episode5.交錯

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読了時間目安:13分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 野生の頃は、あえて蔑称めいた言い方をすると雑魚の肉を食べて生き永らえていたわけだけど、人間に捕まれば捕食なんて行為をする必要はなく、じゃあ今は何を食べているの? というと、所謂ポケモンフーズを口にしていた。全身黒一色で四角くてゴロゴロしたそれは自然界に存在する物体でないから、私は困惑すると同時に恐れ慄いていた。
 いや、正直に言おう。当初の私は、ポケモンフーズは紛うことなきうんこに見えた。ああ、出来たてのうんこが数多くお皿に盛られている。もちろんそんなコメディタッチなことがあってたまるかだけれど、一度思い込むとイメージは頭にこびり付いて離れず、ついにはほんのり薫りまで感じるようになった。
 私は口に運ぶ勇気が出ず手の甲で一粒をコロコロ転がして弄んでいた。一匹のポケモンが出し抜けに首を近づけてきたのはそのときだ。
「トレーナーのポケモンになったのって初めて?」
 顔を上げるとオドリドリというポケモンの薄紅色の嘴が鼻の先にあり、思わずビクついた。ビクついたといっても少し体が揺れた程度だが。
オドリドリというポケモンは四種類にカテゴライズされる。目の前にいるのは紫色で、羽の先端が扇のような形をしていた。トレーナーが手持ちにしている内の一匹だった。
「大丈夫? もしかして私のこと、怖い?」
 オドリドリにも種類があるように、優しさにもいくつか種類があるとすれば、このポケモンが醸し出している優しさは、ヘドロのない湖のように純粋なものだと感じた。実際良いヒトだと思う。だからこそ私はこのヒトに、今でも不安を感じてしまっている。
「びっくりしちゃってごめんなさい。私はトレーナーのポケモンになったのは初めてです」
「結構生活リズムとか変わっちゃって大変でしょ」
「もうだいぶ慣れました。毎日楽しく過ごしてます」
「……やっぱり私のこと怖い?」
「そんなことないです」
「いやあでも驚くよね。いつも通りの日常を過ごしていたら急に捕まって。そして捕まったと思ったらいきなりバトルだもんね」
「確かに、ちょっと展開が早すぎると思いました。初日からいきなりバトルなんて。でも公式戦じゃなくてホッとしました」
 自分は自ら網に掛かりにいった珍妙なお魚、という事実は断じて公にすべきではないと思っていた。網に掛かりにいった理由が利己的過ぎて、真実を知られてしまえばどんなされること間違いないから。……いや違う、恐れているのは仲間外れにされることではない。自分が邪教な思考を持っているという事実を、自覚せざるを得なくなるのを恐怖している。平穏に過ごしたいなら人間に捕まれなんて思考を抱いていたのは母親ぐらいで、他のポケモンからは聞いたことがない。そんなことを考える者は少数なのだ。そして、そのことはなるべく自覚したくない。
「大丈夫? 私のこと怖い? 怖いよねやっぱり」
「怖くないです」
「本当に?」
「はい」
「……やっぱり怖いんじゃないの?」
「いや本当に怖くないです」
なぜかオドリドリは「私怖い?」を連発する。私が最初にビクついたのを気にしている? ここまで「私怖い?」と言われると、本当は自分を怖がってほしいのではないか。そんなふうに、私は邪推してしまうのだけれど。
「なんか悩みとか辛いこととかあったら遠慮なく私に相談してね」
「ありがとうございます。さっそくなんですが、」 
「まあ、うん。私が怖くて話しにくかったら、あそこにいるポケモンに聞いてみてね。私じゃなくてもね」
 窓際にいるルガルガンを指差しながらそう言う。
 あのルガルガンは最も古参なので、彼に聞くのは一応正しくはあった。それはともかく、私はオドリドリに言われた瞬間辟易とした。こんな具合に「どっちかにお願いして」、と提案してくるのは無責任過ぎるし止めて欲しかった。無駄に選択権を与えることにより返ってどちらにもお願いしにくくなっている。片方にお願いするともう片方から
「自分を頼りにしないということは嫌っているのでは」
 なんて良からぬ疑いを持たれるのではないかと、被害妄想を抱くことになってしまうのだ。
(私が気にしすぎているだけなのかな……)
 結局うんこについて聞くことは叶わなかった。仕方なく意を決し黒い物体を口に放り込んだ。
 

