3-1 紅き記憶、最悪の遺産

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読了時間目安:14分
主要登場キャラ
・師匠(プリン)
・ソワ(ルンパッパ)
 ──それは光。
 暗く澱んだ心に差した、一筋の光明。
 あの日、あの時あの方が拾ってくれなければ、私は自らの心に住まう怪物に食い殺されていただろう。
 
 誰しも運命的な出会いというものが、生きていく中で一度は存在する。それは自分を良くも悪くも劇的に変えてしまうものだ。そしてあの方は、自分に生きる目標をくれた。闇の中で彷徨うばかりだった私を、その小さな手ですくい上げてくれた。

 しかしあの方は、私にだけ特別に扱ってくれる訳では無い。あの方はお優しい。
 目の前に困っている者がいれば、あまねくその手を差し伸べるだろう。そういうお方なのだ。
 そして一見後先を考えていないように思えるその行動も、その明晰な頭脳による堅実な計画に裏打ちされている。

 あの方の行動は周囲の者に必ず影響を与えてしまうのだ。それがきっと生まれ持った資質。集団のリーダーたる資格だろう。
 だから皆はあの方について行くのだ。誰もがその瞳の見据える未来を信じて突き進む。
 
 だから私は特別では無いのだ。
 あの方が過去に救ってきた、そしてこれから救うだろう数多の市民のうちの一匹。それが私。
 それでも私は満足だった。
 別に特別でなくともいい。共に戦い抜く仲間と同じ立場で、ただあの方についていくだけでも。

 ただほんの少し、誰よりもすぐ側に置いてもらえれば。それだけで私は満足なのだ。

 ろくに戦えず、教養もない私。
 なんの取り柄もない、ただ喚くばかりの私が。

 いつもあの方を目にできることが、奇跡なのだから。

 
 それなのに──


 

 ──記憶は紅。
 アイツを思い出す度、視界は紅く染まる。

 ささやかな願いは、エゴの詰まった欲望へと姿を変えていく。
 
 望んではいけない。望まれてはいけない。
 自戒の鎖を引きちぎるように、重くどろりとした得体の知れぬ感情が胎動していた。

 
 誰か。
 誰かこの怪物を私から取り除いてくれないか。
 
 胸に穴を開け、抉り取ってはくれないか──



          ※


「師匠、お客様がお見えです」

 ノックの後、部屋のドアを開けたソワにプリンは顔を上げた。

 時計を見ると午前十時。プリンにとっては山積する書類を片付ける予定の時間である。
 ギルド直属の探検隊は仕事で出払っていて、生徒たちはそれぞれ時間割通りに訓練に励んでいることだろう。
 
 ──はて。今日は面会の予定は入っていなかったはずだけれど。

「どなた? 面会なら事前の予約が必要だけど」

「それが……鍛冶屋の方で、どうやら緊急とのことでどうしてもと……」

 鍛冶屋の……?

 ソワの言葉を聞いてプリンは怪訝な顔になる。
 普段なら予約無しの面会は断っている。依頼なら依頼書を書いて送ってもらえれば掲示できるし、トレジャータウンのお店の経営についてであればじっくり考える必要があるからだ。それにプリンにはギルドとギルド連盟の仕事があって忙しい。事前に連絡があれば調整もできるからそうして欲しいのだが……。

 しかし相手は鍛冶屋だという。
 鍛冶屋はトレジャータウンを少し外れた山の麓にある。彼らはその仕事の特性上、あまりそう頻繁に姿を見せることは無い。家の建築や修理の依頼が入らなければ、山の近くの小屋にこもったままだ。
 そして、彼らがギルドに相談にくることも少ない。そう頻繁に資金の問題が起きることも無いのだろう。
 
 そんな彼らが、緊急と言ってこんな時間に面会に来るとは──

 プリンは自らの机に目を落とした。そして積まれている書類の高さを計算する。
 山積する書類はほとんど期限間近のものばかりだ。しかし……まぁ、少しばかりペースを上げれば後回しでも間に合うだろう。
 
 後の自分に希望を託して、プリンは決心する。


「お通しして。面会しよう」

 
          ※


「お見えになりました」

 ソワがドアを開け、そこから顔を覗かせたのはマグマラシだ。恐る恐る、という顔で中に入ってくる。頭には地面に垂れるほどの長い白ハチマキをつけ、肩には小さなカバンを提げていた。 
 
