美しき死神の貌 ―マニューラー

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

第六章です。「ただの女」マニューラが本気を出します。




 厳粛な霊峰の白い柔肌に、ひそひそと夜が降ってきた。星々は地球の重力に抗えず、うずうずと降りたそうにしていた――五大家の冠は、まさにここで生まれ、この悠久の景色と共に神の加護と奇跡を閉じ込めていた。ブロル砦はその六合目で、今も断崖の上から剣の城を見下ろしていた――急に冬の嵐に包まれるまでは。

 馬車の壁はガタガタと震え、扉の隙間からは白い雪の手が伸びてきた。私と馬車引きはともかく、鳥の生傷には凍みるはずだ。私は火ネズミ・マグマラシの抜け毛で編んだブランケットを旅行カバンから引っ張り出して、ムクホークに頭から被せた。気づけば、山の嘆きに混じって馬車引きが私を呼んでいた。また外に誰かがいるらしかった。私は再び外に出た。

 吹雪の中から随分と古い言葉が聞こえてきた。古代モノミスだとは分かったが、それ以上のことが分からない。牧師の説教を盗賊が聞くのは、棺の中が最初で最後だなどと軽口は叩けない。無知なることとは、深い霧の中でぼろの吊り橋を渡ることに似ている。今は口調から判断するしかない。吹雪に耳をそばだて、必死に声を聞き取っていると、声の主は言語を変え始めたように聞こえた。

「マニューラ・ソーニャ・フェノーヴィだな。よく来たな」

 古風な訛りを残した野太い男声だった。吹雪が止み、眼前に雪男が現れた。縦に二メートル、横にも二メートル。体は雪と柴から成り、体のあちこちに紅白の木の実をつけていた。白目には申し訳なくポツリと黒点があった。最初はそれが怖かったが、よく見るとそれがチャーミングだった。だが、ガオガエン以上に太い腕――二十年物の杉の丸太ほどもあった――を見て、私をあまり怒らせない方がいいという無言のメッセージを受け取った。

「お前だけか?」

「連れがいるわ。でも仕事とは関係がない」

 その男、情報提供者にして、スペルダ近辺に居を構える山賊長・ユキノオーは馬車に目を遣ると、馬車引きに首を動かして、ついてこいと合図した。私は馬車に戻って、私のカバンから好きな物を出して食べていいと伝えた。この時にムクホークから聞いた話だが、ブロル砦はアウラスが十四の時まで修行に使った彼の隠れ家だという。

 白煉瓦だけで積み上げられた砦の中は、当時の様相をほぼ完璧に保存していた。トリデプス・ファランクス隊の甲冑は整然と武器保管庫の棚で眠っていたし、鋼鉄製の入れ歯も甲冑棚の隣の宝箱の中に入ったままだった。爪研ぎ用の砥石は今でも使える状態にあり、ユキノオーが使った跡なのか、白い毛が散らばっていた。鋳造所は流石に動かせそうになかったが、様々な種類の鎧の設計図が石壁に貼り付けてあり、当時の鋳造技術について見分を深めることが出来た。

 鋳造所の机上には当時の装着士の日記が置いてあり、アウラスの体がゴルーグのように大きくなっていくので、鎧を五回も調整する羽目になったと几帳面な字で書かれていた。最終的にアウラスの身長は一・七八メートル、体重九十二・三キロ、どの角度から見ても毛皮越しに鋼鉄の筋肉の陰影が仄めかしていたという。彼が骨棍棒の練習用に使っていた槍の総重量は五十キロ、太さは直径三十センチ、長さは二・三メートルで、彼はそれを片手で「箒のように」扱ったと書かれていた。

 食堂から東の階段を上ると二階の居住区に出られた。ユキノオーの手下の山賊達が体から出た柴の破片を床やベッドに散乱させ、だらしなく生活していた。彼らの半分は、ユキノオーを半分の大きさに縮めたユキカブリで、目つきもユキノオー以上に可愛げがあった。だが、ひとたび口を開けば、聞くに堪えない山賊の冷たい罵りが飛び出した。もう半分は、ユキノオーが下々から攫ってきた召使いだと彼自身が教えてくれた。その一匹、キノガッサの老婆と一瞬だけ目が合ったが、彼女はしなびた表情を変えることなく、キッチンで食事の支度を始めた。一通りの案内が終わった後、我々は砦一階の大食堂のテーブルについた。

