episode6.悪意

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読了時間目安:14分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ボールから出た自分が最初に目撃した光景は不可解で、ポケセンの待合室に貼られていた間違い探しの如く普段と明白に違う所があった。とりあえず眼球の異常を疑い目をこすった。しかしこすっても瞬きしてもやはり四メール程先にはヤトウモリが二匹いた。いよいよ私は平和なバトルではなくルール無用の戦場にでも送りこまれたのか。
 そんなことはない。だがバトルは一匹ずつ戦う規定の筈。確かに私は水タイプだし炎タイプには有利ではある。けれども、二匹纏めて戦えるほど自分は器用でないし実力もない。私は野生のときこそ複数のヨワシを相手に激闘を繰り広げることはあったが、ルールの上を走るこの世界で同じ状況が生まれる訳が。
 脳内に真っ赤なはてなマークを浮かべていると、隣から耳慣れたさえずりが聞こえた。オドリドリが「今日は暑い……」とぼやきながら羽をパタパタ動かして仰いでいた。彼女の存在により混乱の糸は更にほつれた。敵はヤトウモリ二匹で、横にはオドリドリ。状況の推理が追いつかない自分は知恵不足なのか。
 これがダブルバトルなる形式なことを知るのは約一時間後のことだった。命令を出すだけの反復作業はどうも人間も飽きるらしい。一対一での戦闘にマンネリを覚えた人は、二対二で戦う革命的発想を思いついた。
 今日この時点でこのルールの存在は完全に初耳。ユカが投げた試合開始を告げる用の一円玊が地面をバウンドしても、ヤトウモリが草むらを掻き分ける音が迫ってきても、私はユカと相手のトレーナーの顔を交互に見るなどして戸惑いを隠し切れずにいた。
 隙だらけという言葉が似合い過ぎる私に、ヤトウモリのベノムショックが襲いかかる。これだけ慌てても、二種類のベノムショックは色の濃さが少しだけ違うのは認識できた。大量の毒液に塗れた私はフラフラと覚束ない足取りになるが辛うじて水鉄砲で反撃した。それは敵を倒すには至らず、ベノムショックをまた喰らって意識は暗闇へと落ちる。
 誰かがちゃんと計測した訳ではないが、戦闘開始から恐らく二分も経過していないだろう。隙だらけの後は呆気ないという言葉のラベルが気絶した私に巻かれたみたいだった。
 

 いつもの空間で回復を遂げ意識を戻した。
 待合室の間違い探しが目に入ると先程の惨状が想起されるので、私は背を向けて座り込んだ。だが現実逃避は許さんとばかりに、紫色の鳥が明らか強張った表情で近づいてきた。もう一層のこと聞こえるぐらいデカい溜息で場を乱してやろうかと思った。結局勇気が出ず唾をごくりと飲むことだけした。
 この後何を叩きつけられるか予測は容易だった。私は彼女の口から発せられるであろう内容を予め頭の中で唱える。こうして相手の発言によるダメージを軽減させるのは私の聡明な防衛手段の一つ。本当は更に数回唱え、脳内で十分に咀嚼し防御力を最大まで高めたいが、彼女が口を開いてしまった。
「ダブルバトルっていうものが知らないなら、事前に聞いてくれればよかったのに。ねえねえ、なんで聞いてくれなかったの?」
 オドリドリの主張はどう考えても無理があるのに、何故か私の胸にはグサっと突き刺さる。刺さるということは図星であるということだ、という、脳内に潜む自分の自尊心を執拗に下げてくる悪魔の囁きを、私は全力で否定する作業を始めないといけないのだけれど、それを行うのは酷く疲れるし面倒だ。
 そもそも、ダブルバトルという概念そのものが脳内にインストールされていなかった訳で、「ダブルバトルとは何か?」という疑問を呈することをしようがなかったのだけれど。
「困ったことがあれば相談してくれって言ったじゃん〜やっぱり私のこと怖い?」
 オドリドリは悪意らしい悪意を抱いている訳でなく、本当に矛盾に気が付いていない。いや、それも分からない。本当は気が付いているが、ストレス解消目的でこちらを追い詰めている。あるいは途中で矛盾を察したが引っ込みが付かなくなっているのかも。
 自由極まりなく想像を巡らしている内に、オドリドリが何を考えているかいよいよ掴めなくなった。
 脳内では必死に対象に対して矢継ぎ早に反論するが、それらの言葉が喉まで昇ってきたことは一度もない。私は何も言い返すことなく今回も順応さを見せつけるのであった。
「ごめんなさい、次からちゃんと聞きますね」
 悲しいことに私はこうしてだいたい言いくるめられてしまう。このように安々と敗北を認めてしまうことは後々上下関係を強めてしまう要因になるのは既に学習済みの筈なのに、数々の『不安』要素が体温を着実に奪うから、反論する勇気が跡形なく消滅し、残るのは汚い道化の笑顔を浮かべる自分だ。


