ロマンス・グリーンの昼下がり

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読了時間目安:11分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

●あらすじ
 修行中のマニューラの元にキモリ・アミュオがやってきた。彼は日光病で外出が困難であることにもかかわらず、マニューラ達を亡命者として追ってきた州境警備隊から逃がすために身体を張ったのだった。
 キモリはヤレユータンの死をきっかけにして、自立しなければならないと焦っていたが、マニューラは彼の気持ちを汲み取っていた。二匹は歳が離れていたが、どこか心の波長が合っていた。
 その頃、街では州境警備隊が現れて、マニューラ達を探し始めており……
 州境警備隊(アミュオ少年は国境警備隊と言っていたが、レインリングではそう呼ぶという)は相当腹を立てているに違いなかった。昨日の私は真っ当に働く隊員達の何名かを河底に沈めたのだ。

 私はニルを偵察に向かわせると、キモリ・アミュオを背におぶり、バナナ農園の管理事務室に向かった。ムクホークとヤドンの安否が気掛かりにはなったが、アミュオ少年によればレインリング自治州の方が適用される以上、警備隊はツリーハウスの中にまで入れないため、今はその外周を警戒するのみだという。

 荒れ果てた管理事務室に辿り着いた時、ヤレユータンの遺体はアムニス達の手によって別の場所に運ばれた後だった。私は事務室のソファにアミュオ少年を寝かせた。ココナッツの殻で作った薬入れを外套のポケットから取り出すと、彼は勢いよく鼻から吸引し、その後五分以上掛けて息を整えた。

「ルギアが通ったみたいだね」。少年の興味と第一声は、嵐が過ぎ去ったようなこの部屋に向けられていた。

「どうしたの、あなたが外に出るなんて。身体は痛くないの?」

 アミュオ少年は首を横に振った。魔術師が使うような黒いフードの頭頂部がばさばさと揺れていた。

「僕、ジェヴナ・ウェ・ンメネに出たいんだ」

 私はこの少年が親友の死にふさぎ込み、あの暗くて狭い世界から出てくることはもうないかもしれないと思っていた。だが、彼の心にはどうにも不思議な『打たれ強さ』が眠っているようだった。普段は奥ゆかしくて慈愛に満ちた、ある意味で女性的な魅力がある一方、ここぞという時には勇気と度胸を振り絞り、その気高さを宝石のように煌めかせることも出来る少年なのだ。私にはそう見えた。

 だが、彼は理解ある親友を失った勢いのまま、投げやりに話しているかもしれなかった。決意を固めるにしても少々時期が悪い。その一方で、彼の出鼻をくじきたくもない。突然ね、とだけ私は言った。

「戦って、大きくなる。父さんみたいになるんだ。そうすれば、この体も……」

「無理をしない方がいいわ。戦いの祭りに出る前に、学校に戻らないと」

「それじゃダメなんだ。このままじゃ、誰も認めてくれない」

 少年は孤独と焦りを隠せずに言った。彼の知性が大人でも、精神は五歳の子供である。その上、日光を浴びることが出来ないモリトカゲなのだ。天才であることが必ずしも幸せなことではない。異端者はどの世界でも受け入れられにくい。私は彼の顔を覗き込みながら言った。

