生まれついた場所

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

第五章その2です。

●あらすじ
 マニューラとムクホークを乗せた馬車は更に東へ進んだ。だが、そこに予期せぬ客が現れた――マニューラの同族の雄達である。その「サインズ」という名の盗賊達に対しして、女は嫌悪感を、男は憐憫の念を抱いた――
 ラブナヴィキの裾に沿って東上すると、高原の緑の化粧は消え、山は無骨な灰色の素肌を晒し始めた。馬車引きは四本の足に分厚い蹄鉄をしていたのだが、向かいの男はいざ知らず、うっかり崖の近くで鋭い岩を踏んでくれるなと口酸っぱく注意していた。

 左にそびえ立つ岩肌とは反対に、右手には帝都の跡地を見下ろせた。悪徳と退廃の果てに、時の神に撃ち滅ぼされた街・スペルダ。霊峰に住まう時の神は、役者を人間から我々に挿げ替えただけの空疎なパロディを冷めた目で見続けていた。残念なことに、自由を与えられた者のほとんどは他者の模倣を始める。スペルダもそんな風に出来た街だ。リチノイもいずれそうなる。

 私はグラエナの報告書をもう一度読み返した。情報提供者のユキノオーは、道なり二キロ先のブロル砦で私を待ち構えている。こんな言い方をしたくはないが、我々の世界では何事も「間違い」があってはならない。我々の間にはつなぎ役もいなければ、話し合いが決裂すると、少なくともどちらかが血を見ることになる。都市の盗賊業は完全なるビジネスだが、田舎の盗賊はレジャーに近い。この辺りでは、血を見るくらいしか楽しみがないのだから。

「やめておいた方がいいのによ」。ムクホークは山を見上げながら言った。 「金だかスリルのためだか知らねえが、悪いことをすれば必ず罰が当たるんだ。今まで神に背いて好き勝手やったくせに、崖っぷちに立たされた悪党が皆、アルセウス様、レシラム様、お願いですからご慈悲を、なんて涙を目に溜めるのはどうしてだろうな?」

「死んだことがないからじゃないの」とだけ私は答えた。

「お前のことを言ってるんだぜ」

「私は死にながら生きてきたわ。スラムの物乞いだった頃からずっとね。たとえ、今、この心臓が悲鳴を上げてそのままになったとしても後悔はない。死ぬ場所が肥溜めやベトベトンの体の中だったとしても、私は何も感じない」

「本当にそう思ってるなら、お前はまだ乞食をしていたはずだ、それも自分の意志でな。本物の皮肉屋ってえのは何でも知っているが、何もしなければ、何も望まないもんだ。そのかばんに詰まった札束だって紙くずに見えるだろうしな。ただの捻くれたロマンチストなんだよ、お前は」

「私がひねたロマンチストなら、あなたはルサンチマンの底辺よ」

 本音で話すのは、いつだって気分が悪い。そうでないという者は、何も考えていない。我々はお互いに皮肉的な敵意と軽蔑の視線を送り合っていた。

 唐突に私の体が前方に投げ出されそうになった。馬車が急停止したのだ。外から馬車引きの助けを求める声が聞こえてきたが、窓の外を見て、安易に外に出るのは得策ではないと判断した。私達の周りは、この辺りを縄張りとする山賊に囲まれていた。

「道を間違えたようだな、公爵閣下。スペルダならこの下だ。いい近道を案内してやろうか?」

 馬車の中から見る限り、賊は三匹見えた。皆、私と同じマニューラだった。全員耳が長く、目も赤かった。私とは違って、伝統的な家系らしい。恐らく、食事を終えたばかりの爪の間には黒ずんだ赤色を認めていた。

「サインズか」、ムクホークは喉の井戸にぽつりと声を落とした。

「知り合いなの?賞金稼ぎだったんでしょう?」

「お前こそどうなんだ?同族だろう?」

 私は同族にいい思い出がない。子供の頃、私は父をルカリオ・アウラスに奪われ、ツァモドレニの森から母を探しに出た吹雪の谷で、彼らの一族に狩られそうになった。当時を思い出すだけで、頭がかきむしったように熱くなる。背中の毛皮を爪でめくられた感覚は一生忘れないだろう。