 その後の自分は言われたことを反芻に更に落ち込むという悪循環モードにザパンと突入。客観的に見て別に大したことは全然言われてないし、人格否定たる鉄骨も与えられていないけど、何回も厭味ったらしい音声で脳内に反響させれば、それはそれは鋭利なナイフに変貌する。
下らない事柄で不安になったり悩んだりしてしまう体に変身した自分を情けなく思ったりして、余計に自己嫌悪のスパイラルに陥る前に、脳内に響く声を厭味ったらしいものから、昔海辺で聞いたコダックののほほんとした声にチェンジするのだ。そうすればするっと反芻から抜け出せるようになる。
 ところが抜け出せた矢先、不幸にももう一人の不安要素放出者が近づいてきた。私は、やはり心中のみで深く溜息を付き、笑顔で応対した。吐き出しかけたゲロを苦みを耐えながら飲むのが道化師オシャマリの十八番だ。
 苛立ちアピールのあざとい舌打ちを響かせがら寄ってくるときは大抵、誰かに不満をぶつけてスッキリしたいときだと決まっていた。不満を聞かされるだけならまだしも、彼の発言に相槌を打ったり「そうですね」と肯定したりするのがこの上なく面倒だ。
 ルガルガンが悪口を言う対象は、トレーナーに対してに限らず、他の人間、他のポケモン、あるいは物体に対してもだった。この間は◯◯シティの道路は横幅が狭いなどと誰目線なのか訳分からん発言をしていた。
 さて本日はその出っ張った口から誰に対するさがな口が飛び出すのかと身構えていたら、まさかの金のコイキングを釣るかのような思わぬご褒美が送られてきたのだから、いやはや、人生何が起きるか分からないと思った。私は彼の次の発言を聞いて哀しきかな嬉しきかな、思わずほくそ笑んでしまった。
「オドリドリが言っていたこと、変なのに気が付いた?」
「気が付いていました」
 高揚して浮き上がる体に従うかの如く即答した。
 ルガルガンは先程の会話を諸に聞いていたよう。更にオドリドリの発言の歪さも感じ取っていて、だからそれに物申しにきたのだ。
「オシャマリはダブルバトル自体が初耳だろ? どうやって聞けっていうんだよな」 
 さっき自分が思っていた内容とソックリ同じものが彼の口から放たれた瞬間、心の中が換気され黒ずんだ煙が吹っ飛んだ感触がした。いつもは愚痴や悪口を聞くときに沸々としたイライラが湧き上がる純粋潔白な私だったが今回はそういう感情がないばかりか、
(もっと欲しい)
 そんな風に思う自分がいて。
 そう言えば以前にもあった。誰にも捕獲されずげんなりしていたとき、ラッタに慰められ心のHPが回復したあのときと同じだ。
(毒でも回復できるんだなあ)
「本当はこうじゃないか」と自分が胸の奥底でひっそり感じていたことと内容は変わらないが、他者の口から発せられた言葉は確実な説得力を持って心に染み渡っていく。
「私もオドリドリが言っていることがおかしいことには気がついていたんですけど、どう言い返したらいいか分からなくて」
「あいつは知能が足りないんだよな」
(駄目だ、どう足掻いても心が暖かくなるのが止まらない)
「オドリドリはね、他人を見下したいだけなの。見下したいからああいうこと言ってるんだよ」
 私にポケモンセンター並みにコスパ良くHPを回復した。もう私は全然落ち込んでいない。自分は結構単純な存在なのかもしれない。
 都合の良い悪口だけ受け入れるのは些か都合が良すぎるが、それを考えるとせっかく回復したHPがまた削れられてしまうから、私はなるべく考えないようにしていた。そして、考えなくても神様に許されると思った。
 