「さっそくだが、まずは仮面を外してもらえるか。そのアズマオウのぎょろ目が気になって仕方ないんだ」

 信用の話を持ち出されれば、私は素顔を見せるしかない。だが、どういうわけか、私の顔を見た者は不幸に見舞われるジンクスがあった。例外はエンブオーと牧師だけで、残りは私の前から去っていった。だが、この大男がどうしても見たいというならば仕方がない。私は仮面を外した。ユキノオーは今までの男と同じように息を呑んだ。

「確かに、仮面は必要かもしれんな」と彼は言った。 「サファイアのような目だ」

「私のせいじゃないわ」

「褒めたつもりだったんだが」

「もちろんよ。でも、もういいかしら。これをつけていないと不安なの」
 私は仮面を机から持ち上げようとしたが、ユキノオーの手に止められた。

「駄目だ。今日は俺が独り占めする」

 嫌味だと思われても、私は自分の顔が嫌いだった。顔の造りという話ではない。母親から受け継いだ青い目がどうしても許せなかったのだ。他と違うだけで白い目で見られることを譲ったとしても、この「生まれつき」という呪いは解決しようがない。だから、顔を隠す選択肢は私にとって合理的で理想的だったし、この顔を交渉や篭絡のための武器にすることは、路地裏のごみ箱を漁る姿を見られる以上に癇に障った。だが、この顔に生まれた以上、せめて前向きに利用することに決めていた――そう、前向きに。

「目を褒めてくれたのは、あなたが初めて」

「試すなよ。本気にしてしまいそうだ」
 私は心にもなく微笑んでみせた。

「ところで、本当に君だけか?」

「ええ、怪我をしたハンターを州境の休憩所で拾ったのを除けばね」

「話が違うな」とユキノオーは両手をぴったりと机の上で合わせた。 「君の部下を当てにしていた。俺からは数匹しか貸せない。山から下りたら、すぐに別のヤマを踏まなくてはならないんだ」

 両手を寸分違わずに合わせる行為は、我々の世界で「金の話をしよう」という合図だった。

「百あるわ。十分?」

「四百だ」

「二百」

「三百」

 我々は二百五十万ボアで戦力を売買することに合意した。

「何があったんだ?」

「詮索する前に、金の話はもういいの?グラエナから情報料は受け取ったはずよね」

「ああ、そうだ。ありがとう。それで?」

 私はニチスチヴィから孤立しかけていることを黙っておいた。そんなことをしても、彼は私の助けにならない。裏の世界では、己の機転と勇気、そして何よりも沈黙が役に立つ。それ以外の時、我々は常に嘘をついている。

「気が変わったのよ。だって、世界一大きいサファイアでしょう?誰かに渡すなんて勿体ないわ」

「そうかもしれんな。十億の価値じゃ利かないからな、マナフィエィ・ドゥシャは」

 ユキノオーがテーブルの上を軽く二回小突くと、狭苦しいキッチンの方からキノガッサの老婆が現れて、夕食を赤杉のお盆に載せて持ってきた。かぼちゃとバンジのピリ辛シチューパイだった。

「知っているか?ドゥシャは人間の古い言葉で、魂というらしい。いつ誰が人間の言葉で名付けたのか知らないが――マナフィの魂とはな」

 ユキノオーはほくそ笑み、シチューパイをお盆の上から取って、そのままバリバリと貪った。パイの欠片がテーブルの上に散らばり、木と木の間に挟まった。私の胃の中には昼間のサンドウィッチが残っていた。