「大事な話し合いの途中で申し訳ないが、外に出てくれないか?どちらか一匹でいい」

 通りが良く、威厳のある、やや高めの声の男が二言目を発した。他の山賊は馬車の車輪を蹴飛ばしていた。私はもう二十過ぎの女だった。もう吹雪と爪の記憶に怯え、鏡を見る度に目を背ける必要はない――私は馬車から降りることにした。
 外に出た時、そのマニューラの男達は、私を指差して小馬鹿にしたような歓声を上げた。

「これは驚いた。同胞だ。香水なんかつけてやがる」、右目に三本の切り傷を縦に帯びた男が言った。

「ああ、その魚臭い仮面もな。顔に火傷でもしたのかい、お嬢さん?」、大男が続けた。

 馬車の影からは別の二匹が現れた。一匹は左手の第一爪が折れて根腐れを起こしていた。もう一匹は右の尻尾がなかった。野で暮らすマニューラは通常四、五匹の群れを作って生活するが、彼らもご多分に漏れていなかった――ところで、私は初対面の者から本名を聞くまでは、心の中で勝手なあだ名を付けることにしている。先ほどの爪欠けは「クラック」、右尻尾のない「レフト」。馬車の中で見た三匹だが、右目に三本の黒い切り傷がある男は「スカー」、我々六匹の中で最も体格が大きく、強面の「ビッグ」。最後に、ベルベットのような滑らかさと落ち着きをもたらす声の男は、顔立ちも優れていたから「チャーム」と名付けた――もし私が自分にあだ名をつけたとしたら「マスク」か「ブルーアイ」だったろう。ネーミングセンスは壊滅的だが、盗賊は何事もシンプルで分かりやすいことを好むのだ。

「この先に用があるの。縄張りを侵したなら謝るわ」

「謝る?謝って何の役に立つんだ?」、ビッグが私の後ろに立ち、馬車の扉に手をついた。

「仮面なんかつけて謝るなんて、俺達でもおかしいってことぐらい分かるんだぜ」、クラックが仮面を外そうとしたので、私は手を払った。

 ふと足元を見ると、スカーが足を使って馬車の車輪の下に小石を挟んでいたのが見えた。陽はレウィンの水平に落ちかけている。夜になれば馬車も進めない。くだらない男達とお喋りを楽しんでいる暇はなかった。

「金を持ってきているように見えるのかしら?」と私はチャームに鎌をかけた。

「よそ者はみんな金持ちさ」

「こいつ、目が青いぜ。メタモンはお前の母親をよく見ていなかったのか?」とスカーが立ち上がって、私の仮面の中を覗いてきた。

「しかも甘くて柔らかい肉の匂いもな!同族でこんなにうまそうな奴は初めてだ!」

 レフトの情熱的な視線は私の尻に向けられ、彼は右手の爪を舌なめずりしていた。真面目ぶる影でチラチラと見るよりは直線的で結構だが、これではただの獣である。それとも、我々は根っから獣なのだから、露骨に嫌がらない私が不自然なのか。シャーとでも威嚇すれば良かったのだろうか。

「いくらなら通してくれるの?」

 私はさりげなく腰を落として、車輪に詰められた石を取り除こうと右手を伸ばした。

「決まってるだろう」と言って、ビッグが私の右腕をむんずとつかんだ。 「全部だよ、お嬢さん」。 チャームを除いた全員の爪が一斉にむき出しになった。かわいそうだが、この五匹の穴という穴に氷柱を突っ込むしかない――そう考えた時だった。

「ちょっと待てよ」。ムクホークが馬車から下りてきた。 「女一匹に何をむきになってやがる?シェールのガキども」

「千里眼!てめえ、何でここに!」

 男達は明らかに怒りで動揺していた。敵視が一斉にムクホークに向いた。私はその隙に小石を手で払って取り除いた。

「覚えてくれていたとはな」とムクホークは落ち着いた声を出した。 「もう十八年にもなるのか。奴は獄中で改心したよ。お前達を愛していたともな。それが何よりの救いだった」