「私はもう認めている」

 キモリの大きな黄色い目が自信なさげに逸れた。

「だって、あなたは外に出ているわ」

「必死だっただけだよ。お姉ちゃん達が危ないって思ったから。猿じいみたいになって欲しくなかったから」

 ありがとう、と私は言った。 「勇敢よ、あなたは。誇りに思うわ」

 キモリと私は今日初めて目が合った。アレクサンドライトの純粋無垢な目だった。

「落ち着いた?」

 キモリは目を少しだけ下にすると、照れくさそうに小さくうなずいた。

「あのね、お姉ちゃん」

「ん?」

 少年は分かりやすく手をもじもじしながら言った。 「お姉ちゃんのこと、その――ソーニャちゃん……って呼んでいい?」

 『ちゃん』付けされることなんて実に久々だった。私は妙に顔がこそばゆくなり、気恥ずかしさと困惑が伝わる前に反射的に返していた。

「ソーニャでいいの、アミュオ君」

 ほんの少しだけ、私は少年に恋をしていた。それとも、これは風化し切った過去の残響だろうか。

 キモリ・アミューゼイの面影を息子に見出そうとした時、賢者の霊の助言を思い出した。己を納得させる方法は確かにある。だが、その時は今ではない。

 一時間後、偵察に向かわせたゴース・ニルが戻ってきた。私がニルと話している間、アミュオは私が虚空と話しているように見えるのか、こちらを不思議そうに眺めていた。私はニルの体に再現呪文を掛けた。もはや詠唱の必要もなかった。


 * * *


 気が付けば、周辺視野が黒くもや掛かっている。筒越しに景色を覗いているような感覚だ。ゴースの体から噴出する黒いガスの音は子供の安らかな寝息にも似ていた。

 私の視界はンジャマッカ市街、ヒルギの樹上に掛けられた広場を見下ろしていた。高さは広場から五メートルほど上で、一本の道なりに出来た熱帯の街を十分に見渡せている。雨に濡れた橋の体は、熱帯に降り注ぐ日光を鏡のように照り返していた。

 私はまず街の住民を見た。彼らは広場にいる何かに恐れて、時でも止められたかのように動かなかった――露店主のルンパッパと買い物に来たエモンガの若妻は、よりどりみどりの木の実が入った草籠をお互い持ったまま、口元を引きつらせ、目を見開いたままにそちらを見ていた。ドデカバシとケララッパの夫婦が六匹のツツケラと一緒に、木の幹から覗いていた。

「何度も言わせんで下さい。黒いイタチ猫とトサカを持った鷹のことです。ああ、それと、恐ろしくすばしっこいヤドンの子供も。シンプルな二文字のあの返事をくれれば、我々は風よりも早く帰りますさかいに」

「返事が欲しいならくれたるわ。『去ね』や、オーダイル」

 ジュカイン・アムニスは普段のおちゃらけた態度が嘘のように緑色の殺気を両肩から放っていた。彼が広場で対峙していたのは、オーダイル・クロクジュ率いる州境警備隊の陸海空隊員十五名だった。その中には州境突破で対決したカメールもいて、オーダイルの右側で仁王立ちしていた。

「変わらん男や。何でこうも頑固なんじゃ?」

 二メートルもある巨体を怠そうに揺らすと、オーダイルは急に四つん這いになった。

「それは土下座か?」、ジュカインは日光を冷たく反射させた目で言った。

「意地悪じゃなあ」とオーダイルが低い声で笑うと、クリーム色に鈍く光る牙がむき出しになった。

「この体勢からだって、お前の首を食いちぎれるんじゃ」

「試してみたらええ。それよりも早く頸動脈を切ったる。己のちっぽけな脳みそでさえ気付かんようにな」、アムニスは右手をぐっと握った。手首の甲から生えた三本ある葉刀が日光で反射し、虹色の斑紋を浮かび上がらせていた。

 一瞬後には悲鳴を聞き終わりそうな光景だった。アミュオに逃げろと言われた時、一瞬見に行こうかという好奇心に駆られたが、居合わせなくて正解だった。
その後五秒もすると、隊長、とカメールがオーダイルを諫めに入った。オーダイルの目は獰猛な殺戮者のそれだった。カメールがそれに睨まれた瞬間、彼の首は一瞬甲羅の中に引っ込みかけた。あの二匹は革命軍ゲリラ部隊の総帥と大将だったそうだが、戦争を経験した者達の目はやはり猛獣じみている。

「まあええ」、緊張の糸を緩めたのはオーダイルが先だった。 「用事はまだある。亡命者どもの話はそれからでもええわな」

 オーダイルが首を動かして合図すると、カメールはうなずいて前に出た。書簡を手にしていた。青地に槍と盾が折り重なった国旗章が入るその書簡には、エンブオーの執務机で見覚えがあった。