「ありがとう、ソワ。下がっていいよ」

 プリンの声にソワは無言で頭を下げてドアの向こうに消えた。
 面会の時は、原則プリンが一対一で対応するのが決まりだ。そのためソワも要請がない限りはすぐに席を外す。

「どうぞ、座って♪」

「あ、ありがとうございます……」

 マグマラシはお辞儀をして、案内された応接用の大きな椅子に座った。だがどこかぎこちない。不安そうな表情からも、緊張しているのが読み取れる。

 プリンも彼の前の椅子に向かい合って座る。そして、落ち着かないマグマラシの緊張を解すように、先に口を開いた。

「お久しぶりだね、パイロさん。前回は……ココドラのバルカンさんだったっけ」

「はい……。彼は少し臆病ですから、今日は僕が……」

「あ、バルカンさんのお兄さんに会わなくていいの?」

「ああ、いえ、挨拶はまたの機会に……」

 パイロは相変わらず落ち着かないようだ。

 パイロとバルカン。つまりマグマラシとココドラは二匹で鍛冶屋を経営している。
 主な仕事は鉄製品など、金物の製造だ。木よりも丈夫で硬い鉄は、ごく限られた用途で生活に取り入れられている。それは建築の補強であったり、家具や道具の製造だったりする。
 
 彼らの仕事は生活に大切なものではあるが、それだけでは他の仕事と大した重要度の差はない。
 しかし彼らはより貴重な職人であることには間違いないのだ。
 それは、鍛冶屋の経営にはギルド連盟のライセンスが必要であるからだ。

「本題に、入ってもよろしいですか」

「うん……どうかしたのかな。緊急、と聞いているよ」

 思い詰めたような表情で俯くパイロ。しかしキッと顔を上げて口を開く。

「実はご相談があって……師匠は、私たちの仕事について、最もよく理解されていますよね」

「……一応、そうだね。キミのライセンスの発行名義にも、ボクの名前があるはずだし」

「もしかすると……条約違反が起きたかもしれません」

 彼の言葉にプリンは思わず息を飲んだ。


 そもそもなぜ鍛冶屋の経営に特別なライセンスが必要なのか。それは、ギルド連盟における国際条約があるからだ。
 鍛冶の技術を持つ者はごく少数に限られていて、一般市民には手を出すことが出来ないように制限されている。
 厳しい審査を突破し、技術の漏洩をしないと認められた者のみが就ける職業。

 その条約、その理由はまた更に大きな条約によって定められた。

 
 それは、レガシーに関する条約だ。


 レガシー、つまり人遺物。
 過去に存在し、現在より遥かに高度な文明を築いたとされる、人間の遺したオーバーテクノロジー。
 
 迂闊に手を出せば世界の均衡が崩れかねないそのレガシーの一つに、鍛冶技術は抵触していた。

「刃物……かな」

 最悪の想定をプリンは口にする。

 剣や包丁といった刃物。A級人遺物に指定されているものだ。そして、鍛冶技術においてもっとも憂慮されるべきもの。
 人間社会において生活に密接した道具であったといわれ、そして相手を害するための武器でもある。
 
 そもそもこの世界には何か道具を使って敵を倒そうという考え方がほとんど存在しない。危険物を用いるより自らの技で攻撃したほうが余程狙いが定まるからだ。
 だがもし刃物が広まってしまえば、例え貧弱な身体の者でも致死性の攻撃を繰り出すことが出来るようになる。なにせ高い純物理性を持つ道具だ。攻撃力の高い「技」とは傷のベクトルが違う。

 例えルールを制定しようとも刃物による殺害事件は必ず起きるだろう。
 刃物が現文明に与える影響を考えれば、この技術は封印されるはずだった。幸運なことに、ポケモンには人間にはない強力な技がある。木材を切るにも、食材を切るにも技を使える者がそれを代行するし、鉄製ではない道具で、ある程度物を切る事が出来る。つまり刃物は必要ない。

 しかし刃物は封印指定ラインであるS級人遺物から半ば強引にA級人遺物に格下げされた。
 それは、刃物を「使いこなす」という意思の表れだった。
 市民には存在のみ広め、使える者を限定させる。
 それが新たな方針。あくまでもその利便性は享受しようというギルド連盟の会議の結果だった。
 
 結果として利便性は向上。刃物の製造、使用にはライセンスを設け、一般市民には刃物の危険性を広めさせた。
 道具を使って攻撃しないという習慣のおかげもあって、刃物は「専門職の道具」程度の認識に収まり、大きな事件も起きていない。

 しかしてその危険性は変わらない。
 直接ポケモンの身体を切り裂く頑丈な武器が、悪しき者の手に渡ることは避けなくてはならないのだ。もし鍛冶屋が脅されでもして刃物を渡してしまったら──

 しかし、パイロはそれを否定した。

「いえ、ナイフではないんです……ただ、なんと言うのか僕にも分からなくて」

「どういうことかな?」

「……見てもらいたいものがあるんです」

 パイロは肩に提げていたカバンを前に回し、中から一枚の色褪せた紙を取り出した。
 そしてそれをプリンに渡そうとして、少し躊躇って手を止めた。

「……これは、一応お客様の設計図です。僕達にも守秘義務というのがありますから、これを必要以上に外に出すのは御遠慮して頂けると……」

「うん、わかってるよ」

 プリンは深く頷いてその丸めた紙を受け取った。そして留められた紐を解いてゆっくりと開く。彼の要件からしてここに書かれていることが福音であるはずがない。出来れば見たくないような、さながら罠とわかっている宝箱を開けるような。

