぞ俺。
ボールを握る手に力が入らない。それでも、若干逃げ腰になりつつもモンスターボールからリオルとカイリキーを出す。
カイリキーは冷や汗をかいて、それでもやり切った顔をしていた。
リオルは相変わらずそっぽを向いている。
カイリキーが俺の様子を案じて顔を覗き込んだ。
俺はカイリキーとリオルに対して頭を下げる。
「悪かった。お前らを危険な目に合わせてまで強行して、すまなかった」
カイリキーは気にすんな、と言わんばかりに肩をぽんっと一度叩いて俺に背を向ける。
リオルはというと、こちらを向いていた。
何かもの言いたげにしているリオル。何か言葉をかけてやるべきだとは理解していたが、その肝心の言葉が出てこない。
ぼやぼやしてたら、リオルに脛を軽く一発蹴られる。痛くはなかったが、精神的には痛かった。
カイリキーの向かった先に目をやると、ヨアケと一緒にカビゴンの前で何かをしていた。
「カイリキー、ちょっとだけカビゴンを転がしてもらってもいい? うん、そうそう」
転がされ、こちらに背中を向ける形になるカビゴン。ヨアケはそのカビゴンの身体を調べている。
「何してんだヨアケ。また『いびき』がくるぞ」
「それならそれで、いいんだよ」
「は?」
「……あった!」
何がいいのかわからずにいると、ヨアケが鞄からきずぐすりを取り出して、それをカビゴンに使った。
「もしかして、ケガしているのか? そのカビゴン」
「うん……ほら見てここ」
ヨアケの指さした所を見ると、範囲はそこまで大きくないが、結構深い傷が二つある。何かの爪痕だろうか。
「よく気が付いたな」
「なんか、顔色悪いし寝苦しそうにしていたから、もしかしたら眠って回復している最中だったのかなって。さっきの『いびき』も振り絞って出してたみたいだし」
「そうだったのか」
「……まだ体力も戻り切っていないみたいだね」
そう言うとヨアケはモンスターボールを手に取り、ポケモンを出した。
「セツちゃん!」
ボールから出て来たのは、背中に大きなキノコを背負った虫ポケモン、パラセクト。
「お願いセツちゃん、治療用の胞子をちょうだい」
セツと呼ばれたパラセクトは、キノコを震わせて、胞子を抽出する。
「そうか、漢方薬か」
「その通り! セツちゃん特製のちからのこなってところだね」
ある地方ではパラセクトの胞子を漢方薬にするらしいという話は聞いていたが、実際にこうして見るのは初めてだった。
ヨアケが再び鞄の中に手を入れる。中から取り出したオブラートで、集めた胞子を包んでいく。
「そのままじゃ、苦いからねー。お水と一緒に、そう一気に飲み込んで」
彼女の指示に従い薬を飲むカビゴン。
カビゴンの表情が、少しだけ和らいだ。
「……何かに襲われたんだろうか」
「何か、っていうよりもこの場合は“誰か”じゃないかな」
「それってつまり」
俺のつぶやきに、ヨアケは静かに山の上の方を見上げて、重々しく言った。
「密猟、だね」
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