 ユカの友人であるサメハダーを所持している、例のトレーナーがまたユカの所へ来た。二人はそれなりの頻数で顔を合わせている。あらかた一期一会の出会いしか無理な旅人がどうやって出会っているのかというと、セイゴの方がライドポケモンに跨って時間を浪費せずこっちまで来ているらしい。ユカの母親はセイゴがバトルやらトレーナーのことについて教育を施してくれていると思っているようで、「今セイゴといる」とポケセンの電話で言うと安心するとのこと。
 二人がポケセンのソファで座りながら会話している間、私は勝手にボールから出てサメハダーと落ち合っていた。何時かの天敵には何の恐怖心も湧き上がらない。連日私を脅かし、トラウマを呼び起こすまでに脳裏に焼き付けられた牙の輝きを見ても、食べカスが挟まっていることしか気にならず。もうここまで怯えられない私は、野性に帰ったらある意味存続不可だろうと思った。
 それよりも一抹も二抹も不安があるのが、手持ちのポケモンより他と親近感を持って接すること。ルールを勝手に形成してしまう難癖は誰しもあると思うが、私はルールを破っているのを察すると冷や汗タラタラになる。サメハダーと話している様子をオドリドリとかルガルガンに見られたら、赤面では済まされない程酷く恥ずかしく感じる。ただ、恥という感情が適切かは釈然としない。恐怖という感情もちょっとズレている。とりあえず胸の奥が妙にサワサワとしている。もっと仲良くせねばならない人達がいるだろうと怒られる気配が漂う。いや怒られる筈はなくて、ただただ、彼らの心中をざわつかせてしまう。彼らも口に出して言うのは恥ずかしいだろうから怒られる筈はない。そうか、恥ずかしい思いをさせてしまうのを嫌がっているのかなと思った。ずいぶんと私は延々と物事を深く考えて心配事を胸に宿すようになったものだ。他のオシャマリもこんな感じなら凄く同情する。
「久しぶり元気だった?」
「うん元気だったよ」
「こっちまでライドポケモンで移動するのって、どれぐらい時間かかったの?」
「だいたい一時間もかからないくらい」
「リザードンってやっぱり飛ぶのが速いんだね」
 彼と話すことなどそこまである訳ではなく、私達は他愛のない雑談を繰り返していた。私が聞きたいのは一点、彼の体がどうして傷だらけなのか、ということだけだった。中々雑談から上手くそこに話を繋げられず、一層ワザと壁に頭をぶつけて「イタタタタ思いっきりぶつけたから頭に傷ができそう……そういえば体中傷だらけだけどどうしたの?」という風に話を切り出す策略も考えたが、流石に無理があり過ぎると思った。なので結局、
「その傷あとどうしたの?」
 開き直って単刀直入に質問してみたのだ。
 多分今聞かねば一生聞けずに終わる。正直日和りたくて仕方ないし、サメハダーに嫌な気持ちを味合わせたら自意識過剰な自分では耐え切れるかどうか怪しいけれども。
「自分のことで手一杯です!」というのを体全体で表現しているような私が、どうして他人の傷の心配をするのかというと、彼に一応の救いの手を差し伸べることで、自分にはまだ他人のあれこれを考える余裕があると、自分自身に言い聞かせたかったから。後はまあ、他人の不幸話を聞きたいという欲求も一ミリぐらいはあったのかもしれない。
 サメハダーは酷く言いにくそうな素振りだった。ああこれはやってしまったと思った。ポケセンが賑やかな空間だったおかげで、気まずい沈黙が流れずに済んだのが幸い。「嫌なら言わなくて良いよ」と言うべきか迷ったが次の瞬間サメハダーが口を開いた。
「……まあ、もう少しで終わるから」
「終わるというのはバトルの大会のこと?」と聞こうとしたが十中八九そうだろうから止めた。
 やはりそうだった。以前も言った通りサメハダーの主人は凄腕のトレーナーであり、連日バトルを繰り広げている。すなわち、手持ちのポケモンたちを酷使しているのとイコールで、ゆえにサメハダーの体には無数の傷跡が残ってしまっているのだ。ポケセンでポケセンの悪口は言いたくないが、回復に使用される機会は超高性能ではあるが傷跡が残ったままになることは稀にあるのだろう。ぬるい戦闘しかしてない私の体には切り傷も打撲傷も残っていないが、彼のように激しい戦いを繰り返せば、一回ぐらいは完全回復できないこともあるかも。
(「もう少しで終わるから」と言っていたけれど大会が終わるまで我慢しているということなのかな……)
 しかし大会が終わってもまた「次」がやってくる訳で。果たして彼は、これからずっと酷使されることを自覚しているのだろうか。「見たくない現実」から目を背けていないか。
「大丈夫なの?」
 サメハダーは無言だった。もし彼が責任感の重しを必死に支えているのなら、押し潰される前にそれを消滅させたほうが良いのだろう。ただあまり部外者が介入するのも野暮だし、私は私で大変なことをそろそろ思い出したのでこれ以上は何も言わず終わった。

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