「それをお前が言うのか。俺達から親父を奪ったお前が」。ビッグの瞳孔は興奮で二つの黒い満月と化した。私はつかまれた右腕をほどこうとしたが、ムクホークは首を振った。その威厳ある鷹は、包帯の端々を鉢巻のように風になびかせ、鳴き声もあげず、翼を広げることもなく、山賊達を完全に封殺していた。

 山の向こうから乾いた風が下りてきた。冷たい砂が我々の足元に絡みつき、誰かが体を赤く染めるのを待っていたのやもしれないと思った。

「怪我をしているな。誰にやられた?」。チャームは私達を交互に見て言った。 「まだくだらないヒーローごっこを続けているのか?」

 ムクホークは私を一瞥した後、小さく息を溜めて答えた。 「まあな。だが、今日で引退だ。傷は全部、その女にやられた」

 サインズの男達の視線が一斉に私に向けられた。もはや私への軽薄の色は顔に出ていなかった。

「今日から俺も盗賊だ。そういう決闘の約束だったよな、クイーン」

 男達は困惑し、戦意を喪失した目を見合わせた。ムクホークが名うての賞金稼ぎだったという話は本当だった。サインズは私達を諦めようとしていた――ビッグ、ただ一匹を除けば。

「だからどうしたっていうんだ。てめえはただの老いぼれだ!」

 ビッグは私の右腕を手繰りよせた。

「よせ、シックル!」

 私は振り向きざまに、ビッグ・シックルの体を左腕で引っ張りながら、彼の喉を右肘で突いて潰した。彼は喉を押さえ、ガラガラとしたうめき声を出して地面にうずくまった。力加減七割、一時間は声を出そうとは思わないだろう。

「雑種のカスが!」 「ふざけやがって!」。スカーとクラックが向かってきた。

「やめろ!もういいんだ」

 チャームは私達に割って入ると、すぐにビッグに肩を貸した。そして、我々に道を譲ると、何も言わず、雪山に去っていった。我々は馬車の中に戻り、東への旅を再開した。

「子供は生まれる親を選べないんだ。親も子を選べないんだろうがな」

 ムクホークと私は、同じ窓を見ながら、黒い粒になったマニューラ達を見ていた。彼は父親の目をしていた。彼に子供はいなかったはずだが。

「その体でどうして出てこようと思ったの?」

「俺はこういうことで打算的になれない男なんだ」

 サインズの群れが視界から消えるなり、彼は神妙な口調で語り始めた。

「あいつらの父親はな、シェールって名前のマニューラだったんだが、控えめに言っても救えないクズ野郎だった。あいつは最期まで、自分が捕まったのは子供達が俺を助けなかったせいだと。せめて俺の身代わりになれば良かったんだと言っていた。ここだけの話さ」

 ムクホークの寂し気な横顔が、レウィンの水平に沈む斜陽に立ち向かっていた。少しだけ、セイセルの面影を感じた。私は、彼にありがとうと口を開こうとした。

「あいつに比べたら、お前なんか小悪魔だよ」とムクホークは笑った。 「穴倉での借りはこれで返したぜ。まあ、それでも感謝したいなら、いくらでも謝意は受け取ってやるがな」

 本音で話すのは、いつだって気分が悪い。いつだって、私は間が悪かった。

「貸し借りなんてみみっちい男ね。当然じゃない、私はクイーンなんだから――」

「騎士が守ってやらなきゃいけない」

「部下を守る責務があるのよ!誰が、あなたなんかに守ってもらうもんですか。私がその気になりさえすれば……」

 私はそう言いながら、両耳と顔に熱がこもるのを感じていた。ムクホークはただ微笑んでいた。仮面をつけていて本当に良かった。

「いいわよ。私の負け。今回はね」

 後になって、私達は腐れ縁になる素質があったと気づいた。良縁には鬣しかなく、悪縁には尻尾しかない。我々が一つの縁を終える時、決まってそう思うのだ――後になって。
書き溜めが結構出来て満足……絵心さえあったらもっと良かったのにと物思いにふける、秋の夕暮れのスペルダ。剣盾のDLCには浮気せず毎日投稿する……と思う、多分。

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