いぬ1―つれてかえる

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 雨の日の帰り道、友達と別れた直後に、ぼくはそいつに出会った。
 道端に置かれた段ボールの中で、まだ小さなポチエナが震えていた。野生で出会ったときの気性の荒さは影もなく、ぼろきれに包まれて、今にも消えてしまいそうな声で鳴いていた。よく見れば、段ボールには黒いマジックで「拾ってください」と書いてある。このポチエナは、捨てられたのだ。それも、体の大きさから考えると、生まれてすぐに捨てられたらしい。酷いことをする人もいるものだ。
 雨は止む気配もなく降り続けている。このまま放っておけば間違いなく凍え死んでしまうだろう。そうでなくとも、何も食べなければ餓死してしまう。どうにかしてあげたいけれど、連れて帰ろうにも、父も母もポケモンは苦手だ。連れて帰ったら間違いなくどやされる。どうしたものだろうか。

→連れて帰る
 見捨てる
 食べ物を置いていく
 保健所に連絡する






























 ぼくは心を決めた。ぐしょ濡れの箱の中からぐしょ濡れのポチエナを抱え上げ、家に連れて帰ることにしたのだ。母に見つかればどやされるだろうが、それよりも目の前の命を見捨てることをぼく自身が許せなかった。

 家に帰ってただいまを告げると、ぼくは洗面所に駆け込んだ。手を洗い、うがいをして、ドライヤーでポチエナを乾かした。ドライヤーの音は居間の母にも聞こえるだろうが、雨が降っているから、濡れた髪を乾かしていると思ってもらえるだろう。それからタオルを一枚拝借してポチエナを包み、急いで自分の部屋に戻った。

 それからしばらくは、母にばれることなくことが運んだ。
 糞の処理は大変だった。外に連れ出すわけにもいかないので、家の中で場所を決めて、そこで糞をするように教え込んだ。慣れるまではところかまわず糞尿を垂れ流すから大変だった。トイレからトイレットペーパーを一ロールもってきて、尿ならふき取り、糞なら包んでトイレに流した。匂いが残るといけないからと、布用の液体消臭スプレーを吹きかけた。
食事は夕飯を少し残し、それをこっそり部屋に持ち帰って与えた。もちろん、食べられないものを食べておなかを壊してはいけないからと、食べていいもの・いけないものを調べたうえで。
 小さかったポチエナは、すぐに野生でよく見るくらいの大きさにまでなった。ポケモンの成長は早いものだと驚き、外に連れ出してやれないことを申し訳なく思った。今でこそおとなしくしていてくれているけれど、もしもこのまま進化してしまったらもう隠してはいられなくなる。それでも、もしもそこまで育てられたなら母も許してくれるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、ぼくはポチエナの世話を続けた。

 ある日ぼくが学校から帰ると、母が鬼の形相で待っていた。
「どうしてポケモンがうちにいるの」
 母の手には歯型がついていた。ポチエナだ。ポチエナが嚙みついたのだと一目見て分かった。おそらくぼくがいない間にぼくの部屋に入って、隠れているポチエナを見つけてしまったのだろう。ポケモン嫌いの母が穏やかでいられるわけがない。もちろん、そんな母に直面したポチエナも。
「雨の日に拾ってきた」
「母さんも父さんもポケモンが嫌いだって知っているでしょう」
「でも、かわいそうだったから」
「でももだってもありません」
 こうなるともう、母を説得することはできない。
「元の場所に戻してきなさい」
「……」
 ぼくは反論することができなかった。動物を捨てるのが犯罪だということを知るのはもう少し後のことで、ぼくはポチエナを連れて外に出た。ぼくのところに来て初めての散歩ということもあってポチエナは嬉しそうだったのが、余計にぼくの心を痛めた。
ポチエナを拾った段ボールの前まで来たとき、ぼくはポチエナを抱えて段ボール箱の中に入れた。これでいい。もとはここにいたのだ。もともとこのポチエナを捨てた人と、受け入れてくれない母が悪いのだ。
「ワウ!」
 ポチエナの吠え声だ。初めてまともに吠えたのではなかろうかと思えるくらい、ぼくの部屋にいるときのポチエナはおとなしかった。
「ワウ! ワウ!」
 カチカチと爪が地面にあたる音がした。ついてきているのだと分かったけれど、ぼくは振り向かずに走り出した。
「ワウ! ワウワウ!」
 ポチエナはまだ追いかけてきている。本当ならもう追いついていてもおかしくないが、ずっと家の中にいたせいで運動能力が育たなかったのかもしれない。今になって、ポチエナを拾ってきたぼくの無責任さに腹が立った。あのときあの段ボールを見つけていなければ、お互いこんな辛い思いをしなくてもよかっただろうに。ポチエナもぼくよりももっといい人に拾われて、幸せに暮らせたかもしれないのに。
 家の前の最後の十字路を通り過ぎたとき。
 キキーーーー!!!!
「ギャン!」
 突然上がった不穏な声に、ぼくは足を止めてしまった。そのまま走り去っていればよかったろうに、ぼくはおそるおそる振り向いて――後悔した。
 舌打ちをしながら自転車で走り去っていく男の人が見えた。十字路の真ん中には、ポチエナがぐったりと横たわっていた。
「ポチエナ!」
 ぼくが駆け寄ったときには、ポチエナはもう息絶えていた。
 小さな体を抱えて、ぼくはわなわなと震えていた。
 ぼくのせいでこうなったようなものだ。
 あのとき、ポチエナを拾わなければ。

 ぼくは――

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