「君はどこまで詳しいんだ?」

「全然。ロマンとか伝説とか、おとぎ話はお金にならないから」

「金は生み出さないが、命を生み出すそうだ、その宝石は」

「命を?」。私は思わず笑ってしまった。

「信じていないのか?」

「そりゃそうでしょう。そんな力があるなら、グレイシア・ロクリアは戦死者を蘇らせたんじゃないの?そうしたら、今でも山の麓で火の手があがっていたかもしれないわね」

「いや、グレイシアには出来なかったんだ。性別の問題でな」

「男だったから?」

「ああ、マナフィの海の血は女しか生まなかった。だから、家長もみんな女だった。だが、どんなルールにも例外はある。例えば、最後の剣王の甥っ子とか」

 私はシチューパイに銀の針で穴を開けた。針の接触面に変色なく、異臭なく、毒物混入がないことを確信した。パイの穴からじわじわと湯気が出てきて、牛乳とブイヨン、バンジとかぼちゃの家族による、どこにでもあって欲しい一家団らんを鼻の中に運んできた。

「政治はどんな場所にもあるわ。意思疎通が取れる世界なら、一ミリの砂粒の中だって。神々だって同じことをするんだもの。政治とは、アルセウスが生んだ最初の原罪」

「だから、君は神を信じないと?」

「雲の上で罪を数える暇な連中よ」

 私はシチューに息を念入りに吹き込んで舌を入れた。下顎が跳ね上がり、全身の毛がよだった。

「グレイシアの奥さんはどうしたの?娘は死んだと聞いたけど」

「聞くまでもないな」

「だったら、ただの大きなサファイアね。自分の命さえ勝手に出来ないんだもの」

 私はようやくシチューに口をつけることが出来た。優しい下味だったが、喉まで響く辛さだった。その後味は、純粋無垢な子供が宝探しを通じて大人の階段を一歩だけ登る物語か、買い被った少女向けの寓話の読後感にも似ていた。

「どうやって宝石の場所をつかんだの?エンブオーでさえ国中ひっくり返して、二十年掛けても分からなかったのに」

「知りたいか?」

「それはもう」

 ユキノオーは私の目をじっと見て、ため息混じりに言った。

「やめておこう。君のように、神を信じない女性には注意しないとな。そうでないと、何もかもを打ち明けてしまう」、ユキノオーは立ち上がった。 「屋敷を見せたい。すぐ近くさ。君の馬車を借りても?」

 私達は馬車が入っている厩に向かった。ムクホークとギャロップは馬が合ったらしく、お互いの武勇伝で盛り上がっていた。私が楽しみに持ってきた、ビークイン・ボリス印のモモン・ミード・リザーブ五本全部が開けられて地面に転がっていた。ラベルの蜜蜂・ミツハニーは私に向かって「また今度」と営業用の微笑みを浮かべていた。

「ああ、仮面のお嬢。ちょうど良かった。そろそろ女っ気が欲しいと――」

 千鳥足のムクホークは、そう言いながら私の背後にいるユキノオーを見て、「思っていたんだ」という言葉を飲み込んだ。顔は酔いが一時覚めて、足元は引き締まり、鶏冠が左四十五度に傾き、目は細くなっていた。

「どこかで会ったか?」

「どうだろう。自分の手に負える以上に顔が広いんだ。思い出話の一つでもしてくれたら、あるいは」

 妙に決まりの悪い空気が漂っていた。ムクホークはまだ悩んでいたが、馬車引きは場の雰囲気を察してこう言った。 「きっと、蜂蜜酒のせいさ」

「それより、これから例の屋敷に行くの。もうひとっ走り頼めるかしら」

「すみません、もう飲んでしまったもので……」

 メンデモール邸はブロル砦から南東五百メートルに山を下った場所に立っている。一応、道もレンガで舗装されており、大した距離でもない。だが、私が持ってきた蜂蜜酒の度数は二十八度で、どちらが多く開けたかは知らないが、この壮年の雄馬の四本の足が、生まれたてのポニータのタップダンスを道端で披露してもらうわけにはいかなかった。

「歩きましょう。どうせ、私達なら平気だわ」

 外に出ると、上弦の三日月が東南東の空に見えた。控えめに頭を出し、今にも地平線という柵をようやっと超えて登ってきた童顔の月だった。だが、その顔色はガルニエ号のアトリウムで見た時と同じく紅潮し、見えざる影の矢がこちらに向けて飛んでくる予感を覚えた。