 所謂デジャブじゃない。私は、網膜を通過した記憶がある景色を、翌日再び目撃することが結構あった。そのことに気が付き始めたのは、ボールの中に居場所を移して一ヶ月が経過した頃だった。すなわちそれは、私が入ったボールをぶら下げた私の主人が、同じ道路を結構繰り返し歩いているということ。私の主人であるユカは旅人であるにも関わらず一つの町に割と長く留まる。
 ユカは以前母親とテレビ電話というものでこんなことを話していたことを覚えている。
「どう? 旅は順調?」
「うん、ぼちぼちかな」
「そう。頑張ってね。あれっ、もう次の島には辿り着いたんだっけ?」
「着いてるよ一週間前に」
「じゃあ仕送り送らないとね」
「うん、いつもありがとう」
 テレビ電話の画面が真っ黒になった後、苦笑いを浮かべつつボソッと独り言を呟いた。
「本当は次の島着いていないのだけどね」
 ユカは母親から仕送りを得るべく旅の進捗を偽ったよう。トレーナーとして生き残り続けるにはこんな邪な行いも必要だと知った。
 ユカは島巡りに幸福を感じてやっているのでなく、周囲から半強制的にやらされている。だから、旅のペースはそれなりに緩やかだし、悟られない程度に上手くサボっていた。だがそれは責められるべきことではなく、楽しくもなく生存に影響がある訳でもなく、そんなのを延々やるのはしんどいから仕方ない。島巡りを完遂せずとも一人前と見做さない社会が、不適切なのが悪い。にわかの癖に人間社会を理解したつもりでイチャモンを付けるならそういうことになる。
(それに、私は旅したくて捕まった訳じゃ全然ないから、トレーナーがさっさと旅を進めなくても別に何の問題もないんだよね)


 ただ、ユカの旅の状況にフラストレーションを溜めているポケモンも存在した。そのポケモンはユカの手持ちで最古残のルガルガンで、
「お前も災難だったな、あんなトレーナーの手持ちになんてなってよ。くじ運が悪いな」
 ルガルガンは、ユカに対する不満を他のポケモンにぶつけることが度々あった。
「そうなんですか……。私は他のトレーナーを知らないので比較ができないんであれなんですが」
 言葉を上手いこと濁したり、笑って誤魔化したり、相手の話に頷いて肯定しているように見せたり、ときおり「あー」と言いながら眉をひそめたりするテクをここで粗方学習した。
「俺さあ、もうあの人間から逃げ出そうと思ってんだよ」
「えっ、本当ですか?」
「あんな向上心のないトレーナーに捕まるくらいなら野生に帰った方が良いと思うんだよな」
 こんなことを言っているルガルガンだが、手持ちで最古残なことは何回か示した通りだ。彼が言っていることは一理あると思うけれども、言論と行動が矛盾しきっていた。
「お前だって、この数ヶ月であいつのやる気のなさは分かっただろ。居座っても良いことないよ」
「逃げ出そうかな?」という彼の発言だが、私はつい二週間前にも耳にした記憶があった。たぶん、私が来る前から言い続けている。
 呪文の如く同じ内容を何度宣言しようと、ルガルガンが行動に移すことは恐らく今後もない。本当は逃げ出す勇気なんて欠片もないのだ。
(野生に帰って自分で食べていく自信ないのかな?)
 失礼にも心の中で嘲笑った。嘲笑しつつもルガルガンの話に頷き肯定している感を出していた。心の声を実際に発言してみせないのは、彼の気を悪くするのが怖いからというあまりにも単純すぎる理由で、それ以上でも以下でもなかった。


(そういえば……)
 私はここで嫌な真実に気が付いたのを報告しておきたい。
 ルガルガンに対してもオドリドリに対しても、私は『不安』を抱いている。気を悪くしないかとか、嫌っていると誤解を招くのではとか。
 諄い程に今まで語ってきたように、捕まったのは捕食される不安をなくしたいためだ。不安材料を全て掻き消し幸せな日々を送るためだ。
 なので、こうして新たな不安が登場すると、精神的HPを消費し続けた日々が無駄と化す。本末転倒、骨折り損のくたびれ儲け。