 

 そしてプリンはそれを目にした。
 それは一枚の設計図。
 長く伸びた鉄の筒。それそのものが人遺物指定だろう。その筒は僅かに一度曲がっていて、設計図の下部に示された、小さな金属塊──

「こ……れは……」

「二ヶ月ほど前のことです。いつもの仕事場に、ふらっとお客さんが来られまして……。何だか汚い布を頭まで纏っていて、顔はよく見えませんでした。その二足歩行のポケモンが、多額のポケと一緒にこの設計図を渡してきたんです」

「……二ヶ月?」

「ええ、これを作るのにそれくらいはかかりました。僕達もこんなものは見たことがない。でも彼は依頼を受けるに値する位の額を支払ったので……用途は聞きませんでした。お客様にもプライバシーがありますから」

「その客はどんなポケモンだったかな」

「……ぶっきらぼうな口調でした。必要最低限の事しか話さず、ただこれを作れ、とだけ……二足歩行ぐらいしか分からなくて、種族も分かりません」

 申し訳なさそうに俯くパイロ。

「バルカンと一緒に二ヶ月、苦心してこれを作りあげました。均一の太さの鉄、中は空洞で、内側には何故か螺旋状の溝を彫る。用途は全く分かりませんが、刃物ではない。僕達も難題に立ち向かうのは楽しみでもありましたから、一心不乱に作り続けたのですが……ふと怖くなって」

「どうして?」

「得体の知れない物を僕達は作ってるんだと考えると……だっておかしいんですよ。この曲がった筒じゃあ支え棒にもなりゃしない。土を掘ったって中に詰まってしまう。なのに柔らかい鉄の塊を用意しろ、だとか……。でも僕達は作りあげました。そしてお客様に渡したんですが……やっぱり怪しくて、それで今日ここに来たんです」

「そう、なんだね……」
 
 プリンにもこの設計図が何なのか、詳細までは分からない。
 しかし記憶の奥底、ギルド連盟の会議に参加することになって、必死に勉強した古い文献の記憶がその姿を主張している。

 そしてシュンから報告されている例の事件。
 ああ、考えたくもない推理が繋がっていく。
 
 これはこの世に生み出されてはいけなかった技術だ。古の生物が遺した、生命に対して極めて冒涜的な負の遺産。それが既に、一つ。

「ありがとう、これを持ってきてくれて。これが無かったら、ボク達の対応はさらに後手に回っていたよ」

 その言葉に青ざめるパイロ。焦った様子で体を乗り出す。

「やっぱり……危ないものなんですか!? 僕達は……作ってはいけないものを……!?」

「キミ達のせいじゃないよ。キミ達は、ただ責務を全うしただけだ」

 パイロは力なく椅子に座り込んだ。俯いて悔しそうな表情で歯を食いしばっている。
 ああ、若くして職人気質の彼は、作ることそのものに喜びを覚えるのだろう。未知のものであれば尚更だ。ただその仕事を成しただけの彼らを責める訳にはいかない。

「ところで……この小さな鉄の塊は、幾つ作ったの?」

「それは……確か、15個です」

「15、ね……」

 項垂れたままのマグマラシと、考え込むプリン。穏やかな日差しの午前だが、プリンの部屋には重苦しい空気が満ちていた。


          ※


「無事お帰りになりました」

「見送りご苦労さま、ソワ」

 ドアの向こうから顔を覗かせたソワ、しかし彼はどこか不安そうな表情をしていた。
 
「師匠、何かあったんですか。何だか嫌な予感がするんですが……」

 怯えたような目でこちらを見つめるソワ。パイロの憔悴した顔を見て不安になったのだろうか。
 それとも、自分の顔が険しくなっているのか──

「……あぁ、うん、そのうち話すよ♪ 仕事に戻って、ソワ」

「……分かりました」

 それ以上何も聞かずに彼はまたドアを閉めた。
 去っていく足音が小さくなってから、プリンは椅子に座ってため息をついた。
 まだ情報が足りない。ギルドの皆に伝えるのはもう少し先になるだろう。しかし対応は急がなくてはならない。
 
 そして、もしこの件をギルド連盟に報告すれば──

 机に戻り、脇に置かれた不思議玉に手をかざす。途端それは仄かに青白い光を放つ。


「聞こえるかい、シュン。手段が見つかった・・・・・・・・。……うん、全国の鍛冶ライセンス保持者にクラスA警戒の通達。……うん、そうだ、この件は大陸内で済ませるよ」
それは平穏な日々に訪れる、一つの綻び。
生まれてしまった脅威、そして追憶する紅き夢。
捨て子の夢想は、古の文明を打ち破るか。
これは、遥かなる旅路の序章である。

激動の第3章、開幕。

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