「昨日お届けにあがるはずやった閣下のお手紙です」

 オーダイルはそう言うと、むくりと上体を起こして立ち上がり、両手の土汚れを手で払った。

「開けても?」

「どうぞ。プレゼントをもらった子供みたいに元気に開けて下さい」

 ジュカイン・アムニスはオーダイルの冗談に付き合う間もなく書簡の封を丁寧に開いた。内容は読めなかったが、何が書いてあるかは想像出来る。

「それと、これが最後や言うてましたみたいで」

 ジュカインは手紙を片手に、オーダイルをじろりとにらみつけた。そして、街の住民に向けて大きく声をあげた。

「誰か、羽ペンとオクタンインクは持っとらんか?木炭でもいいんじゃが」

 広場はしんと沈黙し、森の住民達は酷く張り詰めた顔を見合わせた。

「焦らんでもよろしい。それより、ちゃんと読んで下さい。十秒で読めるもんとも違うでしょう」

「お館様」。ジュカイン・ソウケンが何処からか、ひらりと風のように現れた。羽ぺンとインク、朱肉と朱印を木のお盆に持ち、主へと差し出していた。

「もう読んだわ」

 アムニスは書簡を裏返しにお盆に置くと、羽ペンで芸術的なサインを施した。そして、印鑑――レインリング自治州のシンボルである、葉の曲刀二本に囲まれたセレビィの横顔――をサインの右隣に押し付けた。

「物分かりがよろしくなったようで――」、オーダイルが良かったと言いかけた時だった。アムニスは手紙を八つ折りにして、右手の葉刀で折り目に沿って切り裂いていた。

「これが俺の答えだ」、アムニスは切り裂いた書簡を封筒の中にしまいながら言った。

「レインリングは自由と平和の国だ。貴様らには指一本、牙一本触れさせん」

 アムニスはカメールに書簡をぶっきらぼうに手渡した。それを見たオーダイルは優しくも冷ややかに言い放った。

「忠告はしたからな、アムニス」

 オーダイルは右拳で腰を年寄りのように叩き、首をぐるりと右に回すと、そのまま唸るように話を続けた。

「それにしても、随分と隈が深いな?昨日、何かあったんか?カミさんと喧嘩でもしたんか?」

「お前に話して何の得になる?」

「実はな――昨日の夜、一匹だけ――もう一匹だけ、この街に紛れ込んだ奴がおるらしいんよ。部下が使い物にならんで困ったもんじゃなあ、これは」とオーダイルは腕組みをして嫌味に口角を上げた。

 二匹のジュカインはオーダイルを鋭くねめつけた。 「クロク……貴様、何を?」

「忠告はした。それだけは言うときますんで」

 オーダイルは再び四つん這いになった。四つん這いになると、オーダイルは楽そうな顔をしている。

「少し街を見て回りますわ。安心して下さい、家の中までは入りませんからね」

 その言葉を聞いた警備隊一行は、すかさずンジャマッカの街に散開した。飛び立つ鳥達の羽ばたきで風が巻き起こり、ジュカイン達の尻尾の青葉がびらびらと揺れていた。

「誰が見ていいと言うた?」

「国の法に決まっとるがな。ただし、モノーマ連邦のな」

「ここはレインリングじゃ。貴様らの汚い足で国境を踏み荒らされるわけにはいかん」

「州境や、アムニス。州境。二度と間違えるな」

 アムニスはソウケンに目配せした。ソウケンは目でうなずくと、ツリーハウスの方へ足早に戻っていった。

 オーダイルは四つん這いになると東の路へ向けて、のしのしと歩き始めた。

「ここは俺達の街でもあるんじゃ、アムニス。俺は今からお袋に会いに行くが、それも許さんわけはあるまいな。何せ、ここは自由と平和の国やさかいに」

 オーダイルが歩く先々で、街の住民達は恐る恐る道を譲っていた。警備隊は家を覗き、壁を透視し、樹の幹を潜り、空を見下ろし――草の根を分けても、私達を見つけようとしていた――私は再現呪文を停止した。



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