「いい月だ」と隣の大男が投げやりに言った。

「そうね、確かに」

 私の手足は、私が考えるより先にラブナヴィキの冷気を取り込んで固め終わっていた。


 * * *


 深藍の雪の陰から姿を現したメンデモール邸を初めて見た時、私はここに来たことを心の底から後悔した。

 三階建ての屋敷は見事に倒壊していた。腐った黒樫の五臓六腑を外気に晒し、破片がそこら中に飛び散り、うなだれた柱と簗が屋敷の空間を歪ませていた。エントランスホールだった場所にはガラスのシャンデリアが砕け散り、総重量およそ百グラムにも満たない金細工の部分だけが綺麗に取り外されていた。雪の上では、恐らくは二階の書庫から飛んできたであろう黒く風化した本が、その一枚一枚の隙間に吹雪に侵されては、苦しそうに深呼吸していた。屋敷の奥にはグノーイの森と同じくらいの敷地を持った、古代スペルダ様式の墓地が広がっていた。奇妙なことに、この哀れな館とは違う運命を辿ったのか、全ての墓標には傷一つなく、永遠の吹雪の中、南西にそびえる都市を眼下に、子孫が辿った寂しい命運を見届けることを許されていたようだった――気付けば、私の周りには数多の足音があった。

「悪く思わんでくれ、ソーニャ」

 別れを惜しみ、そして勝ち誇った上品なスペルダ訛りが、私の背中をどんと押していた。

「これが全てだ。もう君の分は残っていない」

 振り向けば、ユキノオーは砦で見た時より多くの武装したユキカブリを従えていた。サイズの合わない鉄兜が滑稽味を出していた。

「意気地なし」

 この喉から出てきた第一声はそれが最初だった。 「あなたが流した噂だったのね」

「年の功さ」とユキノオーは言った。 「ルカリオ・アウラスは冠を持ち出したが、もう誰にも見つけられなかった。冠も珠玉も、彼はどこかに捨て去ってしまったんだろうよ。だから、罠を張らせてもらった。外国から来た宝石商や君みたいな無知な盗賊が来ることを期待してな。引っ掛かったのはこの五年で君が初めてだよ。若いことは素晴らしい。だが、それ自体が罪なこともある」

「狙いは私の金?」

「馬車の中に三百万持って来ていたそうだな。それと、君の命だ」

 ムクホークとギャロップの顔が脳裏に白く閃いた。だが、今の私には彼らの心配をしている暇はない。

「ヘルガーが黙っていないわ」

 ユキノオーは腹の底から響く、気風のいい、明るくどす黒い笑い声を吹雪の中に響かせた。彼は、私の女王の座に火がついていることを誰かから聞いており、だからこそ、それで金の話を引き出すために、私が部下を連れていないことを執拗に確認していた――そこまでは容易に想到出来た。組織の中に裏切り者がいることは間違いない。それはヘルガーかもしれないし、ガオガエンか、グラエナか、他の誰かかもしれない。あるいは裏切り者と呼べるのは、真の意味で私であることも承知している――ヘルガーが喉笛に飛びつきたいほど大好きなエンブオーの片棒を知らずに担がせていたとヘルガーが知ったら、バルジーナの略奪団を割ろうと私が唆した時には既に、私は牧師の元でバジリスクの軍隊格闘術と秘伝の射撃術を修得し、ニチスチヴィを作る目的が最初からエンブオーに献上するためで、牧師がエンブオーを操るために私に作らせたのだと知ったら――私はどの側面から見ても裏切り者なのだ。

「もう金は十分みたいね」

「君の顔は忘れないだろう。いつ、いかなる女といる時も、俺は君の目を思い出している」

 プロポーズの言葉にしては悪くない。墓標に刻む詩にしても。

 私は仮面を外した。森と雪がどよめいていた。





「こんな顔で良かったら、地獄まで持っていくといいわ」
剣盾DLCの圧力やばい。タイトルも中二。お許しください。

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