 野生のころは唐突に食われて人生が終わらないか不安で。
 捕まろうと決心してからは誰かの手持ちに収まれるか不安で。
 そして捕まってからは、誰かに嫌われないかとか誤解を招かないかとか、そういう世間体を保とうとする発想から不安が生まれて。

(でも、おかしいな。食べられて死ぬ不安と比べたら、こんな不安はすごくちっぽけで下らない。どうして無視できず悩んでいるのか)
 生存に関わることで悩んでいた自分が数ヶ月後に、どうでも良さげな事柄で苦しむのは傍から見て滑稽な気がするし、自分でもこんなに不安を感じる理由が分からなかった。 
 オシャマリという種族に関するきな臭い噂もあるが、因果関係を見出すことが正解なのだろうか。オシャマリは他者の傍らでは辛かろうと不安があろうと表情に出さず、道化師の如く屈託のない笑顔を浮かべている。自分という異物が混入することで、周囲の人々の感情に乱れが発生することがないよう、灰汁の無い顔を徹することで平穏を保つ。
 つまり、周囲の感情を私が不安がるのも、オシャマリのそういう性質があるからなのか。
真意は分からないが種族特性のせいとすると、他にも苦しんでいる仔がいると思える分気が楽だ。
 うんこという非礼極まりない容疑をかけてしまったポケモンフーズは、意を決してしっかり噛んで食べたら凄く美味しかった。ただ、サメハダーから逃げた後にヨワシを食べた、あのときとあまり変わらない感触で。やはり、不安が残る状態では味に集中できず。
一日に一時間だけでも良い。どんなに小さい不安も抱えることなき日常が欲しい。それはとても高い目標で実現不可能なのだろうか。
いや、諦めてはいけない。今抱えている類の不安はいずれ自然消滅するのだと信じよう。新しい環境に完全に溶け込めるようになれば、他者の感情の変化などは気に留めなくなる。そうなれば、何の不安もない人生がついに送れる。そうポジティブに考えた。

 アローラ地方は四つの島から成り立っていて、他の島へ渡るには船を使う必要がある。ユカは次の島に移動するべく乗船した。母に怪しまれない程度に旅は進めないと不味い。
 船が動き出して数分くらいしてから、突然ユカは私だけをボールから取り出した。
訝しげな表情で見上げる私に対して、
「このあたりだったよね? 私達が出会ったのって」
 海を指しながら優しい微笑みを浮かべ静かに言った。確かに、私の頭上にボールが命中したのはこの辺にいた頃だった気がする。 
「君の故郷これで離れちゃうけど、これからも一緒に頑張ろうね」
 この辺は故郷ではないし、偶然訪れた場所の一つでしかないから思い入れはなかった。ただ、故郷を離れる私の寂しげな気持ちを気遣ってくれるのは純粋に嬉しかった。
 ユカは島巡りをやらされているからこんな状態に陥っているだけで、ダークサイド側のトレーナーではないのをどうにか上手く伝えたい。
 本当はユカは全然悪くはないし、強制的に島巡りさせようとしている大人も悪くないし、ユカに対し不満を抱くルガルガンも悪くないし、そしてたぶん私も悪くないのだ。
 みんな良心や信念に基づいて動いているだけで、他人を陥れてやろうという発想はない。ただ、歯車が何一つ噛み合わないだけ。
 誰も悪くないという言い草は何の解決にもならないが平和が訪れたと錯覚できるから良い。

 ユカも私も自分を偽ることで日常を乗り越えている。私は食われたくないという目的のみでワザと捕まった。そのことは誰にも告白するつもりはない。
「これからも一緒に頑張ろうね」とユカはさっき言った。だが、それは絶対に本心ではない。ユカは頑張ろうなんて思っていない。そして、私も頑張ろうとは思っていない。私はただ、安全な場所に居られれば良い。
 だが私は、本心を悟られないようにするためか、道化師オシャマリとしての性なのか、ユカに合わせて無邪気な笑顔を浮かべるのだ。
 

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