【十一】フエンの朝

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 ヒノテの朝は早かった。日が昇ってまだあまり時間が経っていない。紅葉の時期に差し掛かろうというフエンタウンは、これからが寒さ本番の時期だった。
 山雫を出ると、ぶるりと身体が震える。
 身体にまとわりつく寒さは、身体をきりっと起こしてくれる。この感触がヒノテは好きだった。
 流石にこの時間だとフエンタウンも人通りが少ない。ホテルの周りを散策しようと繰り出して来た甲斐があった。朝には朝の、昼には昼の、夜には夜の顔がある。各地で朝昼晩の町の違いを見て回る楽しみは、旅の醍醐味である。
 フエンタウンの朝は、都会とは違う。嵐のような忙しさの前に、じっと鋭気を養っている雰囲気ではなかった。自然と一体に、来るものを拒まず、時間に身を任せている。四季によって色々な姿に変化するフエンに、人は寄り添っている。
 良い町だな、とヒノテは思う。
 少し開けたところからなら、いつでも見えるえんとつ山の下に、グラードンなどという大災害が眠っているなんて信じられない静けさである。
 いつまでもこうあって欲しい。ヒノテは心からそう願った。
 ぐるりと山雫の周りを一周して部屋へ戻ろうと入口まで戻ると、知っている姿があった。
 入口の段差にちょこんと腰掛け、寒そうに手を擦り合わせている。
「おはようメグリ。どうした、こんなところで。まだ待ち合わせには早すぎるぞ」
「おはよう。今日バトルが出来るんだと思ったら、居ても経ってもいられなくて」
 すっくと立ちあがったメグリは、身体を動かして体操を始める。いくらなんでも今から準備運動では早すぎる。
「やる気十分なのはいいが、こんなに朝早く家を抜け出して来ても大丈夫なのか?」
 昨日聞いた話だと、かなり難しい家庭環境である事は間違いない。昼間学校をサボって町をうろうろしているのだってきっとバレたらまずいのに、朝早く抜け出し、どこの馬の骨とも分からない男と喋っているだなんて、通報されかねない。
「大丈夫。朝の散歩は日課だから」
「ならいいけど。そこそこにしてちゃんと家に帰るんだぞ。待ち合わせは十時だ。すっぽかしたりしないから、ちゃんと大人しく待ってろ」
「ヒノテこそ、遅刻は駄目だよ」
「当たり前だ。メグリこそ、うまくやれよ」
「分かってる。分かってるよ。お腹も空いたし、そろそろ帰るよ」
 また後でね、とメグリは去って行く。その背中を見送って、山雫へ戻った。
 部屋では、まだ三匹がそれぞれ眠っている。ヒノテが一人抜け出して散歩をする事など日常茶飯事なので、最早最近は誰も着いて来ない。
 起こさないように気を付け、広縁の椅子に腰かける。窓の外からでは、もうメグリの姿は見えなかった。
「こんな時間にあんなところに居るなんて、あいつ……何か言いたい事でもあったのかな」
 彼女が何を考えているのか、まだ出会って間もないヒノテには分からない。難しい家庭環境、立場、しがらみ、欲望。色々なものを抱えて過ごす彼女にとって、ヒノテがどういう存在であるのか。
 バトルの申し出などと、もしかしたら出過ぎた真似をしたのではないか。
 頭の片隅ではそんな事をヒノテは思う。中途半端にバトルをさせる事で、余計な期待や夢を抱かせてしまうのではないか? 彼女がこれまで耐えて来た何かが、たまたまフエンに居合わせただけのヒノテのおかげで壊れてしまうのではないか? 色々心配する事は多いのだが、泣くほど嬉しい事であれば、提案して良かったとも思う。
 何の変哲もないただのバトルが、彼女にとって良いものになってくれる事をヒノテは願う。
「心の底から笑ってくれるといいな」
 ぼそりと呟き、目線の向こうに聳え立つえんとつ山の頂上を眺めた。

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